第1話

文字数 1,999文字

 2040年の夏のある日、私は医療講演に向かっていた。
 新潟から羽越本線に乗り、左手に国の名勝および天然記念物に指定されている日本海の海岸線「笹川流れ」の車窓を楽しみながら、いくつかのトンネルを抜けた先に今日の目的地はあった。

 と、突然、
 フォンフォンフォンフォ~~~~ン!
 トンネルの中に列車の警笛がこだまし、列車は急停車した。
 「只今、貨物列車との衝突を回避するため急停車しました。衝突の心配はありません。詳しい状況が分かり次第、お知らせします。」
との車内放送があった。

 2040年になると、認知症が 2025年には65歳以上の約5人に一人だったのがさらに倍増した。また健康増進活動により、高齢者の身体機能が著しく向上した。一方でWHOが警鐘を鳴らしていた「イヤホン難聴」の人口が大きく増加し、これに加齢による感音性難聴が加わり、高齢者の難聴が社会問題になっていた。
 元気で耳の遠い認知症の高齢者が増えたのだ。
 そんな中、これから行く山形県の S 町はこの社会現象を逆手に取り、「認知症で町興し」と認知症の高齢者でも社会で活躍し続けられる町づくりを目指した。

 「ようこそ S 町へ。」
 A 駅には3人の駅長と町の担当者が出迎えてくれた。
 3人の駅長はそれぞれ名刺を出して自己紹介をしてくれた。
 「ええぇ、私は T 大学を卒業しましてねえぇ…。」
に始まり、経歴披露が延々と続いた。
 もう一人は「私はですねえぇ、IT 関連会社の社外取締役からぜひ、と請われましてねぇ、他にも話はあったのですが…、こうして駅長になりました。」
 「それはそれは、皆さん、ご立派な経歴の持ち主で…。」
 町の担当者によると、3人とも駅長に自薦で誰も引かないので3人とも駅長にしたそうだった。それから先ほどのトンネル内の出来事は、高齢の駅職員が信号操作を誤ったのが原因だった。ATS(自動列車停止装置)は off になっていた。あわや列車同士の正面衝突事故、危機一髪であった(冷や汗)。

 担当者が町を案内してくれた。
 タクシーに乗った。運転手は推定 80歳越えだった。遅い。スピードが出ない。高齢者の運転する車は最高速度が時速 20㎞に改造されているそうだった。これにより、高齢の運転手が起こす死亡事故は激減したとのことだった。

 コンビニに入った。
 店内の陳列棚に商品の現物はなく、商品の写真を張り付けたカードが掛けられていた。客は買いたい商品のカードを持ってレジに行き、そこで代金と引き換えに商品を受け取る仕組みだった。万引きした、していないのトラブル対策だった。
 レジは現金対応のみで、「小銭が不足していますので、ご協力をお願いします」と書かれていた。電子マネーは入金されていなかったり、カードは期限切れだったりが多く、現金対応にしたとのことだった。
 すぐ切れる高齢者、カスハラは日常茶飯事だった。そこで、「レジでの会話は店外に放送されます」という掛札が掛かっていた。またレジの脇には「ごめんなさい君」なる謝罪専用の AI(人工知能)搭載ロボットが設置されていた。怒った客の表情を読み取り人工知能で対応するのだが、
 「おめえ、俺を舐めとんのかぁ!」
と、火に油となることもあるそうだ。殴られても壊れないように、耐衝撃仕様になっていた。

 警察署を訪問した。
 運転免許更新は名前さえ書ければOKだった。交通課の話では、制限速度 20㎞改造車限定で重大事故は激減したとのことだった。犯罪者の調書は、裁判での信用性は極めて低かった。認知症で、事件当日のことは短期記銘障害のため殆ど忘れていることが多く、まともな調書にはならなかった。
 「ある意味でここは犯罪の成立しない町ですなぁ、ハハハ。」

 最後に町役場を訪れた。
 役場は「認知症で町興し」の中心的な役割を果たしていた。認知症でも社会生活ができるをモットーに活動をしている。その効果があって、全国から認知症患者を抱えた家族が転居してきて町の人口が増加した。また、認知症の早期発見の目的で受診勧奨をした結果、(ごく)早期の認知症を含め、認知症は町の人口の8割を越えた。
 徘徊する住民が増えたため、町はマイナンバーカードを町で預かり、「私も認知症!」カードを発行し、胸に付けるようにした。カードは白、黄色、橙、黄緑、緑の5色で、重症度で色分けされているが詳細は明らかにされていなかった。カードにはマイクロチップが埋め込まれ、GPS 対応となっていた。
 「いやぁ~、この町では正常でカードを付けていないと肩身が狭いですよ~。」
と、保健課の課長は苦笑いしていた。
 最近では、町長も「私も認識症!」カードを付けているそうだった。

 認知症は誰もが罹患しうる難儀な病気だ。伝染病ではないので撲滅は困難だ。社会から隔離するのではなく、ともに闘病する余裕のある社会が必要だ。
 んだの。
(2024年7月)
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