余談 魔法のレンズは実在する!(底の無いレンズ沼の廃人は語る)

文字数 11,833文字

 この物語を書いた、一木隆治と申します。
 私のこの拙い物語を最後まで読んで下さり、まことに有り難うございました!

 そのささやかなお礼に、この物語の中でも登場した“魔法のレンズ”ことペンタックスのSuper Takumar 55mmF1.8について、少し語らせていただきます。
 物語そのものはフィクションですが、Super Takumar 55mmF1.8は実在しますし、その“魔法”については、紛れもない事実なのです。
「髪はあくまでも柔らかく、肌はまるで薄化粧したように艶やかに。滲む光のマジックが、レンズで捕らえた女の子をそのまま可憐な一輪の花に変える」
 物語の中でそう描写したように、女性をとても美しく写してくれるのです。
 しかもお値段は、どんなに状態の良いものでも五千円以下! 少々賭けの要素もありますが、ネットオークションでは、送料別なら千円以下で買えたりしてしまいます。
 女の子を綺麗に撮りたい皆さん、このレンズは手に入れなければ本当に損ですよ。

 ただ、このレンズの魔法を使うには、幾つかの条件があります。
 例のSuper Takumar 55mmF1.8は、1962年に発売されたペンタックスSV、そして第一回の東京オリンピックの年、1964年に発売されたSPの標準レンズとしてかなり大量に売られ、今でも市場やカメラ屋のジャンクコーナーに数多く出回っています。
 けれどSuper Takumar 55mmF1.8は、十年近く売られる間に、大きく分けて二度ほどモデルチェンジされているのです。それでSuper Takumar 55mmF1.8には、初期型、前期型、後期型の三種類があり、例の“魔法”が使えるのは初期型と前期型のみなのです。
 後期型のSuper Takumar 55mmF1.8は、さらにその後にマルチコーティング化され、終わり頃のSP、それにSPFやSPⅡ、それにESなどの標準レンズとされたSuper-Multi-Coated Takumar 55mmF1.8を少しおとなしくしたような色乗りの、絞り開放からシャープだけれど普通の良いレンズになってしまって、その写りに物語に書いたような“魔法”はありません。

 私はSPやSVよりさらに古いペンタックスS2などに標準レンズとして付けられていた、Super Takumar 55mmF2も使って撮ったことがありますが、「描写は柔らかめながら絞り開放からちゃんと写る、まあ良いレンズ」という印象でした。
 その後のSVや初期のSPに標準レンズとして付けられた、問題のSuper Takumar 55mmF1.8は、そのF2の55mmを強引にF1.8に大口径化したのか、設計にどこか無理があったのでしょう。
 球面収差が大きく、絞り開放で撮るとそれが目立つ上に、逆光で撮ると、レンズに入って来た光が盛大なフレアとなってものすごく暴れるのですよ。
 で、その逆入光をレンズフード等でしっかりカットして撮ると、ちゃんとピントは合っていながら微妙に光が滲んで柔らかい描写になり、例の「髪はあくまでも柔らかく、肌はまるで薄化粧したように艶やかに」、そしてモデルの女の子を「可憐な一輪の花に」写してくれるのです。

 レンズというものは、ただ「シャープで解像力とコントラストが高ければ良い」というものではありません。シャープ過ぎるレンズで女の子を撮ると、髪は針金のように、そして肌の荒れまで残酷なまでにクッキリ写してしまいます。ですから女性を撮るならば、ただ解像力に優れた高性能なレンズより、やや柔らかめに写してくれる優しいレンズの方が良いのです。
 ピントはしっかり合っていて、しかし描写は柔らかで光が僅かに滲むようなレンズ。そんな女の子を綺麗に写してくれるレンズを捜すのが、なかなか難しいのです。特に高性能なコンピューターで設計され、コーティングもとても進化した現代のレンズでは、その種のレンズはまず無いですね。
 そして日本の各メーカーからドイツのツァイスやライカまで、各メーカーのいろいろなレンズを試してみた私が見付けた“魔法のレンズ”の一つが、ごくありふれていて、安値でジャンクコーナーに転がっているような、初期型と前期型のSuper Takumar 55mmF1.8でした。まさに「灯台もと暗し」というやつですね。

 作中にあるように、初期型や前期型のSuper Takumar 55mmF1.8と比べてみると、後期型のSuper Takumar 55mmF1.8はレンズの直径が僅かに小さくなっているのがわかります。そうして実質的にレンズの明るさを以前のF2程度に戻して抑え、さらに微量ながら放射線を放つトリウム素材のガラスを使うことで諸収差を目に見えるほど減らし、絞り開放から問題なくシャープに解像してくれる“良い”レンズになりました。
 ただ同時に初期型や前期型のような、絞り開放では光が滲み、下手をすると派手なフレアとなるという、本来は欠点なのですが使い方次第では美点(いわゆるレンズの味)にもなる、写りの面白味は無くなってしまいました。

 余談のさらに余談になってしまいますが、「本当はF2のレンズを、F1.8と言って売っちゃって良いの?」と疑問に思う方もおられると思います。
 問題なかったんですよ、当時のJIS規格、日本産業規格という法律の範囲内では。
 そのJIS規格では、カメラについては5%以内ならスペック等の誤差も許容されていまして、F2のレンズはF2として正直に売るメーカーがある一方、そのJIS規格の誤差の許容範囲を意図的に悪用して、最初からF2やF1.9として設計して作ったレンズをF1.8と称して売ってしまうメーカーもあったのです、それも少なからず。
 例えば私が最初に使った一眼レフ、オリンパスOM-2の標準レンズだったズイコー50mmF1.8も、実際に使ってみた感覚では、どう見てもF2、厳しく言えばF2.2くらいしかありませんでした。実際、絞りをF2.8からF1.8まで(数値上では1と1/3絞り)開けても、カメラの露出計は一絞り分も動かないのですから。

 日本のカメラ、特にレンズの名声を高まったのは、報道写真家のデビット・ダンカンが日本光学、今のニコンのというレンズを、朝鮮戦争で使ったからでしたが。
 断言しますが、このニコンのニッコール50mmF1.4なるレンズは、日本の、と言うか“日本のものづくりの恥”そのものです。
 実は終戦後まだ間もない頃、ニコンの社員がドイツに行き、名声の高いカール・ツァイスのレンズ、ゾナー50mmF1.5を二本、日本に買って帰ってきたのです。そして一本を実写テスト用にそのまま残し、もう一本はダイヤモンドカッターで縦に真っ二つに切断して、構造やらレンズの構成やらレンズの曲率やら、何もかも徹底的に調べたのです。そしてそれを厚顔無恥にもフルコピーして、ニッコール50mmF1.4として売り出したのです。
 言ってみれば、「答えをあらかじめ知った上でテスト問題を解くようなズル」ですね。そこにあるのはただ猿真似だけで、ニコンの技術陣の知恵も工夫もオリジナリティも何一つありません。
 もちろんツァイスのゾナー50mmF1.5そのままのコピー品ですから、写りの良さはツァイスに迫ります。そしてレンズの本当の明るさも、公称しているF1.4ではなくF1.5です。にもかかわらず、ニコンはJIS企画の誤差の許容範囲を悪用して「ニッコール50mmF1.4」と名付け、まるで恥じることなくコピー元のツァイスのレンズより高性能であるかのように見せかけて、しかもより安い値で世界に売ったのです。
 安倍政権下で急速に右傾化したこの国では、近隣のK国やC国の商法や製品について「日本のパクリで汚い!」と罵詈雑言を浴びせる人達が少なからずいますが。彼ら自称“愛国者”たちは、かつて日本もそれと同じか、それより酷いパクリ商法をして“復興”してきた歴史も知っておくべきでしょう。

 さて、元々設計に無理があって収差が大きい為に、絞り開放で撮ると逆に女の子を綺麗に写してくれる初期型と前期型のSuper Takumar 55mmF1.8ですが。
 それを「魔法も何もなく、ごく普通にキレイに」写してしまう後期型のSuper Takumar 55mmF1.8と区別して見分ける方法は、ネットにいろいろ書いてある以上に簡単です。
 ただ絞りリングの数字を見る、それだけで良いのです。初期型と前期型は、絞りの数値が「1.8 2 2.8 4……」と並んでいて、けれど後期型には“2”が無く、「1.8 2.8 4……」と並んでいるのです。
 つまり初期型と前期型のSuper Takumar 55mmF1.8はちゃんとF1.8の口径のあるレンズで、だから開放値の絞りF1.8の次にF2のクリックが、絞りリングに当たり前に作れます。それに対し後期型のSuper Takumar 55mmF1.8は、名目上の明るさはF1.8のまま内緒でレンズの直径を小さく、おそらくF2に設計し直しています。
 F1.8とF2の明るさ(レンズの径)の差は、僅か1/3絞り分です。けれど後期型は元々F2のレンズなのだから、F1.8と自称しているものの、絞りリングの開放とF2.8との間には一絞り分しか無く、そこにF2のクリックを押し込める筈が無いのですよ。
 それゆえ絞り開放で逆光気味の状態で、盛大なフレアがフォトジェニックな世界を作ってくれるオールドレンズの味を求めるなら、絞りリングにF2の数値があるものを選んで下さい。F2が無く絞りの数値が1.8から2.8に飛んでいるSuper Takumar 55mmF1.8は間違いなく後期型ですから、避けた方が良いです。
 あと、レンズの絞りリングが手前になるように置いて、絞り開放の1.8が左側に来るのが最も古い初期型で、右側に来るのが前期型なのですが、写りはどちらもほぼ同じで大差ないです。

 中古カメラ店のジャンクコーナーやネットオークションによくあるSuper Takumar 55mmF1.8ですが、絞りリングにF2の数値がある初期型や前期型を見付けたら、女の子を綺麗に優しく撮れるレンズに興味がおありの方は、是非お買い求め下さい。
 元々、初期型や前期型のSuper Takumar 55mmF1.8は玉の数が少ない上に、ヘリコイドにガタなどのある程度の良くないものも珍しくないので、程度の良いものを三千円以下で手に入れられた貴方はラッキーですよ!
 ちなみに、その初期型や前期型のSuper Takumar 55mmF1.8が「フレアが盛大に暴れる」と言われる状態になるのは「逆光で絞り開放の時」だけで、逆光でない状態でしかもある程度、F4~5.6あたりまで絞れば、解像力も確かで色再現も素直な良い描写を見せてくれます。現代のレンズより、色合いは少し地味ですけれど。

 さて、その初期型や前期型のSuper Takumar 55mmF1.8を手に入れましたら、女性は「レンズの絞りは開放、そして意識して逆光を選んで撮る」のが基本です。それも完全な逆光ではなく、ほんの少しだけ半逆光気味にした方がより良いです。
 また、この初期型と前期型のSuper Takumar 55mmF1.8は逆光にかなり弱く、太陽光線が直にレンズに入ると派手なフレアが盛大に出ますので、「レンズフードは絶対に必要!」です。それも出来れば普通の丸形のフードでなく、フィルムや受光素子の形に合った四角のフードを探して使った方がより良いです。
 作品の中では、私は淳くんに、彼のお父さんが若い頃、それも中古で安く買った昔のSPブラックで、フィルムで撮らせていますが。皆さんにはマウントアダプターを使い、デジイチやミラーレスなど現代のカメラで撮っていただいた方が、お財布にも優しいし、いろいろ便利なのではないかと思います。
 ちなみに私も幾つか買い集めた初期型と前期型のSuper Takumar 55mmF1.8、それに後期型のSuper Takumar 55mmF1.8にSuper-Multi-Coated Takumar 55mmF1.8を、ペンタックスのデジイチ(K-rとK-x)にメーカー純正のマウントアダプターKを組み合わせて撮っています。

 センサー、つまり受光素子がAPSサイズのデジイチに55mmのレンズを付けると、35mm判に換算した焦点距離は約85mmになり、ちょうど良いポートレート・レンズになるのですよ。
 今はデジタル一眼レフを買うと、たいてい標準レンズ代わりに18~55mmF3.5/5.6がキットレンズとして付いてきます。それ以前の写真はフィルムで撮っていた時代には、AF一眼レフに28~70mmF3.5/5.6(または35~70mmF3.5/5.6)が付いてきました。もっと以前には50~58mmのズームではない標準レンズが、レンズキャップ代わりのように付いてきました。
 で、中古市場(と言うよりジャンクコーナーやネットオークション)では、F1.4~1.8などという非常に明るい単焦点レンズが、F1.4なら一万円以下、昔は普及品扱いされていたF1.7やF1.8なら2~3千円で手に入ります。私もつい先日、カビも汚れも無い美品のキヤノンFL50mmF1.4を、ネットオークションで四千円で手に入れました。
 この玉数も豊富で値段も安い昔の標準レンズを、マウントアダプターを介してセンサーがAPSサイズのデジイチやマイクロフォーサーズのカメラで撮ると、換算して80~110mmくらいで大口径かつ単焦点の、ちょうど良い中望遠のポートレートレンズになるのです。
 好きな女性を綺麗に撮ってみたい皆さん、この「昔の50~58mmの標準レンズを、マウントアダプターを利用して今のデジタル一眼レフ撮る」という手を、是非とも試してみて下さい。特にスマホに付いたカメラで撮った写真しか知らない女性には、きっと驚かれるし喜ばれると思いますよ!

 ペンタックスの古いレンズは、メーカー純正のマウントアダプターKを使えば、半世紀以上昔のものでさえ、今も最新型のデジタル一眼レフでちゃんと撮れます。このあたりは、ユーザーに対するメーカーの良心ですね。
 けれどフランジバックの関係で、たいていの一眼レフ用の古いレンズは、今のデジタル一眼レフでは撮れない(レンズを装着できない)場合が多いです。だから古い交換レンズを使いたい多くの人は、フランジバックの短いミラーレスのカメラを使っています。
 その場合、私は「是非EVF(電子ビューファインダー)付きのカメラで撮って下さい!」と強く申し上げたいです。
 女の子を撮る為のレンズ、標準レンズや中望遠レンズを絞りを開いて撮る場合の被写界深度(ピントの合う幅)は、ものすごーく狭いですから。ピントをカメラ任せにしてオートフォーカスで合わせるならさほど気にならないでしょうが、古いレンズを使うとなると、当然ピントも自分の手と目で合わせることになります。それを小型のミラーレス機のモニターを見ながら合わせようものなら、写真はピンぼけだらけになりますよ、本当に。
 カメラを持った両手の脇をしっかりと締め、カメラを額に押しつけるようにして、ファインダーをしっかり見ながらピントを正確に合わせる。これがMF《マニュアル・フォーカス》でのピント合わせ(と手ブレ防止)の基本です。

 私はデジタルのカメラはペンタックスのK-rとK-xの他に、オリンパスOM-DのE-M5を三台持っていて、オリンパスOMやミノルタMCやキヤノンFL、それにライカやツァイスなどのオールド・レンズを、各種のマウントアダプターを使って撮っています。
 その私の個人的な感想では、状態によっては一万円近くしてしまいますがミノルタのMCロッコール58mmF1.4がとっても良かったです! 本当はMCロッコール58mmF1.2にも興味をとても引かれているのですが、お高すぎてお金が無くて……。
 ミノルタのレンズ、発色がとても良いので使ってみる価値はありますよ。焦点距離の関係で女性を撮るのには少し向きませんが、MDロッコール35mmF1.8の色再現には、本当にうっとりさせられました。
 キヤノンFL50mmF1.4もまた、絞り開放での品のある繊細な描写がたまりません。
 あと、タムキューことタムロン90mmF2.5(MFレンズ)も定評以上に良いレンズです。ボケは柔らかく、色再現は美しく、描写は硬すぎずに柔らかさを残しつつしっかりとしていて。

 古いレンズというと、マニアの方はついライカに走りがちですよね。特に戦前のズマール5cmF2など、あくまでも「ライカのレンズとしては」ですがお値段もお手頃ですから、私も含めて「初めて買うライカのレンズ」になりがちです。
 ただこのズマール5cmF2は素材のガラスがとても柔らかいせいで、汚れを取ろうとレンズ用の布で拭くだけで傷が付いてしまうのですよ、本当に。それで傷だらけで“天然のソフトフォーカスレンズ”になってしまっているものも少なくない上、「レンズにコーティングすらしていない」ので、うかつに使うとボケと滲みだらけの何が写っているのかすら良くわからない写真になり、モデルになってくれた女の子にもあまり喜ばれないので、私はあまりお勧めしません。
 私はこのズマールを二本手に入れ、一本は知る人ぞ知る山崎光学さん(よろしければネットで検索してみて下さい)で再研磨しコーティングもしていただきましたが、案外面白味のない、普通の柔らかめで優しいレンズになってしまいました。
 私はむしろ、同じ山崎光学さんに再研磨をお願いして酷かったレンズのクモリを除去していただいた、ツァイス・イエナのビオター58mmF2の方がずっと好きです。色再現はクリアでシャープでありながら描写は柔らかと、とても魅力的なレンズです。
 あと私は、ライカの標準レンズとしてはズマールよりその次に出されたズミタール5cmF2の方が、扱いやすい上にオールド・レンズらしい味があって良いと思いました。何と言いますか、初期と前期のSuper Takumar 55mmF1.8のように描写は優しいし、しかも光は暴れず、女性の肌は艶やかに写るのですよ。
 ライカの標準レンズの評価としては、ズミタールよりその後に出たズミクロン5cmF2の方が遙かに上なのですけれど。山崎光学のご主人によると、ズマールやズミクロンと違って、ズミタールは設計に無理があるのだそうです。けれど私は、「だからレンズの描写に独特の味があるのでは?」と思っています。
 あと、ライカの標準レンズですが、本当はズマリット5cmF1.5cmが欲しいのですけれど、お金が無くてまだ買えずにいます。

 ライカの標準レンズとして有名過ぎるエルマー5㎝F3.5は、確かにシャープでクリアで癖のない良いレンズです。けれどそれだけに、男性や風景をリアルに撮るには良いものの、女性をより美しく撮るのに向いているようには思えませんでした。
 また、エルマーの5㎝もまともに買えば数万円しますが、ベースとなったツァイスのテッサー型のレンズの設計が良すぎるせいか、本家ツァイスのテッサーはもちろん、一万円以下で買えるエルマーの5㎝をコピーして造られたソ連製のレンズ、エルマーの5㎝に本当にそっくりでライカにもそのまま付けて撮れてしまうインダスター50mmF3.5と比べても、写りに殆ど差はありませんでした。
 このソ連製の50mmF3.5ですが、元々ライカのエルマーの5㎝をコピーして造られたものだけに、見た目がとても良く似ているのですよ、本物のエルマーの5㎝に。だからこの一万円もしないソ連製の50mmF3.5の一番前のレンズの周囲の名前等のある部品だけ、Elmarと書き換えたものに高いお値段を付けた物が、特にネット・オークションに少なからず出回っています。
 だからエルマーの5㎝を信用あるカメラ店でなく、ネット・オークションで初めて、それも格安で買おうとお思いの際には、まず本物のエルマーの写真を隅から隅までよく見て、部品の細部から文字や数字の字体まで比べるなどして、気を付けて下さいね、本当に……。
 ただ、よく名前だけ変えてエルマーの5㎝に化けさせられて売られるソ連製のインダスター50mmF3.5も元々良いレンズで、安いけれど写りは本物のエルマーの5㎝と大差ありませんので、この偽のエルマーの5㎝を掴まされても、そうガッカリすることはありませんが……。ハイ、私が持っている四本の“エルマーの5㎝”のうちの一本、最初に買ったやつはネットオークションで掴まされた偽物、その銘板だけエルマーに付け替えたソ連製のインダスター50mmF3.5でした。

 そうそう、ライカのレンズで「あまり注目されていないけれど、お値段の割に良いレンズ」が一本ありまして、それがヘクトール13.5cmF4.5です。初期と前期のSuper Takumar 55mmF1.8のようなフレアや光の滲みは出ませんけれど、色再現は良いし、しっかりピントは合いつつ描写は柔らかく……。このヘクトール13.5cmF4.5、前期のレンズにコーティングをしていない古いものは扱いづらいですが、戦後に生産した後期のコーティングを施されたものなら、私はお買い得だと思いますね。
 ただ何しろ焦点距離が13.5cmですから、ポートレートを撮るには少し長すぎます。けれどセンサーがAPSサイズのデジイチなら約210mm相当、マイクロフォーサースなら270mmになりますので、体育祭などで意中の女性を撮るのに良いのではないかと思います。

 けれど、オールド・レンズという底なし沼にうっかりハマって、私のような駄目人間になってはいけませんよ。
 何しろ私は、「カメラは何十台、交換レンズに至っては何百本持っているか自分でもわからない」、それで「既に買って持っていることを忘れて、同じレンズをまた買ってしまうことが何度かある」という有り様ですから。使えるお金はレンズとカメラ、特に主に半世紀も前の古いレンズに注ぎ込んでしまうので、良い年をして「車は軽自動車で、普段着はユニクロ」なのです。それどころか「安いし丈夫だから」と、服はワークマンで買ったりもしています。
 ええ、もちろんまだ独身ですとも!
 レンズ廃人ですね、本当に……。
 彼女はそれなりに出来るのですけれど、その彼女との付き合いが長くなり、ある程度の年齢にもなって、彼女が結婚を真剣に考えるようになると、いつも容赦なく捨てられてしまうのです。ただの彼氏としては「夢や趣味を持っていてステキ!」なのだけれど、結婚を意識すると途端に「趣味に夢中で金遣いが荒くて、家庭も顧みなそうでサイテー!」と思われてしまって。そしてその自覚もありつつ、そんな自分を変える気になど全くなれずにいるのが、また痛くて辛いところです。
 ライカのレンズと言えば、お話の中で藍華お嬢さまが持つ、ノクチルックスの初期型の手磨きの非球面レンズを使った50mmのF1.2、いつか欲しいですねぇ。後に出された改良型のより明るいノクチルックス50mmF1.0より、プロの写真家が撮った作品を見ても間違いなくイイ味を出しているんですよ。よろしければ投げ銭代わり(?)に、どなたか恵んで下さいませm(_ _)m。

 このお話は、書いていてとても楽しかったです。『深川人情河岸』や『闇より昏き道』のような重いテーマの物語は、「どうしても書きたい!」という強い思いが無いと書き続けられないくらい、書いていて苦しい気持ちに責められます。『狐は北に走る』も、主人公がどれだけ知謀の限りを尽くして頑張っても、悪の女帝の力の前では蟷螂の斧も同然ですし……。
 その点、まずこの話の舞台は大好きな青森県だし、お気に入りのカメラや憧れのバイクや魅力的な女の子たちなど、好きなものばかり出してお話を作れ、しかもハッピーエンドで終えられて、ただ「楽しい!」だけで書けました。
 問題は、「読んで下さった方にも、少しは楽しんでいただけたかどうか」ですが……。何やら読者さまを放り出して、自分の趣味に走り好きな事ばかり書いてしまったように思えて、今後のpv数が恐ろしくてなりません。

 物語の主人公の淳くんには、ペンタックスSPブラックと“魔法のレンズ”を持つだけでなく、私の憧れのバイク、カワサキKH250に乗ってもらいました。
 私も乗りたかったんですよね、カワサキKH250に。けれどKH250は、今ではとりあえず乗れる程度のものでさえ二百万、状態の良いものは三百万円くらいするので、KHは私の頭の中の世界で淳くんに乗っていてもらうことにします。
 ちなみに私は数年前から突然カブが欲しくなり、とうとう去年、ネット・オークションでキャブレター式の古いリトルカブを買ってしまいました。何しろ39,800円と、何とか手が届きそうなお値段だったので。
 けれど安かっただけに状態もよろしくなくて、私の地元で最も腕の確かなホンダ専門のバイク屋さんで、結局は六万円以上もかけてオーバーホールする羽目になってしまいました。これぞ、「貧乏人の銭失い」というやつですね。
 そこまでして復活させた可愛いリトルカブさんですから、純正の風防や前籠、さらにナックルガードやらリアボックス等を付けてツーリング仕様にしました。もうこうなれぱ半ばヤケクソでさらに75ccにボアアップとフロント・スプロケットの一丁上げをして、小型自動二輪(原付二種とも言う)にして主に県内を走っています。今年もうすぐ、やっと手に入れたケイヒンの16PBのキャブレターと、デッドストックの90ccのスーパーカブ用の新品のホンダ純正スピードメーターを装着する予定です。
 ただ、大事に長く乗りたいので、エンジンの耐久性に問題のあるハイカムシャフトへの改造は絶対にしません。あと、「ボアアップするなら、クラッチとオイルポンプを強化しろ!」と言う方も少なくないですが、ボアアップを依頼した、県警の機動交通警ら隊の白バイの整備も長年やっている例のバイク店の店主が「どっちも別に必要ないでしょ」と言うので、クラッチもオイルポンプもノーマルのまま乗っていますが、別にクラッチも全然すべらないし、オーバーヒートやエンジンの“抱きつき”とかも全く無いです。
 よく、「ボアアップとか、プラモデル感覚で自分でやるのが醍醐味でしょ」という人達がいますが、「クラッチが滑るから強化が必要!」とか「エンジンが焼き付いた!」とか言う人達って、たいてい整備もボアアップも全部自分でやっちゃう「素人のバイク好き」なんですよね。プロの整備士に言わせれば、「プロと素人では、ネジの締め方ひとつが違う」のですけれど……。ですから私は、リトルカブについては白バイの整備もしているホンダ専門のバイク屋さんに任せています。
 カメラやレンズについても同じで、本当は高いレンズをワケあり(カビやクモリありとか、グリス抜けとか)で安く手に入れたレンズの修理も、自分でやってしまう人も少なくないですが、私は「この道、何十年!」の信頼と実績アリのプロにお任せしています。
 お金が無いくせに、好きな事には惜しまずお金をかけてしまうのですよねぇ……。

 こんなんだから、服装とか外見にお金をかける余裕なんて、とても無いんですよね。
 カメラを持って、その“リトルカブ改”で淳クンのように青森県に……ですか?
 そんな度胸も根性も、残念ながらとてもナイデス。

 このサイトに最初に投稿したのは江戸時代の深川が舞台の時代小説『深川人情河岸』、次は第二次世界大戦の敗戦直前のドイツを描いた『闇より昏き道』、三番目は奈良時代に蝦夷と共に悪の女帝に支配される朝廷と戦う『狐は北に走る』、そして今度は現代の青春モノの『あの夏の日の、SPブラック』と、「コイツは、一体どんな話が書きたいのだ?」と読者さまを呆れさせる多芸少才ぶりをさらしている私です。
 私は子供の頃から社会、特に歴史を学ぶのが好きでした。だから大学も、史学科日本史専攻コースを選びました。それゆえ、書く物語は一応ですが時代小説が多いです。けれど架空世界のファンタジーだろうが、ミステリーだろうが、読んで下さる方に「次はどうなるのだろう?」と次の展開を楽しみにしていただける物語を目指して、何でも書いてみています。
 ただ純文学小説と恋愛小説だけは、どうしても書けません。と言うか、書きたくないし、書く気になれないのです。
 白状します。これまでに出版社の新人賞に応募した私の作品の中で最も評価が高く最終選考まで残り、その小説誌に1ページ以上も良い点と直すべき点の批評を載せていただいたのは、何とホラー小説でした。

 こんな私ですが、次に投稿する物語も用意しておりますので、一木隆治の名前をお忘れなく、今しばらくお待ち下さるようお願いいたします。
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登場人物紹介

河村淳……東京の、それなりの進学校に通っている。元は絵が描きたかったのだが、描く才能の無さに気付いて、高校進学を機に絵筆をカメラに持ち替える。しかし対象を緻密かつ正確に写し過ぎるデジタルカメラの描写にも今一つ違和感を抱き、絵のように美しく写してくれるカメラ(特にレンズ)を探し、父の祐一が三十年も前に使っていた、初期型のスーパータクマー55mmF1.8が付いたペンタックスSPブラックを押し入れの奥から探し出し、それを愛用する。父の祐一はそれで撮った昔の写真は全て焼き捨てたのだが、カメラとそれにまつわる青春時代の思い出を書いたノートを処分するのを忘れていた。そのノートを見付けて読んだ淳は、父のカメラだったSPブラックと共に、父の思い出の地、青森県を旅してみようと思い立つ。それも受験も控えた、高校三年の夏休みに。彼は決して不良ではないが、「良いんだよ、法律では許されてるんだから」と言って、校則など無視してバイクの免許を取り、親戚から譲られたかつての名車カワサキKH二五〇を乗り回すような自由人である。そして高三の夏の旅にも、そのKH二五〇で青森県まで出掛ける。弘前市と南津軽郡田舎館村の境を流れる平川の河原で、彼は工藤美澪ら地元弘前の城西女学院の四人の写真部の少女達に出逢い、彼女らを愛機SPブラックで撮る。しかし翌日、その四人の少女のうちの一人が失踪し、残る三人の少女と共に彼女の行方を捜す淳の夏の冒険の旅が始まる。実は淳の父も同じSPブラックで撮った愛する少女を、突然の失踪で失っていた。この時代を超えた二人の少女の失踪が、一台のカメラと共に次第に重なって行く。藍華に和香奈、そして美澪と、三人のしかも年下の女の子達に振り回されっ放しのような淳だが、彼もやるべき時にはやる……筈。

工藤美澪……城西女学院の二年生で、家は田舎館村で平川の畔。城西女学院には、入試で高校から編入した外部生。小柄で胸も控え目で、ショートの髪が似合う美少年のような女の子。服もお洒落なものより、動きやすいものの方が好き。とにかく明るく元気でノリも良く、平川の河原の土手の道で淳を最初に見付けたのも彼女。淳のバイクのリアシートを、最初から「自分のもの」と思っているらしい。馬鹿正直な彼女の弟に言わせれば、美澪は「ツルペタオトコオンナ」で、淳は「趣味ワリー」とのこと。猫を思わせる容姿と性格と身のこなしから、友達からは「ミケ」または「ミケちん」と呼ばれている。愛機はロシア製のトイカメラ、ロモ。

蠣崎藍華……城西女学院の二年生で、祖先は鎌倉時代まで辿れる地元の名家。淳の印象では、キリリとした戦国大名家のお姫さま。頭が切れ腹も据わり、彼女に言わせれば淳など「体だけ大きな八歳児」らしい。一見クールに見えるが、友達を思い大切にする気持ちはとても強い。中でも幼い頃からの無二の友、佐藤和香奈との絆は特に強い。工藤美澪や葛西小夜も、もちろんとても大切に思っている。一方、初等部からの女子校育ちのゆえか男ギライの傾向があり、友達に近付く淳には最初から冷ややかで、警戒心を持って接する。持っているカメラはライカM3、それも特に評価の高いダブルストロークのモデルで、レンズもノクチルックス50mmF1.2という最高級品だが、本人はそれを何とも思っていない。

佐藤和香奈……城西女学院の二年生で、家は弘前の隣の南津軽郡藤崎町。一言で表現すれば砂糖菓子そのもののような女の子で、声は甘く可愛く髪も天然の栗色でふわりと柔らか、瞳は夢見ようで唇はふっくらとして、絵に描いたようなゆるふわ系のガーリーな女の子。通称、わかニャー。彼女も初等部からの内部生だが、藍華とは正反対に男に対する警戒心が緩い。それだけに、大親友の彼女に悪い虫が付くことを恐れる藍華の心配は尽きない。やがて大学生や社会人になった時には、合コンの撃墜王になりそうだ。しかし意外にも、その彼女の愛機はプロも使うフルサイズ機のキヤノンEOS 1Dの最新型である。

葛西小夜……城西女学院の二年生で、家は田舎館村。工藤美澪と同じく、城西女学院には入試で高校から編入した外部生。小学校と中学校も、美澪と同じ。野に咲く小さな花のような、目立たないが可憐な少女。ただ小夜には、霊や人のオーラや未来などを視る能力があった。それゆえ学校では気味悪く思われ、母親とその愛人には能力を金儲けに使われて苦悩している。そして淳と出逢ったその日に失踪する。彼女は好きな野の花を撮る為に、マクロレンズの付いた小型のミラーレスカメラを愛機にしている。

葛西寿庵……小夜の母親で、かつては東京に住んでいた。青森に来てからはイタコとしての修行もし、今では女性週刊誌などでも紹介され、テレビの心霊番組にも出ていて、地元では「津軽の生き仏」と評判にもなっいる霊能力者。しかし実は霊視の能力は殆ど無く、娘の小夜に視させてただそれを代弁しているだけ。

福士清彦……小夜の母親、葛西寿庵の愛人。早くから小夜の能力に目をつけ、それを金儲けに利用しようと企む。そして先祖御霊供養会なる宗教団体を立ち上げ、寿庵を教祖に祭り上げてその事務長におさまり、会を思いのままにしている。そしてセミナーなるものを開き、信者を集め小夜に視させ、その報酬に高額なお金を取っている。

仁科さん……蠣崎家の使用人で、蠣崎家のベンツのリムジンの運転手。三十くらいのイケメンだが、ただ者とは思えない何かがある。

河村祐一……淳の父親。子供の頃からの憧れは写真家の森山大道で、学生時代には写真家、それも硬派の社会派のカメラマンを目指して頑張ってもいた。レンズは広角、フィルムはモノクロで……と。しかし幼なじみで二つ年下の太田麻由子が同じ高校に入学してから、祐一の人生は少しずつ変わって行く。最初は妹としか思っていなかった麻由子を、少しずつ異性として意識するようになり、彼女をモデルに写真を撮り始める。そしてフィルムもモノクロからカラーへ、レンズも広角からスーパータクマーの55mmF1,8に変える。そしてその“魔法のレンズ”を付けたSPブラックで麻由子を撮り続けるうち、二人は恋人同士になる。しかし親友同士だった筈の互いの両親は何故かそれを喜ばず、それどころかある日、麻由子の一家は忽然と姿を消してしまう。そして祐一は高三の夏休みに、麻由子を捜す旅に出る。

太田麻由子……仲の良い両親同士に育てられ、二つ上の河村祐一と兄妹同然に育つ。しかし祐一と違い、麻由子は幼い頃から祐一に恋心を抱いていた。そして高校も頑張って祐一と同じ学校に合格し、想いがようやく通じた頃、麻由子に思いもよらぬ不幸が襲いかかり、祐一の前から突然に姿を消す。

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