4話 希望の世界

文字数 4,873文字

第一世界へ入るなり、ノアは中央にそびえ立つ豪奢な王城を見据えた。

「あれが無意味の根源だね」

そして無数のいばらを先に走らせる。それらは城壁を滑らかに昇っていき、先に天守へと登り詰めたものがそれを手折った。

「ご覧ヴィクター。こんなにも儚く脆い。権力なんて、そんなものだよ」

反応しようにも、圧倒的な破壊力の前に何も思考できない。

「力を振りかざすだけの者に不変なんてない。安定なんてない。たゆまぬ努力を続ける者のみが、約束された明日を作り続け、未来を掴むんだ」

「やめてくれノア……お願いだから……これ以上、壊さないでくれ。別のやり方がきっとあるはずなんだ。きっと…きっと……」

「やめて、その言葉は二度と聞きたくない。きっと?それは諦めの悪い者が使う言い訳。往生際の悪さは相変わらずだね、ヴィクター」

ノアは鼻で笑い前方に視線を戻す。

「ときには諦めることも大切だよ。そうすれば新しい道が見えてくる。しがみつかず冷静に周りを観察し全体像を把握できたとき、自分がどれほど価値ある結果を生み出してきたかということに気付けるのだから。新たな希望を見出すには、古い希望を手放す勇気も必要。君にはその勇気があるのかい?」

こちらを見下ろす瞳には「そうは見えないけれど」と言う言葉がありありと浮かんでいる。

「さあ、仕上げをしよう。世界の完成はもう間近。ねえヴィクター、今日はお祝いをしようね。君の大好きなチキンライス、たくさん作ってあげる」

そして破顔し、高らかに響くノアの冷笑。

「俺は、全ての権力が悪だとは思わない。そこにしがみついて他を顧みないやつが調和を乱しているだけだ。きっとそうなんだ。だからノア、この第一世界の皆を傷つけることなんてないだろう?」

「誰も殲滅するなんて言ってないよ。僕は無駄なことはしない。頂点にいるただ1人が欲しいだけだ。ほら、出てきたよ」

彼の指差す方には、崩壊した塔の瓦礫の下から這い出てくる妙齢の男性。側近と思われる数名に支えられ、片足を引きずりながら得体の知れぬ外敵から必死に逃げている。「陛下」と呼ばれている彼こそが、この世界の王。

「なんて無様な」

ノアは事もなげに彼らの周囲にいばらを這わせて行く手を阻む。そして狙い通りに王1人をいばらで縛り上げ、目の前へと持ち上げ見下ろした。

「君が首魁だね」

「貴様、誰を相手にしているかわかっているのか」

「まだ王様気取りするの?まあ好きにしたらいい。残り僅かな余生を十分満喫しなよ」

「即刻離さんか無礼者っ!!」

いばらで縛る圧力を容赦無く強めるノア。その横顔から微笑みが消え去り、塵以下の物を見る目に変わった。

「おいで」

遠くで主を呼ぶ側近たちの悲鳴が聞こえるが、何者もノアを止めることはできない。来た道を引き返しつつ、あちこちに亀裂が走る第一世界をよそ目に彼は言葉を紡ぐ。

「ねえ首魁君。変わらぬ明日が恋しいでしょう?日常のありがたみがわかったでしょう?だけどその日常は他の誰かが必死に支えていてくれたからこそようやく実現していたなんて、そんなこと想像もしなかっただろう。気づくのが遅かったね、残念」

「戯け。お前達が生きているのも、変わらぬ日常を維持できているのも、我ら王族の正当なる統制の結果。正しき明日が来るのは、我らが、いや、私がいるからだ」

「へえ。君の正しき明日って何?」

「生命維持に必要な事物全てが過不足なく揃った明日だ。そんな当たり前の事もわからないのか。これだから下・・・」
「お前の当たり前は贅沢って言うんだよ。親がいるのが当たり前、毎日温かいご飯を食べるのが当たり前、安心に包まれて眠ることが当たり前。それらが(あまね)く確約された真実であると誰が言った?第三世界を見たことがあるのかい?お前が統べる、第三世界を」

「そんなもの、見なくとも分かる」

「思った通りだ。その立派な頭はお飾りなんだね。なぜ現実を直視せずわかったつもりでいるんだい。想像で予測した現状を基盤に行う統制は統制とは言わない。自由の搾取だ。子どものお遊び以下の意地の悪い戯れだ」

「貴様、無礼にもほどがあるぞ!」

「うるさいよ、下々」

「なっ……!?」

「全てを見渡せる目を持ちながら、その人生で何を見てきたの?首魁君、君が知覚している世界は世界じゃない。君が望んで侵されている幻覚だ。残すに値しない極小のエゴの世界だ。周囲に手を差し伸べようともせず自分の立場だけを守り、そこに固執したが故に己がこの世の理であると誤解したまま散っていくなんて。滑稽な語り草を残せたのは、唯一の功績だね」

王は怒りで肩を震わせているが、同時に拭いきれぬ恐怖心で青ざめ言葉を詰まらせている。この沈黙の瞬間を逃さず、俺はノアに声を届ける。どうか、届いて欲しい。その心に届いて欲しい。

「なあ、ノア。不条理に怒りがこみ上げるお前の気持ちはよく分かる。俺だってどうにかしたいって思ってる。けど、だからと言って現状を砕く必要はあるのか?俺たちが生きてきた時間を、場所を、なかったことにしていいのか?この難しい状況をどう打破できるかは、正直俺もすぐには答えが出せない。だが絶対に打開策があるのは確かにわかる。それは妥協や諦めじゃなくて、より良い今後のため、より良い関係のためになされるものであるはずなんだ。なあお願いだ、俺の言葉を聞いてくれ」

「安心してよヴィクター。僕たちの大事な第三世界(いばしょ)はどこも欠けてなんかないし、何も諦める必要はないよ。それにね、彼に審判を下すのは、僕じゃない」

「え……?」

気付けば第三世界に戻っていた。

「首魁君、これが世界だよ」

いばらが蠢き、王を第三世界の虚空へと掲げ孤立させる。すると異様な光景に気づいた人々が徐々に引き寄せられてくる。

「これが君たちの日常を力強く支えている現場だ。ここがなくなれば、君たちは終わる。ねえ。いくらなんでも、もうわかるよね?」

王は足をばたつかせ体を捻り、なんとか逃げ延びようとしているが、活路が開けるはずもなかった。ノアはその様子を鼻で笑い、手元の虹色の薔薇を撫で、しばらくののち再び王に視線を戻して鋭い眼光を浴びせた。そして耳をつんざくノアの威勢。


「壮絶な努力の軌跡を見ろ。筆舌に尽くし難い苦痛を察せ。そしてこの世界の真実を知れ。お前が下々と侮蔑した人々こそが、世界の中心。この場所が、世界だ。これが、世界の全てだ」


王を縛るいばらがゆっくりと下降し、地面を目指す。

「ノア、やめてくれ……!」

じわじわと恐怖に蝕まれ自分まで体が震えだした。急激に高まる、第三世界の人々の憎悪。その視線の先にはもちろん、この不条理を作り上げた“首魁”を捉えている。今か今かとその到着を待つ姿は、さながら最期の刻を心待ちにする死神。

「首魁君、準備はいいかい?まあ、僕らが味わった苦悩とは比べものにならないけど、」

ついに王は地上に下される。



「せいぜいもがいて足掻いてそして逝け」



顔面蒼白になる王へと人々がにじり寄って行く。彼は負傷した片足を庇いながら民を視線で威嚇し、その右手は腰元の短剣の柄を固く握りしめている。

「誰にそのような視線を向けている。よもや私が誰か分からぬ程、愚鈍ではなかろう?」

胸を張り気高い雄姿を見せつけるものの、もはやそれが効力を持つ状態ではなかった。張り詰める緊迫感に身の毛がよだつ。いよいよ退路を絶たれた王は、短剣を鞘から開放した。

「ヴィクター、僕らもちゃんと見届けてあげよう」

ノアが虹色の薔薇を揺らすと、王へと向かって白薔薇の道が伸びてゆく。その上をノアは颯爽と進み、茫然と立ち尽くす俺をひとり置いていった。恐怖で硬直した足をなんとか前進させ、彼の背中を追い、野次馬の輪にノアが溶け込む寸前でようやくその手を掴むことができた。何の感情も持ち合わせず、彼は振り向く。

「なに?」

「ノア、もうやめよう」

「なぜ?」

「こんなことして何の意味がある?誰かを傷つけたって、何も解決しない」

「このまま僕らが我慢し続けたって、何も解決しないよ」

「そうだけど!そうじゃなくて……」

伝えたい言葉は山ほどあるのに、胸がいっぱいで音になってくれない。

「ヴィクター。見たくないなら、関わりたくないなら、僕を放っておけばいいだろう?」

「っ?!何言ってんだよ……」

「当然のことと思うけど?」

「俺にそんなことできると思うかよ!!」

その瞬間、ノアの瞳には彼が変わり果てる前の心が戻っていた。



このまま、平和になってほしい。世界も、人も、光も、すべてが最善になって、優しい世界になってほしい。そのためにいま、俺にできることは。


沈黙に陥るノアを置いて走り出す。向かう先はもちろん、王の隣。


「みんな止めろ!!」


なんとか交戦間際で辿り着く。王は当然のごとく軽蔑の目を向けるが、そんなことは気にならない。

「王様、どうかお願いです。みんなに謝ってください。そして認めてください。一言だけでいいんです、お願いします」

「却下だ。謝罪すべき行為など、何ひとつしていない」

「なぜご理解いただけないのですか?俺たちはこれまで十分に頑張ってきたはずです。王様も気づいておられるでしょう。貴方の言葉ひとつで、この事態を収束できるのですよ。ですから」
「下々への謝罪などあり得ない」
「ですが」
「お前の指図を誰が聞こう。気づけ下々、この世界は繋がってなどいない。共存もしていない。隣り合わせになっているとて、3つの世界は別々に存在しているのだぞ。そこに馴れ合いなど不要だ。聞け、そして今この瞬間に記憶に刻め。他世界は、第一世界のために回っていればよい。断言しよう。それこそが、お前達が明日を迎える理由、その全てだ」

ここで引き下がれるはずがない。俺は今度こそ絶対に、ノアに希望を見せる。

背を向けようとする王の腕を咄嗟に引き留めた。

「待ってください!話はまだ・・・」

「下々が私に触れるな!穢らわしい!!」

遂に激昂した彼は、俺に向かって刀身を振りかざした。


しかし予期した痛みは走らず、いつの間にか目の前にはノアの背中があった。そして彼は頭をぐらつかせ、力なく地面に体を預けた。

「ノアッ!!」

抱き上げた彼の胸元が、みるみるうちに紅く染まっていく。止めようにも止められない流血。


「ノア……なん…で……」


「……放っておけるわけ……ないでしょう」

「……っ……!!」

ノアの手から、虹色の薔薇が滑り落ちる。流星の効力が切れ始めているのか、周囲の白薔薇が色褪せ枯れてゆく。

「ノアッ!おいノア!!」

目を閉じようとする彼を揺さぶると、ゆっくりと視線を動かしこちらを見つめ、微笑んでくれた。腕の中にいるのは、親友のノア。優しくて、美しい花が大好きで、いつも俺を支えてくれている、ノアだ。

「ヴィクター、ごめんね。僕は、みんなを、救いたかったんだ……君を…ここから……」

「ノアッ!!行くな!お願いだから……俺を置いて行くなよ!!」



希望の流星が煌めいた。



迷わず手を伸ばした。



願えば、ノアの記憶がなくなるかもしれない。俺のことを、一切忘れてしまうかもしれない。だけど、ノアのいない世界を生きるなんて嫌だ。ここで、唯一の大事な人を失うなんて、絶対に嫌だ。



そして願う。



「元気なノアがいる、ノアに優しい世界をください」



そして世界は光に包まれた。



光が落ち着き、再び目を開けたとき。世界はとても明るかった。その明るさは、第一世界と同様に心地よいものに変容していた。そして、腕の中で、ノアが穏やかな寝息を立てている。

記憶の片隅に、重ねた時間が残っているだろうか。俺のことを、覚えているだろうか。不安と期待が入り混じるままで彼の名を呼ぶ。

「ノア……?」

のんびり目を開け、まどろみながら見上げるノア。たっぷり時間をかけてこちらを見つめている。

「君は……誰……?」

そうか。うん、それでもいい。生きていてくれるなら、それでいい。

「俺はヴィクター・ライトニング。お前の親友だよ、ノア・フロレンツ」




ここからまた始めよう。ここからまた、一緒に、新しい明日を描いていこう。二人を受け入れた自由の世界で、笑顔に満ち溢れた優しい時間を、今度こそ君に贈ろう。

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