第3話 雨の日の共闘

文字数 4,763文字

「ん〜…やっぱり止まないかぁ」
 テーブルに頬杖をつきながら、リビングの大窓から外を見て呟く。
 
 今日は、というか、今日“も”朝から雨だった。

「はぁ…」
 雨は昨夜から降り出し、今日も一日中降っていた。ラジオで聞いた予報によれば、この雨は明日の昼頃まで降り続けるらしい。
 マンション裏に建つカゴ屋の屋根も、濡れて表面が水鏡となり、この窓から溢れる部屋の明かりを、その鏡面に白く反射させている。
 いつもは聞こえる虫の声も、今日は朝から調子の変わらない雨音に消され、今は聞こえてこない。
 もう一度ため息をつき、視線を窓から左腕の腕時計へと移動させる。

 …午後九時四十分。

 ハンターズの、仕事の時間が迫っていた。

「そろそろ着替えるかぁ〜…」
 テーブル上に広がるように伸びをして、『よし!』と気持ちを切り替えて席を立つ。
 さくさくと着替えを済ませ、その上からグレーのレインコートを着て外へ出た。


「雨…苦手」
 右隣を歩くミアが、ぽつりと零す。ミアもいつもの制服の上に、ワンピースくらいの丈の、薄水色のレインコートを着て来ている。
 …雨が苦手、か。
 まあそれは僕もそうだし、大抵の人があまり得意ではないだろう。
 けど、少し気になったので聞いてみた。
「そうだね。僕も雨は苦手。何かやる気出ないし。…ミアは、雨の何が苦手なの?」
 ミアが答える。
「雨は…痛みが強くなるから。…今日も、いつもより…耳が痛い」
 ミアがフードの中の左耳に、そっと手を当てた。

 これはハンターズ組合の検査時に分かったことだが、どうもミアの耳は、左右で若干魔力感知能力に差があったらしく、検査の結果、左耳の方が少し感知能力の値が高かった。…感度が高い、ということはつまり、それだけ敏感に魔力に反応する、ということ。
 そして、ミアの感じている痛みは、魔力を感知した結果起こる症状。
 なので、より敏感な左耳の方が、魔力による痛みを感じ取り易いらしい。
 ちなみに、こういった魔力感知や魔力への接触が原因の症状を、『魔力痛』又は『過敏症状』と呼ぶ。

「大丈夫?」
 聞きながらミアの顔を覗き込むと、ふいと顔を逸らされた。
「大丈夫…じゃないけど、…慣れてるからへいき」
 そっぽを向いたまま、ミアが答える。…何でそっち向いたまま?

 …少し考えて、もしかして痛みに耐える顔を見られたくないのかな…と思い当たる。
 僕は正面へ向き直り、そのままいつもの巡回ルートを進んだ。


 マンションから出て真っ直ぐ進み、広場を通り住宅街を抜け、マンション裏手のカゴ屋を通り過ぎた頃…突然、ミアが痛みを訴え出した。

「痛い…」
 ミアが両耳を押さえて立ち止まる。
「大丈夫?」
 ミアの様子を見ながら、辺りを警戒する。
「この通りにはいないみたいだけど…」
「うん…この、先…橋のほう…」
 さっき本人が言っていた通り、いつもより感知が敏感になっているらしい。僕はミアに断りを入れ、先行して橋へ向かった。

「…あれ、何もいない…?」

 橋へ辿り着き、早速辺りを見回す。が、隠れているのかマモノが見当たらない。
 一応、何度か橋を往復して確認するが、やっぱり見つからない。橋に寄りかかって、『ううん?』と首を捻る。
 …ミアが間違うはずないしなぁ…。
「ん?」
 ふと、水面を叩く雨音に、何か跳ねたような、少し大きめの水音が混じった。魚でも跳ねたかと川面を上から覗く。

「わっ⁉︎」 

 居た。降り続く雨で揺れる水面に、マモノの赤い光が揺らめいている。
「…マモノって、水の中でも平気なんだ…っとと」
 向こうもこちらに気付いたらしく、ざばあっと川から浮上してきた。
 滴を垂らしながら現れたそれは、ゆうに幅一メートルを超えていた。
 組合規定で、『大型・一』とされるサイズ。
 僕らがよく見るマモノは、大体が幅約四〜五十センチの、分類上『中型』とされるもの。
 ハンターズは、基本毎日誰かしら活動している組織なので、それくらいのものは時々見かけても、ここまで大きいものはなかなか見ない。

「うわぁ…でっかぁ…」

 呆気に取られ、思わずあんぐりと口を開けてしまった。

「リットっ!」
「…はっ」
 ミアの声で我に返る。それとほぼ同時、目の前のマモノのカマのような腕から、橋目掛けて斬撃が繰り出された。僕は間一髪、橋から転がるように逃げて、斬撃を避ける。
「なにしてたの!」ミアが駆け寄りながら怒る。
「ごめん、ちょっとぼーっとしてた。ありがとう」
 礼を言って体勢を立て直す。直ぐさまマモノに向き直ってナイフを抜き、そのまま順手で斬り掛かる。
 しかし、硬質な音を立てて、ナイフはカマによって弾かれてしまう。構わず二度、三度と攻撃を重ねるが、同じくカマに弾かれる。
「このっ…」
 でかいだけかと思えば、なんと素早さも持ち合わせているらしい。厄介な!
 斬り掛かり、また弾かれる。
「くっ…」

 …雨のせいで足元も悪い。
 
 …何か、方法を考えないと…


「なになに〜?もしかしてリトリスくん、ちょっと困ってる〜?」
 
「えっ…」
 橋の向こう側から、おっとりした甘い声が聞こえてくる。
「ユアちゃん…?」
 ミアが驚きながら名前を呟く。…すると、

「当ったり〜!加勢するよ〜!」

 ユウアさんが、橋の欄干から返事を返してくる。
 そして、桜色のレインコートを翻しながら欄干を駆け、弓に矢を番え、欄干から飛び降りると同時に、番えていた矢を放す。

 バシュッ!

 矢はマモノの体を射抜き、二本あるカマの片方を穿()ち落とす。
「もう一本!」
 声と共に二本目が放たれる。
 残っていたカマも、同様に穿()ち落とされた。
「これで斬り易くなったでしょ?」
 弓を下げたユウアさんが、ニコッと微笑む。…ちょっと怖い。
 けど…
「…はい!」
 僕は頷き、ナイフを握り直して、マモノに斬り掛かる。

「はあぁあああぁっ…」

 右上から左下。左から横一文字。返す刀で右下から左上へ。

 三連撃入れた後、即座にナイフを逆手に持ち替えて両手で握り込み…

「はあっ!」

 真っ直ぐ縦に斬り下ろす!

 ばらばらにされたマモノが、ただの黒い霧へと変わり、散り散りに辺りへ広がっていく。

「ミア!」「カナヤ!」

 僕らは同時に、パートナーの名を叫ぶ。

「はいっ」「了解っ!」
 返事と同時に、橋の向こうから紺のレインコートを纏ったカナヤさんが現れる。
 二人は橋の両側から、それぞれの守り石を霧の中心へ差し向けると、眼を閉じて石に祈りを込め始める。
 ミアの石が淡い水色の、カナヤさんの石が、純白の光を放ち出す。
 散り散りになった黒い霧が、辺りの景色と共に、眩い白に染め上げられる。
 浄化が終わると、今度は集まっていた魔力と清めた気を分散させる為、空気を掻き回すような、弱い旋風が巻き起こる。
 風はミアのフードを剥ぎ取り、光を受けて透明度を増した淡い薄桃色の髪を露わにさせる。
 後ろで括られた長い髪が風に煽られ、まるで踊っているかのように、はらりふわりと宙を舞う。
 白く透き通るような色白の肌も相まって、まるで幻でも見ているかのような…そんな錯覚に、危うく陥りそうになる。


 …それは、何度見ても神秘的で…幻想的な光景だった。



 光が収束し、街に夜の色が戻ると、二人は同時に『はぁー…っ』と息をついた。
「お疲れ様、ミア」
 僕は声を掛けながら、風で煽られ外れてしまったミアのフードを、そっと被せ直す。
「ありがと…」
 少し疲れを滲ませた笑顔で、ミアが答える。
「カナヤもお疲れ様〜!…はい、ブラックコーヒー」
「サンキュ…」
 ユウアさんから渡された缶コーヒーを飲んで、カナヤさんがふう…と息をつく。
「…にしても、よく降るわねぇ〜」
 ユウアさんが、真っ黒な空を見上げながら言う。
「はやく、止んでほしい…」
「そうよね〜…こう湿気が多いと、髪も纏まんなくてやんなっちゃう」
 えっ、そうなの?
「そうは見えなむががが」
 背後から手が伸びてきて、突然口を塞がれる。
「…リトリス。世の中には、“言ってはならない一言”というものがあるんだ。…君も彼女に、射抜かれたくはないだろう?」
 後ろから聞こえてくる静かなカナヤさんの声に、僕はそのまま、コクコクと首を縦に振る。
「あら、なに二人でじゃれてるの?わたしも混ぜて〜」
「うわっ」「おいユウアっ!」
 ユウアさんが、じゃれるようにカナヤさんに抱きついてくる。僕は巻き込まれる前に、慌ててするりと抜け出した。…ふぅー。
 一息つけたと思ったら、今度はカナヤさんに抱きついたまま、ユウアさんがとんでもないことを聞いてくる。
「そういえば…さっきリトリスくん、浄化中のミルミアちゃんに見惚れてたでしょ?」
「うえっ⁉︎」
「…みとれてた…?」
 ミアがこてんと首を傾けたまま、じっと僕を見つめてくる。

 えっとー…そのー…それはー…

 だんだんと、顔が熱を帯びていくのが分かる。…ど、どうしよう。見惚れてたって、言った方がいいのかな?
 …でも、直接言うのはなんか恥ずかしいし…ええっと…
「…って、あら、もうこんな時間」
「…へ?」
 ユウアさんが腕時計を見ながら呟く。言われて左腕を見てみれば、時刻は深夜零時を回っている。
「わたし達、そろそろ帰らなきゃ…じゃあ、またねミルミアちゃん、リトリスくん。おやすみなさーい」
 ユウアさんが、手を振って橋の向こうへ駆けていく。
「…悪い、リトリス、ミルミア。明日、外せない用事があるんだ。…それじゃあ、お疲れ様」
「お疲れ様です…」
「おやすみなさい…?」
 カナヤさんも挨拶を済ませると、パシャパシャと足音を立てて、ユウアさんと同じく橋向こうへと駆けていった。

 …え。

「ええええ〜…」

 なん…何だろう…こう、掻き回すだけ回して…。…まぁいいや。

「…僕らはまだ時間余ってるし…巡回、続けようか」
「うん…」

 まだ降り続ける雨の中を、僕らは黙ったまま歩き続ける。

 …突然現れて、突然帰って行ったユウアさんとカナヤさん。
 二人が手伝ってくれたお陰で、無事マモノは倒せたけど…

 ミアとの間に、妙な空気感が残ってしまった。

「…って、ああっ!お礼言い忘れた!」
「あっ!」

 …しまったぁ…。変なこと言われたせいで、すっかり忘れてた…。

 ミアも忘れていたらしく、声を上げた表情のまま固まっている。

 …追い掛ければ、もしかしたらまだ追い付けるかもしれない。
 けど…
「…仕方ない。今度会った時、ちゃんとお礼しよう」
「…うん」
 急いでるみたいだったし、引き止めるのも悪いだろう。
「お礼言い忘れちゃったお詫びに、何かお菓子でも持っていこうか。…何がいいかな?」
「ん…コーヒー…と、焼き菓子。…ユアちゃん、甘いものすきだから」
 そうなの?
「…確かに、カナヤさんもコーヒー好きだしな…うん。良いと思う」
 カナヤさんのコーヒ好きは、最初甘みを感じる反応症状の対処法として飲んでいたのが、その場凌ぎに色々と飲むうち、いつしか味の違いに敏感なり、こだわるようになっていった結果らしい。
「…でも、カナヤさんの舌に合うものかぁ…」

 …なんか、寧ろ難易度高いような…

「…がんばろう」
 ミアがむん!と、脇を締めて両拳を構える。
 その仕草が妙に可愛くて、僕は思わず『あははっ』と笑った。

 


 −終わり−




 

 


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