恵子

文字数 4,536文字

 サンタクロースは実在する。
 あたしの恋のライバルは、高校生にもなっていまだにそんなことを本っ気で信じている。
 海上保安官のお父さんが、毎年すやすや寝息を立てる彼女の枕元へプレゼントをそっと忍ばせていたからだ。
 女の子から見ても純だと思う彼女は、それが理由でいまでも信じ続けている。一般的な常識であるサンタ=お父さんorお母さんという図式は、彼女の中には存在しない。
 でも、今年はとうとう彼女の中のサンタが瓦解するかもしれない。
 彼女のお父さんが海難事故に巻き込まれ、先日その捜索もとうとう打ち切られたからだ。



「というわけで恵子、協力してくれ!」
 夕陽が差し込む誰もいない真っ赤な教室で、悟は神様に拝むようにあたしに手を合わせている。
「……なにが、というわけなのよ」
 あたしは呆れて、半ば閉じた目で冷ややかな視線を送っている。
 話があるから放課後残って欲しい、なんて語気を強めて言うからなにかと思えば。
 あたしのドキドキなときめきを返せ。
 まあ悟に甘いロマンスを期待したあたしが馬鹿だったのは明々白々だから、しょうがない。
「だから、凛のお父さんの代わりに俺達がサンタをやるんだよ!」
「それは聞いた……やり方が問題なのよ」
「どうして?凛の家に恵子に泊まってもらって、凛が寝たら窓から恵子にロープを垂らしてもらって俺が登る。完璧じゃん」
 あたしは頭を抱え、はぁぁぁぁぁぁあと、とてつもなく長~く深~い息を吐いた。
 そして、いつものように説得を開始する。
「バカじゃないの!?凛の家はマンションの何階だと思ってんのよ」
「え?7階だろ」
 俺は人間だよ、と言うようなさも当たり前のことを軽く言ってのけるように、けろっと悟は言った。
 ケロっておまえは蛙か。
「三つ程聞いていい?」
「おう!なんでも聞け!」
 胸をドンと叩き、悟は自信満々ぶりをアピールする。その自信はどこから湧きだすのか。その源を刺し身みたいに捌いて、一切れ私に分けてよ。
「まず一つ目、そのロープはどこから調達するわけ?」
「Amazanにあったぞ」
「へぇ、ちゃんと調べたんだ。そこは感心ね。じゃあ二つ目、7階まで何mあると思う?」
「そうだな~、10mくらいだろ」
「はい!バカ」
 ポンと手の平を合わせ、あたしはバカに合掌する。
「バカはねぇだろ。じゃあいくつあるんだ?」
「いい?おおまかにマンションの一階から二階までって3mくらいあるの」
「ほお。さすが建築家志望だな」
 ほお、じゃないわよ。計画を立案するならちゃんと調べときなさいよ。と罵倒してやりたかったけど、そこは我慢しよう。
「だから、3m✕6階で約18メートル。だから余裕を見ても20メートルはあるわ」
「先生!質問であります!」
 悟が元気よく挙手する。
 とりあえずここは乗ってあげよう。
「なにかね、今村くん」
「なんで6階?7階だから×7じゃねえの」
 あ、バカだ。やっぱりこいつバカだ。
「さっきも言ったでしょ!一階から二階までで3mなの!」
「それはわかった。だから✕7で21mだろ。さらに余裕見るなら、もっといるだろ」
 あたしは足取りが重くなるようなため息を一つ吐き、黒板に向かう。
 チョークをつまみ、四角を描く。そしてそれを七つ積み上げた。
 まず一番下の四角を指す。
「いい?1階から2階で3m」
「おう」
「じゃあ1階から3階までは何m?」
「倍だから6mだな」
「そうね。じゃあ答えは出たでしょ」
 悟は眉を寄せ、不快な表情をしている。
 だめだこりゃ。
 あたしが生まれるだいぶ前に亡くなった往年の名コメディアンの台詞が脳裏に浮かぶ。
 数が少し多くなっただけで、悟の脳は処理能力の限界を超えたようだ。
 あたしは1階、2階の境目に3と書き、各境界線にそれぞれ丁寧に数字を付け足していった。
 そして6階、7階の境目で18となった。
「はい、これでさすがにわかるでしょ?」
「7階の境までで18mなんだな。そう言えよ!教えるの下手だなぁ」
 ケタケタと笑う悟に、あたしは血だけに額に血気盛んに血管がボコリと浮き出る思いだった。
 大人気ないわよ、あたし。
 相手は悟じゃない。
 心を静めるのよ。
「じゃあいい?話を戻すわよ」
「おう!どんと来い!」
 ピキリ。
 漫画の演出のように、あたしの額の血管は数を増やす。
「じゃあ三つ目。悟の体重何kg?」
「55kgだな」
「じゃあ、あたしじゃ支えきれないよ」
「恵子の体重何kgなんだよ!?」
 ガンッ!
「っ痛ってー!グーで殴るな!ボクサーはケンカには拳は使っちゃダメだろ」
 デリカシーが皆無の無神経男め。
 凛よりは重いけど、あんたよりは軽いわよ。
「あんたがあんまりバカだからよ!」
「さっきから、バカバカ言い過ぎだぞ!さすがの俺も傷つくぞ」
「こんなバカな計画考えるやつはバカ以外の何者でもないでしょが。いい?まずAmazanのロープがいつ届くの?早くても明後日でしょ。明日がイヴなのにまずそこが間に合わない。次にロープが間にあっても、あたしがあんたを支えきれないから登れない。仮に支えられても、7階を登ってる間に誰かに見られたらどうするの!?通報されて不法侵入で御用よ。ついでに幇助行為であたしも御用じゃない。大学推薦がおじゃんになるようなことに手を貸せるわけないでしょ!」
「だけど、凛がかわいそうじゃねえか……」
 理詰めで罠に誘導しても、この感情バカは絶対に罠を破壊してしまうだろう。そもそもなんで、こいつはもっと簡単なことに気づかないのか。
「あのさ、あたしが凛の家に泊まるなら。凛が寝た後に、あたしがプレゼント置いておけばいいんじゃないの」
「いやだ」
「は?」
 ここまで簡単な方法があるのに、なぜこのバカはそれを実行しようとしないのだろう。そこまでバカなの。
「俺が自分で置きたい。おじさんが出来なくなったんなら、俺が凛のサンタになりたい」
 全くバカで無神経で強情なんだから、一度言い出したら、どんな理詰めで追い込んでも、こいつは考えを改めようとしない。
「じゃあ、あんたも泊まれば?小さい頃から行き来してるんだから、おばさんもOKしてくれるでしょ。凛は特に問題ないし」
「バ、バカ野郎!嫁入り前の女の子の家に男が泊まりに行けるか!」
「幼馴染みだから問題ないでしょうが」
「駄目だ!男は硬派でなければいかん!」
 硬派って。今どき死語よ。まだ使うやつがいたんだ。
「じゃあ、もう諦めなさい。それにおばさんが何か考えてるんじゃないの」
「くっそ~っ!俺はいやだ。諦めたくねぇ」
 まったく、イヴの前日に好きな男と二人っきりなのに、こいつはあたしなんか女として意識してもないんだろなぁ。
「じゃあ、あたしの家に凛を泊めるってのでどお?」
「おお!その手があるか!」
 ナイスアイデアとばかりに悟はポンと手を叩く。
「あたしの家なら周囲からは目立たないし、部屋も二階だから登ろうと思えば登れるでしょ」
「おまえの家なら俺も泊まればいいじゃねえか」
「は?」
 なんかさっきと言ってることが違うんですけど。
「あんた、さっき嫁入り前の女の子の家に男は泊まれないとか言ってたけど。あたしも嫁入り前なんですけど」
「……恵子」
 一言呟くと、悟はあたしの両肩に優しく手を置いた。
「な、なによ……」
 悟が真剣な眼差しを向けている。
 あんたは凛が好きなんでしょ。
 それともなに、それはあたしの勘違いで、ひょっとしたら。
 悟の顔が少しずつ近づいて来る。もう互いの息が触れる距離。
 だ、駄目よ。
 まだ告白もしてないのに、あんた女の子なら手当たり次第なの。
「恵子」
「さ……さ、と、る」
 だ、駄目、唇が触れちゃう。
「そうだな。夢を持つのは大事だよな」
「は?」
 夢?突然なんの話よ。
 あたしが建築家目指してるのは、さっきあんたも言ってたことじゃない。
「おまえが結婚することを夢見ても、それはおまえの自由だ。うん、誰にも止める権利はない」
 ブツン。
 あたしは本当に脳内で音が聞こえた。
 豪快に糸を引きちぎったような、その勢いのままにあたしは悟に怒号を浴びせ、怒りのコークスクリューブローを見舞う。
 決して不細工ではない、けれど飛び抜けたイケメンでもない上の下程度の悟の顔が、下の下のように醜く歪み、教室後ろのロッカー棚に向かってぶっ飛んでいく。
 ガッシャーンと音を立て、机と椅子に悟は揉みくちゃにされた。
「な、なにごとなの!?」
 轟音に驚き、教室の引き戸をガラッと開けるナチュラルボムの美少女。
 まだ学校に残っていたらしい。
「ど、どうしたの恵子ちゃん!?何かあったの!?」
「バカを折檻したところよ」
 ポンポンと手の汚れをはらい、あたしは床を指す。
「さ、悟くん!どうしたの!?また恵子ちゃんを怒らせるおバカなことを言ったの!?」
 好きな子にまで『おバカ』と言われて、完全にバカ認定ね。
「ねぇ、凛。明日はクリスマスイブでしょ。うちでパーティやるから泊まりに来ない?」
「恵子ちゃんの家で?」う~ん、と凛は考える素振りを見せる。「ごめん……明日はサンタさんが来るから。家にいないと……」
 凛、あなたまだそんなこと言ってるの。
 純なのもいいけれど、あたし達来年から大学生よ。
 もういい加減、本当のことを伝えるべきなのかもしれない。
「あ、あのね、凛、サンタは……」
 真実を伝えようとしたあたしの言葉を、悟がさえぎる。
「そうだな!サンタが来るからな!」ビラミッドのように積み上がった机と椅子の中から、ガラガラと音を立て悟が起き上がる。「きっと、明日も来るぞ!凛!」
「そうだよね!悟くん」
「おう!」
 二人して困ったものだわ。なんだかんだ似た者でお似合いなのかも。
「悟、ちょっと」
 あたしは悟の耳を引っ張って、凛から背中を向けて距離を取る。
「いでででででで、なにすんだよ」
「あんた、結局どうすんのよ?凛うちにも来ないわよ」
 凛には届かない声量で、あたしは悟に耳打ちする。
「ふっ!さっきいい方法を思いついたぜ」
「なに?どうすんのよ?」
「とりあえず忍び込む方法は俺に任せろ!おまえは凛の家に泊まって、俺が合図したら窓の鍵を開けてくれ」
「ロープは支えないわよ」
「おう!問題ねぇ!」
 はあ。もう嘆息するしかない。
「わかったわよ……凛のうちに泊まる」
 釈然としない話が決まったところで、あたしは凛に向き直る。
 ん?となにか違和感を感じた。
 一瞬、顔が強張っていたような?
 まさか、凛も悟のこと?
 あたしは心に芽生えた嫉妬を刈り取り、顔から汚れた感情をすっと消し、凛に声を掛ける。
「ねぇ凛?じゃあ、あたしが明日凛のとこに泊まっていい?」
「うちに?それは構わないけど、パーティはいいの?」
「いいの、いいの!あたしがいなくても勝手にやるし。それに凛と過ごす方が楽しいし」
「け、恵子ちゃん……私、嬉しい。ありがとう」
 凛のこの『ありがとう』は、おじさんがいない寂しさから来るものだ。毎年おじさんは必ずクリスマスは休みを取って家族と過ごしていた。
 それがあの事故で全て壊れてしまった。
 たしかに悟の言うことにも一理あるのだろう。サンタを信じさせ続けることは反対だけど、凛の寂しさを拭うのはあたし達の役目なのかもしれない。

 けど、結局あのバカはどうするつもりなのかしら。

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