第7話 誰にも言えない

文字数 1,934文字

 私がかろうじて命を繋ぎ、こんな言い方は大袈裟なようで嫌いだったが、――それでもそう言わずにはおれないほど、感謝しているのだ、こうして生きながらえていられるのは、ゆうママのお陰だった。
 もっと早くに適切なところに繋がるべきだったのかもしれない。高校生になり、友ちゃんに出会うまで、私が誰にも打ち明けられずにいたのには理由がある。思い出したくもない過去があった。
 中学に入ってまもなく、私は生徒からイワオ、と呼ばれる、学年主任で体育教師の岩崎に目をつけられていることに気づいた。背はそれほどないが、熊のようなガタイで、目つきはヤギのよう、小突く、舌打ちするといった大事にならぬ程度の暴力をふるう、威圧的な態度の男だった。
 私はイワオの私を見る目が嫌でたまらなかった。さらに彼には、体育の授業で、縄跳びの指導だ、跳び箱の補助だと、隙を見ては顔や胸や股間を触られた。
 あからさまにイワオを避ける私の態度を、反抗的だと判断した担任の女教師は、放課後ついに私を呼びつける。
「どういうつもり? 先生にする態度として、ふさわしいと思ってるの?」
私は正直に言ってやった。
「苦手なんです。岩崎先生の、目つきというか……」
女教師はふしだらだからいけないと言った。私が誘っているのがいけないと。
 かっと頭に血が上ったのがわかった。
「お父さんに」
思わず口について出た台詞を、「父に」と言い直す冷静さでもって、やめるべきだった。このような話は相手を選ぶのだ。相手が無知であったならば、二次被害の犠牲をこうむるのはこちらの方だ。ただ私もそれに劣らず無知だったのだ。
 仕返しのような気持ちもあった。この年頃の女子は容赦なく残酷だ。私も例外ではなかった。
 この独身の中年女教師はもうしばらく、何年もセックスをしていないのだろう。イワオのことが好きなのだ。イワオとやりたくて仕方ないのだ。
「父に犯されているんです」
私が誘っているわけではない、私はいつだって受け身なだけだ。一方的に私を性の対象として見ているのはイワオの方だ、そういうことが言いたかった。これを発端に、救済の糸口をつかめるかもしれないという淡い期待も当然潜在的に所持していただろう。
 自分が受け入れがたい事実を知った時、怒り出す人がいるのを私は知識としては知っていたが、目の当たりにしたのは初めてだった。
 女教師は激昂した。実の父親が、娘を凌辱するだなどと、そんなことがあるはずがない、一体どこでそんな破廉恥な事象を仕入れてきたのだ、そんな嘘をつくようなら私の手には負えない、職員会議にかけるしかないと言い出した。会議の議題に上ればイワオの耳に入ることになる。参観や懇談で、父は私のクラスにやって来る。イワオはいずれ父の姿を目にすることになるだろう。父に抱かれる私の姿を、イワオは頭の中でありありと想像するに違いない。それだけは避けたかった。
 私は泣いて謝ったごめんなさいごめんなさい嘘です犯されてなんかいません嘘つきましたなんでこんなこと言ったのか自分でもわかりませんでも他の先生に言うことはそれだけは許してくださいごめんなさいごめんなさいもう二度と言いません。
 実際、犯されてなどいないのだ。私は合意の元、自ら進んで父と体を重ねているのだ。そう思えたのならいっそ楽だった。そうであればどこにも被害者はおらず加害者もいなくなる。
 私が小学校に上がる前に母は亡くなった。それまでもずっと闘病生活を送っていた母と私が、一緒の時間を過ごすことはほとんどなかった。時々様子を見に来てくれていた、母の弟のお嫁さんは、母が亡くなると疎遠になった。祖父母も他界していた私にとって、家族は父だけだった。
 私は父のことが好きだった。当然、世間一般の子どもたちが自分の親のことを慕うように、私も父のことを大切に思っていた。出かけたりバラエティを観て笑ったり進路のことを相談したり、共にそういう時間を過ごす親子でありたかった。父は警察に捕まるのだろうか。父が捕まれば、私はどこに住めばよいのか。ごはんはどうすればいい? 私は電気代をどうやって支払うのかもわからなかった。だからこれは、普通のことだと思いたかった。私さえその時間をやり過ごすことができたのなら、私は制服を着て学校に通い、屋根のある家で寝て、おやつにじゃがりこを食べることもできる。私がそう心に決めたならば、不幸な思いをする者はどこにもいなくなるのだ。
 女教師とイワオへの腹いせに、私は中学卒業前に別の体育教師とやってやった。その事実が彼らの知るところとなったのかはわからない。当時は腹いせのつもりだったのだ。私はもう傷だらけでどこから手をつけていいのかもわからなかった。誰かに助けてほしかった。
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登場人物紹介

果穂

天斗(たかと)

友(ゆう)ちゃん

ミート先輩

想像先輩

ゆうママ

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