第一節 凶獣の饗宴 1

文字数 2,727文字

 (とりで)には夜が訪れていた。
 二つある月のうち一つは新月、もう一つは三日月の晩だった。月明かりが殆どないため、雲一つなく突き抜けるような夜空に星の光が(またた)いているのがよく見える。
 エドガルドは合金(じょう)を懐に抱え、城壁に座り込んで夜空を眺めていた。温暖で乾燥した気候のマラデータ王国では、屋外で過ごす夜も快適だ。乾いた風が首元をくすぐり、心地よさにエドガルドは目を細める。
 そのまま彼が目線を物見櫓(ものみやぐら)へ移すと、エネルギーを可視化する特殊なスコープを装着したイーサンが、伏せた姿勢でエナジー銃を構えているのが見えた。それは十五分ほど前にそちらへ目を向けた時と、一分も変わらぬ光景だった。
 狙撃手というのは、ただ狙撃がうまいだけでは務まらない。じっと気配を消し、辛抱強く機会を伺うことができなければ、狙撃手にはなれない。旅路の途中でイーサンが語った言葉をエドガルドは思い出す。
 マラデータ王国の東の外れにあるこの砦を、幾晩にも渡り凶獣が襲っているという報せが届いたのは、エドガルドが「ミゲル」という名の中級学師として、王都のティエラ教義分院を訪れてすぐのことだった。
 一方のイーサンはエドガルドより十日ほど先んじて王国入りし、近年第四ドームの軍事産業ハインズ社を通して多数の都市人傭兵を雇い入れているマラデータ王国軍に、都市人傭兵「G」として入り込んでいた。
 度重なる凶獣の襲来が城壁内の集落に暮らす人々の安全を脅かしていると判断した国王は、砦への軍の派遣を決めた。数日におよぶ行軍を終えた王国兵たちが城壁に配備される中、イーサンら都市人傭兵の幾人かが狙撃手として物見櫓に登るよう申し付けられたのである。
 エドガルドら学師は凶獣の生態に詳しいということで、派兵に同行していた。月明かりのない夜、砦には篝火(かがりび)が焚かれている。エネルギーに不足することのないこの惑星で人工灯を用いないのは、人工的な明かりは凶獣を刺激し、不必要な凶暴化を招くとエドガルドが進言したからだ。
 エドガルドはイーサンから目を離し、城壁を見回した。そこにはエナジー銃を抱え、凶獣の襲来に備える多数のマラデータ王国兵がいる。
 エナジー銃は都市が開発し、製造している高価な武器だ。先住民国家の中で、自国の兵にこれだけの数のエナジー銃を持たせることが出来る国はそうはない。
 前国王アガピトの治世に王国の地下から見つかったハイスキベルと呼ばれる鉱物は、エナジー銃にエネルギーを充填させる装置の部品の材料となり、この国を大変に潤した。王国で採掘される地下資源の取り引きについては連盟主導のもと各都市間で協定が結ばれていたが、アガピト王の死後、ハインズ社は王国の事実上の支配者となったロドリゴ将軍と通じ、ハイスキベルを寡占的に入手するようになった。これによりハインズ社ひいては第四ドームと、ロドリゴ将軍およびマラデータ王国軍は莫大な利益を手にすることになったのである。
 当初エドガルドは、都市人傭兵たちが王国軍内へ入り込んでいるのは、ハインズ社による王国支配を強化するためだと考えていた。だがイーサンによると、都市人傭兵の軍内での任務は王国兵にエナジー銃の扱いを教えることらしい。
「学師ミゲル」
 偽名を呼ばれ、エドガルドは声のした方を振り返った。そこに上級学師ルシアナの姿を見出し、エドガルドは立ち上がって軽く頭を下げる。
「学師ルシアナ」
 ルシアナはマラデータ王国有数の名家の出で、数年前にティエラ教義の上級学師にまで昇った。エドガルドと同じく両性具有のまま大人になった人物だが、彼と異なり非常に中性的な容姿をしている。
「ずっとここにいて、疲れたでしょう。セシリオ殿下たちはそろそろ屋内へ戻るそうです。ご一緒しませんか」
 ルシアナが男性とも女性ともつかない、低くも高くもない落ち着いた声で言った。
 エドガルドはやや離れて彼の背後に立つ、二つの人影に目を向けた。今回の派兵に同行している、国王マテオの二人の子供たちだった。
 右に立つ背の高い方がセシリオ。国王の第二子で、十六歳になるはずだが、いまだ性別の定まらない両性具有だ。彼が男性として成人すれば、国王の後を襲うのは彼となる。一方、彼が女性として成人すれば、国王の後を継ぐのは隣に立つ弟、十四歳になるバジャルドだ。セシリオの性別が定まらず、どちらが王太子となるか決定していないため、二人とも国王の名代として従軍してきたのである。
 国王には四人の子があり、この二人の上に十九歳の王女イレネ、下に十一歳になる王子チコがいる。
「いや、アルフレド殿下もおられるし、俺は今夜は外で過ごす。気遣い痛み入る」
 そう言ってエドガルドは城壁の少し先の方へ目を向けた。エドガルドの視線の先で、この国特有の、風を通すゆったりとした衣装を身に(まと)った青年が、兵士たちと気さくに言葉を交わしている。今回の派兵に同行したもう一人の王族、国王の弟であるアルフレドだ。暗い金髪と青い瞳を持つこの王弟は、気の弱い国王とは異なり豪胆で男らしい気風を持ち、国民からの人気も高い。彼は城壁で兵士たちの指揮に当たっていた。
「殿下は夜通し凶獣の襲来に備えるだろうから、俺も何かあれば手伝いたい」
「そうですか。では私はセシリオ殿下たちと一緒に失礼します」
 ルシアナがぞっとするほど美しい笑みを浮かべて上品に言った。
 エドガルドは目を細めて彼、あるいは彼女の面を見つめた。三十代半ばにはなっているはずだが、肌理の細かい白い肌は少女といっても通りそうだ。豊かな白金の髪を背中まで伸ばし、同じ色の睫毛に縁取られたアイスブルーの瞳は、本当に見えているのかと心配になるほど透き通っている。化粧をしているはずもないのに紅潮した頬、赤い唇。これほどの美貌の持ち主を、エドガルドはかつて目にしたことがなかった。
 国王も、ロドリゴ将軍も、この美貌の上級学師に狂っている。それは王国では知らぬ者のない、公然の秘密だった。
 マラデータ王国の分院に着いてすぐに、エドガルドはこの上級学師の許を訪れた。彼はエドガルドを王宮へ(いざな)い、国王マテオとその岳父であるロドリゴ将軍に引き合わせた。その時、二人の男たちがルシアナへ向けていた眼差しに、エドガルドはぞっとするものを覚えた。かつて幼馴染みのアダンが自分へ向けた狂気にも似た熱を、そこに見出したからだ。
「お気をつけて」
 ルシアナが艶然と微笑んで身を翻したその時、エドガルドは(くび)の後ろにちりちりとした違和感を覚えた。意識を研ぎ澄ませ、身体の五箇所の刺青(しせい)に感覚を集中させる。何かとてつもなく大きなエネルギーの塊が近づいてくるのを察知し、彼は胸元に下げていた高周波の笛を口に当てると息の限り吹いた。
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