ハルトの足跡
文字数 1,729文字
友達のハルトが花火見物に誘ってくれた。隣町の川べりで催される夏のお祭り。毎年たくさんの人で賑わう。
ハルトからのそんなアクティブなお誘いは珍しかったので、私は楽しみにしながらどこか少し不思議に思っていた。
約束の日、私を助手席に乗せたハルトの車は花火大会とは見当違いの方向へ向かった。
あれ?
私は心の中でそう思いながら、でもなにか種明かしがあるのかもしれない、と少しワクワクした。国道から脇道に入り堤防に突き当たる。車を停めて堤防の階段を上ると小さな広場に出た。
「ほら」
ハルトが促す方を見ると、一級河川をまたいだ向こうの空に小さな花火が見えた。
「花火見物って、これ?」
「うん」
「ちっさ!!」
「ちっさって、あれも立派な花火やろ? 人混みもないしこんなにのんびり見られて最高の穴場や」
「そうかも知れんけど……」
確かに誰もいない。小ぢんまりと開けた静かな場所で、人混みに押されることもなくゆっくり花火を見ることができる。
でもさ。
不服という訳ではないけど、ここはハルトの言う最高の穴場なのだろうか?!
「花火って、地響きを感じながら見るのがいいんじゃないの?」
ここにドヤ顔で連れて来てくれたハルトのことが可笑しくなってきて、笑いながら私は言った。
音もせず、遠くで花火は上がる。
「は?! いやいや。めっちゃいい場所やん!!」
ハルトにとってはあくまでも最高の穴場らしい。
取りあえず、浴衣を着て来なくてよかった。ハルトが花火に誘ってくれた時、なんとなく浴衣は違う気がすると思ったのだ。浴衣を着て行くのは、なんだか張り切り過ぎになるような。そして、その予感は当たったという訳だ。
小さな花火見物。
夏の夜風に吹かれながら、遠くの花火をハルトと一緒に見た。
ハルトと私のベースにあるのは友情。お互いに恋人と呼べる人がいる時も、ハルトと私は友達だから会う。それが一般的なのかわからないけど、会うことが自然で会わない方が不自然に思った。
弾みでラブホテルに行ったこともあるけど結局なにもない。ホテルに向かう時は今日こそなにかあるかも、という勢いだけど(少なくとも私はそう思っているし、ハルトもそそくさと浮き足立っているように見える)結局なにもないということがこれまで何度かあった。
学生の頃、ハルトが一人暮らしをしている部屋に遊びに行って泊まったこともあるが、その時もなにもなかった。
その夜、
「しよっか」
と私の背中越しにハルトが言った。
しよっか、じゃなくてどうせなら強引にこの関係を乗り越えてよ! という都合のいい受け身な考えと、ハルトとの関係が友情からなにかに変わるならもっとちゃんとした言葉がほしい、という自分でもよくわからない感情で、私は
「するなら一人でしてよ」
とハルトの言葉をはぐらかした。
ひどい言い草だと今になって思う。一人暮らしの男の部屋に泊まりに来てこんなこと言う、私はややこしくていやな女だ。
ハルトが社会人になった頃、いつものように定期的に会えない時期があった。
短大を卒業して一足先に社会人になっていた私は、ハルトがまだ学生の間はハルトのことを気軽に誘えたし甘えることができた。
でもハルトが就職して数年はそれまでのように会えなくなった。仕事や社会人になりたての刺激的な日々に、私の相手などする暇はないようだった。
ハルトが相手をしてくれなくなると、私はバランスを崩しておかしなことになった。ハルトが埋めてくれていた穴を他のことで埋めようとした。ひどい男と付き合ったり、ヘビースモーカーになったり。でもそれがハルトに会えないからだという自覚はなかった。
ハルトは私にとってこんなに大切な存在なのに、私はそれに気付かない。
だってハルトはいつも、あの小さな花火見物のように、そっと、そっと私の心に足跡をつけるから。
鮮烈で衝撃的な足跡なら、すぐに気付いて恋になる。そんな恋のほとんどが錯覚だとしても。
でも、ハルトのつける足跡はいつもひかえめなのだ。
小さな花火見物からさらに10年以上の時を経て、私はやっとハルトへの気持ちに気付くことになる。
そこに至るまで、私の心にはハルトがそっとつけた足跡がいくつもいくつも積み重なった。
ハルトからのそんなアクティブなお誘いは珍しかったので、私は楽しみにしながらどこか少し不思議に思っていた。
約束の日、私を助手席に乗せたハルトの車は花火大会とは見当違いの方向へ向かった。
あれ?
私は心の中でそう思いながら、でもなにか種明かしがあるのかもしれない、と少しワクワクした。国道から脇道に入り堤防に突き当たる。車を停めて堤防の階段を上ると小さな広場に出た。
「ほら」
ハルトが促す方を見ると、一級河川をまたいだ向こうの空に小さな花火が見えた。
「花火見物って、これ?」
「うん」
「ちっさ!!」
「ちっさって、あれも立派な花火やろ? 人混みもないしこんなにのんびり見られて最高の穴場や」
「そうかも知れんけど……」
確かに誰もいない。小ぢんまりと開けた静かな場所で、人混みに押されることもなくゆっくり花火を見ることができる。
でもさ。
不服という訳ではないけど、ここはハルトの言う最高の穴場なのだろうか?!
「花火って、地響きを感じながら見るのがいいんじゃないの?」
ここにドヤ顔で連れて来てくれたハルトのことが可笑しくなってきて、笑いながら私は言った。
音もせず、遠くで花火は上がる。
「は?! いやいや。めっちゃいい場所やん!!」
ハルトにとってはあくまでも最高の穴場らしい。
取りあえず、浴衣を着て来なくてよかった。ハルトが花火に誘ってくれた時、なんとなく浴衣は違う気がすると思ったのだ。浴衣を着て行くのは、なんだか張り切り過ぎになるような。そして、その予感は当たったという訳だ。
小さな花火見物。
夏の夜風に吹かれながら、遠くの花火をハルトと一緒に見た。
ハルトと私のベースにあるのは友情。お互いに恋人と呼べる人がいる時も、ハルトと私は友達だから会う。それが一般的なのかわからないけど、会うことが自然で会わない方が不自然に思った。
弾みでラブホテルに行ったこともあるけど結局なにもない。ホテルに向かう時は今日こそなにかあるかも、という勢いだけど(少なくとも私はそう思っているし、ハルトもそそくさと浮き足立っているように見える)結局なにもないということがこれまで何度かあった。
学生の頃、ハルトが一人暮らしをしている部屋に遊びに行って泊まったこともあるが、その時もなにもなかった。
その夜、
「しよっか」
と私の背中越しにハルトが言った。
しよっか、じゃなくてどうせなら強引にこの関係を乗り越えてよ! という都合のいい受け身な考えと、ハルトとの関係が友情からなにかに変わるならもっとちゃんとした言葉がほしい、という自分でもよくわからない感情で、私は
「するなら一人でしてよ」
とハルトの言葉をはぐらかした。
ひどい言い草だと今になって思う。一人暮らしの男の部屋に泊まりに来てこんなこと言う、私はややこしくていやな女だ。
ハルトが社会人になった頃、いつものように定期的に会えない時期があった。
短大を卒業して一足先に社会人になっていた私は、ハルトがまだ学生の間はハルトのことを気軽に誘えたし甘えることができた。
でもハルトが就職して数年はそれまでのように会えなくなった。仕事や社会人になりたての刺激的な日々に、私の相手などする暇はないようだった。
ハルトが相手をしてくれなくなると、私はバランスを崩しておかしなことになった。ハルトが埋めてくれていた穴を他のことで埋めようとした。ひどい男と付き合ったり、ヘビースモーカーになったり。でもそれがハルトに会えないからだという自覚はなかった。
ハルトは私にとってこんなに大切な存在なのに、私はそれに気付かない。
だってハルトはいつも、あの小さな花火見物のように、そっと、そっと私の心に足跡をつけるから。
鮮烈で衝撃的な足跡なら、すぐに気付いて恋になる。そんな恋のほとんどが錯覚だとしても。
でも、ハルトのつける足跡はいつもひかえめなのだ。
小さな花火見物からさらに10年以上の時を経て、私はやっとハルトへの気持ちに気付くことになる。
そこに至るまで、私の心にはハルトがそっとつけた足跡がいくつもいくつも積み重なった。