第1話

文字数 1,479文字

 一つの仕事を完遂できないままに、次の新しい仕事に取りかかる。そういうことが、子供の頃から苦手だった。
 こっちがまだ終わっていないんだけど、次が来ちゃったし、一旦こっちは切りのいいところで保留にしておいて、二つを同時進行でこなそう。そんなの、わたしには無理。一点集中型のわたしにかかったら、結局は、どっちも中途半端な仕上がりになることなんて、火を見るよりも明らかだ。

「なぁ、もうそろそろ時間じゃないのか?」
 祐介が、自身の手首に巻きつけられたダイバーズウォッチを確認しながら、苛立ち気味に言った。
 どうしてお前が苛立つ必要があるのだ、とわたしは不機嫌を隠さない。
「わかっているんだったら、早く結論を出せばいいじゃない」
 いつまでもここに居座ってやるくらいの気持ちで、わたしは温かいフルーツティーの入ったカップを持ち上げる。透明なアクリルのティーカップは、最近は百円ショップでも買えるが、値段以上におしゃれに見えて優秀だ。わたしの賃貸マンションの部屋にも、ある。
「明日でいいよ、なんて夜の電話は、どうせたいしたことない用事なの。待っているのはお母さんだけだし、そこまで焦らなくたっていいんだって」
「お母さん、待たせたらかわいそうだろ」
「だからさ、そう思うんだったら、ちょっとでも早く結論をさ」

 昼下がりのカフェで、少なく見積もっても一時間以上、わたしたちは不毛な話し合いを続けていた。
 今年の夏は稀にみる酷暑だ。八月の一ヶ月間で、わたしは一年分かと思うほどの大量の汗をかいた。みるみるうちに痩せていくという、嬉しい効果に喜んでいたのも束の間、九月に入ったとたんにぐっと涼しくなり、お菓子の新発売ラッシュも手伝って、体重はあっという間に戻った。
 久しぶりに取った日曜日の休み。全国チェーンのフラットなカフェはそれなりに混んでいて、食べたかったスイーツが売り切れていた。ダイエットの神様の思し召しと解釈し、食後は飲み物だけで我慢することにしたのだった。
「そんな、ちゃっちゃと結論を出せるわけがないだろ。一生のことだぞ」
 正面で、祐介は眉をひそめた。顔つきが濃いめだと、眉間に寄るシワもくっきりと濃くなる、とは、彼に出会って初めて知ったどうでもいいことである。
「わたしの中ではもう決まっているし、あとは祐介が首を縦に振ればいいだけの話じゃない」
「オレは、夫婦別姓なんて反対だよ」
「じゃあ、別れる?」
「なんでそうなるんだよ。オレは加菜恵と別れることなんて考えていない」
「わたしだって、三十歳目前にしてシングルなんて勘弁。でも、わたしは夫婦別姓じゃないと結婚したくない。祐介がそれを承諾できないなら、わたしたちに将来はないでしょ?」
「何か、お互いが歩み寄った解決策があるんじゃないのか?」
「じゃあ、祐介から先に歩み寄ってよ」
 一時間以上前から、いや、祐介からプロポーズを受けた半月前から、わたしたちはずっとこんな調子なのだ。
 問題を長い間抱え込んでいることは、弊害以外の何物をもわたしにもたらさない。ずっともやもやして仕事に身が入らないし、プライベートもこの通り充実しない。
 一つの問題がしっかり片づかないと、集中力が分散してしまうのだ。不器用すぎると言われれば、そんなこと、とっくにわかっているとしか返しようがない。だから、どんな結論でもいい、早く決めてしまいたい。
 祐介はこれ見よがしにため息をついた。
「とりあえず、今日のところはタイムオーバーだ。加菜恵はお母さんと約束があるんだし、この話はまた今度、たっぷりと時間が取れた時に」
 そうして、問題はまた持ち越される。


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