第1話 ヴィクター・ライトニングの世界

文字数 3,408文字

「ねえヴィクター、早く行こうよ。置いていかれちゃう」

親友のノアに急かされて、俺はようやく作業の手を止めた。

「オッケー。ちょうどキリついた」

刈り取ったばかりのチューリップを一輪車に乗せ、ノアが待つ畑道へと急ぐ。見ると、大人たちはすでに遠く先へと進んでしまっていた。俺たちは二人並んで、山盛りのチューリップを落とさぬよう慎重に、かつ早歩きで追いかける。だがノアはすぐに足を止め、一輪車を置いた。どうやら花を載せすぎたようで、ハンドルから手を離し腕を揉んでいる。

「ノアはいつも頑張りすぎなんだよ」

彼の一輪車から抱えられる分だけ抱えて、自分の方へと移す。

「ごめんね。でももう10歳になったから、これくらい運べるようにならないと」

「強がらなくていいって。年上の俺に任せとけ」

「4ヶ月しか違わないじゃん」

「へへへ。バレた?」



子どもは学校へは行かず、大人と一緒に働くことがここでの常識だった。

この国には「世界」と呼ばれる3つの階層がある。第一世界と第二世界、そして俺たちのいる第三世界だ。真円形の第一世界を中心に、その外縁にはドーナツ型に第二世界が位置し、さらにその外縁にこの第三世界がある。

第三世界(ここ)は俺たちのような貧しい人々が、鉱業や農業などに従事して働くところだ。第一世界には王侯貴族、第二世界には一般市民が住まうと聞く。生まれた場所が生きる場所で、厳格な法律により物資以外は世界間の移動が禁止されているため、外界のことはよくわからない。けれど子どもの俺にとっては手を伸ばせる範囲が世界の全て。親友のノアがいて、()き栽培の仕事があって、ご飯が食べられる。それで充分だった。親も兄弟もいないけれど、同じ境遇のみんなと一緒に過ごし、寂しさを感じることはなかった。



とある休日。俺はノアを誘って隣町の小さな図書館を訪ねた。図書館と言っても、他世界から廃棄処理を任された古本が適当に並べてあるだけの小屋をそう呼んでいるだけだけれど。いつものように二人別々に選んで回り、近くのベンチで収穫物を見せ合った。

「今日は僕からだね。見てよヴィクター、すごいでしょ」

嬉しそうに絵本を見せるノア。淡い色使いで大きな花束が描かれた表紙を見て、いかにも彼らしい一冊だと思った。

「ノアは本当に花が好きだな」

「うん。お花はどこに咲いていても、どんな色でも、どんな形でも綺麗でしょう。いつでもみんなを笑顔にしてくれるでしょう。だからきっと、僕たちが育てたお花は向こうの世界で大人気に違いないんだ。それにね」

ノアは特定のページを開き、指先で文字をなぞっていく。

「向こうにはお花屋さんって言うのがあるみたい。これたぶん、お花を売る場所だね。僕、大人になったらお花屋さんになる。たくさんの人を笑顔にしてあげたいんだ」

第三世界に花屋はない。これからできるかもわからない。けれど夢を語るノアの眼差しは純粋で、真剣に希望を見つめていた。

「ノアなら絶対になれるよ。叶うまで、ずっと応援するからな」

「ありがとう、ヴィクター」

ノアは顔を赤らめ、よりいっそう目尻を下げた。そして絵本を閉じ「ヴィクターは何を選んだの?」と首を傾げる。

「じゃーん!すっごい面白いの見つけたぜ」

「なんだか難しそうだね。何の本?」

「“希望の流星”っていう星について書いてあるんだ。この第三世界のどこかにあるらしい」

「うん?第三世界のお空にあるってこと?」

「それとは違うみたい。あのな、この希望の流星っていうのは、空に浮かぶやつと違って、地面の中に眠ってるんだって。“ひとところにとどまらない、さすらいの星”で、“光り輝くこの星に選ばれた者の願いを、必ずひとつ聞き入れる”って書いてある」

「へえ。何でも願いを聞いてくれるなんてすごいね」

「だよな。もし見つけたら、ノアはなんてお願いする?」

「もちろん、お花屋さんにしてください、だよ。ヴィクターは?」

「俺は、うーん。世界中を光で照らしてください、かな」

この国は恒星から程遠く光源がないため、第一世界の上空に巨大な人工灯を配している。だが、そこから離れた第三世界にはその4割ほどしか光が届かず、日中は常時曇り程度の明るさで、夜は暗闇に包まれる。生活に支障はないが、快晴というものを味わいたい気持ちはどこかにあった。

「そっか。ヴィクターは優しいね」

「でも、もし見つけたらノアにあげるよ」

「何で?順番に叶えてもらえばいいじゃん」

「それはできないみたい。一度願いを叶えた後に100年待つ必要があるんだって。待たずに使うと、前の人の願いが強制的にキャンセルされて、その人の記憶もなくなっちゃうって書いてある」

「そんなの前の人が可哀相だよ。じゃあもし見つけたとしても、僕は願いを言わない」

「じゃあ俺も。俺たち自身で願いを叶えよう」

「そうだね」

幼い俺たちには「希望の流星」とやらが空想なのか実在するものなのか判別がつかなかった。けれどそれは、2人の夢の輪郭を明確にし、心を支えて背中を押した。

「でも、何で第三世界(ここ)にだけにあるんだろう。他の世界にはないのかな?」

「どうだろうな。ここの土が一番栄養高いんじゃないか?」

「ハハハ。そうかもしれないね」



その後、この日誓った夢を胸に抱き、明るい未来に向かう原動力にして過ごしていた。しかしいくら待っても世界は変わらず、むしろ劣化の一途を辿っていった。


16歳になったとき。第一世界の采配で突如刑務所が建設され、他世界の凶悪犯の流刑地となり、一部区画の治安が悪化していった。俺たちはそこから遠く離れた場所に住んでいたが、第三世界全体の空気が重々しくなっていくのを肌で感じている。自分たちの意思に反して変わりゆく世界に人々は怯え、もどかしさに心を痛め、そして深く悲しんだ。それでも、明日を目指して前を向こうと必死だった。


***


その日はノアと一緒にいつもの図書館へ行って息抜きをすることにした。

このところ花の不作に悩まされ、さらには人手不足の仕事場にも援助に行き、お互い仕事につききりでそこを訪ねるのは3ヶ月ぶりだった。

最近のノアは哲学書や歴史書などから知識を積極的に吸収し、自己探究とやらを好んでやっていた。そしてたまに突拍子もない質問をして俺を驚かせる。

「ねえヴィクター。僕たちは何のために生きているんだろうね?」

「急にどうした?辛いことあったなら聞くぞ?」

ノアは笑って首を振る。

「言葉足らずでごめんね。この本にそう書いてあるんだよ」

「そっか」

「とてもシンプルな質問なのに、僕はすぐに答えが出せない。どうしてだろう」

急に眉間にシワを寄せあまりに深刻な顔をするから、逆に不思議な気持ちになった。だってそれは、すぐに答えが出せるような、簡単なものではないはずだから。

「それは俺もまだわからないな。だから、これからゆっくり見つけていくんじゃないか?答えを出すには、たぶん経験が足りないんだよ。もっといろんなことを体験して、たくさんの感情を味わって、より多くの人と心を通わせることができたなら、自分にとって何が幸せか、何のために時間を使いたいか、つまり何のために生きるかがわかるようになるんじゃないかな。俺はそう思うよ」

「なるほど。うん、そのとおりかもしれないね。今日のヴィクターはなんだか頼もしい」

「今日はじゃなくて、いつもだろ?」

「じゃあいつもってことにしてあげる」

「なんだよそれー」

「ハハハ」


偉そうに言ってはみたものの、実のところ確信は持てなかった。その答えを得るにはまだ、自分という存在の中身も価値も十分には理解できていないと思った。そして幸せの定義や生きる意味が明確でなくとも、きっといつか笑顔で満ち溢れる日々が来ると願い、憧れていた。そうやって心を明るい色で塗りたくって、頭の奥で蠢く諦めや落胆が見えないようにしていた。


俺のせいでノアを不安にさせることは絶対にしたくない。ノアには、色褪せない夢が待つ、幸せな明日を見つめていてほしいから。


大丈夫。絶対に大丈夫。いまを大事に生きていれば、俺たちはいつかきっと光を見る。


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