Around the World

文字数 2,000文字

「やあ、キール! ここだけは相変わらず繁盛していて何よりだね、体調はどうだい?」
「ライラじゃないか! 僕は大丈夫。君も元気そうで良かったよ」
 事の始まりは些細な異変からだった。その年は一部の果実が原因不明の不作で高騰するだろうと噂されていて、実際にその果実はあまり市場に出回っていなかった。だが、そういった現象は今までの歴史を振り返ればままあることであり、頭を抱えているであろう農家には悪いと思いつつも、誰しもが『次の年には元通りになっているはず』と楽観的に捉えていた。
 しかし、人々の予想に反して原因不明の不作は急速に規模を拡大してゆき、それと同時に食用となる獣や魚も姿を消していった。突如として訪れた世界的な食料危機は、緑豊かな大地をすっかりと痩せ細らせ、広大な海もヘドロの臭いが漂う泥水へと変わり果てさせた。そのため、原始的な力に依存していた竜や妖精といった始祖の一族は早々に絶滅して、世界は信仰の対象を一気に失ったとされている。
 このような状況を見て黙っていなかったのが、食用に適さない異の力を操る生物――魔獣を狩ることで生計を立てていた組織の冒険者達である。本心では誰も信じていなかったであろうに、やれ魔王の仕業だなんだと自らを鼓舞しながら、世界中に隠れ潜んでいた魔獣を狩り尽くしていった。
 そして、最後の記録として残されている『三本足の火吹きカラス』が討伐される頃には、唯一の希望であった空すらも形容しがたい薄緑色で全てが覆い被されていて、太陽のふりをした巨大な光の塊が延々と天の頂に居座るようになっていた。どうやら世界は朝や夜といった概念をも忘れてしまったらしい。結局、組織が行った殺戮行為など、なんの意味も無かったのである。
 こうして、この世で〝冒険者〟と名乗っていた者達の殆どが〝ただの飲んだくれ〟へと成り下がった。ライラが訪れた酒場も、そういった者達のお陰で商売が成り立っているような状態であった。
「ところで、ライラ。外の様子はどうだった? 何か分かったことはある?」
「あはは、言うまでもないことさ! 本当は分かっているくせに、マメな奴だなあ!」
 豪快に笑って返したライラの言葉に、キールが気まずそうに視線を落としてグラスを拭く作業に戻る。
「だから、今日は――うん。キールが作った酒が飲みたい」
「え? そんな……やめときなよ、マスターに頼んだほうが美味しいものを作ってくれるんだから」
「なあ、分かるだろう? 今日だけだ。今日だけはお前の酒じゃなきゃ駄目なんだ」
 どれだけ言っても

を頼まないことに複雑な表情を浮かべていたキールが、とうとう諦めて拭いていたグラスを元へ戻すと、残り僅かになっているであろう貴重な材料を戸棚から取り出した。
 蒸留酒と香草のリキュール、果実のジュースに砕いた小さな氷粒。どれも特別な常連にしか出していない貴重品をシェーカーに入れて、軽快な音と共に手際良く混ぜてゆく。それらをカクテルグラスに注ぎ込み、鮮やかな黄緑色に染められた小さな木の実を縁に飾ってしまえば、素敵な一点物の完成だ。
「お待たせいたしました。こちらがキール特製――〝世界(アラウンド・ザ・ワールド)〟でございます」
「おお、これはこれは……随分と手の込んだ洒落なこって」
 それはまさしく『今の世界』そのものであった。眺めていると吸い込まれてしまいそうな、静謐(せいひつ)な薄緑色。一口含むと爽やかな香りと甘味が舌を刺激し、久々の上質なアルコールにくらりと視界が一回りする。
 竜の子〝ライラ〟と妖精の子〝キール〟は、半人であるがゆえに生き残った数少ない無所属の冒険者であった。キールは世界の異変と同時に体調を崩して既に引退していたが、ライラは以降も一人で異変の調査を行うために旅を続けていた。
 しかし、どうやらそれも終わらせることにしたらしい。その合図が『相棒が作る至高の一杯』であることは、相棒本人であるキールにも予め伝えられていたのだが、キールはどうにも悔しくて堪らない。
「お前の作った酒は素晴らしかったよ。二人で

していた時のことを思い出して、なんだか懐かしくなってしまった」
 じわじわと込み上げる感情に、キールはぽろぽろと涙を零して鼻を啜った。ひ弱な妖精族の血を引いてしまったことへの罪悪感。ライラにすら打ち明けられなかった我儘と後悔。()()ぜになった感情が、堰を切ったように溢れ出してゆく。
「僕……最後はライラと一緒に旅をしたかったな……」
 ぐすぐすと涙を拭い続けるキールにライラは優しく微笑み、小さな相棒の頭をがしがしと荒っぽく撫で回した。
「なぁに、心配するな。また次の機会があるさ。そう、例えば――」
 ライラの言葉が、ごごごと唸る異質な地鳴りで中断される。二人は思わず片手を握り、近くの窓を開け放して空を見上げた。異色の頂、割れゆく光、伸び切る指先、暗夜の帳。
 今、一つの世界が終わりを迎えようとしている。
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