第9話

文字数 1,698文字

 夏がゆっくりと空を覆ってしまうかのように、私たちの上には所々雲が少しずつ不気味な形をして、下界を見下ろしていた。太陽の影で比奈の焼けた肌が、一層に香ばしく熱を帯びる。奈緒は両膝に大きな穴がズボンから細い脚が風を受けていて涼しいそうである。その真ん中に挟まれて歩く千夜は、雪のように白い肌が火にさらされて、溶けて崩れ落ちてしまいそうだった。
 この日は今年で1番暑い日だった。すれ違う多くの人が上着を脱いで片手に持っているもので自分を煽いでいる。都会は位置エネルギーと運動エネルギーの変換が絶え間なく行われていて、たくさんの熱を生成している。通りでこんなにも街が生き生きとしているわけだ、と私は人混みに埋まりそうになる三人の背中を見て思った。
 私のアラームはきちんと鳴り集合時間に遅れることなく着くことができた。千夜は不安とは言いつつも、集合場所の駅前に一番乗りで来た。比奈もその後にきたが、案の上奈緒が5分ほど遅れた。「寝坊じゃないし!化粧に時間かかっただけだし!」と奈緒がいうと「それも含めて早く起きろよ」と比奈のツッコミが入った。それがみんなが集まって笑いあった最初の瞬間だった。みんないつもと違ってすこしだけ上品に思えた。制服を着てなかっただけかもしれないが、改めて”外”に出たんだと思った。
 電車の旅と言ったら大袈裟だが、私たちは狭くも感じるこのあまりにも巨大な都市を電車を乗り継いでは降りて、いろんな所をまわった。いつも対して変わり映えのしない光景が多く続いたが、そこにある解放感と充足感は不思議と私たちの欲求を満たしていった。
 黒系の服ばかり私は手に取った。値札を見ては戻しを何度も繰り返した。その傍では千夜と奈緒がしきりに騒いでいた。
「これ絶対可愛いよ千夜!激カワだよ!」金欠に苦しむ奈緒は千夜をまるで自分の着せ替え人形のように扱った。自分の気に入ったものを鏡の前で来ているのは奈緒ではなく、千夜だった。またまんざらでもないという表情をしていたが、やはりどこか嬉しそうなエッセンスがあった。可愛いと言われ慣れている千夜でも、身近にいる人に言われるのとは全くその響きが違っているようだった。
「とっとと買っちゃえよぉ。どうせバイトで金あんだろ」黒いワンピースを眺めている私に比奈が痺れを切らしたかのように私の方に手をのせた。いやぁと私は首を傾げると、比奈は黒いワンピースの襟についた値札を見た。
「なぁんだ。そんなしないじゃん。買っちゃえばいいのに」と眉を落として言った。
「私こういうの似合うのかな」と私はぼそっと呟く。比奈はそれがきこえなかったらしく、大きなあくびをかいている。すると耳の後ろで
「また黒着るの?」と霧のように薄い声色を漏らす。千夜は膨らんだ紙袋を持っていた。その横でおしゃれ番長(ほとんど自称だと思うけど)と名高い奈緒が並ぶハンガーを漁っている。そして小豆色の薄手のカーディガンを捕まえると
「こういう色ものもいいでしょ!もっとビビッドな色のやつもいいけど、黒ばっか着てる葉月にはこのくらいがいいんじゃないの」と言われるがままにカーディガンに袖を通した。サイズは少し大きかったが、着心地はよかった。
「やっぱ超似合ってんじゃん!これからどんどん色物も来ていこう!」と奈緒が感激すると、周りもそれに乗るようにうんうんと頷いた。
 結局私はその薄手のカーディガンを買った。これから日差しが強くなってくるし、外に気軽に来ていけそうである。会計を済ませるとあの真っ黒なワンピースの前を通った。黒は好きだけど、きっとこんなの私には似合うわけないんだと、心の中で呪詛のように唱えた。心なしかそのワンピースは買い手を失い、孤独でぐったりとしているように見えた。
 服屋で買い物が終わると私たちはカラオケに入った。昼間をすぎて流石に太陽との決闘にはもう体力も気力も尽きていた。その中で比奈だけがピンピンしていたが、他の二人は明らかにダウンしていた。私はまだ歩けたが、確実に体の水分が奪われ、足の動きが鈍くなり始めているのを感じ始めていたので、カラオケに入ろうと奈緒が提案して時は少しホッとした。
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