第2話 二人の休日
文字数 5,100文字
ジリリリリリリリリ…リンッ
ジリリリリリリリリ…リンッ
ジリリリリリリリリ…
「分かった!分かった起きます!」
布団の中から腕だけ伸ばし、ヘッドボードの時計のベルを、ペシッと叩いて止める。
「ふぁ…」
うつ伏せのまま、欠伸をしながら時計を両手に取り時刻を見る。…午前八時十分。
「…よし、今日も起きれた」
そのまま布団からもそりと起き上がり、時計を置いてベッドを出る。そのまま寝室からリビングを通り、廊下に出てトイレ…それから洗面所へと向かう。
「うわっ…寝癖ばさばさ…」思わず苦笑がこぼれる。
手を洗い顔を洗い、ついでに適当に跳ねている髪を、濡れた手で弄って落ち着かせる。
…よし、こんなもんかな。
寝室に戻り、ハーフパンツを七分丈のグレーのパンツに変え、半袖シャツの上から同じく濃いめのグレーのVネックティーシャツを着る。ハンガーに掛けてある黒のベストを羽織り財布を持って…
「…よし。準備完了」
リビングのテーブル上にある、外して置きっぱなしだった腕時計を、左手首に着ける。ついでに時刻確認すると、時刻は八時二十分だった。
「そろそろ出るか」
廊下を通る際、ちらっと洗面所の鏡で変なところが無いか一応軽く確認する。…ん、髪も跳ねてないし、特に異常無し。
玄関のドアを開けると、すでに準備万端整えたミアが、自分の部屋のドアに寄り掛かっていた。ミアは僕に気付くと、ドアから背を離し、こちらへたたっと寄ってくる。カチューシャから生えた耳が、ぴょこぴょこと揺れる。
「ごめん、待たせた?」
「ううん」ミアが首を左右に振る。
「楽しみで、目覚まし鳴る前、起きちゃった」
「そっか。…結構しょっちゅう、行ってるような気がするんだけどな…」
…イチゴブドウパンはミアにとって、やっぱり少し特別らしい。
そう思っていたら、ミアにジト目で見られた。
「特別はパンだけじゃない…」
「え?」
「でも…教えてあげない」
「ええっ?」
パンだけじゃないって…
「行こ」ミアに手を取られる。
「あっ待って…」
僕は昨夜のように、また引っ張られるようにして、自分の部屋を後にした。
「あら、今日も仲が良いのね」
階段を降りると、管理人室から管理人のハンナさんが声を掛けてきた。
「おはようございます」
「おはようございます」
「はい、おはよう。今日もフェスティヴァルさんに行くの?」
『フェスティヴァル』とは、ミアお気に入りの例のパンを売っている店の名前だ。正式名称はブーランジュリー・フェスティヴァル。
「はい」
「イチゴブドウパン、買いに行く」
「ミアちゃんはホントそのパン好きねぇ。…あ、そうそう、そっちに行くなら、帰りはこれに寄ってみるのはどうかしら?」
言いながら、ハンナさんが開いた窓から、一枚の紙を渡してくる。…チラシ?
紙には上の方に、『掘り出しもの市』とでかでかと書かれていた。
「今日から三日間開催されるらしくて、さっき配られて来たの。ミアちゃん、こういうの興味無い?」
「ある」
ミアが珍しく即答する。…そうだったのか。
長いこと一緒にいるはずなのに、思わぬところで新情報が出てきた。覚えておこう。
「じゃあ、帰りはこれに寄ろうか。…それじゃハンナさん、行ってきます」
「いってきます」
「気を付けてねー」
ハンナさんと別れて、マンションを出て右へ進む。ブーランジュリー・フェスティヴァルは、この通りの端から二軒手前にある。真っ直ぐ歩くだけなので、迷う事もない。ミアと適当に話しをしながら歩く。
五分ほどで、目的のお店に辿り着く。腕時計を見ると、時刻は八時半ちょうど。落ち着いた薔薇色のエプロンを着けた女性が、お店から出て来て、扉に掛かっている木札をひっくり返す。
「いらっしゃいませ。もう入って大丈夫ですよ」
「ありがとうございます」
一言お礼を言い、店員さんの後を追って店内に入る。
「ふあ…いい香り…」
ミアの言う通り、お店に入った途端、焼き立てパンのほんのり甘い小麦の香りや、揚げたてのカレーボールのスパイスの香り、季節のパイの瑞々しいフルーツの香りなどが、僕らを出迎えてくれる。
空っぽの胃が、ぎゅるるるる…とおおいに刺激され、空腹を訴える。
ミアは入り口脇のトングとトレーを取ると、早速お目当てのイチゴブドウパンをトレーに載せた。後ろを向いているので表情は見えないが、ご機嫌な気配が背中から伝わってくる。背後に♪マークでも飛んでそうだな…と想像して、僕は思わず笑みをこぼす。
ちなみに、イチゴブドウパンは実は客の間での愛称で、正しい商品名が別にあったりする。
…さて、自分も朝ごはんを選ぶかな。
トングとトレーを持って、店内を見回す。左側の棚には入り口から奥へ、オリジナルパン、パイ、ラスク、ジャムの瓶。右側の棚は手前から、季節もののパン、シナモンロールなど甘い系の定番パン、ホットドッグなどの惣菜パン、食パン、ロールパン、フランスパン。カウンター下のショーケースには、具材がたっぷり挟まれたボリューミーなサンドイッチまである。…お。
「あったあった…これ、一つ取って置いて貰っていいですか」
「はい。では、会計時にお渡ししますね」
「ありがとうございます」
カウンターの店員にステーキサンドを取って置いて貰い、改めて店内を回る。
「…たまには甘いのもいいよなぁ…」
オリジナルパンのコーナーで足を止め、並べられた変わり種なパンたちを見る。
手のひら大の、小さなカメ型の種類豊富なメロンパン、『フリュ イトルチュ』。
円錐形のパンに、太いチョコが螺旋状に巻かれている、筍を模した『プッス ドゥ ボンブー』。
メープルクリーム入りの、子供の手と同じくらいの大きさの平たい楓型クリームパン、『プティ エラーブル』。
「カメかわいいなあ…」
コーナーのトレイの上には、黄緑、桃色、オレンジ、黄色、紫、薄茶、焦げ茶、クリームの七色のカラフルなカメたちが所狭しと並んでいる。その中から、焦げ茶…『ムロン』と名付けられた黄緑色のカメを、トングでトレイに乗せる。理由は、一番カメっぽい色だから。
もう一つ、『ウフ』と付けられた小さな卵型の揚げパンを載せ、レジへ向かう。
たった今会計を済ませたミアが、くるりとこちらを振り返る。
「外で待ってる」
「うん」
店員からサンドイッチを受け取って、会計を済ます。
「ありがとうございました〜」
「美味しい?ミア」
右隣でひと粒分千切ったイチゴブドウパンを食べながら、ミアがこくんと頷く。
「じゃ、僕も…あぐっ」
食べ易いよう紙で巻かれたステーキサンドに、豪快にかぶり付く。肉の甘辛いタレに、シャキッシャキのレタス、特製のソースが絶妙にマッチして、思わず『これこれ!』と嬉しくなる。
二人でパンを食べながら通りの端まで歩き、横断歩道を渡って、向かいの通りへ移動する。そのまま食べながら、こちらのブロックの向こうにある広場へと向かう。
「掘り出しもの、見つかるといいね」
ミアに聞くと、新しく千切ったふた粒目を齧ろうとしていたミアが、こちらを見て『うん』と小さく微笑んだ。
「いらっしゃい、いらっしゃい!普段使いのお皿から花の形のお皿まで色々あるよ〜!」
「豆皿ー豆皿に興味ありませんか?」
「はい、お買い上げありがとうございます」
「おっ、お兄ちゃんお目が高いっ!」
マンションの向かい辺りまで歩き角を右に曲がると、途端賑やかな声が聞こえてくる。心なし、ミアも少しうずうずし始める。
「パン、持ってようか?」
「!いいの?」
ミアから紙袋を受け取り、駆けていくミアを保護者気分で見送る。うさ耳がぴょんぴょこ跳ねていて、とても愛らしい。
「さて、僕も少し見て回ろうかな」
紙袋を二つ抱えたまま、僕はゆっくり歩き出す。
…お皿、カップ、カトラリー、瓶、置き物、異国の刺繍布、なんだかよくわからないもの…。
広場中に、種々様々な商品のお店が並ぶ。売っている人間も、肌の色や髪の色、年齢性別などがみんなバラバラだ。
「はー…凄いなぁ…」
朝市とはまた違った賑わいに、思わず圧倒される。
…この中から、これは!というものを見つけるのか。
「大変だ…」
けど、きっとそれが面白いのだろう。
「…僕も何か見つけられるかな」
適当にぶらぶらと、なんとなく気を引かれるものを見て回る。これだけの数だ。見て回るだけでも、結構面白い。…ん?
白地の細長いボディに、ドーム型の青い屋根。灯台風らしい、小さな焼き物に目が止まる。隣には、屋根の色が赤の、色違いもある。
…これ、なんだろ。…置き物?
「ああ、それスパイスストッカーだよ。青いのと赤いのセットで、塩や胡椒なんかを入れて使うんだ」
「へえー…」
「気に入った?」
ふと顔を上げると、焼けた肌に濃いめのアッシュグレーの髪が印象的な、ボーイッシュな女の子が目に入る。彼女は首から羽根飾りを下げ、手首には濃い色の小さな木の玉を繋げた、細い腕輪の様なものを何本も着けていた。ひと目で異国の人間だと分かる。
しかし、レモンイエローのキャミソールに、デニムのショートパンツというかなり布面積少なめな格好であぐらをかいているので、少し目のやり場に困る。視線を上へ動かすと、大きな黄緑色の瞳と目が合った。…この色も、自分の眼の色と似てるけど、初めて見る色だ。
「へっへー、珍しいでしょ?母国でも珍しい、自慢の色なんだー」
「そうなんだ」
「で、キミ、それ買うの?買わないなら、別の人に売っちゃうよ?」
「えっ…どうしようかな…」
一人暮らしだけど、ミアが作ってくれるのもあって、料理なんて焼くだけ煮るだけぐらいしかしないし、第一、似た機能のものは既に家にある。
あるんだけど…
「今なら…このくらいのお値段に!」
「うぐぉっ」
突き付けられたメモの数字に、買う・買わないの天秤がぐらりと大きく揺れる。
うぅうううぅぅぅうんん………
「…買った!!」
「売ったあ!!へへーっ、毎度ありっ!…あっ、ちなみにここ、ここ、ここ、それとここから中身が見えるから、色々入れて遊んでみてね!」
「おお…」
白くて分かり難いが、下の入り口っぽい台形のところと、その直線上に小さな四角い窓が三つ、付いていたらしい。なかなか凝ってて面白い。
異国の少女は売れたことが嬉しかったのか、上機嫌でスパイスストッカーを一つずつ布で包んでいく。更に別の布で二重巻きにされた後、取手のついた紙袋に入れて渡される。
「へえ…この袋、取手付いてるんだ。持ち易いね」
「でしょー?紙袋にちまちま穴開けて紐通すの、結構大変だったよー」
カラカラと少女が笑う。布で包んでいたのといいこの袋といい、見かけに寄らず器用でマメな性格らしい。
少女にお礼を言って、僕は店を離れた。
暫くうろうろしていると、紙袋や布袋を下げたミアを見つけた。
「ミア!」
駆け寄ると、ミアが笑顔で包みを見せてくれる。
「かわいいグラタン皿、見つけたの。今度、グラタン作るとき使う」
「うん。楽しみにしてる」
どちらからともなく、二人並んで、広場の外へ歩き出す。
「リットも…何か買った?」
ミアが取手付きの紙袋に気付いて聞いてくる。
「うん。ちょっと面白いもの見つけちゃって…似たもの持ってるし、迷ったんだけど…」
「それでいい。それが掘り出しもの市の醍醐味」
ミアが鷹揚に頷く。
「そうなんだ」
「そうなの」
今度は可愛らしく、小さく微笑む。
そんな感じで、二人で他愛もない話をしながら歩く。
…なんて言うか、こういう時間も、僕は割と好きだ。
「…そうだ。今度の休みは、久々にピクニックに行こうよ。お弁当持ってさ、パン買うのも良いよね。行き先はどこにしようか」
「んー…景色がきれいなとこ」
「じゃあ探しとく」
「お弁当、ステーキサンドつくる」
「楽しみにしてる」
「あ、リット。この間ね…」
話は尽きず、話題は次の休みの予定から、この間見かけた猫へ、小さい頃の思い出話へとどんどん変わってゆく。
気付けばマンションの前で、ハンナさんに、『あんた達ほんとに仲がいいねぇ』と苦笑され、僕らも顔を見合わせて、『そうだね』と、思わず笑みをこぼし合ったのだった。
−終わり−