第40話 あとがき

文字数 3,508文字

 日本の戦争が終わった昭和20年の夏、私は国民学校の2年生だった。父が出征していたから戦争は身近にあったけれども、その実態を知ることなく敗戦をむかえた。
 出雲の農村は空襲をうけなかったし、まだ7歳の少年でもあったから、戦争に対して強い関心を抱くはずもなかったのだが、特攻隊のことは知っており、それがいかなるものかを子供なりに理解していた。
ある日の教室で、1年生担任の若い女の先生が、特攻隊が出撃したことを、そして、それがいかなるものかを話してくださった。先生の悲痛な表情を見ながらその声に耳をかたむけ、その言葉を理解することはできたけれども、幼かった私は心を強く揺すられるに至らなかった。そのような私ではあったが、先生の表情と口調は今なお記憶に残り、教室の情景とともに思い起こすことができるのである。特攻隊の出撃が初めて新聞報道されたのは、昭和19年10月29日の日曜日だから、私が特攻隊について聞かされたのは、おそらくその翌日の月曜日だったと思われる。
 昭和20年の春、日の丸をつけた暗緑色の飛行機が、数機ずつの編隊で飛来しては西に向かった。爆音が聞こえるたびに、私ははだしで庭にとびだし、超低空で頭上を通過してゆく機体をながめ、その姿が見えなくなるまで見送った。強い印象を残したその情景を、歳月を経てからもなお、折にふれては思い出すことになった。この小説を書くために調べた資料によって、それらの飛行機は、鳥取県の美保基地から九州へ移動してゆく途上の、ほどなく出撃することになる特攻機であったと推定される。特攻機と意識して見送ったわけではなかったのだが、機体の色と形はもとより、操縦席をおおっている風防の形状さえも記憶に残り、耳の奥には轟々たる爆音がとどまっている。
 この小説の人物たちに特定のモデルはないが、多くの書簡や日記を遺した学徒出身の特攻隊員たちが、良太のモデルであると言えなくはない。彼らの日記や書簡をまとめた遺稿集を読み、その心情を推しはかりつつこれを書いたからである。とはいえ、書き遺されたものをいかに読んでも、心情の一端が垣間見えるところまでしか近づくことはできない。良太の胸中に特攻隊員の心情を移入すべく努めたのだが、それをどこまで成し得たのか心もとなく思える。特攻隊員たちの御霊からお叱りを受けるところも多かろうが、哀悼と畏敬の念を抱きつつ書いたことをもって、ご容赦賜りたいと願っている。
多くの資料を参考にしたけれども、想像を加えて書かざるを得ないところも多々あった。主な参考資料を後にまとめて示すが、書店や出版社から入手できるものが少ないために、多くは図書館の蔵書を利用することになった。
 はっきりと意識していたわけではないが、私は小学生の頃から特攻隊への関心を抱き続けたような気がする。「特攻の真実」(深堀道義)を購入したのもそれゆえと思うが、それをきっかけとして、特攻隊に関する多くの書籍に眼を通すこととなり、ひいてはこのような小説を書く結果となった。
 舞鶴海兵団の部分では「ある学徒出陣の記録」(藤森耕介)が、そして土浦航空隊の部分では、「太平洋戦争に死す」(蝦名賢造)と「海軍予備学生」(蝦名賢造)が参考になった。特攻隊要員の募集過程については、「若き特攻隊員と太平洋戦争」(森岡清美)を参考にした。特攻隊員の心情を推察するうえで、「特攻 外道の統率と人間の条件」(森本忠夫)が参考になった。特攻隊員たちの貴重な遺稿と、以上にあげた書籍の著者と出版社には、特にお礼を申し上げたい。
ここに、参考にした書籍から歌を転載させていただく。特攻隊員の遺詠と遺族たちによって詠まれた歌である。

 市島保男(キリスト教徒の特攻隊員として沖縄に出撃)
  再びは生きて踏まざる神国の栄え祈りて我は征でゆく

 卓庚鉉(朝鮮出身の特攻隊員として沖縄に出撃)
  たらちねの母のみもとぞしのばるる弥生の空の春霞かな 
   「ホタル帰る」(赤羽礼子、石井宏)には出撃前夜の卓庚鉉にまつわる哀切な
    エピソードが綴られている。

 塚本太郎(人間魚雷回天にて特攻出撃)
  われ亡くも永遠に微笑めたらちねの涙おそろし決死征く身は

 渡里修一(18歳の少年飛行兵として沖縄に特攻出撃)
  かくすれば国難突破出来るならいかでや軽きわが生命かな

 特攻隊員喜多川等の婚約者
  あたためてあげたき己がこの胸に今尚水漬く君が屍を

 特攻隊員巽精造の婚約者
  戦争とはむごきものなり残されてえぐりとられし心もつ吾

 特攻隊員伊奈剛次郎の父
  かがまりて粉ひく妻の髪白しいのちなげうちし子をば語らず

 林まつゑ(キリスト教徒の特攻隊員林市造の母)
  一億の人を救ふはこの道と母をもおきて君は征きけり
  泣くことは吾子に背くと思いつつ泣かぬはいよよ寂しきものを


付記
この小説には不思議な夢の話がでてくるのだが、実のところ、これは私自身の体験にもとづいている。
科学技術の世界に身をおいた者のひとりとして、科学と相いれない事がらを安易に受けいれるつもりはないが、主人公の良太と同様に、不思議な夢を二度にわたって体験したことにより、現在の科学知識では説明できない世界があることを、受けいれざるを得なくなったのである。
な体験を有する人は思いの外に多そうである。学究あるいは科学技術に携わる人がそのような体験をしたとき、その探求に意欲を抱くにとどまらず、不思議な世界を世間に紹介し、人々の人生に寄与したいと願うのは自然なことと思われる。
図書館で調べてみると、そのような人の著作が少なからず見つかる。その著者が不思議な世界と真摯に向き合って著した書物であれば、単なる好奇心やオカルト趣味から離れて読むことができ、得られるところも多いはずである。とはいえ、超常現象や霊などに関する書物を安易に選ぶと、好奇心に導かれるままに、危険な所へ誘い込まれる惧れがないとは言えない。その種の書物をこれから読もうとされる方には、社会的に信頼される立場にある人の著作を、先入観をはなれて読んでいただきたいと思う。読む人ごとに受けとり方はさまざまであろうが、その読書が無駄に終わることはないはずである。


 主な参考資料

遺稿集あるいは遺稿をもとに編まれたもの
 「佐々木八郎遺稿集 青春の遺書」(昭和出版)
 「林市造遺稿集 日なり楯なり」(櫂歌書房)
 「林尹夫遺稿集 わが命月明に燃ゆ」(筑摩書房)
 「ああ同期の桜 かえらざる青春の手記」海軍飛行予備学生第十四期会編(光人社)
 「続ああ同期の桜 若き戦没学生の手記」海軍飛行予備学生第十四期会編(光人社)
 「特攻隊遺詠集」特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会編(PHP)

学徒出陣および海軍予備学生に関わる資料
 「ある学徒出陣の記録」藤森耕介(自費出版)
 「太平洋戦争に死す」蝦名賢造(西田書店)
 「海軍予備学生」蝦名賢造(図書出版社)
 「海軍予備学生よもやま物語」石倉 豊(光人社)
 「海軍飛行科予備学生よもやま物語」陰山慶一(光人社)
 「学徒兵の青春」奥村芳太郎編(角川書店)
 「学徒出陣」蜷川寿恵(吉川弘文館)

特攻隊に関わる資料
 「特攻の真実」深堀道義(原書房)
 「若き特攻隊員と太平洋戦争」森岡清美(吉川弘文館)
 「特攻 外道の統率と人間の条件」森本忠夫(文芸春秋社)
 「レクイエム太平洋戦争 愛しき命のかたみに」辺見じゅん(PHP)
 「特攻へのレクイエム」工藤雪枝(中央公論新社)
 「特攻に散った朝鮮人」桐原 久(講談社)

戦時下の生活と社会情勢に関わる資料
 「山田風太郎日記 戦中派虫けら日記」(未知谷)
 「永井荷風日記 断腸亭日乗」(岩波書店) 
 「女子学徒の戦争と青春」奥村芳太郎編(角川書店)
 「東京の戦争」吉村 昭(筑摩書房)
 「太平洋戦争下の学校生活」岡野薫子(新潮社)
 「昭和・平成家庭史年表」下川耿史家庭総合研究会編(河出書房新社)

太平洋戦争に関する資料
 「父が子に語る昭和史」保阪正康(PHP研究所)
 「面白いほどよくわかる太平洋戦争」太平洋戦争研究会編(日本文芸社)
 「日本はなぜ敗ける戦争をしたのか」田原総一郎責任編集(アスキー)
 「朝日百科 日本の歴史(11)」(朝日新聞社)
 「昭和史が面白い」半藤一利編著(文芸春秋社) 
 「秘話でよむ太平洋戦争」森山康平(河出書房新社)
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