第5話 村へ

文字数 2,420文字

 店を出ると僕は入り口を見上げた。店の看板には【喫茶ひすがら】と書かれていた。レンガで出来たこの建物は、僕が最初に見た洋館付の和風住宅とは全く違う建物だった。

 ——そういえば、ドアとドアをつなげたとか言ってたな。万屋さんは魔法使いなんだろうか。

「君の故郷に道をつなごう。ついてきたまえ」
 歩き始めた彼の片手には杖が握られていた。

 ——魔法使いなのかもしれない。
 だけど杖と言っても、彼が手にしているのは英国紳士が持ち歩くような物で、ハンドルには鳥の頭の彫刻がついている。魔法使いというより、海外の洒落た紳士感が強い。

「あわい横丁の

とは、どういう意味かわかるかね?」
 万屋さんの横に並んで歩き始めると、彼はそう僕に質問を投げてきた。僕が首を傾げると、彼は説明を続けた。
「あわいは、間と書く。そして間とは、物と物、事や事、もしくは人と人を繋ぐもののことだ。あわい横丁は、あやかしが住む幽世(かくりよ)と人が住む現世(うつしよ)の間にある異界なんだよ」

「すぐには信じられませんよ」
 僕が唸ると万屋さんは苦笑した。

「とにかく、私はこの異界を管理する役職に就いているから、迷い込んだ者がいれば元の世界に送り返さねばならないし、異界を存続させることで世界間の境界を維持させなければならない。
 現世で幽世の住人が幅を利かせたんじゃ、幽世と現世の境界が曖昧になってあわい横丁は消滅してしまう。だから管理人としてあれこれ知恵を働かせているうちに、皆から怪異探偵と呼ばれるようになった」

「でも、管理人よりもそっちの肩書を気に入っているんですよね? 看板には探偵局と書かれてましたけど、管理局とは一言も書いてありませんでしたよ」

 指摘すると万屋さんは肩を震わせて笑った。

「管理人は雑務が多くてね。最近はこの役を譲って探偵を本業にしたいと考えているんだ。立候補があればすぐにでも、と思っているのだが、生憎他に適任者はいないらしい。まあ、魔法使いは希少だからしょうがない」

 ——本当に魔法使いだった……。

 最早驚かない。そう思っていると、突然通りを流れる空気の流れが変わった。湿気を含んだ土の匂いが風に乗って香ってくる。いつの間にかレトロな街並みは消え、どこかわからない古い和風住宅の間の小道に僕達はいた。足元を見れば石畳も消えていて、舗装されていない土の道に変わっている。

「ここはどこですか?」
 驚き過ぎて、僕は冷静になった。

「落ち着いて周りを見てみたまえ。君のよく知る場所のはずだ」

 深呼吸をしてから、辺りをよく観察する。

「僕の実家の近所? でも、あの街からは一日がかりで帰らないといけないのに」
「あわい横丁が幽世と現世の間にある異界なら、横丁の出口が現世のどこに繋がってもおかしくはないだろう?」
「そ、そういうものですか」

 腑に落ちたような、腑に落ちないような説明をする万屋さんは、高そうな皮の靴で泥濘の上をスタスタ歩いていく。僕はセールで買ったスニーカーでさえ歩くのを躊躇ってしまうのに……。

「君の家はこっちだな」
「えっ、どうしてわかるんです?」
「さっき君が周りを見回した時、あそこに見えるものを見て実家の近所だと断言したからだ」

 彼が杖で指す先には大きな杉の木があった。僕の家の蔵の後ろに生えているそれは、この辺の民家の屋根よりも背が高い。だから子供の頃、僕と弟妹達はあの木を目印にして近所を冒険して遊んでいた。

「君が実家に帰りたがらないのは、ふゑありのせいか?」

「何もかもお見通しですね。万屋さんは心を読む魔法使いなんですか?」

 冗談交じりに聞いてみると、万屋さんは僅かに表情をこわばらせた。

「探偵として、依頼人に誠実である為にお答えしよう。私は魔法使いではあるが、心を読むことはできない。仮にできたとしても、無闇にそうしないと誓う」

 彼がそう言って杖を持ち替えると、彫刻の鳥が空へと羽ばたいていくのが見えた。

「ただ、話し相手が嘘を吐いているかどうかはわかってしまう」
「さすがの推理力ですね」
「そうじゃない。あやかし混ざりなのでね、そういう異能を持ってしまったんだ」

「あやかし混ざり……?」

「驚いたかね。私は見た目こそ人に近いが、君達人間が怪物と恐れるあやかしとそう変わらないのだよ。あやかしからは半端者扱いされるのにな」
 万屋さんは自虐的に笑った。
「実際その通り、私はこの異能を使いこなせない半端者だ。嘘を暴きたくないと思っても、できないんだ。だからもし、君が居心地の悪さを感じるようなら、今からでもあの街に送——」

「無敵じゃないですか」
 思ったことが口に出てしまった。
 万屋さんが首を傾げたので、僕は慌てて取り繕う。

「さっき喫茶店で、僕が閉所恐怖症で暗所恐怖症だと万屋さんは見抜きましたけど、あの自信がどこからくるのか僕にはわかりませんでした。でも、やっと理由がわかりましたよ。僕が嘘を吐いていないって、確信していたからだったんですね」

 万屋さんは驚いたように目をパチクリさせた。

「君は感心するのか……。嘘を見抜けると言えば、普通は気味悪がるものだがね」

「そうですか? 僕は助かりましたよ。僕は無意識に、自分自身に嘘を吐いていたんですから。だからふゑあり様の正体がわかっただけじゃ、僕の気持ちは晴れなかったと思います」

「私はその、君にトラウマを植え付けたふゑありとほぼ同類の生き物だ」

「ふゑあり様も、正体がわかった今は怖いというより助けたいって気持ちの方が強いです。万屋さんが僕の本当の悩みを引き出してくれなかったら、僕はいつか罪悪感に潰されていました。
 それと、無理を言ったのに一緒に連れてきてくれて、ありがとうございます。何もできないかもしれないけど、行かないと後悔するって思ったんです。だから、万屋さんには本当に感謝してるんですよ」

 万屋さんは足を止めて、奇妙な物を見たとでも言いたげな顔でジッと僕を観察してきた。

 僕はそんなにおかしなことを言っただろうか……。
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