第6章 Wives And Lovers

文字数 5,151文字

6 Wives And Lovers

Hey! Little Girl
Comb your hair, fix your makeup
Soon he will open the door
Don't think because there's a ring on your finger
You needn't try anymore

For wives should always be lovers too
Run to his arms the moment he comes home to you
I'm warning you...

Day after day
There are girls at the office
And men will always be men
Don't send him off with your hair still in curlers
You may not see him again

For wives should always be lovers too
Run to his arms the moment he comes home to you
He's almost here...

Hey! Little girl
Better wear something pretty
Something you'd wear to go to the city and
Dim all the lights, pour the wine, start the music
Time to get ready for love
Time to get ready
Time to get ready for love
(Hal David & Burt Bacharach "Wives And Lovers”)

  1843年、13年間を費やして、そうした状況下、ジョン・スチュアートは最初の本格的著作『論理学体系(A System of Logic)』を刊行する。ここで彼は、ジェレミーが始めた自然科学の方法論の社会科学への応用を修正・発展させている。近代科学が経験的に技能を身につけた熟練労働を機械に置き換え、非熟練労働者を生産現場にとりこんだように、技能をソフト化=知識化すると、それは技術となり、普遍化できるという見取り図を描く。そこで、彼は「同意の方法(Method of agreement) 」・「差異の方法(Method of difference)」・「同意と差異の接合方法(Joint method of agreement and difference)」・「残余の方法(Method of residues)」・「付随変動の方法(Method of concomitant variations)」の五つの重要な方法を示している。

 フランシス・ベーコンは観察によって得た経験・技能を整理して知識・技術へと構築する帰納法を提唱したが、森毅が『数学の歴史』で指摘している通り、自然科学における数学の意義を真に理解していなかったため、優れた数学者でもあったルネ・デカルトの演繹法に比べて、穴の多い不十分で粗雑な理論にとどまっている。ジョン・スチュアートはこうした既存の説を吟味して問題点を検討し、自然科学の裏づけを持たせた上で、完成度の高い帰納法的な論理学として統合する。自然科学的認識は条件・手段を考える社会科学的領域に応用できるだけでなく、扱い方によっては、倫理学の再考慮にも利用できる。と言うのも、倫理学は目的の選択・再考をするものであり、それらの科学と相互補完しているからである。「倫理学は人間性と人間社会についての科学(science)に対応した技能(art)の一部である」(『論理学体系』)。

 自然科学の倫理学への応用は文章題を論理式に変換することを示唆しているのであり、自然科学を社会のインフラと見立てる功利主義的な論理学は20世紀の情報理論の源流の一つである。クロード・シャノンはビットを導入することで、ドキュメントだけでなく、音声や画像、動画のファイル化を可能にしたけれども、それは功利主義的理想の実現であり、コンピューターやゲノム解析は、その意味で、功利主義の主要な成功例である。

 と同時に、できるからと言ってやっていいのか、またはどこまでなら許されるのか、その功罪は何かといった情報をめぐる現代の顕在化した諸問題、すなわち倫理や政治、法律、経済、メディア・リテラシーなどにもジョン・スチュアートは示唆を与えている。彼は、この論理学を出発点として、この著作以降も、極めて広範囲の領域を論じていく。それは、まるで現代人が直面している状況を予言しているようだ。

 近代科学は因果関係の解明を追及してきたが、それには実験という手法が有効である。実験では、変数を極力減らし、仮説に基づいた因果関係の有無を確認できるけれども、無数の変数が複雑に絡み合っている現実世界の観察によって特定の因果関係を解明するのは非常に困難である。観察にのみに頼ると、しばしば、因果性と言うよりも、影響を認める程度にとどまってしまう。そのため、観察から生まれた仮説を実験を通じて証明するのが近代科学の手続きとして定着する。

 しかし、実験は、現実世界に比べて、特殊な環境下で行われるため、ある種の因果性が確認されたとしても、それが現実現象の理解に役立たない事態も少なくない。また、実験は短期的な事象に関しては確証できても、長期間に亘る現象にはお手上げである。チャールズ・ダーウィンは鳥類の観察を通じて進化論を導き出したが、それを実験で証明することはほぼ不可能である。そもそも、倫理上、許されない実験もある。さらに、20世紀後半から変数を可能な限り削らないで研究する学際性・実践性への動きも強まっている。コンピューターの普及に伴い、非線形やカオス研究が発展した結果、因果性の説明よりも、現実世界における現象を記述するシミュレーションが一つの主流になっている。近代性の浸透に連れて、一時期、功利主義的な論理学は乗り越えられた思想として扱われてきたが、むしろ、復活している。

 さらに、1848年、『経済学原理(Principles of Political Economy)』を発表、マーク・ブローグ(Mark Blaug)は、『ケインズ以前の100人の経済学者(Great Economists before Keynes)』(一九八六)において、経済学史上のミルの功績を次のように要約している。

 一九世紀の後半、マーシャルの『経済学原理』(一八九〇)が出版されるまでのビクトリア時代のほとんどすべての間、ジョン・スチュアート・ミルの『経済学原理』は、英語圏での指導的な経済学のテキストであった。それが広く受け入れられたのは、現代的経済諸問題を広範に取り扱っていたからであり、経済分析と歴史的描写をうまく組み合わせていたからであり、リカードゥ原理をリカードゥ批判からもたらされた制限の多くと力強く統合したからであり、伝統的枠組みのなかにみられる急進的な調子からであり、優美な文体からであり、論理学・哲学・政治理論家・美文学者としてのミルの名声からであった。彼は単なる経済学者ではなく、指導的ベンサム主義者であり、「自由主義の聖人」であり、ほとんどすべての討論の場において同時代の知識人たちのなかでそびえ立つ人物であった。

 ミルの『経済学原理』は、マーシャルの『原理』と同様、その独創的特長が目立たないようにうまく書かれている。その結果、しばしばその書物は「リカードゥの再述」とされたのである。しかし、彼自身リカードゥの忠実な弟子であると考えていたにもかかわらず、その書物はまことに理論的確信で満ちており、もっともすばらしいことは、国際貿易における相互需要の諸効果を説明するためにリカードゥの比較生産費の原理を拡張したことであった。さらに彼は、スミスの相対的賃金論を労働市場における非競争集団の概念を導入することにより適したものとして説明し、「需給法則」を恒等式というよりはむしろ代数式として再述し、結合生産が労働価値説をつくり出すという問題を認識し、あらゆる費用は本来なしですませた機会費用であるという自覚を示し、製造業における規模経済の出現を論じたのである。このような新しい洞察の一覧表は、ほとんど無限に広がっていくだろう。しかしもっと驚くべきことは、経済思想に関して本質的にリカードゥ的枠組みから引き出したその政策的含意である。彼は、相続税、貧農の財産所有権、利益配分、生産者と消費者組合に関する強力な主唱者だったのである。「財産について」と題した最初の章で、オーエン、サン=シモン、シャルル・フーリエの著作に見られるような社会主義理論を、彼はおどろくほど共感の念をもって説明したのである(彼は、同年に英語で出版された『共産党宣言』の著者であるマルクスについては、その時もまたその後になっても決して意識しなかった)。さらに、政府活動の適正な範囲に関する最期の翔で彼は、幼稚産業を擁護した保護主義、工場における労働時間の規制、最低水準の視覚があることを確かめるための国の試験体制と結びついた子どものための義務教育(義務通学ではない)を加えたのである。

 ジョン・スチュアートの経済学はデヴィッド・リカードゥやカール・マルクスのように極端に解釈が割れるわけでも、非主流の異端派経済学でもなく、ジェレミー・ベンサムやデヴィッド・リカードゥ、ロバート・マルサスという正統的な古典派経済学の後継者であり、彼以後の系譜もまたフェビアン協会の社会主義から厚生経済学、アルフレッド・マーシャルの新古典派などアングロ・サクソン経済学の本流である。資本主義が社会の発展を促したものの、人々を攻撃的にしてしまい、攻撃性を緩和させて富の再配分を行わなければ、いずれこの体制は行き詰ってしまう。経済活動に対する極端な自由放任も、過度な統制も、マルトリートメント(Maltreatment)としてジョン・スチュアートは斥け、その調整を模索する。

 ジョン・スチュアートは非難するよりも、賛辞を述べることが多く、オーギュスト・コントやトーマス・カーライルは彼が自分の意見に完全に同意したと誤解したほどである。ジョン・スチュアートは、驚くほど手際よく、対象とするテクストを要約し、問題点をあげつらうよりも、その意義を説明する。最後の大物古典派経済学者は労働者の団結権を認め、所有や相続税、土地制度の改善、教育改革を実施した上での労働者・女性への参政権拡大を説く。彼は資本主義の攻撃性の抑制と富の公正な配分という社会主義の理念に賛同しつつも、労働者階級の代弁者のように、逞しく歯を食いしばってではなく、優雅に、慎ましくも、資本主義の改良を訴え、暴力的な革命を決して望まない。体制を転覆して、乗っとるだけならともかく、それを統治・運営するほうがはるかに難しいと知っている。「情緒的に彼は社会主義に心ひかれたが、労働者の貧困化理論に立つ革命的な社会主義に反対であり、その態度はベルンシュタインの修正主義と変わらぬ、それゆえにこそマルクス主義者は彼を嫌うのだ」(ヨゼフ・A・シュンペーター『経済分析の歴史』)。

 ジョン・スチュアートの知性はすでにある枠組みから可能性を引き出す能力として発揮される。フランクフルト学派の力強い大胆不敵な批判理論と異なり、ヴィクトリア朝の堅苦しい丁寧さと革新的な変化に満ちている。その慎みある独創性は伝統的にも、急進的にも見える。これは他の著作でも共通している傾向である。彼はいつも穏やかで、謙虚に記すため、生ぬるい啓蒙的な入門書ないし軟弱な議論の叩き台と見くびられることさえある。レスリー・ステファン(Leslie Stephen)は、『イギリスの功利主義3 ジョン・スチュアート・ミル(The English Utilitarians, Volume 3: John Stuart Mill)』(1900)において、「『自伝』が、この種の文学を魅力的にする性質をほとんどまったく欠いている」と不満を示している。ジョン・スチュアート自身も「波瀾の少ない生涯の記録」であり、「どの部分なりとも、読み物としても、あるいは私の一身に関する記事としても、一般読者に興味があり得るだろうなどとは、さらさら考えない」と告げている。しかし、このさりげなさこそがジョン・スチュアートの並々ならぬ独創性の特徴である。
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