――自分が何者であるのか、
文字数 3,905文字
自分が何者であるのか、それを決めるのは本当に自分なのだろうか。
『白鳥の湖 』とは、傷ついて迷う王子の物語だ。
成人の日を迎えた王子ジークフリートは、祝いの席で母親に、急な結婚を迫られる。
大人になったのだから、明日の舞踏会で生涯の伴侶を速やかに決めるようにと。
森の畔 の王国を治める新王。それが彼に望まれる役回り。
自分が何者であるのかを、自分で決めることを奪われた王子は夜の森を彷徨う。
ジークフリートは意に添わぬ結婚という現実を捨て、夜の森に逃避する。
そうして始まるのが、『白鳥の湖 』第二幕 だ。
笹竹と提灯を舞台の中心と見立て、輪舞のように振付を再構成。赤い光の全周を巡る。
王子ジークフリートが夜の森を彷徨う。
鳥井寿郎が、克明にイメージする劇伴は『白鳥の湖 』第二幕 の始まり、『情景 《第二幕》』。
壮大な、『白鳥の湖』のサウンドアイコン。
演奏時間にして僅か、二分と少々。
振付を支える基礎の要素、その一挙手一投足の精度を研ぎ澄ませて――より美しい伸 を、より美しい屈 を、それらの身体と技法が現 そうとするものに対して、躍動しながら瞑想のように思いを致す。
――夜の森。
この不思議な夢は、ジークフリートが迷い込む夜の森のよう。
――人は誰でも胸の中に、夜の森を持っているの。迷った時に入る、心の暗い部分を。
かつて、発表会に向けて『白鳥の湖』を稽古していた時、寿郎は恩師からそう言われた。
恩師と対面で、レッスン場のリノリウムの床に座しての、演技プランのワークショップ。恩師はバレエの物語に関心を持つひとだったので、通常のレッスン以外にワークショップが多く設けられていたが、子ども相手のバレエ教室としては珍しい方針だったと後に知る。
教室には大人の生徒も多かったが、生徒の年齢に関係なく、誰であっても役を与えられたなら必ず、自分の役についての思考 や意識 、または感覚 を持つことが重視された。
バレエとは、台詞の代わりに舞踏を駆使する演劇である……とは恩師の口癖で、振付とは単なる踊りの繋がり ではなく、登場人物の声なき言葉、意思表現である、という。
ダンサーが登場人物 の意思に近づけるようにと、謎かけや示唆に議論と、言葉を持たない表現のために、多くの言葉を尽くすのが彼女のワークショップだった。
――鳥井さんの心にも夜の森。誰だって、そこに迷うのは自然なことなのよ。
だからバレエを辞めるなど考えるなという話に聞こえて、小学校低学年ごろの寿郎でも、釈然としなかったのを覚えている。
女のようなことをしている変な奴だと、同級生に笑われることがとにかく辛かった時期。
迷うのは自然でおかしなことではなく、どんなに迷っても構わないのだと言われても、迷いの原因である他人からの嘲笑が消えることはない。
要は、辛いことも我慢しろ、と言われているだけではないか。幼いなりに反発があった。
その不満を述べると恩師は首を横に振る。
――夜の森には王子様以外、誰もいないのよ。嫌なこと、辛いこと、その相手も、誰も。
ジークフリートを王子様と認め、そう呼ぶ者はいない。
それは、自分が何者であるのかを決めてくれる他者がいない、ということだ。
その恩師の説に、寿郎は気楽なことだと思う反面、不穏なものを覚えた。
女のようなことをしている変な奴だと言われるが、それは自分がなりたい姿ではない。自分がなりたい自分は他にある。認めてもらいたい自分というものがある。他者を必要とする自分がいる。自分の本当の姿は他者に認めてもらうためにある。
でも、夜の森には、誰もいないと恩師は言うのであった。
――自分が何者であるのかを決めるのは、自分ではないのかも知れない。自分以外の誰かが決めつけた自分を全てかなぐり捨てた時、胸の中の夜の森に迷うのよ。
誰もいない場所。
独りぼっちは楽しい、薄暗い笑みを浮かべて恩師は説くのだった。
誰にも気を遣わなくていい。
誰にも笑われなくていい。
誰の助けも得られない。
――みんな、他人のことが大好きだから、胸の中の夜の森を忘れているの。
なるほど、ジークフリートは逃避する。
誰もいない場所に、進んで自分から向かっていく。
誰もいない場所に迷った者は、何者でもなくなるのではないだろうか。
誰もいない場所は、どこに行かなくても、もう胸の中にある。
いつでも、そこに逃げ込むことが出来る。
いつでも、自分を辞めることが出来る。
いや、自分を辞めるどころか、もしかしたら、人間ですら……。
……怖い。
血の気を失って呻く寿郎に、恩師は微笑んだ。
――怖さを知らなければ、踊れないことってたくさんあるのよ。
あなたにしか踊れないことだ、と恩師は寿郎に断じた。
弱さ、寂しさ、孤独を知り、苦しむ者にしか踊れないものを私は信じている。
――さあ、踊って。私に見せて。
恩師は、自分が何者であるのかを全く説明しない人だった。どんな人生を歩み、どのようにバレエと関わって生きてきたのか、今に至るも寿郎には謎のままである。
でも、恩師自らも、胸の中の夜の森をかつて覗いたのだと理解した。
その暗闇から無事に戻ってきた人なのだと。
生還者にしか浮かべられない、その強い微笑みに心を打たれ、幼い寿郎は立ち上がった。
輪舞のように組み直した振付は最初の立ち位置に戻る。
舞台の中心に定めた笹竹と赤い灯りを巡って、最初からまた繰り返す。
克明にイメージする劇伴は、『白鳥の湖 』第二幕 の始まり、『情景 《第二幕》』。
壮大な、『白鳥の湖』のサウンドアイコン。
演奏時間の二分と少々を終えて、第二幕 に再突入。
自分の未来に悩み、迷い込んだ森の夜は長い。
演奏時間の二分と少々が過ぎれば、物語に転機が訪れる。だが寿郎は繰り返す。
迷う時は無限のように長いと思う。でも、答えは最初から決まっているのかも知れない。
ジークフリートの迷いの答えなどひとつ……諦めて大人になること。
誰かを好きになりたい気持ちを捨てて、歴史ある国と大勢の民を愛する王様になること。
それは平凡な結末かも知れないが、平穏な未来でもある。
無限のように長い迷いの時も、二分と少々が過ぎ去るように終わりが訪れる。
夜の森に迷っても、結局何も見つからなくて、ただ朝になって森を出ることが出来たなら、ジークフリートは平凡で平穏な未来の結末を受け容れて大人になれたのかも知れない。
――寿郎の肌が急に泡立つ。
王子が夜の闇に慟哭するように、伸ばした右腕がぞわりと震えた。
足首の伸 が、沼に嵌ったように粘りを帯びた。
振付の速度も手順も淀まず――動きに宿る質量が倍増する。
表現されることを求める本質 が寿郎の中に発生し、ぞくりと身動 ぎするかのように。
落ち着けと、踊りをやめずに、わななく胸に言い聞かせる。この心はどっちのものだ、自分か、それともジークフリートか。震えるほどの激情を秘めているのは。
この世界は善意に満たされている。成人の儀式が華やかな『白鳥の湖 』第一幕のように。
そこでは何も不思議なことは起こらない。
恐ろしいことにも出会わない。
心配なんてない。
ただ退屈に生きていくのが当たり前なのだ。
そんな世の中の普通と呼ばれるもの、まるで劇的な物語を嘲笑うようなもの、物語と現実は違うと分別をつけた態度、平穏を選ぶ大人の態度が通用するならしあわせだった。
そのどれもが夜の森にはそぐわない。
夜の森に入るものは、何かを心底焦がれて求めている。
ジークフリートのように。同時に、寿郎自身のように。
自分と彼とは、求め、焦がれ、夜の森に迷い込んだ魂のことだ。
幼い頃から胸の中の夜の森に彷徨うほどにバレエを、舞台を、恩師の開くバレエ教室を愛していた。運命だと思ってさえいたのに、寿郎が十三年間師事した恩師は、今年の夏に何の前触れもなくバレエ教室を閉じて、寿郎の住む岳中 市を出ていった。
そうとも。愛していなければ失うことはない。拘らなければ失うものなどない。
最初から諦めていれば、何も失わない。
未来を諦められない魂の落ちる先はここだ。
寿郎は跳ぶ。
たとえ跳んでも、この夜の森から脱出できないと判っていても跳ぶ。
跳躍する先に待っているものを予感する。
平凡や平穏とは程遠い恐ろしいこと、不安、劇的なるもの。
闇の奥から、劇伴 が夜風に乗って、微かに聞こえてくる。
笹竹に鈴なりの提灯を世界の中心に据えて輪舞する寿郎の姿は、回路を走る電気信号のように、または異界から何者かを呼び出す古 の邪 なる儀式のように。
速度 と手順 は変わらず、踊りの質量だけがどんどんと増大する。
止めどなく続く『白鳥の湖 』第二幕 の始まりのループ。
そして、ついに劇伴『情景 《第二幕》』が、夜気を圧 して爆轟のように響き渡った。
『
成人の日を迎えた王子ジークフリートは、祝いの席で母親に、急な結婚を迫られる。
大人になったのだから、明日の舞踏会で生涯の伴侶を速やかに決めるようにと。
森の
自分が何者であるのかを、自分で決めることを奪われた王子は夜の森を彷徨う。
ジークフリートは意に添わぬ結婚という現実を捨て、夜の森に逃避する。
そうして始まるのが、『
笹竹と提灯を舞台の中心と見立て、輪舞のように振付を再構成。赤い光の全周を巡る。
王子ジークフリートが夜の森を彷徨う。
鳥井寿郎が、克明にイメージする劇伴は『
壮大な、『白鳥の湖』のサウンドアイコン。
演奏時間にして僅か、二分と少々。
振付を支える基礎の要素、その一挙手一投足の精度を研ぎ澄ませて――より美しい
――夜の森。
この不思議な夢は、ジークフリートが迷い込む夜の森のよう。
――人は誰でも胸の中に、夜の森を持っているの。迷った時に入る、心の暗い部分を。
かつて、発表会に向けて『白鳥の湖』を稽古していた時、寿郎は恩師からそう言われた。
恩師と対面で、レッスン場のリノリウムの床に座しての、演技プランのワークショップ。恩師はバレエの物語に関心を持つひとだったので、通常のレッスン以外にワークショップが多く設けられていたが、子ども相手のバレエ教室としては珍しい方針だったと後に知る。
教室には大人の生徒も多かったが、生徒の年齢に関係なく、誰であっても役を与えられたなら必ず、自分の役についての
バレエとは、台詞の代わりに舞踏を駆使する演劇である……とは恩師の口癖で、振付とは単なる踊りの
ダンサーが
――鳥井さんの心にも夜の森。誰だって、そこに迷うのは自然なことなのよ。
だからバレエを辞めるなど考えるなという話に聞こえて、小学校低学年ごろの寿郎でも、釈然としなかったのを覚えている。
女のようなことをしている変な奴だと、同級生に笑われることがとにかく辛かった時期。
迷うのは自然でおかしなことではなく、どんなに迷っても構わないのだと言われても、迷いの原因である他人からの嘲笑が消えることはない。
要は、辛いことも我慢しろ、と言われているだけではないか。幼いなりに反発があった。
その不満を述べると恩師は首を横に振る。
――夜の森には王子様以外、誰もいないのよ。嫌なこと、辛いこと、その相手も、誰も。
ジークフリートを王子様と認め、そう呼ぶ者はいない。
それは、自分が何者であるのかを決めてくれる他者がいない、ということだ。
その恩師の説に、寿郎は気楽なことだと思う反面、不穏なものを覚えた。
女のようなことをしている変な奴だと言われるが、それは自分がなりたい姿ではない。自分がなりたい自分は他にある。認めてもらいたい自分というものがある。他者を必要とする自分がいる。自分の本当の姿は他者に認めてもらうためにある。
でも、夜の森には、誰もいないと恩師は言うのであった。
――自分が何者であるのかを決めるのは、自分ではないのかも知れない。自分以外の誰かが決めつけた自分を全てかなぐり捨てた時、胸の中の夜の森に迷うのよ。
誰もいない場所。
独りぼっちは楽しい、薄暗い笑みを浮かべて恩師は説くのだった。
誰にも気を遣わなくていい。
誰にも笑われなくていい。
誰の助けも得られない。
――みんな、他人のことが大好きだから、胸の中の夜の森を忘れているの。
なるほど、ジークフリートは逃避する。
誰もいない場所に、進んで自分から向かっていく。
誰もいない場所に迷った者は、何者でもなくなるのではないだろうか。
誰もいない場所は、どこに行かなくても、もう胸の中にある。
いつでも、そこに逃げ込むことが出来る。
いつでも、自分を辞めることが出来る。
いや、自分を辞めるどころか、もしかしたら、人間ですら……。
……怖い。
血の気を失って呻く寿郎に、恩師は微笑んだ。
――怖さを知らなければ、踊れないことってたくさんあるのよ。
あなたにしか踊れないことだ、と恩師は寿郎に断じた。
弱さ、寂しさ、孤独を知り、苦しむ者にしか踊れないものを私は信じている。
――さあ、踊って。私に見せて。
恩師は、自分が何者であるのかを全く説明しない人だった。どんな人生を歩み、どのようにバレエと関わって生きてきたのか、今に至るも寿郎には謎のままである。
でも、恩師自らも、胸の中の夜の森をかつて覗いたのだと理解した。
その暗闇から無事に戻ってきた人なのだと。
生還者にしか浮かべられない、その強い微笑みに心を打たれ、幼い寿郎は立ち上がった。
輪舞のように組み直した振付は最初の立ち位置に戻る。
舞台の中心に定めた笹竹と赤い灯りを巡って、最初からまた繰り返す。
克明にイメージする劇伴は、『
壮大な、『白鳥の湖』のサウンドアイコン。
演奏時間の二分と少々を終えて、
自分の未来に悩み、迷い込んだ森の夜は長い。
演奏時間の二分と少々が過ぎれば、物語に転機が訪れる。だが寿郎は繰り返す。
迷う時は無限のように長いと思う。でも、答えは最初から決まっているのかも知れない。
ジークフリートの迷いの答えなどひとつ……諦めて大人になること。
誰かを好きになりたい気持ちを捨てて、歴史ある国と大勢の民を愛する王様になること。
それは平凡な結末かも知れないが、平穏な未来でもある。
無限のように長い迷いの時も、二分と少々が過ぎ去るように終わりが訪れる。
夜の森に迷っても、結局何も見つからなくて、ただ朝になって森を出ることが出来たなら、ジークフリートは平凡で平穏な未来の結末を受け容れて大人になれたのかも知れない。
――寿郎の肌が急に泡立つ。
王子が夜の闇に慟哭するように、伸ばした右腕がぞわりと震えた。
足首の
振付の速度も手順も淀まず――動きに宿る質量が倍増する。
表現されることを求める
落ち着けと、踊りをやめずに、わななく胸に言い聞かせる。この心はどっちのものだ、自分か、それともジークフリートか。震えるほどの激情を秘めているのは。
この世界は善意に満たされている。成人の儀式が華やかな『
そこでは何も不思議なことは起こらない。
恐ろしいことにも出会わない。
心配なんてない。
ただ退屈に生きていくのが当たり前なのだ。
そんな世の中の普通と呼ばれるもの、まるで劇的な物語を嘲笑うようなもの、物語と現実は違うと分別をつけた態度、平穏を選ぶ大人の態度が通用するならしあわせだった。
そのどれもが夜の森にはそぐわない。
夜の森に入るものは、何かを心底焦がれて求めている。
ジークフリートのように。同時に、寿郎自身のように。
自分と彼とは、求め、焦がれ、夜の森に迷い込んだ魂のことだ。
幼い頃から胸の中の夜の森に彷徨うほどにバレエを、舞台を、恩師の開くバレエ教室を愛していた。運命だと思ってさえいたのに、寿郎が十三年間師事した恩師は、今年の夏に何の前触れもなくバレエ教室を閉じて、寿郎の住む
そうとも。愛していなければ失うことはない。拘らなければ失うものなどない。
最初から諦めていれば、何も失わない。
未来を諦められない魂の落ちる先はここだ。
寿郎は跳ぶ。
たとえ跳んでも、この夜の森から脱出できないと判っていても跳ぶ。
跳躍する先に待っているものを予感する。
平凡や平穏とは程遠い恐ろしいこと、不安、劇的なるもの。
闇の奥から、
笹竹に鈴なりの提灯を世界の中心に据えて輪舞する寿郎の姿は、回路を走る電気信号のように、または異界から何者かを呼び出す
止めどなく続く『
そして、ついに劇伴『情景 《第二幕》』が、夜気を