Chapter6

文字数 2,605文字

1986年。
僕の書いた『Backstreet Cafe』は去年の11月から休演し、再び今日からドットマン・シアターでリニューアルされる。
そんなことがあり、結局ニューイヤーホリデーにはハートフォードには帰らなかった。
その代わり。

「ロン! アンジェ! トム!!」

派手なドレスをまとった母さんが、僕らを見つけて駆け寄ってきた。

「アリスさん! 久しぶり!!」

アンジェと母さんが抱きあって喜ぶ。
その横には居心地の悪そうなアルもいる。
彼も今夜は珍しくフォーマルスーツなんか着ていた。
僕はあまりにも似合わないその姿に、ちょっと笑ってしまった。

「な、なんだよ、ロン! オレだってこんな格好したくなかったんだ。
 そもそもコレをレンタルしたとき、町の連中になんて言われたと思う!?」

「なんて言われたんだ?」

意地悪して聞いてみる。

「今度は結婚詐欺師でもやるのかって、噂になっちまったんだぜ!?」

ああ、ありえる話だな。僕はついに腹を抱えて笑いだしてしまった。
大爆笑の僕に、照れているのか怒っているのかわからないアル。
再会して話がつきないアンジェと母さん。
トムは溜息をついたあと、いつもつけているものより高級な腕時計を指して僕らを
促した。

「おーい、そろそろ開演だぞー」


開演のベルが鳴る。
会場内では禁止事項のアナウンスが響く。

暗くなる前に僕はもう一度、パンフレットを確認した。

『Book by Ron Wilson』

新しく作られたパンフレットには、しっかりその名が刻まれていた。


一般席で観た舞台を今度は関係者席で観ている。
なんだかくすぐったいような、不思議な気分だ。
周りのお客も僕らを遠くからちらちらと見ている。
本当にこの関係者席に自分が座っていていいのだろうか?
なんて、今更不安になったり。

芝居がだんだんと終演に近づいてくるにつれ、緊張で汗が滝のように流れ出した。
この後、僕は正式な脚本家としてスピーチしなくてはならない。
スピーチ内容をもう一度思い出し、口の中で復唱する。
タイが僕の首を絞める。
ラストシーンを完全に最後まで観ずに席を立つと、背後からは大きな拍手が聞こえた。


前と同じ通り、主要キャスト、マクレーン氏、ドットマンさんが舞台の上でスピーチをする。
僕は今回なぜか最後に回された。

司会者に名前を呼ばれると、おぼつかない足取りで舞台中心へ出て行く。
ライトの熱が体に集まって痛いくらいだ。
それでも何とか司会者の横にたどり着くと、客席は再び沸いた。
500人近く入る劇場のお客が全員僕を見て拍手を送ってくれている。
その風景が信じられなかった。
女性のドレスは花、男性のフォーマルスーツはその花に寄り添う影のようだった。

拍手がやむと、唾を飲み込み、汗でびっしょりの手でマイクを握る。

「僕は、最初スチュワートさんのゴーストライターとしてこの作品を提供しました。
 ゴーストライターについては皆さんご意見をお持ちだと思いますが……
 でも、僕がそうしたのは彼を敬愛していたからです。
 僕は彼のミュージカルを観て、世界が変わりました」

そこまで一息でいうと、会場はしん、となった。構わず僕は続けた。

「今日の舞台は役者の皆さんやマクレーンさん、ドットマンさんももちろんですが、
 そのほかにも多くの方々が関わっています。
 自分の作品はそんな皆さんがいたからこそできたものです。
 また、きっかけを作ってくれたスチュワートさんには大きな感謝をしています。
 今日は来てないですけど……僕は彼を師匠だと思っています」

スピーチが終わると、再び盛大な拍手と指笛が会場に響いた。


「よぉ、ロン!」

休演日になると、ルークスはうちの店にコーヒーを飲みにくる。
僕はまだここでのアルバイトを続けているのだ。
「脚本家」という肩書きは手に入れたが、まだ駆け出しの素人であることには変わらない。
そのためにはもっと人間観察して、勉強しなくては。
それに僕にとってこの店はかけがえのない大切な場所なのだ。
ここで働けなくなったら、それこそショックで脚本が書けなくなるかもしれない。
二束の草鞋は確かに大変だけど、それでもやっていけるのにはちょっと理由がある。

「ハイ、ルークス」

アンジェはルークスに挨拶すると、僕の頬にキスした。

「ロンもルークスと話すのはいいけど、働いて?」

「あっついねぇ」

ルークスは口笛を吹いて、耳まで赤くなっている僕を冷やかした。
アンジェは何事もなかったように、そのままテーブルを拭き始める。

「年上は大変だぞ? いいのか?」

ルークスにコーヒーを運ぶと、にやにやしながら囁いた。

「いいんだそうだ。こいつすでに尻にしかれてるぞ」

トムがカウンターから顔を出して、余計なことを吹き込む。相変わらずこのオヤジは。

「もう、パパは黙っててよ!」

最近のアンジェは、少しトムに対して反抗的だ。トムはそれが逆に嬉しそうだった。
やっと親離れしたとでも思っているのだろうか。


「ところで見たか、これ」

ルークスは突然きちんと座りなおし、今週のバラエティ誌を取り出した。
向かいのイスに腰かけ、誌面に視線を注ぐ。

「……『グラスハープ』、ブロードウェイ進出決定!?」

「今リーチ無料劇場でやってる『Chase Rainbows』の方も大成功らしいぞ」

最近忙しいとかでなかなか店に顔を出さないと思ったら、こういうことだったのか!

「負けてらんねぇな、ロン!」

トムが大声を張り上げて笑う。

「ロンの方が若いんだから、すぐスチュワートさんなんて抜かしちゃうわよ」

アンジェも笑う。

「オレは役者だけど、負けないぞ!今度はバラエティ誌の一面を飾ってやる」

ルークスが立ち上がって拳を握る。

3人の姿を見た僕は、ふと思った。

夢を追いかけているとき、僕は生きていることを痛感する。
僕は生きている限り夢を追いかけるのだろう。例え年を取って体が動かなくなっても。
夢さえあれば、生きていける。そんな気がする。

触れられない虹にいつか手が届くことを願いながら、僕は今日も『Maroon cafe』で働く。
そこからまた、何かが始まるかもしれないから。


「ロン、今日はもう上がっていいぞ。アンジェも」

トムが僕ら二人に声をかけた。
ルークスはトムと話があるらしく、まだ店にいるらしい。

「……アンジェ、食事にいかない?」

「ええ、もちろん」

僕たちは店を出てしばらく歩くと、こっそり手をつないだ。
                              【fin】
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