第8話

文字数 1,119文字

n野を踏み鳴らし、泥を蹴散らして、走り回る少年たちは、その世界に何よりも夢中だった。みんなが、昨日先生に怒られていじけたことなんかよりも、今日友達に酷いことを言ってしまった後悔よりも、明日の算数の授業よりも、今目の前に見える子の背中を追うことの方が何よりも重要だった。みんなが子供でいられた世界だった。
 とある少年もその中にいた。太陽の光をいっぱいに浴びて、草木の息吹を吸い込み、自由に他の子たちを追いかけていた。他の子供たちの中でも群を抜いて活発な子だった。幼稚園に通っていた頃や小学生の頃は、家で何かするよりも、裸足で外を走り回るのが好きだった。他の女の子達がおままごとをしている間、ヒーローごっこをしていた。教室で好きな子の話をしている女子達を裏目に、校庭で誰が一番強いかを議論していた。
 でもこの少年にはみんなどこか違和感を感じていた。別に嫌われ者だったわけではないが、なんだか他の子達とは違うような存在感を放っていた。汗臭い少年たちの中では一人だけ妙にいい香りがしていたのだ。それは女の子のような柔らかく、甘い香りだった。この少年は紛れもない少女だったのだ。
 それを知る女の子からは、それほど良い目では見られなかったが、男の子の中では英雄だった。ヒーローごっこでは、悪役の男の子をあっという間にみんな泣かせてしまうし、ドッジボールでは、飛んでくるボールを全て躱し、キャッチして投げ返しては相手チームを一網打尽にしていた。
 そして喧嘩も強かった。同級生相手には負け知らずだった。とは言っても、体が何倍も大きいような子には流石にぶが悪く、歯が立たないことはあったが、それでも溢れ出そうになる、涙を飲み込み、真っ赤に燃え上がる瞳を向け、自分の姿を相手の目に焼き付けた。
 少年はいつも体に傷を作って帰ってきた。もちろん母に何度も叱られた。「もう少し、落ち着きなさい」だとか、「男の子には勝てないんだから」とか、「もっと女の子らしくなさい」と言いながら、母は腕の擦り傷や、足の痣を手当てしてくれた。傷に消毒をしてくれる母の手は洗い物をしていたせいなのか、少年にはそれがいつも硬く冷たく、少年の傷にしみた。
 確かに髪型も短くて爽やかだったし、肌は日に焼けていた。泥が顔に跳ねても全然気にならなかったし、虫が飛んでいても叫んだりしなかった。可愛らしいスカートよりも、動きやすい半ズボンを履きたがったし、誕生日にはぬいぐるみや、メイクセットよりも、ロボットのおもちゃや仮面ライダーのベルトを欲しがった。とりわけ車が大好きで、ミニカーをたくさん集めていた。免許を取ったらスポーツカーに乗るんだとばかり言っていた。それでも少年は少年で良かったのだ。
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