二十二、
文字数 2,609文字
朝の校門を潜った一葉は、吹奏楽部の
正直、昨日の気拙さはまだ残ってはいた。
けれど、昨夜と今朝に正道からショートメッセージを貰ったことで、だいぶ和らいでいる。
部活棟の写真部の部室に入ると、正道は窓際で外を見ていた。
引き戸の開く音で一葉に気付いた正道は、顔をこちらに向けてくる。
その
それで一葉は、ほぅと息を吐いて、その後に笑い返すことができた。
窓際の彼の側まで歩いて行く。
正道は、一葉が近くまで寄ってきて歩みを止めたところで口を開いた。
「──…昨日は、ごめん……」
あらためてそう言った彼の声音が落ち着いたものだったことに、一葉は嬉しくなる。
「何で謝るん? ぜんぜん気にしてへんもの!」
本当は気にしてたけれど、もう気にならなくなっていた。
そんな一葉に見上げられて、正道はいつもするように頬を掻くようにする。
それから銀色のカメラの筐体を差し出しながら言った。
「……千歌は、いまここにいるのかな?」
一葉はカメラを受取ると、頷いて応えた。
千歌の姿を確認してはいなかったが、それを確信している一葉は、受け取ったカメラの
千歌は、制服姿で数メートル先の窓際から、こちら──一葉と正道の方…──を向いていた。
窓から入ってくる陽光に、艶やかな髪がきらきらと輝いている。
正道を見るはにかむような
その一瞬、カメラの液晶越しに目が合ったように感じた。
──液晶の中の千歌が「やったね!」とか「がんばって!」というふうにして、こぶしを胸の前でぐっと握るようにした。
一葉は一つ頷いて、正道の隣に一歩近付き、レンズを千歌に向けながら背面モニターを彼に見えるようにした。
正道は遠慮気味に頭を寄せてきた。
正道が小さく息を呑んだのが、一葉にも判る。
液晶画面の中の千歌は、彼の記憶の中のものよりもずっと垢抜けていた。
でも、その微笑みは、確かに
「うん……、千歌だ」
溜息を吐くように正道は言って、頷いた。
その様子をすぐ横で見て、途端に一葉は、自分の胸の中に小さく波が立つのを感じる。
正道がカメラに手を伸ばしてきた。
一葉はカメラを受け渡すように自分の手を放した。
そうすると、カメラの液晶画面の中から千歌の姿は消えてしまった……。
千歌の姿が掻き消えてしまう瞬間は、そうなることが判っていた一葉でさえ切なかった。
一葉はカメラを再び手に取った。
液晶の中に彼女の姿が戻ると、正道は何かを理解するふうに一葉の横顔を覗き込んだ。
一葉はそんな正道に視線を返しつつ、ゆっくりと頷いた。
「そうか…──新澤だけが千歌のこと、撮れるんだったな……」
一葉は、そのとき思い付いたことがあって。千歌に目線を遣った。
千歌がその一葉の目線に気付いて、液晶画面の中でそっと頷いた。
「せんぱい……」
一葉は、制服のスカートのポケットからケースに収めたSDカードを取り出して見せた。
「──…これ……」
受け取りつつ怪訝な
「千歌のメッセージ……。
ほんとは、今日の夕方に
せんぱいの家の近くの公園で見てもらうはずやったもんです。
……そやけど、いま見たってください。その方がええ思う」
一葉の目と目が絡むと、正道はそれを逸らすように液晶画面の千歌の方に目線を遣る。
画面の千歌も、緊張気味な
「──うち、外で待ってます」
その声に、正道はカメラ画面からゆっくりと一葉に目線を戻した。
「そう…──だな」 頷いてから、少しだけ間があった。「ありがとう」
一葉は頷き返すと、部室を後にした──。
◆ ◆ ◇
部室を出た一葉は廊下側の窓辺に立ち、そこから中庭へと通じる花壇を何とはなしに見ていた。
千歌との、この一ヶ月余りの共同作業を思い起こす──。
嵯峨嵐山の撮影会で写り込んだ女の子に気付いたあの日。
あたしの部屋に現れて、何かを伝えようと懸命な身振り手振りをする幽霊のコ。
それから話しのし方を工夫して、いろいろなことがわかってきて……。
──…〝あたしが好きなせんぱい〟のことを好きな女の子は、せんぱいに伝えたいことがあって、三年間、ひとりぼっちになってもがんばってきたことを知った。
幽霊の千歌にはあたしのことは隠し立てができなくて、あたしのせんぱいへの気持ちも筒抜けで、そのことでケンカをして……。
それから仲直りをして伏見のお稲荷さんから始まったフォトメッセージ作り。
あたしと同い年の中学生の姿になった千歌をあたしが撮って、ほんとに京都のいろいろな場所に行った──。
上賀茂神社の制服姿。
糺の森の涼し気な夕べ。
北山通りを歩く千歌はちょっと大人びていて……。
…──最後のメッセージを撮った二人の思い出の場所は、彼女の家の近くの小さな児童公園。
三年分の想いを告げるメッセージは、千歌とせんぱいにとってとてもプライベートな内容で、あたしが聞いてもよかったのかしら……。
一葉は、千歌と二人で作ったメッセージを正道の手に渡すことができ、ほっと胸を撫でろしている。
同時に、それが〝千歌との
最後に、千歌は正道との写真を残したいと願っていた……。
──それを撮ることができるのは、自分だけだ。
そんなふうに思っていると、部室の入口の扉が開いた。
振り向いた一葉に、扉から出てきた正道が言う。
「──新澤……、今日これから、付き合ってくれないか?」
ちょっとだけ緊張したその声に、一葉も深呼吸をして頷いて応えた。