第３４話 因縁の階
文字数 2,463文字
陽女と俺が着衣を整えて、一息をついたあとに、俺たちはリビングへと移動をした。
コーヒーメーカーに挽いた豆とドリップフィルターをセットし、スイッチを入れたあとに俺は手持ち無沙汰を紛らわせるように戸棚を開けて、何かないかなと探すようにしながら、リビングにいる二人の姿を盗み見る。
二人は俺の指示に従い、並んでソファーに腰を下ろしていた。
陽女はようやく落ち着いた様子にはなっていたが、やはり先ほどまでの状況だったからか、表情は暗い。
俺の意思ではなかったとは言え、妙齢の女性にあのようなことをしてしまったのは、俺の心を重くしていた。
その姉をいたわるように、そっと肩に手を乗せて顔をのぞき込むようにしている美月。
何故こんなことになってしまったのだろうかと、ようやく蒸気を放ち始めたコーヒーメーカーを見ながら考える。
あの時は頭にもやがかかって、何も考えられなくなっていた。
なんとなく遠くから声が聞こえて、その声に導かれるように身体が勝手に動いていたような感覚。
意識はあるのに、身体が自由ではないという不思議な感覚。
物思いにふけっている間に、抽出が終わっていたようで、コーヒーの良い香りが辺りに立ちこめていた。
俺は慌てて、コーヒーカップとトレーを用意して、それぞれのカップにコーヒーを注いで、それを二人のいるところまで運んでいく。
「分量が分からなかったから、それぞれ自分で適当に入れてくれたら良いから」
二人の前にコーヒーの入ったカップとシュガーポットそれにフレッシュを数個置いた。
「ありがとう……ございます、でもブラックで大丈夫ですから」
弱々しい笑みを浮かべて、陽女が小さな声で言う。
「あ、私は砂糖だけ……」
美月はそう言うと素早くシュガーポットから砂糖を1杯だけカップに入れて、スプーンでかき混ぜ始めた。
途端に気まずい空気が流れ始める。
誰もが何かを言いかけて、それを言葉に出来なくて沈黙になる。
そう言う状況が続いて、ただコーヒーを啜る音とカップを置く音だけが聞こえる。
「あの！自分の意思じゃなかった……とは言いたいけど、だけどあんなことをしてしまって申し訳なかった！」
沈黙に耐えきれなくなり、俺は陽女に向かって頭を下げて、大きな声で言った。
俺の言葉に陽女は一瞬、驚いたように身体をビクッとさせ、次の瞬間にはぎこちない笑顔を浮かべいいのですと答えた。
「智春さまは、あの時は完全に守藤の術に操られていましたから……だから、智春さまの罪ではないのです」
やはり弱々しく首を左右に振り、力のない声で陽女が続けた。
それは自分に言い聞かせるような声音がこもった声だった。
「だけど……その……意識はあったんだ。それに記憶も残ってる。陽女さんの……その……肌も見てるし覚えている」
俺の言葉に、一瞬にして陽女の顔が朱に染まる。
無意識に両腕で自分の胸元を画すような姿勢になり、泣きそうな目で俺を見る。
「お忘れ……ください。後生ですから……忘れて……ください」
震える声でそう訴えかけてくる陽女。
なんと答えることが正しいのか分からず、俺は俯いて唇をかむことしか出来なかった。
意識して忘れることなど、人に出来る技ではない。
ましてや俺は年頃の男子であり、あの時目に映った女性らしい豊かさと丸みを帯びた胸は、忘れようとしても忘れられるものではなかった。
しかしそれを正直に告げることは、陽女を更に傷つけることになることも分かっていた。
だから俺は答えに窮して、何も言葉にすることが出来なかった。
「忘れられるわけ……無いわ。だって貴方が初めて見た、姉さんの女だもの……」
意外なところから声が上がった。
声の主は陽女ではなく美月だった。
美月も俯いて、唇をかんでいたが、その感情は陽女や俺とは違うもののようだった。
「姉さんがこんな目に遭ったのに、智春さまが危機だったというのに……私はとても浅ましい感情で話を聞いてしまった……許して……ください」
美月の頬を涙が流れていく。
何の前触れもなく、突然に泣き出した美月。
「どうしたんだよ……」
「ごめ……なさい……わたしは、最低な女……です……」
嗚咽交じりに言葉を紡ぎ出す美月。
その様子に何かを悟ったのだろうか、陽女はそっと美月の背中に手を伸ばして、子をあやす母のようにとんとんと叩いてあげていた。
「美月……貴方の気持ちも分かっている。割り切れない気持ちの部分……分かるから、自分を責めないで」
「けど……けど……姉さんがこんなことになっているのに私は……」
「美月……正直に言うわ……私もずっとあなたを妬ましく想っていた。姉としてあるまじき感情を持っていた。だから、分かるし仕方ないと思うの」
俺には分からないけれど、二人にだけは通じる会話だった様だ。
陽女の言葉を聞いて、一瞬だけ身体を強張らせた美月は、だけど何処か安心したような吹っ切れたような表情を浮かべて、陽女に抱きついていた。
そこから1時間ほどが経過して、ようやく二人が落ち着いた頃に、陽女がゆっくりと美月から身体を離して、俺の目をじっと見つめてきた。
「智春さま、今から私たちが知っていることの全てをお話しします。ただいくつか約束してください。1つは禁忌と呼ばれるもっとも重要でありもっとも難解な部分についてはお話しできません。これは神との契約のためです。そして2つめはあまりにも現実離れした話であっても、最後までお聞きください。3つめは他言は無用でお願いします。もっともこの話を誰かにしたところで、智春さまがおかしくなられたとしか思われないと思いますけれど。そして最後に……」
一息に話した陽女は一度目を伏せ、短く息を吐いた後にまっすぐに俺の目を見た。
「私たちが見聞きした事しか、分かりません。なのでこのお話で全てをお伝えできることは不可能です。それでもよろしいですか?」
まっすぐに見つめる陽女の目を、俺もまっすぐに見つめ返して、大きく頷いた。
陽女はゆっくりと話し始める。
遠き昔から今に至るまでの物語を。
コーヒーメーカーに挽いた豆とドリップフィルターをセットし、スイッチを入れたあとに俺は手持ち無沙汰を紛らわせるように戸棚を開けて、何かないかなと探すようにしながら、リビングにいる二人の姿を盗み見る。
二人は俺の指示に従い、並んでソファーに腰を下ろしていた。
陽女はようやく落ち着いた様子にはなっていたが、やはり先ほどまでの状況だったからか、表情は暗い。
俺の意思ではなかったとは言え、妙齢の女性にあのようなことをしてしまったのは、俺の心を重くしていた。
その姉をいたわるように、そっと肩に手を乗せて顔をのぞき込むようにしている美月。
何故こんなことになってしまったのだろうかと、ようやく蒸気を放ち始めたコーヒーメーカーを見ながら考える。
あの時は頭にもやがかかって、何も考えられなくなっていた。
なんとなく遠くから声が聞こえて、その声に導かれるように身体が勝手に動いていたような感覚。
意識はあるのに、身体が自由ではないという不思議な感覚。
物思いにふけっている間に、抽出が終わっていたようで、コーヒーの良い香りが辺りに立ちこめていた。
俺は慌てて、コーヒーカップとトレーを用意して、それぞれのカップにコーヒーを注いで、それを二人のいるところまで運んでいく。
「分量が分からなかったから、それぞれ自分で適当に入れてくれたら良いから」
二人の前にコーヒーの入ったカップとシュガーポットそれにフレッシュを数個置いた。
「ありがとう……ございます、でもブラックで大丈夫ですから」
弱々しい笑みを浮かべて、陽女が小さな声で言う。
「あ、私は砂糖だけ……」
美月はそう言うと素早くシュガーポットから砂糖を1杯だけカップに入れて、スプーンでかき混ぜ始めた。
途端に気まずい空気が流れ始める。
誰もが何かを言いかけて、それを言葉に出来なくて沈黙になる。
そう言う状況が続いて、ただコーヒーを啜る音とカップを置く音だけが聞こえる。
「あの！自分の意思じゃなかった……とは言いたいけど、だけどあんなことをしてしまって申し訳なかった！」
沈黙に耐えきれなくなり、俺は陽女に向かって頭を下げて、大きな声で言った。
俺の言葉に陽女は一瞬、驚いたように身体をビクッとさせ、次の瞬間にはぎこちない笑顔を浮かべいいのですと答えた。
「智春さまは、あの時は完全に守藤の術に操られていましたから……だから、智春さまの罪ではないのです」
やはり弱々しく首を左右に振り、力のない声で陽女が続けた。
それは自分に言い聞かせるような声音がこもった声だった。
「だけど……その……意識はあったんだ。それに記憶も残ってる。陽女さんの……その……肌も見てるし覚えている」
俺の言葉に、一瞬にして陽女の顔が朱に染まる。
無意識に両腕で自分の胸元を画すような姿勢になり、泣きそうな目で俺を見る。
「お忘れ……ください。後生ですから……忘れて……ください」
震える声でそう訴えかけてくる陽女。
なんと答えることが正しいのか分からず、俺は俯いて唇をかむことしか出来なかった。
意識して忘れることなど、人に出来る技ではない。
ましてや俺は年頃の男子であり、あの時目に映った女性らしい豊かさと丸みを帯びた胸は、忘れようとしても忘れられるものではなかった。
しかしそれを正直に告げることは、陽女を更に傷つけることになることも分かっていた。
だから俺は答えに窮して、何も言葉にすることが出来なかった。
「忘れられるわけ……無いわ。だって貴方が初めて見た、姉さんの女だもの……」
意外なところから声が上がった。
声の主は陽女ではなく美月だった。
美月も俯いて、唇をかんでいたが、その感情は陽女や俺とは違うもののようだった。
「姉さんがこんな目に遭ったのに、智春さまが危機だったというのに……私はとても浅ましい感情で話を聞いてしまった……許して……ください」
美月の頬を涙が流れていく。
何の前触れもなく、突然に泣き出した美月。
「どうしたんだよ……」
「ごめ……なさい……わたしは、最低な女……です……」
嗚咽交じりに言葉を紡ぎ出す美月。
その様子に何かを悟ったのだろうか、陽女はそっと美月の背中に手を伸ばして、子をあやす母のようにとんとんと叩いてあげていた。
「美月……貴方の気持ちも分かっている。割り切れない気持ちの部分……分かるから、自分を責めないで」
「けど……けど……姉さんがこんなことになっているのに私は……」
「美月……正直に言うわ……私もずっとあなたを妬ましく想っていた。姉としてあるまじき感情を持っていた。だから、分かるし仕方ないと思うの」
俺には分からないけれど、二人にだけは通じる会話だった様だ。
陽女の言葉を聞いて、一瞬だけ身体を強張らせた美月は、だけど何処か安心したような吹っ切れたような表情を浮かべて、陽女に抱きついていた。
そこから1時間ほどが経過して、ようやく二人が落ち着いた頃に、陽女がゆっくりと美月から身体を離して、俺の目をじっと見つめてきた。
「智春さま、今から私たちが知っていることの全てをお話しします。ただいくつか約束してください。1つは禁忌と呼ばれるもっとも重要でありもっとも難解な部分についてはお話しできません。これは神との契約のためです。そして2つめはあまりにも現実離れした話であっても、最後までお聞きください。3つめは他言は無用でお願いします。もっともこの話を誰かにしたところで、智春さまがおかしくなられたとしか思われないと思いますけれど。そして最後に……」
一息に話した陽女は一度目を伏せ、短く息を吐いた後にまっすぐに俺の目を見た。
「私たちが見聞きした事しか、分かりません。なのでこのお話で全てをお伝えできることは不可能です。それでもよろしいですか?」
まっすぐに見つめる陽女の目を、俺もまっすぐに見つめ返して、大きく頷いた。
陽女はゆっくりと話し始める。
遠き昔から今に至るまでの物語を。
