ピリオド4 ・ 1983年 プラス20 〜 始まりから二十年後 6 告白

文字数 3,481文字

ピリオド4 ・ 1983年 プラス20 〜 始まりから二十年後

     
岩倉家の庭園に姿を現した不思議な物体。そしてなんとそこから、二十年間
行方知れずとなっていた……昔となんら変わらぬ霧島智子が現れた。


  6 告白

 普段から、寝付きの悪い方だった。加えて衝撃続きの一日だから、きっと寝付くのは明け方近くになってから……くらいに思っていたのだ。
 ところが横になってすぐ、稔はウトウトし始める。意識が薄れていくのを感じて、あ、眠れる! などと微かに思った時だった。
 ――名前を呼ばれた? 
 そんな気がして、ストンと意識が呼び戻された。被っていた毛布を引っ剝がし、慌てて顔だけ起こして辺りの様子に目をやった。
 すると智子がすぐ目の前にいた。
 消したはずの明かりも点いていて、彼女はなぜか足元から彼を見下ろし立っている。その顔は怒りに満ちて、同時に泣き出しそうにも見えるのだ。
 申し訳ないと渋る智子を寝室のベッドに寝かせ、稔はリビングのソファーに寝転んだ。
 そんなソファーのすぐそばに立ち、智子は稔を見つめて震える声を上げるのだった。
「稔……さん、なの?」
 そんな声に、稔はやっとソファーの上で跳ね起きる。
 二人の視線は絡み合い、途端に智子の表情が大きく変わった。
 怒った顔が一瞬で歪み、そのまま一気に稔のそばまで歩み寄る。そうして目の前まで迫った智子が手を伸ばし、いきなり稔の前髪をかき上げたのだ。
 まるで体温でも測るように手を添えて、そのまま乱暴に押し上げた。
 稔の額が露わになったその瞬間、智子の顔から力が抜ける。と同時に額の手のひらもストンと落ちた。
 この時口を衝いて出たのはあまりに無意味な戯言だ。
「違うんだ……」
 きっと何も……違わない。
「いや、そうだけど、でも、違うんだって」
 ――騙そうとしたわけじゃないんだ!
 心だけでそう続け、稔は慌てて立ち上がろうとする。
 ところがそんな稔を無視するように、智子はくるりと後ろを向いた。そのまま寝室に駆け込んで、扉をバタンと閉めてしまった。
 きっと……何かで気が付いたのだ。
 ――それでも、あれはいったいなんのため?
 そんな疑問を思うまま、稔は右手を己の額に持っていった。
 すると呆気なく、忘れ去っていた凹凸をその手に感じる。
 ――ああ、そうだったのか……。
 彼女にとって、それはたった五、六年前の出来事だ。
 ところが稔にしてみれば、さらに二十年という歳月がある。見た目はほとんど分からなくなって、ここ十年くらいはその存在さえ忘れていた。
 小学三年生の春だったか秋だったか、長袖を着ていたので夏ではなかったと思う。
 智子と再会したあの事件こそ、ある意味……すべての始まりだった。
 
 ――あれ、あいつ見たことある。
 学校帰りに、停車中の車の脇に女の子が立っていた。
 彼女を目にして、それが智子なんだとすぐ気が付いた。
 最初は、道でも聞かれてるんだろうくらいに思っていたのだ。
 ところがいきなりドアが開いて、車内から伸びた手が智子を引きずり込もうとする。
 この瞬間、気付けば車に向かって走っていた。無我夢中で車の男に掴み掛かり、それから腕にも噛みついてやったがその後の記憶がまったくない。
 目を覚ますと病院のベッドに寝かされていて、身体中包帯だらけとなっている。
 稔の突撃によって、犯人は智子をそのままにして車を急発進させていた。と同時に稔を車外に押し出して、彼は回転しながら地面に落下。落ちた拍子に額を打って気を失い、道路脇にある側溝まで転がっていたらしい。
 それでもひと月ほどで、大方の傷や打撲はほぼ完治する。
 ところが額の傷痕だけは消え去らない。とはいえ生え際のすぐ下だったし、成長とともに目立たなくなっていくだろうと医師から告げられ、
「傷の一つや二つあった方が、いざという時、箔が付いていいんじゃないか?」
 などと笑って話す父親に、稔自身もそうかもしれないと素直に思えた。
 そうして前髪を垂らせば傷痕は隠れ、すぐに以前と変わらぬ日常が舞い戻る。それは智子にとっても同様だったが、変化したところも少しはあった。
 小学校の行き帰り、母親が必ず付き添うようになり、二年ぶりに出会った幼なじみと時々一緒に遊ぶようになる。
 そうして確か、中学生になったばかりの頃だった。
 やはり稔の髪をかき揚げて、真剣な顔で智子が言った。
「わたし、この傷が消えるまで、稔ちゃんとずっと一緒に居てあげるから……」
「何言ってんだよ、ずっと消えなかったらどうするんだ? 」
「だから、ずっと一緒にいるって……」
「アホなこと言うなよ、そんなこと出来っこないって!」
「できるよ、約束する……ほら、指切り……」
 真剣な顔でそう声にしてから、智子は小指を稔に向けて突き出したのだ。
 そんな過去の記憶を思いつつ、稔はさっきの智子を思い浮かべた。
 疑念を持って稔を見つめ、さらに額の傷痕を知ったからには、目の前にいる中年男が稔であると確信したはずだ。
 そうして明日の朝、智子の態度がどうであろうと必死に対応するしかない。 そんなふうに考えて、彼は再び眠ろうとするが今度はまるで寝付けなかった。

「結婚は? してるの?」
「いや、してない。未だ独身……」
「三十五歳なんでしょ? その歳で結婚してないなんて変じゃない……あ、もしかして、離婚したの?」
「離婚なんかしてないよ……結婚も、離婚もしてない……」
 はっきり言って寝ぼけていた。
 だからこの後もいろいろと聞かれたが、うまい具合に答えられたか自信がない。
 やっとのことで眠りについて、二時間くらいが経った頃か……、
「ねえ、起きてください!」
 そんな智子の声に、稔は慌てて飛び起きたのだ。
 その後、さんざん質問されてから、稔はやっと顔を洗ってコーヒーを淹れた。
 それから智子をソファーに座らせ、どうして稔であると隠したか? あの庭に居合わせた経緯など、智子の両親について以外を順序立てて話して聞かせた。
 その間、智子はずっと不機嫌だ。
 相槌どころか稔と視線も合わさない。
 ところが事件の核心部分を話した途端、智子の顔色が一気に変わった。
 そうなってすぐ、それまでの厳しい態度も潮が引くように消え失せる。
「……結局、僕は三日間留置場に入れられてね、もしも、あの写真が送られてこなかったら、本当に殺人犯になっていたかも、しれないな……」
 そう言って笑う稔に智子は目をまん丸にして、なぜか口だけをパクパク動かした。
「あの写真に写っていた男から、逃げて来たんじゃないかって思うんだ。もしかするとそいつから、智子ちゃんを遠ざけようとしてあそこに入れて……さらにその時、何か手違いが起こってしまって、君はこの二十年後に来てしまったか……」
 男の振り下ろしたひと突きで、智子を救おうとした男があの林で死んでいた。そんな事実は一瞬にして、稔への怒りを小さなものにしてしまったようだ。
「今にも死にそうだって時に、あの人は……わたしのことを必死になって伝えてくれたのね。そして稔……さんが、あの日、わたしを追ってきてくれなかったら、わたしは今頃たった一人……今頃は、きっと警察? ううん、違うな……たぶんね、精神病院とかに入れられちゃってるかも……。とにかくわたしは、あの大男さんと稔さんのおかげで、今、こうしていられるってこと、なのよね……」
 そう言ってから、智子はほんのいっとき押し黙る。
 そうして大きく息を吸い、俯き加減だった顔を上げ、そこから深々頭を下げた。
 それからは、〝稔ちゃん〟が〝稔さん〟に変わった以外、まるで昔の二人に戻ったような感じとなった。
 もちろん言葉遣いはそこそこ丁寧。それだって昨日までとは大違いだ。
 稔の話に区切りが付いて、そこから智子の質問が止まらない。
 智子がいなくなった後、いったいどういう人生だったのか?
 大学には行ったか? 仕事は何をしているんだと次々聞いて、稔が大学名を声にした時、智子の喜びようこそ凄まじかった。
「すごい! 一流大学じゃない! やっぱりな! 稔ちゃん頭いいって、ずっと思ってたんだから、わたしはずっと前からね……」
 嬉しそうにそう言われ、稔はなんとも気恥ずかしい。
「お父さんとお母さん、喜んだでしょう! あ、そうだ、お店はまだやってるの? お父さんとお母さん、お二人はお元気? 」
 次から次へと……智子の質問が溢れ出た。
 稔はそんな問いかけに、みんな元気だなどと返しつつ、
 ――あの時代に戻ってしまえば、こんな嘘くらい許されるだろう……。
 などと、心にコソッと思うのだった。
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