ロマンス

文字数 1,183文字

「刑事さん、わたくしがあの男を殺した理由をお話しします。
 
 わたくしの夫が先の戦争で死んだのは御存じの事かと思います。身分を捨てて駆け落ちまでしたのに、結婚生活は僅か二年で終わってしまいました。既にあの男は生まれておりましたが、失意のあまり乳をやる事すら出来なくなりました。

 しかしその頃を境に、あの男の(かお)は夫に似てきました。親族は口を揃えて転生(うまれかわり)だと驚きました。高名な霊媒師にも視せましたが、間違い無く夫の魂を感じると申します。

 わたくしは確信しました。夫は戻って来てくれたのだと。

 この奇跡を手放してはならない――そう思い、わたくしはあの男の養育に心血を捧げました。そして事ある毎に云い聞かせました。お父様の貌を傷つけてはならない、在りし日の姿でこの世にお返しするために守り抜かなくてはならないと。あの男は素直に聞き、十四になるまで一度も文句を云うことは無かったのです。

 それなのに……外出から戻ったわたくしを、あの男は血と膿に塗れた顔で出迎えました。(にきび)(ことごと)く圧し潰していたのです。そしてわたくしを睨みながら叫びました。もう沢山(たくさん)だ、俺はお父様ではない、こんな顔は壊してやると。夫の(すがた)は何処にも在りませんでした。夫はまたしても喪われてしまいました。

 ですからこれは誅罰なのです。あの男は、死に値する所業を為したのですから」

「……それが、実の息子であってもか」

「血肉を分けた子ではあります。しかしわたくしにとっては、夫を殺した憎い(かたき)です。それでも子だと云うのなら、母の夢を壊した悪い子です」

 刑事は脱力した。その姿が滑稽で、私は余計な口を利きたくなった。

「わたくしはもう一度、夫と結婚するつもりでおりましたのよ」

「……は?」

「身体があのまま育っていれば、夫は完全に甦る事が出来たでしょう。そうなれば、止まった時間を動かす事が出来たのです。その年月だけわたくしも老いてしまいますが、外見を若返らせる手術をすれば善いだけの事。今の医学では無理ですが、近い将来に実現出来るようになると聞いております。わたくしたちは再び巡り逢い、愛を交わすのです。斯様(かよう)に尊き愛が他に在りましょうか。それを……それを心待ちにしていたというのに、あの男は全て台無しに――」

「いい加減にしろッ!」

 刑事は拳で机を叩いた。

「息子さんの人生は、あんたの身勝手の所為(せい)で滅茶苦茶になってしまったんだぞ! 挙句の果てに殺されて……妄想に振り回され、己を認められずに生きてきた子供の気持ちがあんたに分かるか? 何が母だ、あんたは母よりも女である事を選んだ。それがこのざまだ!」

「いけないことでしょうか」

 刺すような声音に、刑事は息を呑んだ。

「女は、いつまでも女なのです。愛する男を留め置くためなら、どんな事だってするのです」

 己の貌が引き攣るのを感じた。

 刑事の顔が歪む。

 私はどうやら、笑っているらしかった。
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