第2話 「新しい居場所がくれたもの」

文字数 2,230文字

 わたしは駄目な子供だなって思う。今日も自分の部屋に引きこもってゲームばかりしてる。平日だから普通の小学生は学校に行ってるのに。
「美咲、ご飯よ~」
 ママの声を聞いて、ゲームを中断するとリビングに向かった。そこにはいつの間にかパパが帰って来ていた。
「ただいま、美咲」
「うん、おかえり、パパ」
 わたしが椅子に座ると、「いただきます」をしてテーブルに並んだ夕飯を食べ始めた。
 食事中はパパもママも何てことのない話をする。わたしの現状について触れることはしない。だから、安心して普通にしていられた。
 食事もひと段落したところで、パパはふと思い出したように言う。
「そうだ、美咲。同僚が教えてくれたんだけど、三田市に『ナックルキックボクシングジム』っていう場所があるらしいんだ」
 そこでは子供に向けたボクシング教室を開いているらしく、サンドバッグなんかを使った指導が行われていて、毎週日曜日に二時間だけやっているようだ。三田市は同じ兵庫県内だけど別の市なので少し遠い。
「もし興味があるなら、パパが車で連れていくよ。やめたければすぐにやめてもいいし、初めは体験だけってのも出来るみたいだ。どうだい?」
 パパとママは期待の目で見てくる。これが良いきっかけになればと思ってるんだろう。
 今のままじゃ駄目なことは自分でもわかってる。でも、そんないきなりは変われない。一人じゃ怖くて踏み出すことなんて出来ない。
 だけど、そこにはわたしのことを知っている人がいなくて、いつでもやめられて、パパやママが傍にいてくれるっていうなら──。
「……わかった。行ってみても、いいよ」
「そうか! それなら早速連絡してみないとな!」
 パパ達は嬉しそうに相談を始めた。本当に良かったのかなと不安は募るけれど、その様子を見ていると少しは頑張ってみようと思った。


 わたしが不登校になったのは小学校一年生の時だ。今は四年生なので、もう三年が経つ。
 何で行かなくなったのかはよく覚えていない。別に大した理由なんてなかったんだと思う。何となく嫌になった。
 パパ達は行きたくないなら行かなくていいと言ってくれる。でも、本当は行って欲しいに違いない。
 今みたいな暮らしを続けてちゃ駄目なのはわたしでも分かる。だけど、学校に行くのは怖い。皆にどんな目で見られることか。もう三年も行ってないのだから分からないことだらけなのもきっと辛い。
 そんなわたしにとって『ナックルキックボクシングジム』に行く決断は間違いなく転機だった。
「それじゃ今日はここまで!」
 ジムの先生が皆に向かって言う。途端にジム内はワイワイと騒がしくなった。普段なら帰り支度をし始めるが、今日は毎月恒例の親睦会の日だった。月に一度は終了後にそのまま残ってバーべキューをしたりゲームで遊んだりするのだ。
 わたしがこのジムに入ってから二か月が過ぎていた。
 初めは上手く馴染めるか心配だったけど、先生は優しくしてくれたし、他の子供達も素直な子ばかりだからすぐに仲良くなれて、特にゲームの腕に関しては尊敬されて何だかこそばゆかった。
 いつしか毎週のこの時間が楽しみになっている自分がいた。
「楽しんでくれているかな」
 食事が落ち着いて遊びへと転じつつある中で、先生が話しかけてきた。
「はい。とっても楽しいです」
「それは良かった。僕はここが皆の安心できる居場所になって欲しいと思ってるんだ。辛いことや苦しいことがあった時にも癒してくれるように」
 これまで先生は学校生活について聞いてくることは一度もなかった。きっとパパ達からわたしのことを聞いているんだと思う。それなら、この言葉は先生なりの激励なのかもしれない。
「……その時は、お願いします」
「ああ、いつでも待ってるよ。僕だけじゃなくて、他の子供達もね」
 もう以前のわたしとは違う。家の中以外にも、こうして気の許せる居場所がある。
 だったら、怖くても先に進めるかもしれない。


 その日、ランドセルを背負ったわたしは小学校の自分のクラスの前で立ち尽くしていた。
 きっと不審な目で見られる。ひそひそと噂話されるかもしれない。
 扉に手を伸ばしたり引っ込めたりを繰り返していたところ、急に横から元気な声がした。
「あ、美咲ちゃんだ!」
「えっ」
 驚いて声の方を向くと、いつの間にか二つ結びの女の子が立っていた。
 どうやらわたしのことを知っているようだが、その顔に見覚えはなかった。
 言葉に困っていたところ、彼女は不思議そうに首を傾げる。
「もしかして私のこと、覚えてない?」
 そう言われたわたしは必死に記憶を辿り、ようやく目の前の少女と重なる姿を思い出す。
「え、と……結花ちゃん?」
 それは一年生の時に同じクラスで話をした相手の名前だった。
 彼女はパーッと花のような笑顔を形作る。
「正解っ! 覚えててくれてありがとっ! 美咲ちゃんの席はこっちだよ!」
 結花ちゃんはわたしの手を引いて教室に入っていく。やっぱりクラスメイトは不審な目で見てきたけれど、握った手の温かさのお陰で怯えることはなかった。
 安心できるのは家の中だけだったのに。ジムに行くようになって、こうして学校にも来れて、そこで優しくしてくれる人達のお陰で、自分がいていいと思える居場所が増えていく。広がっていく。
 だから、もう大丈夫。立ち止まらずに、足を動かして、きっと前に進んでいける。
 今のわたしの眼には、自分の部屋とゲーム画面だけじゃない、広大な世界が開かれていた。
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