第1話

文字数 1,565文字

 今は昔、4~5年前の初夏のある晩、私は新橋にあるバーのカウンターにいた。
 その時、バーの(とびら)が開いた。外からの喧騒が伝わってきた。(とびら)は閉まり、再び冷たい静寂が戻った。
 夏服のダークスーツを着こなした若い男性がひとり、カウンターに座った。
 「いらっしゃいませ。」
 バーテンダーとその男性は眼と眼が合った。
 「BOWMORE(ボウモア) の18年をストレートのダブルで。」
 「はい、かしこまりました。」
 バーテンダーはウイスキーの瓶棚の奥の方からボトルを取り出し、ラベルをチラッと男性に向けた。男性はそれを無言で見届けた。
 男性は、ウイスキーグラス、ジガーカップに BOWMORE(ボウモア) のボトルと、バーテンダーの一連の手の動きを見ていた。
 「はい、どうぞ…。」
 バーテンダーはウイスキーグラスを男性の前にコトッと置いた。

 この間、数分の出来事だった。
 (格好いい~~!)映画の1シーンのようだった。男性は 007のジェームス・ボンドを若くしたように見えた。(ところで、ボウモアって何だ?)
 私はバーなる所が苦手である。各種のカクテルをはじめ、飲み物は総じて上品で優雅で気品があって、メニューも豊富で奥が深い。しかし、一杯の量が少ない。私はすぐに飲み干してしまい間が持たないのだ。黙って、じ~っとしていられない。
 私は手元のグラスを見た。
 グラスは「Bloody Mary(ブラッディマリー) のタバスコ大盛り」だった(写真1↓)。

 私にはバーで、何回飲んでも「これは美味しい」と自信を持って言える飲み物は2つしかなかった。それは vodka tonic(ウオッカトニック)Bloody Mary(ブラッディマリー) だった。どちらもウオッカベースでサッパリとしていて爽快で飲みやすい。ガブガブ、ゴクゴクとまではいかないが、ゴックンという大胆さで飲める。Bloody Mary(ブラッディマリー) のタバスコの辛さは大好きで、唇がヒリヒリするくらいの辛さが丁度良い。
 田舎もんかどうか知らないが、私はバーでも飾らない自分のありのままの姿でいいと思っている。但し、余りにも場違いで周囲の雰囲気を壊してまではマナー違反である。んだの。
 そこにはいつの間にか「んだんだオジさん」になってしまった自分がいた。

 「ご馳走様。会計をお願いします。」
 ごく普通~に会計を済ませて、席を立った。
 重いバーの(とびら)を開けた。ムウッ! ザァァ~~~ 外は夕立なのか、土砂降りの雨だった。体は瞬時に暑い湿り気に包まれた。
 思わず(とびら)を閉めた。振り返ると、バーテンダーと視線が合った。
 「あの~、外は土砂降りでぇ…。少し雨宿りさせてもらえますか?」
 「えっ?! あっ! どうぞ。」
 「お言葉に甘えて、どうも有り難う。」
 私は、もと居たカウンターの席に座った。
 (何か注文した方がいいかなぁ…?)思案すること数秒。メニューに手持ちがなかった。
 「あの~、何か、お勧めの甘いカクテルありますか?」
 咄嗟(とっさ)に出た言葉は頓珍漢(とんちんかん)な内容だった。
 「はい、できますよ。」
 「では、それを一杯お願いします。」
 気が付くと目の前に見るからに甘そうなカクテルがあった(写真2↓)。

 (先ほど飲んだ Bloody Mary(ブラッディマリー) とは偉い違いだな…。)
 ( Bloody Mary(ブラッディマリー) を飲み干す。バーの(とびら)を開ける。外の土砂降りに一瞬たじろぐ。バーの(とびら)を閉める。軒下で半分濡れながら、煙草を取り出し火を点ける。パフ~と一息、煙をくゆらす。空を見上げる。そこに見知らぬ女性が寄り添ってきて傘を差しかける。…。)私はぼんやりと妄想に(ふけ)っていた。
 かたやバーを後にして雨宿りでまた戻ってきた男。Bloody Mary(ブラッディマリー) の後にお勧めの甘いカクテル。この現実。

 ビシッ!とダークスーツに身を固めた若者は表情一つ変えずにいた。彼のウイスキーグラスはほんの少しだけ減っていた。

 んだの。
(2024年5月)
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