本編

文字数 9,130文字

 一

 私の住む徳島県は、残念ながら魅力や知名度が全国的に高位にあるとはいえない。とはいえ、それはあくまで他の都道府県と比較しての話であって、みんなに知ってもらいたい歴史や文化は当然あるし、全国に誇りたい徳島県ゆかりの人物もたくさんいる。
 別に徳島県のPRをしようとしているわけではないが、一応三十年以上住んできた郷土である。そういったお国自慢を始めてしまうと際限なく駄文が連なりかねないので、ここでは三好(みよし)和義(かずよし)さんという写真家について少し触れたい。

 三好さんは昭和三十三年生まれで、この文章を書いている令和五年で六十六歳を迎える。中学時代より本格的に写真を始めた方で、十四歳にして地元紙の徳島新聞に写真が掲載されると、十六歳で日本最大規模の写真公募展である二科会写真部展に最年少で入選、十七歳で銀座ニコンサロン(カメラメーカーとして有名な株式会社ニコンの運営する写真ギャラリー)でも最年少で個展開催、以後も著名な写真展で賞を取り、初の写真集『RAKUEN』は写真会の芥川賞と呼ばれる木村伊兵衛写真賞をやはり最年少で受賞と、若くから才能を発揮されている方だ。
 ここまでお読みいただいた方には、是非とも「三好和義 写真」とでもインターネットで画像検索していただきたいのだが、三好さんは「楽園」をテーマに写真を取り続けられており、南国の透き通る空や海の青さが際立つ作品が目を引く。
 私もその透き通った写真の魅力と、同じ徳島県出身という勝手な親近感で、自分もこんな写真を撮れないものかとカメラのフィルターを散々覗き、眼鏡のレンズに無数の傷を入れたものであった。しかし、所詮は凡人。仲間内でちょっとした評価を貰えるぐらいまでは上手になったものの、大した賞を取るわけでも、腕を磨くわけでも、三好さんの詳しい活動を知るわけでもなく、そこらの一社会人として、上司にせっつかれて仕事をする日々を続けていた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 二

 さて、そんな社会人生活も八年経過した頃、会社のドタバタで仕事と上司に極端な重圧をかけられ続ける半年があったのがここ最近の話である。文字通り身も心もやつれた私は、弊社の数少ない利点である「休みは取りやすい」という環境を利用させてもらい、少しまとまった休みを取った。ただ、心がやつれると行動を起こす力はなくなるというもので、出かける気力はあまりなく、「なるほど、鬱というのはこういうのがもっと悪化した状態なんだな」と納得しながら、収納という言葉が消えかかった自室の掃除をしていた。
 ただ、いくら「汚部屋」だといっても、数日も掃除すればだいたい片付くものだし、何より年の瀬でもないのに丸一日掃除していては飽きるというものだ。合間でスマートフォンを弄ったり、ご無沙汰な本を読み返したりしていると、ふと図書館の存在を思い出した。
 蒐集家のきらいがある私は、実のところあまり図書館を利用しない。つまるところ、気になる本は買って手元に置いておきたい人間なのだ。故に、図書館はどちらかというと調べ物をする場所という立ち位置なので、別段研究家というわけでもない私は、自ずとその利用頻度が限られたものとなる。

 ただ、やつれた身と心に本屋はハードルが高い。特にやつれ過ぎた心には、本屋という決して小売店の中では騒がしくない方の喧騒や有線から流れてくる流行曲でさえ、まあまあ億劫になってしまうのだ。そんな心理状態だと、ほどよく人がいてほどよく静かな空間である図書館というのは、中々どうして魅力的に思えた。
 そして、地元市町村の図書館と、徳島県立図書館を比べたとき、知り合いと遭遇する確率が低そうな徳島県立図書館に軍配が上がったわけである。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 三

 話が長くなってしまったが、そうしてやってきた徳島県立図書館は、最後に訪れた十年前と大きな変わりはなかった。別に変わる必要もないし、そちらの方が図書館の性質としては正しいであろう。実際、私も驚くほど配架を覚えていた。
 さて、公立図書館の役割の一つに、郷土資料の収集というものがある。地域の歴史などはその最たる例だが、地元ゆかりの人物の出版物というのもその対象である。そして、多分全国の図書館で概ね似た方針だと思うのだが、「地元ゆかりの人物の出版物」には、地元出身の漫画家の作品も含まれる。
 長文を読むのも一苦労になっていた私は、そのことに気づき、郷土資料コーナーの一角へ向かったのだが、その途中に懐かしい文字列を見た。そう、「三好和義」の名だ。

 その文字列は、図書館の司書さんが作ったであろう大きめのPOPに書かれていた。制作者の力の入れ具合が伝わってくるそのPOPは、キャスターのついたオープンキャビネットの一番上の棚に貼られ、その下の段にどうやら三好さんの写真集が置かれているらしかった。
 しかし、図書館ではそう珍しくはないであろうこの光景に、すこぶる違和感があった。本が一冊しかない。まあそれはいい、それだけ借りられたのであろう、喜ばしいことだ。しかし、その一冊がやたらとでかいのだ。新聞紙の片面くらいある。そのせいで、棚にあるくせに立てられておらず、平置きである。いや、厚みがあまりないし、そもそも立たせるほどキャビネットに高さがないのだから仕方ないが。
 この奇妙な景色と懐かしい名前に惹かれ、POPへ近寄ってみると、たくさんある三好さんの写真集のうち『東大寺』一冊だけの紹介であった。どうやらこの奇妙な景色はこれで正解らしい。さらによく読むと、この新聞紙片面程もある冊子は、写真集そのものではなく見本らしい。これはいよいよもって訳が分からなくなってきた。ただ、考えたって現実は変わるものでもなし、何より懐かしい名前に心惹かれ、その見本を手に取ってみることにした。
 とはいえ、想像して欲しい。新聞紙片面程の大きさの冊子ということは、開いて読んだらもう新聞紙を読むサイズ感と同じである。その場でちょっと試し読みのつもりで表紙をめくったが、傍から見れば図書館によくいる新聞紙の常連客だ。図書館で新聞紙を読むのはなんら悪いことではないが、その主要な層が高齢男性であることを思い出し、「三十歳の自分には、まだ早い姿では」と、よく分からない羞恥心から、手早く試し読みをしようと中身に目をやった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 四

 刹那、心を奪われた。美しい写真であることは勿論なのだが、大きい写真というのは、それだけで見る者を引き込む力があるようだ。東大寺には何度か訪れたが、果たしてこのような景色を見ただろうかと疑うほどに、見本の写真たちは仏教建築の曲線美や東大寺を囲む自然の瑞々しさを描写していた。
 しかし、ここで私は新たな違和感を覚えた。最初に触れたとおり、三好さんは「楽園」をテーマとして写真を撮っている。楽園の定義には色々あろうが、私の知っている三好さんの楽園は、南国の透き通った青色のイメージだ。だが、眼の前の写真集、正確にはその見本だが、そこにあるのはいかにも日本らしい和の建築美と見慣れた日本の自然である。
 単純にもっと美しい写真を見たいという欲求以上に、私の知る三好さんの楽園とは違う楽園、オタク風にいえば解釈違いの理由を知りたいという欲求が強くなり、POPの指示に従って郷土資料カウンターに座る司書さんへ声をかけた。

「お持ちしますので、あちらに掛けてお待ちください」
 司書さんにそう促され、カウンターから五メートルくらい離れた座席に腰掛けた。あんなPOPを出しているくらいだから、カウンターのすぐ裏にでも置いているのだろうと思ってただ座って待っていたが、数分経っても音沙汰がない。もしかして誰かが先に持っていったのかと心配しつつ、近くの棚から適当な本を見繕って腰掛けた。
 そのとき。キャスターのゴロゴロという音が館内に響き、ワゴンがカウンターから出てきた。溜まった返却図書を載せているのかと思ったが、何やら高級な瀬戸物が入っていそうな、和柄の大きな化粧箱が一つ載せられている。そのワゴンを押す司書さんが私を見て行く先を定めたようだったので、どうやらあれが件の写真集『東大寺』らしい。
 いや、ちょっと大きすぎではないだろうか。閉架図書の請求はこれまで何回かしてきたが、対応してくれた司書さんが戻ってくるときに、キャスターの音なんて聞いたことがない。何より、家庭の台所でたまに見かけるワゴンよりふた周りは大きい図書館のそれの天板は、化粧箱がほとんど占有している。まるで歴史的古文書や巻物を見せられるのではないかと思わせる様相である。
 しかも、化粧箱を乗せたワゴンは司書さんを三人も従わせている。いち利用者が見慣れた図書館業務なんて大抵一人で対応することなので、司書さんが三人というのはかなり異様である。写真集というのはその作りから値が張りがちなので、ひょっとして盗みでも働きそうに思われたのかと逡巡していると、すぐにその理由が分かった。

 私が陣取る机に横付けられた化粧箱は、先ほど試し読みした見本より一回り大きかった。どうやら化粧箱込みの一冊らしい。こうなると新聞紙の見開きサイズに匹敵しそうな大きさだ。
 この時間、図書館は少し来館者数が落ち着くようで、大企業の社長さんが一人で使っていそうなサイズをした四人用の机に一人で座っている訳だが、本を置くことを考えたらもうスペースに余裕がないらしい。一人の司書さんが化粧箱の上蓋を取ると、机には置かずそのまま手に持ち続けていたのが少し滑稽だった。

 いよいよ姿を現した写真集『東大寺』は、緩衝材としてか側面の三百六十度と天面の四辺が段ボールで覆われていた。それもただの段ボールではなく、マット調の黒色を基調とし、金色のような小さなまだら模様が落ち着いて置かれている。そして、残った二人の司書さんが化粧箱から取り出すのだが、なるほどどうやら段ボールはトレーとしても用いるらしい。天面の四辺を覆っていた段ボールを開くと、上下の二枚は取っ手になった。
 そうやって持ち易くなった写真集『東大寺』、正確にはそのトレーに手をかけた二人の司書さんであったが、力の入れ方が本を持つそれではない。大の大人が二人して「せーの」と声を合わせて本一冊を取り出す姿は、初めての光景で中々面白いのだが、面白さはまだ続く。全身を露わにした写真集を見て、通りがかりの利用者たちは文字通り目を見開いて「なんだあれは」という顔をしているし、写真集を持つ司書さん二人は、昔家族で庭をDIYしたときに、大きな庭石を二人がかりで運んだときの姿にそっくりである。
 そうしてとうとう机の上にやってきたわけだが、下ろすのも大変慎重な運びである。これまた庭石を据えようとした家族の姿が重なる。そう、距離感を見誤ってドスンと一気に置いてしまわないようにする動きだ。司書さんたちも丁寧に下ろしてはいたが、最後の最後で少し距離感を見誤ったらしく、ドスンという音が小さく響いた。その音は、やはり庭石と一緒だった。

 何もかも図書館のイメージとはかけ離れた所作である。

 かくして私のもとにやってきた写真集『東大寺』だが、表紙をめくった時点で机の六割くらいは埋まってしまった。他の本や私の筆記用具も机に置いていたので、四人用の机は事実上私の独占状態である。化粧箱を置く余裕は当然ないので、司書さんがやはりワゴンに載せてそのままカウンター裏に持ち帰った。
 四人席を独り占めというのは大変マナーの悪い話だが、こればかりは仕方ない。周囲もその認識になってくれたのか、あるいはおかしなサイズの本に気を取られてか、幸い私がこの本を読み終えるまでの約二時間、誰からもこの状態を咎められることはなかった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 五

 いよいよ写真集『東大寺』との対談である。
 先に触れたとおり、大きな写真というのはそれだけで見るものを引き込む力を持つようで、一枚目から「うおっ」と唸ってしまった。落ち着いた色合いであることが多い仏教建築に納められた奈良東大寺盧舎那仏像(るしゃなぶつぞう)、いわゆる大仏様が、金に身を纏いながらもいやらしさなく、むしろ厳しさと優しさを併せ持ったような眼差しをまっすぐと地面と平行にこちらを見ている。
 表情に着目せしめるのは、大仏様をお堂の窓越しに撮り、敢えて顔しか見えないようにしているからだ。普通、大仏様を撮るとなると、正面は参拝者の邪魔になってしまうので、巨大な大仏様を斜めに見上げるしかない。それが私の、ひいては多くの人が知る大仏様である。
 だがこの大仏様はどうだ。葬式と法事でしか仏教を意識しない平均的な日本人である私でさえ、思わず息を呑むような迫力だ。

 一つページをめくる。東大寺本堂を写真下部中央に配置され、その上に北極星が輝き、ほかの星々が軌跡を描いている写真だ。この写真は見本でも掲載されており、見本を試し読みした際に最も強く心惹かれた。
 下手の横好きとはいえ、写真を撮っていると、無難に良い写真だとか所謂ウケやすい安牌な写真だとかがあることに気づく。私個人の偏見が強いが、星空の写真というのはその一つだ。特に数時間分の星の動きを一枚の写真に収めると、肉眼では見えない星の軌跡が見事に写り、写真を趣味にしていない人ならほとんど全員が「おおー」と感心してくれる。
 しかし、色々気にして写真を眺めると、やはりそれだけでは十分でない。単にたくさんの星の、長時間の軌跡を収めればよいものでもないし、星と建物では明るさが違うから、撮影の設定も気を使うし、なんなら北極星はほとんど動かないだけであって動いてはいるのだ。
 だが、そこはプロの写真家である。三好さんのその写真は、何も足せない、何も引けない、完璧な塩梅である。この写真は見開き一枚で掲載されていたが、その見開きだけで一体どれだけの時間が経ったか分からない。

 この時点で、私は完全にこの写真集『東大寺』の虜であった。だが、嬉しいことにまだまだページは残っている。読み書きを覚え始めた幼児が絵本を読むかの如く、次のページに紙をめくることを楽しんでいた。紙をめくるという行為に、ここまで心踊らせたことはもう何年ぶりだろうか。

 ページを進めると、東大寺ひいては奈良の代名詞ともいえる鹿の写真が出てきた。水を飲みに東大寺境内の池へ来ているようで、四本脚を全て十センチメートルほど浸からせている。また、水面に反射する紅葉が抽象画めいていて、写実的な鹿との対比に心を射止められる。
 動物というのはポピュラーな被写体で、どう撮ってもどこかで見たことがあるような写真になりがちだ。奈良の鹿は人馴れしていることもあり、プロ、アマチュアを問わず多数撮影されているのでなおのことである。ただ、人馴れしているだけに鹿の自然体を捉えた写真は意外と見かけない。
 三好さんはそこを探したのであろうか。お寺の池に入って鹿に近づく人間はまずいない。そのためか、人の視線を全く感じさせない、それは単に人工物が写り込んでいないというのもあるが、人が近くにいることで大なり小なり警戒したり興味を持ったりする鹿の機微が見受けられない。
 そして、鹿の姿勢自体もそういった雰囲気を感じさせる一瞬を切り取っている。
 写真というのは真実を写すなんて大層な名称を持っているが、無限に広がる世界と時間の中で、写真はごくごく限られた視界と瞬間を切り取っているに過ぎない。こと動く被写体に対しては、伸びやかにリラックスしているような一枚でも、現実では激しい動作の中の一瞬だったということは時折見かける。なので、この鹿が実際はどういった状況でその姿勢をとっていたのか、真実は三好さん本人にしか分からない。突き止めていえば、鹿の心持ちなんて人間に読み解きようがないので、真実は誰にも分からないかもしれない。
 しかし、もっともらしい一瞬を切り取れているのは確かである。写真を撮っていると、このもっともらしさというのが意外と厄介なのだ。撮影中は気持ちがのめり込んでいるので気づかないが、後から客観的に写真を見ると、これは果たしてどういう状況なのだと作者自身が首を傾げるのは、カメラを構える人間には間々あることだ(と思う)。

 また進むと、蝋燭に灯された火の揺らぎと、その僅かな明かりを頼りにして法要に励む僧侶の写真が続けて掲載されていた。火の大きさと揺らぎが過大にならないようにしつつも、僧侶や仏具が美しく見えるように、絶妙な露出設定で撮影されている。これもまた、何も足せない、何も引けない状態だ。
 蘊蓄が続いてしまう上、写真を趣味としない人には説明が難しいのだが、明暗差の大きい被写体というのは、カメラにとって極めて苦手なシーンだ。人間の視覚は、物が発した光、あるいは物が反射した光を網膜で捉え、これを電気信号にして脳へ伝えているわけだが、カメラも原理は変わらない。発光あるいは反射光をカメラのセンサーで捉え、これを電気信号としてSDカードなどの記憶媒体に保存するわけだ。つまり、光の多寡即ち明暗差があると、一枚の写真の中で明るすぎる、あるいは暗すぎるという状況が生まれる。そして、どちらかに合わせて写真を撮ると、明るい場所は綺麗に写っているが暗い場所は何が写っているんだか分からない、あるいは暗い場所はちょうどいい感じに写っているが明るい場所は真っ白で何が何やら、という状態になるのだ。
 この明暗差という条件に加えて、そもそもの光源が蝋燭の火という一定しない存在なので、中々カメラマン泣かせな状況だ。そういう背景を考えると、蝋燭の火の下で執り行う法要を切り取ったこの写真は、より一層完成度の高さを示してくるのだ。

 ほかにも、魅力的な写真が何枚も目に入ってきた。というよりは、ほとんどが魅力的であったという方が正確だ。最後に、その中から仏像の写真について紹介したい。
 仏像ににじり寄って、彫刻の造形を読み取ることができる写真が続いた。しかしただ近寄っただけではなく、仏像の視線にはっとさせられるような位置から撮影していたり、仏像のご尊顔を写さず、造形や装飾に焦点を当てていたりと、写真から撮影の意図が滲み出ていた。
 その中には、東大寺の特別な許可を得た上で撮影された、通常では撮影できないような立ち位置からの作品もあるのだが、「そりゃそこから撮れるなら俺だって撮れるよ」なんて邪な考えは全く思い起こさせない。同じ場所に立ったところで、私なら何年粘っても撮れない写真だ。むしろ、「こんな視点から見る仏像は、こんなにも魅力的なのか。一生に一度でいいから、この視点から眺めてみたいものだ」と思いを抱かせる写真ばかりで、これまでだらだらと写真を撮ってきた私は、写真の訴求力がこれほどのものであったのかと愕然とするばかりだった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 六

 そうやって一々感動しながら写真集『東大寺』を読み進めていると、見本を試し読みしたときの違和感の原因が分かってきた。
 私は写真を趣味の一つとしているものの、積極的に技術や知見を研鑽してきたわけではない。大変失礼ながら、それは自身の写真趣味に影響を与えた三好さんに対しても同様で、南国の透き通った青さのイメージだけで三好さんを見ており、それが三好さんの楽園なのだと考えていた。
 しかし、よくよく考えれば楽園というのは解釈の余地が大きな存在である。苦しみのない楽しい場所といっても、その具体像は個々人によって、趣味嗜好や価値観で大きく異なるはずだ。なのに、私は三好さんが提示した楽園のイメージのうち、あくまで一つのものに固執してしまっていたのだ。これは、写真が持つデメリットである「写っているものを真実、現実だと安易に思いこんでしまいがちなこと」そのもので、私は写真を趣味にしておきながら、そのデメリットにまんまと嵌まってしまったのだ。
 後で調べて知ったのだが、三好さんはほかにも東大寺をテーマにした写真集を出版しており、そのタイトルは『天平の楽園 東大寺』である。なるほど、これもまた一つの楽園だ。というか、落ち着いて考えてみれば、仏教には「極楽浄土」という言葉だってあるじゃないか。

 ところで、この写真集『東大寺』だが、実は二冊組である。正確には、散々述べた大きさを持つ写真集本編とは別に、解説などを記したA4判をやや補足したサイズの本がある。そこに書かれていることも含め、改めて勘案する。
 平成二十九年以降、三好さんは奈良にも住まいを構えられているそうだ。この写真集のためではなく、別のきっかけからだそうだが、奈良にも拠点を構えたことで、東大寺を積極的に被写体の一つにしているそうだ。本作の撮影も、何日間か集中して撮影したというわけではなく、四季折々、早朝日中深夜と、時間をかけてあらゆる場面でつぶさに観察と撮影を続けて生み出された作品ということらしい。天才と努力は掛け算といわれたりするが、この写真集『東大寺』は、その二項がともに極めて高い水準にあるが故に完成された作品なのだと理解した。
 まったく、つくづく「なんてこった」という感想が立て続けに出てくる作品である。何百年間もそして何千万人もが見てきた景色を、このような完成度の高い写真に収めることは容易でない。私の写真がぼちぼちから上に進めないのは、当たり前の話だったのだ。

 仕事で頑張り疲れたタイミングで得た知見としてはやや精神的に辛いところがあるというのは正直な感想だが、それ以上に物事に取り組む姿勢について問われることとなった読書であった。平均的な人よりは本を読んでいると思っている私であるが、ここまで強い読後感を覚えさせる本は数えられる程度だ。しかも、言葉ではなく写真で叩かれた。
 私はなにかの分野で、このように誰かに強い影響を与えられる人間になれるだろうか。令和五年で三十一歳を迎えるが、人生はまだ折り返し地点にすら立っていない。あまり努力をしてきたことがない人間なので、本音でいうとそこまで頑張れないと思ってしまっているのだが、せめて今までよりは一歩踏ん張って人生に臨もうと思う。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 七

 さて、読了後の楽しみといえば奥付である。世間一般にはどうか知らないが、私は読了後に眺める奥付が好きだ。
 写真集だって本なのだから、当然奥付が存在する。そして、そこにはこれまで本の内容で得た感情を全て上回る事実が記されていた。

 本体価格 三六〇、〇〇〇円

 私の賃金一・五ヶ月分である。この写真集の蒐集は、もう暫く我慢したい。
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