第1章  大正十二年九月一日

文字数 1,835文字

黒澤明の関東大震災
Saven Satow
Mar. 24, 2011

「恐怖すべきは、恐怖にかられた人間の、常軌を逸した行動である」。
黒澤明『蝦蟇の油』

第1章 大正十二年九月一日
 1923年9月1日、その中学二年生は朝から気が重い。楽しい夏休みが終わり、うんざりする二学期の始業式だったからだけではない。お茶の水の順天堂病院付近の京華中学から、上の姉に頼まれた洋書を買いに京橋の丸善まで歩かなければならなかったからである。ところが、来て見れば、まだ開いていない。結局、少年は出直すことにして、今の新宿区東五軒町の自宅への岐路に着く。13歳の黒澤明は、2時間後この店の建物が瓦礫の山と化し、その写真は大震災の惨劇の象徴として世界に衝撃を与えることをまだ知らない。

 黒澤明監督の自伝『蝦蟇の油』は数々の示唆に満ちている。この中に、関東大震災をめぐる記述が見られ、監督は分析を交えつつ、その体験を表現力豊かに描いている。残念ながら、現在この傑作は入手が難しいため、あまり解釈せず、その部分を紹介することにしよう。

 朝から残暑の厳しい日だったが、空の青さは秋を感じさせる。しかし、11時頃、急に突風が吹き、屋根についていた手製の風見鶏が飛ばされる。デビュー作『姿三四郎』以来、決闘の場面で強風を使うクロサワは、「風見鶏を屋根に据えつけ直しながら、変だな、と思って青い空を見上げたのをおぼえている」と回想している。この強風は台風の影響で、それが火災被害を拡大させた一因とされている。その後、少年は朴歯の下駄を履き、近所の友達と家の前の通りで隣家の門につながれた赤い朝鮮牛に小石をぶつける悪戯を始める。こいつときたらなぜか昨夜中うなりっ放しで、うるさくてよく眠れなかったことへの仕返しである。

 「その時、何かゴーッという音が地面の下から聞こえて来た」。しかし、身体を動かしていたため、地面が揺れているのにまだ気がつかない。慌てて友達が立ち上がったので、どうしたのかと見上げたときに何が起きたのかを知る。後の質屋の土蔵が突然崩れ落ちたからである。

 下駄を両手で持ち、友達が掴まっている電信柱まで走り、しがみつく。もっとも、その電柱も激しく揺れ、電線が引きちぎられている。しかし、将来のリアリズムの巨匠は、緊急避難している間、その片鱗を見せている。

 すべての家の屋根瓦は、篩にかけたようにゆすられて踊るように跳ね動き、我さきに屋根から滑り落ちて、屋根の木組みを濛々たる土埃の中にさらけ出した。
 成程、日本の家はうまく出来ている。これなら、屋根が軽くなって、家はつぶれない。
 私は、電柱に掴まって激しく揺られながら、そんな事を考えて感心していたのをおぼえている。

 目前の現象を構造から実証的・論理的に把握する。これは黒澤映画の創作に一貫する姿勢である。監督は、スタッフや役者がなぜこうするのかと尋ねると、合理的な説明で返答したと伝えられている。そうした認識の最高の結実が『天国と地獄』だと言ってよい。

 しかし、黒澤「天皇」は別に冷静だったからではないと自身を分析している。「人間は可笑しなもので、吃驚しすぎると、頭の一部分がその状態から取り残されて、変に落ち着き払って、あらぬ事を考えたりするものだ」。事実、次第に家族のことを思い出し、夢中で自宅に走っている。

 半壊状態の自宅を前に、少年は「みんな死んでしまった」という感覚に襲われる。しかし、「奇妙なことに、悲哀よりも深い諦観に支配されて、その瓦の山を眺めていた」。これからどうしようかと思っていると、一緒に電柱に掴まった友達が家族と再会して通りの真ん中で一塊になっているのが目に入る。とりあえずあの家庭にお世話になろうと決め、歩き出す。やはりどこか冷静である。

 すると、その父親が少年に何かを言いかけて途中でやめ、通りを越えた家の方を見つめている。振り向くと、門から父、母、兄、姉とみんなそろって出てくるのが目に飛びこんでくる。少年は死んだと諦めていた家族の元へと一心不乱に走り出す。

 ここで普通は涙の抱擁となるが、黒澤映画ではそうならない。

 「明、なんだそのザマは!?裸足なんぞになりやがって、だらしが無いぞ!」

 兄にそう怒鳴られ、少年は泣くに泣けない。確かに、父も母も兄も姉も履物を履き、冷静に振る舞っている。「兄に至っては、落ちつき払っているというより、大地震をおもしろがっているようだった」。慌てて下駄を履く13歳の黒澤明である。
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