第2話

文字数 4,682文字

 困った人を放っておけない、お人好しなクレースと共に暮らし
始めてひと月程が経った頃。
街では、とある人物の捜索が行われていた。

役人や、自警団が尋ね人の人相書きをもってクレースの店にも
やって来た。
『一応ね、イリアにも聞いてみるけど……捜しているのは女性だからなぁ。』
役人が店を去った後に、クレースは俺にも人相書きを見せてくれた。

「……これ、俺の母さんに似てるよ?」
何気なく言ってみたけれど、本当に特徴は同じだった。
俺は、店番をするクレースに毎日読み書きを少しずつ教わっている。
カウンターの中で、小さな椅子と机までそろえて貰えた。

『でも、イリアのお母さんは行方不明なんだろう?……重なりはするけど。』
俺は、生い立ちについても分からない事が多すぎる。
記憶を持たない訳では無くて。

ずっと同じような背景を生きて来たからなのか。
自分でもよく分からない。
あの日、この店でクレースに咎められた事が人生において大きな
分かれ道となった事は、間違いない。

日々、食事を作ってもらい。体を綺麗に洗ってもらい、衣服まで
肌触りの良いものをそろえて貰っては、クレースの願い通り
その内、この店を一緒に手伝う事でしか、返せるものがないと思っている。

だから、真面目に本を読み言葉を文字を覚えていく。
「俺には、もう誰も居ないよ。」
数字を書き写していると、クレースが不満そうな声を上げた。
『そんな、寂しい事言わないで?イリア。ここには4匹の子猫と、そうだね
後は俺も居るんだけどなぁ。』

大人の言葉とは思えない、とは思ったけれど。
静かに笑って、俺はペンを走らせる。
「4匹って、2匹減ってるぞ?」
『あぁ、ウチの近所の家族がね欲しがっていたから。先代猫が亡くなって寂しいのを
ずっと我慢してたんだけど。この前、見せてあげたらまた……飼い始める事にしたんだって。』

「知らなかった。」
『昨日、引き渡したからね。ちょっと寂しいけど、まだ4匹居る子たちを頑張って
育てないと。』
クレースは、仕入れた青果を店先に並べている。
『雑貨屋のおばさんが、午後からイリアの採寸に来るらしいから。』

突然の事に、一瞬固まりそうになったけれどクレースは
『少しだけ、イリアの事は話してあるから。何も心配いらないよ。』
真っ先に不安を消そうとしてくれる。
「何て伝えたのかは知らないけれど、人に肌を見せたりってのは……」

『肌着の上からでも、測れるだろうし。この前の服の直しもしてくれるって。
イリアもすぐ大きくなっていくだろうけど。ほら、今だって袖がかなり余ってて
不便じゃない?』
いつも、衣服はブカブカのだれんだれんなのを着てたから
あまり気が付かなかったけれど。

体にあった服を着ていると、何と言うか。
様になると思ったのは、働いているクレースの後姿を見た時だった。
とは言え、砂塵がひどいこの街では通気性が良くゆったりとした衣服を
身に着ける事は当たり前となっている。

自分がおそらく、年齢の割には体も未成熟である事をクレースは心配している。
食は、まだ細いものの1日に数回の食事と適度な水分を体に摂れる事が
今までほとんど無かったから。
近頃は、絶えず空腹ではなくなったし。
体が、少し重くなった気がしている。

「成長したら、気にならないんだろうけど。」
『まだ1月しかここに来てから、経ってないんだから。焦らないでいいんだよ。ゆっくりと
変わっていくものだ。』
のんびりとした考えではあるけれど、クレースのこの考えには何度も
心が穏やかになっていた。

昼前に、お客さんは途絶えつつあり。少しずつ俺も厨房に行くと手伝いも出来る程に
回復してきている。
踏み台を使わせてもらい、火の前に立つと知らない内にクレースが側に来てくれていて
安心する。まだ少し、火の扱いにはおっかなびっくりしてしまうからだ。

甘いミントティーを口にしながら、鍋で肉と野菜を煮込み蒸した小さなパスタをのせる。
熱気が酷くて、クラクラしていると
『代ろうか?イリアは、真面目だね。ずっとこんな、真ん前に居なくても平気だよ。
火を弱く落としたら、後は時々様子を見るだけでいい。』
「上手く出来てるか、気になっちゃうから。」

『任せておいて大丈夫。それよりも、汗が……』
クレースは、にこりと笑って巻いていたストールで額を拭かれた。
「ありがとう。」
『そのアザ、子供の頃から?』
「どうだろ。母さんが居た時は、母さんも似たようなアザがあるって言ってた。
多分、生まれつきあったんだと思う。」

クレースは時々、こんな風に俺の過去の話を聞いてくれる。
さかのぼる記憶があるけれど、どれも辛かった。
とにかく1日が長くて仕方がなかった頃の思い出だ。

『痛む事は無いのかな?』
「それは、無いよ。怪我の後では無いって聞いてる。」

くつくつ煮込む鍋の側で、野菜を切っている。
青果を取り扱っているからか、あまり形の良くないものなどは
たくさん手元にあるらしく、クラースの料理の腕は確かだと感じている。
とにかく、料理が美味しくて。
まだまだ成長途中のお腹を満たすのが、こんなにも美味しい料理である事に
感謝しかなかった。

『それにしても、今年は雨があまり降らないね。このままだと、野菜の生育にも
関わる……。』
「天気ばかりは、人の力ではどうにも出来ないからなぁ。」
『昔から、この土地を治めている王族は竜との関りがあると言われている。なんてのは、
おとぎ話なんだけどね。』

聞いた事があった。竜の話は母さんが俺が眠る時に、よく聞かせてくれる話の一つだ。
とても懐かしく思うと同時に、本当に尋ね人が自分の母だったら?と
考えてしまう。
サラダを盛り付けて、テーブルの上に持って行く。
すると、子猫たちが起きたのか。二階から列をなして降りて来た。

「危ないって……もぉ、クレース。またゲージ越えられたみたい。」
やんちゃで、遊びたい盛りの子猫がわらわらと俺の元にやって来て
餌をくれてせがんでくる。

可愛くて仕方ない。俺も、クレースにはたかっている様なものだからなぁ、と
思うと苦笑いしかできなかった。
『イリア、ちょっと餌取りに来て。』
朝、市場で貰って来た小魚を処理して小さな皿に盛りつけてある。
マメと言うか、ちゃんと軽く火を通して食べやすく身をほぐしてさえある。

「クレースは、猫にモテるんだろうなぁって思う。」
え?と不思議そうな顔をしているけれど、本当によく気が付く青年だと思う。
床に皿を2つ分けて置くと、一斉に子猫が押し寄せて来た。
小さな額がぶつかり合いそうな程に、子猫は真剣である。

俺は、少し離れた椅子に座ってその様子を見つめていた。
『今日は、夜少し出かけるんだけど。お留守番を頼めるかな?』
頭上から声がして、俺は視線を上に上げる。
「また、店の集まり?」
『しんどいけどね。行かないと、下手に役が当てられたりするから。』

毎日本当に忙しそうで、頭が下がる。
今日の夜は、髪を洗うつもりでいたから少しクレースに
手伝ってもらおうなどと考えていた。
「後で、お湯と石鹸と貸して欲しいんだけど。」
『もしかして、洗髪したかった?……間が悪くてごめんね。』

でも、一人でも大丈夫だと思う。ただ、俺の髪はすごく長いから
腰の辺りまであって、普段は三つ編みをクレースにして貰っている。
街の浴場には、まだ一人で行かない様に言われているから
夜は寒くなるから、この居間でしてみようかと思う。

「髪、長いと大変でさ。……切ろうかな?」
うーん、と自分の髪を指でつまんでジッと見てみる。
クレースは気持ちのいい、爽やかな短髪でちょっとうらやましい。
『イリアのその三つ編みは、子猫にも俺にも人気なのに?』
猫にじゃれつかれてしまうのは、分かるけど。

クレースは俺が寝ている間に、そっと三つ編みの先を触るのが好きらしい。
「俺の事はいいから、行ってらっしゃい。髪も自分でなんとかしてみるからさ。」
煮えた鍋にクスクスを入れてよく混ぜ、器に盛りつけたものをクレースは
2皿テーブルに並べた。最後に、パンを持って来て昼食の準備は済んだ。

『本当に、上手になったね。パン作り……。こんなにふんわり焼けてる。』
朝から、生地をこね合わせて近所の窯がある店で焼いてもらう。
しばらくして、パンを取りに行くと大量のふわふわのパンを受け取れて
俺も、クレースも木のトレーに沢山積んでもらって帰って来たのだ。
「俺の力じゃないよ、おじさんとこの窯で仕上げてもらったからだね。」

『もー、イリアは……。そこは、もっと喜んで。』
だって、褒めらるとどうしたら良いか分からない。
誰かに褒められるような生活をして来なかったんだから。

「でも、美味しいって嬉しいのだけは分かる。」
『何でも言って良いんだよ?心のままに、イリア。』
「ウチは、パン用の窯って無いけど。作らないの?」
『置きたいところなんだけどね。ただでさえせまい1階が熱くなると、店の商品の
青果品が痛みやすくなるし。』

なるほどなぁ。そこまで考えていなかっただけに、納得の理由に頷いた。
クレースとお祈りをしてから、昼食を食べる。
2人で食べる食事は、何度目かは忘れてしまったけれど本当に毎日
楽しみにしている。

昨日、夜眠る前にベッドに様子を見に来たクレースが俺の頬に触れて
『少し、柔らかくなって来たね。ほっぺた。前はコケていたけど。』
温かな手のひらを添えられると、まるで昨日の事の様に
この店に来た日を思い出す。

「もっと、大きくなって成長したら今以上に手伝うから。」

クレースは手をそっと外すと
『大切に、生きて行こうね。イリア。命とは、尊いそのものだから。』
何故か少しだけ寂しそうに見える笑みをこぼして
「クレース……?」
『おやすみ。いい夢を。』

蠟燭の火を静かに落として去って行った。

今日の帰りは、遅いのかな?とか今まで考えた事も無い事を
考えるようになって行く自分が不思議だった。

だって、クレースと俺とは家族では無いから。
雇人と、雇われた側なんだと思う。
でも、何故か近所の人には俺の事を親戚の子を預かっていると
言っているらしい。(社会勉強として)

何でそんな嘘をつくのかは、分からないけど。
クレースなりの配慮なんだろうと俺にも分かった。

雑貨屋のおばさんは、昼過ぎに来てクレースが居る前にも関わらず
俺のぶかぶかな服を奪って行った。
どこが、説明はしてある。だよ。

肌着だけにさせられて、おばさんはその場にていきなり服の直しをし始めた。
最初は、俺もぼーっとその作業風景を見ていたけれど
何故か途中から、縫い方を教えられて。
おれも、ついつい真剣に聞き入っていた。

クレースがおばさんに、甘い焼き菓子とお茶を準備してくれて
おばさんが休憩中に俺は少しずつ、針を進めていく。
案外楽しい。
『こら、イリア。夢中になるのは良いけど。代わりの服を着なさい。』
やれやれと、クレースがシェルフから羽織を持って来てくれた。

「いた……っ!?」
左手の人差し指を針で刺してしまうと、おばさんが笑っていた。
『イリア、大丈夫かい?』
過保護なクレースにまた、おばさんは笑ってる。
何度刺したか分からない、と豪語しているおばさんにとっては
俺やクレースがオママゴトをしてる様にでも見えるのか。

「初めて、指刺した。ぁ、血……。」
ぷっくりと膨らんだ血をぺろっ、と舐める。
クレースの視線を感じた。

その後に採寸をして貰って、また後日に服を持ってくる約束をして
雑貨屋のおばさんは帰って行った。

『イリア、お疲れ様。おばさんはどうやら君が気に入ったみたいで。良かったね。
きっといい服を持って来てくれるよ。』
いい服。と言うのが一体いくらするのかも分からずに
俺は、のうのうとクレースの庇護に甘えていた。

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登場人物紹介

イリア(10代前半)

身寄りが無くなって数年が経つ。読み書きも余りできない。

額には、変わったアザがある。

毎日をやっとやっと暮らしている。

クレース(20代前半)

お人好しな好青年。家業を継ぎ毎日忙しく

暮らしている。困ってる人を放っておけない性格。

竜(後ほど登場)

雨を降らせる事が出来る高名な竜ではあるが

喜怒哀楽が激しく、嫉妬深い一面がある。

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