第1話 鞭打ちは皇太子様だけにしてよ

文字数 2,310文字

「皇帝陛下、大公閣下。手加減がありましたな、お気持ちは分かりますが。いま一度、皇太子殿下には20回、皇太子妃様には10回、鞭打ちを。今度は、手加減なしですぞ!お分かりましたかな?」
 司法卿は聖女の方をチラッと見たが、彼女の固い表情は変わらなかった。彼は、皇帝達の方を見て、微かに首を横に振った。皇帝の謁見の間で、群臣、貴族が列見する前で、皇帝とマグダラ大公も微かに肯き、鞭を持つ手を上げた、半裸で四つん這いになっている我が息子、おのが娘を鞭打つために。
“止めて!もう死んじゃうよ~。続けるなら皇太子様だけにしてよ!聖女様も何とか言ってよ!私はあなたを助けたのよ。お願い~です!”マグダラ大公家令嬢にして、皇太子の婚約者であるマリアは、心の中で叫んだが、皇太子に打ち付けられた鞭打つの音と彼の苦痛の声が広間に響きわたる。次は、彼と同時に鞭打ちされる、と彼女は恐怖した。10回耐えて、悲鳴をあげながらも、ようやく終わったかと思ったが、甘かった。
「まだ、まだ!さらに皇太子殿下には五回、妃殿下には1回です。」
 悲鳴を上げる気力もなく、失禁しているマリアだったが、皇太子の追加の五回目と同時に打ち付けられた鞭におもわず悲鳴を上げ、見事な長い黒髪を振り乱した。“まだ皇太子妃ではないんだから、結婚はまだしてないんだから、皇太子妃にもなるつもりはないんだから、聖女様の前で、皇太子妃呼ばわりしないで~。”
「聖女様。どうでしょうか?」
 自分達の息子、娘を鞭打つということで精神的に疲れきった表情の国王と大公を見て、さすがに司法卿も我慢できなくなって聖女に問うた。
「お二人への刑罰には、寛大な措置をお願いします。」
 見事な金髪をやや短く切りそろえた小柄な聖女は、国王の方を向き、頭を下げた。“まだ許さないということか。”皇太子は、ぎりぎり気を失うことなく、彼女の言葉を聞いて、その意味を推測していた。“マリアは大丈夫だろうか?”彼にとっては、それだけが心配だった。
「お前達夫婦は、辺境に追放だ。辺境伯として、罪を償うがよい。」
 国王は、威厳のある声で背中から血を流して、うつ伏せになって動かなくなっている自分の息子達に言い渡した。“だから、まだ、結婚してないから、夫婦じゃないよ~。だから、罪は・・・、辺境行きは皇太子だけにして~。”マリアは、薄れゆく意識の中で思った。スーと、聖女が、進み出てきた。“やっぱり助けてくれるのね?”しかし、彼女の期待は、脆くも、すぐに裏切られた。
「ご慈悲で、回復魔法は無理でしょうが、せめて最小限の応急措置はお許しを。」
 “え?”“最小限の手当て以上はするなと言うことか?”二人の心は、さらに暗くなった。
「聖女様の寛大なお言葉に感謝せよ。この者達を、別室に連れて行け。そこで応急処置をしたら、すぐ辺境に追放だ!」
 完全に失神、失禁状態の二人は、侍女達に助け起こされた。聖女は、二人のそばに歩みよった。“やっぱり神のお許しを?”“ようやく慰めてくれるのか?”
「臭いわね。汚い。惨めで、醜いわね。醜態をさらして…、それでも・・・。早く片づけてほしいわ。」
 彼女のその時の顔は、見えなかった。マリアは、その言葉には、もうショックを受ける気力は残っていなかったが、“か、彼は来てくれた?来てくれたよね?”虚ろな目には、お目当ての者は見つけることはできなかった。“マリアを侮辱して…、聖女め…。”皇太子ミカエルは唇を噛んだ。侍女達の応急措置もそこそこに、二人は半裸の状態で担がれて、辺境に向かう馬車に乗せられた。囚人護送用の馬車ではないのが、せめてもの情けと言えた。
 帝室でも、大公家の馬車でもない、ただ大きいだけの馬車。とはいえ、中には高級な絨毯などが敷き詰められている。運び込まれた二人は、すぐに柔らかい布団の上にうつ伏せに横たえられた。背中の鞭の傷のためである。侍女達が、濡れたタオルで二人の体を拭きながら、汚れたしもの部分も丁寧に拭いていく。
「お嬢様に、このような屈辱を。」
 侍女達が、涙ぐんでいたが、それがかえって、“恥ずかしいよ~。何で皇太子様が隣にいるのよ!” 
 彼付の侍女達の方は、何も言わずに淡々と作業をしていた。
「マリア。大丈夫?あの人は・・・、父親の情がないのかしら?無慈悲な・・・。」
 母親は大粒の涙を溢れさせていた。
「お気持ちは分かります。私も同じ気持ちですが、陛下も大公殿も心の中で泣いていたのです。」
「でも、でも…。あの性悪聖女のせいで。」
 皇后の慰めでも、彼女の気持ちは収まらなかった。皇后が口を開く前に、
マリアが弱々しく顔を上げ、
「お母様。駄目です。聖女様に悪意を持っては。」
「ああ、でも。」
「マリアが皆を、国を救うためにした自己犠牲が無駄になってしまいますから。これから、私が彼女を護っていきますから。安心して下さい、大公妃様。」
 やはり弱々しく、身を起こした皇太子のミカエルが大公夫人を宥めた。
“何言っているのよ!鞭打ちされたのはあなたのせいじゃない!”心の中で泣き声をあげた。“どうして、彼は私を救いに、慰めに来てくれないの?馬鹿皇太子が隣にいるせいよ!”薬がしみて、思わず声をあげながら、心の中で悪態をついた。
「皇后様、大公婦人様。申し訳ありませんが、出発しなければなりませんので。」
 中年の騎士が、恭しく頭を下げた。皇后は、泣くばかりの大公の妻を優しく抱きしめて、肯いた。二人が、馬車を降りると、すぐに馬車は、動き出した。“彼は、何処かで見送ってくれているのよね。そうよね!絶対そうよね!そのはず…。きっと助けにきてけれるよね。”彼女は信じたかったし、信じることにした。
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