一回戦Bグループ

文字数 2,992文字

※一部ネタバレを含んでいます。


「金継ぎ」 藤田雅矢
 ファンタジーとSFのあわいのような、個人的にとても親近感を覚える作品。
 冒頭とそれに続く「月だ。」の短い一文は、この小説の導入部として、ほとんど完璧な文章のように思えた。平たい月を整備する仕事の具体的な描写や、「わずかながらある月の人工物」のシルバニアファミリー感など、読者サービスも満載している。正直、この描写だけで6枚書ききってくれてもいいなあ、なんて思いながら楽しく読みました。
 月の欠けた部分に先代の月を「金継ぎ」するということは、月はあたかも人工物のように描かれているが、そう簡単に新しく作れるものでもないのか。金継ぎ、欠けてしまった器を繕ってまた使えるようにすること、サステイナブル。それじたい限りある資源である月は、そうやって大切に維持管理されており、その維持管理の結果得られるのがラストで描かれるような「心の平穏」なんだとすれば、今夜も当たり前にのぼる月に、使い古した茶器のような愛おしさすら感じる…と言おうとして、夜空のどこにも月が見当たらず、明後日が新月だと気づく。年に一度の、整備期間に入るのかもしれない。ともかくこの小説が、やさしい閉じられ方をしていてよかったと思う。


「5年ランドリー」 坂崎かおる
 完成度がさあ、群を抜いているんですよ。やめてくれ、これ以上は、どうかお願いだから、命だけは、と請いながら読み、読みながら請い、最後の段落で、なんの躊躇もなく心の臓を射抜かれた。
 異常高校で育ったので、サンチャゴ・デ・コンポステラへの巡礼くらいから後ろの世界史の教養がほぼないので、ソ連崩壊やペレストロイカのことは調べながら読むしかなかったが、それにしても「5年」をコインランドリーの洗濯機に接続した筆者の脳内は計りしれない(つまり私は、何も分かれていない)。
 社会主義とランドリー、再構築とランドリー、共産党とランドリー、シベリアとランドリー、五カ年計画とランドリー、タイムマシーンにも似たランドリー。正解があるなら教えてほしい気持ちでいっぱいだが、なんということだ、そういう読み方が根本的に間違っていると思わされるくらい、「5年」の目盛りを持つ洗濯機は、この小説世界にうまくなじんでいる。え、なんで?もうヤダ!


「第三十二回 わんわんフェスティバル」 松井友里
 納豆巻きを食べたとか、フロスも使って念入りに歯を磨いたとか、いつも一駅手前で降りるとか、知らんがな。とツッコミたくなる無駄情報が前半から満載だ。受付の女性の容姿についても解像度がやたらと高い。いや、着ぐるみなんて耳と目鼻と尻尾さえついていれば、それでいいじゃん。着ぐるみに対して「これは何犬か。」などと問う方がどうかしている。いくら子どもだって、三対一で狼藉の限りを尽くしちゃだめだろ。着ぐるみと言ったって、生身の人間が入っているんだから。
 しかし主人公はそういうツッコミに耳を貸す感じもなく、ただぼんやりして、「本物の犬」の声に耳をすます。え、本物の犬って、そんなに珍しいかな?
 はっきり言って、この小説は「巧くない」。私は最初、そう感じました。語りの視座の不快な偏り、「犬」である必然性のなさ、発想それ自体の凡庸さ。(偉そうなことを言ってしまい、本当にすみません。)
 でも、それが何だというのか?(本当にすみません。)
 私はべつに「巧い」作品が読みたくてブンゲイファイトクラブを観戦しているのではない。巧い文芸作品など、それこそ犬と同じくらい、この世界にありふれている。(本当に本当にすみません。)
 それでもあえて年に一度のこの奇祭に首を突っ込むのは、なんらか理由があってのことに違いない。「本物のブンゲイが見たいから。」などと大義を振りかざすのは容易い。しかし、そんなのは何も言っていないに等しい。私はだから、どうしようもなくぼんやりした顔で、ここにたしかに存在する、この六枚の小説に耳をすますことしかできない。そしていつしか、そういう無力を、虚脱を、打ちのめされをこそ求めていたと、私は気づくというより思い出す。


「小さなリュック」 薫
 改行の少ない写実的な文章が、バイト先という日常風景が自殺現場に変わったことの戸惑いを的確な速度でにじませる。鏡に映った僕/女の子の顔を軸にして、どこか他人ごとのようだった語りを反転させる手つきはお見事。月並みですが、全編を通じて実体験かと見まがうほどのリアルさに感服しました。(いや実体験ということも、十分にありうるわけだが。)
 血を見たわけでも、飛び降りるところを見たわけでもない。女の子の顔は画面ごしで、どんな感情も読み取れない。命はとりとめたとか、やっぱり亡くなったという情報は又聞きでしか入ってこない。
 しかし女の子が、これから死のうとする19歳の女の子が、小さなリュックの中にどんな持ち物を携えていたのか。自分がそうであったかもしれない「僕」にとって、それは週刊誌的な好奇心を超えた切実さをもって視界に飛び込んでくる。物語のラストにかけて、その「感じ」が読んでいるこちらにも等身大で伝わってきて苦しくなった。


「沼にはまった」 さばみそに
 こんな意味不明な沼に突然はまるリスクを、全人類が抱えながら生きているのか。命に別条がないからよい、というものではない。今すぐ全国でリモートワークと休校を徹底し、不要不急の外出は禁止、オリンピック開催など問題外、有識者が総力をあげて解明を急ぐべきではないのか。しかし、透明な沼の有識者とは。
 というか和志、おい和志、お前それはないだろ。おととい飲んだばかりの友人の危機をシカトはないだろ。
 というか猫、かわいいな。猫っていうのはなんでこうまでかわいいかな。全部知ってるよって顔でいるくせに何考えてるか全然わかんないのな。ごはんがほしいのか、ただ甘えたいのか。まじで猫だけは、この沼にはまらない仕組みで頼みますよ。
 というか、え、終わり?


「フー 川柳一一一句」 川合大祐


 茄子と救急車はどこらへんが似ているのか、存在しないところが似ているのか、でも茄子は存在する、救急車も存在する、いや、まだこの世に存在しない、茄子に似た新型救急車が、どこかに存在するのか。それならわずかだが可能性はある。
 だめだ川柳、一句目から難しすぎる。でも川柳、なんか楽しい。
 言葉をこれほど自由に組み合わせられるのだから、文芸好きなら楽しくないわけがないのか。でも、川柳がすべてこのように自由というわけではなく、意味は分からないままちゃんと面白いのは、作者の並外れた力量がなせる業なのだろうと思う。


 お正月特番でしょうか。どうぶつ奇想天外よく見てたなあ。


 イメージの綱渡り。スリリングだけど、ぎりぎり美しいと感じる。


 意味不明。でも好き。


 アドリア海の海岸沿いで。


 瓦版ならギリセーフ。


 この、現世へス/メルジャコフが…、みたいな、音楽で言うシンコペーションみたいのって、和歌だとなんていうんでしょうか。


 この句が一番好きです。


(2021年11月5日更新)
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