第3話 これは戦い

文字数 2,864文字

「あの、村田さん」

 恋歌はたずねた。

「クリスマスってどうするんですか」
「どうするって……何を?」
「予定とかないんですか」
「ないね」

 短い変じに恋歌は口をへの字にする。

 相変わらずだけど何なのこの男。

 もうちょっと愛想良くできないの?

 とはいえこれは平常運転。

 恋歌は身を乗り出してモニターを眺める。

 どうやら昨日の分の営業報告書を作成しているようだ。そういえば昨日は会社に村田が帰ってこなかったなと恋歌は思い出す。

 退社時間に営業部をのぞいたとき他の営業部員に直帰を知らされたのだ。

 報告書によると昨日は八王子方面を回っていたらしい。まあ、これは部内のホワイトボードを読んでもわかることなのだが。

 壁にかかったホワイトボードには営業部員の行動予定がそれぞれ書かれている。

 ちなみに今日の村田の欄にはまだ記入されていなかった。

 恋歌が村田の顔のすぐ傍まで寄っていたからか、村田が椅子を滑らせて距離をとる。

「中野さん、邪魔なんだけど」
「……」

 あ、また邪魔って言われた。

 恋歌はモニターから村田へと視線を戻す。

 露骨に迷惑そうな顔があった。

 村田の困り顔を見て恋歌はつい意地悪がしたくなる。

 彼女はぐいと身体を寄せて村田とノートパソコンの間に割り込んだ。

「中野さん、本当に邪魔なんだけど」

 うん。

 邪魔したくて邪魔しています。

 にこりとした。

「えへへー」
「ええっと、これ我孫子部長に提出しないとまずいんだ。できれば早く仕上げたいんだけど」

 村田が頬をかいた。

 恋歌はうーんと考えるふりをしながら腕組みする。わずかに頭を傾げて自分の首のラインを際立たせた。

 ほーら見て見て。

 この色っぽい仕草にくらっとしなさい。

 だが、村田にくらくらした様子はない。それどころか微妙に苛ついたように目を細めた。

 あ、これは失敗かも。

 恋歌は無言の訴えに切り替えた村田にあっさりと敗北を認め、すうっと身体を離す。やれやれといった具合に肩をすくめて村田がキー操作に戻った。

 カチャカチャという音を聞きつつ恋歌は声をかける。

「クリスマスに誘いたい相手とかいないんですか?」
「いないね」

 即答された。

 えーっ、私がいるじゃない。

 という言葉は飲み込んで、ついでにひっぱたきたい衝動もどうにか堪える。

 落ち着け。

 こんなのいつものこと。

 恋歌はにこにこと笑んだまま、しかし腕を後ろで組み直し、自分で自分の手の甲をぎゅーっとつまんで怒りを痛みでごまかした。

 やはり村田から誘ってくれるのを期待するのは無駄か。

 恋歌は百分の一いや一万分の一の確率を放棄して別の手に移る。

「えっと、じゃあ私とどこかに行きませんか」
「行かない」

 またも即答された。

 恋歌は顔を引きつらせかけるが、自分でもぎりぎりな忍耐力で笑顔を取り戻す。

「あのーどうしてダメなんですか」
「いや、仕事あるし」

 今年のクリスマスは平日である。

 社内に有休を取る人もいるが、恋歌も村田も休みは取っていなかった。

 よって二人とも出社予定だ。

 もっとも村田さえその気になってくれれば二人でお休みというのもやぶさかではないのだが。

 恋歌は村田の肩にぴとっと自分の肩をくっつける。

 村田の手は止まらない。

 それが何だか悔しくてそのまま体重をかけた。

「中野さん」

 と、村田。

「重いんだけど」
「……」

 失礼な。

 恋歌は内心で言い返した。

 私、重くなんかありません。

「村田さんがお休みしてくれたら私も有給使うんですけど」
「ん? どうして?」
「そんなの言わなくてもわかるじゃないですか」

 手が止まった。

「全然わからないんだけど」
「……」

 ……嘘。

 マジで言ってるの?

 ありえないんだけど。

 恋歌はついぴくりとしかけるこめかみを手で隠す。その流れで髪を梳いた。

 我慢我慢。

 これも戦いよ。

 この程度で負けてなるものですか。

 こうなるともうはっきり伝えるべきかもしれない。

 恋歌はそう思い、一つ咳払いをしてから告げた。

「私、村田さんと一緒にお休み取って遊びたいんです」
「あーなるほどね」

 なるほどね……って。

 そっけないに天然の付加要素が表面化して恋歌はしばし言葉を失う。

 そんな恋歌のことなどおかまいなしに村田が続けた。

「悪いんだけど君と遊んでいられる余裕はないんだよ」
「えーっ」
「年末だからね。取次も休みになるしその前に済ませないといけないことが沢山あるんだ」
「それ年明けじゃダメなんですか」
「ダメ」
「じゃあ、他の人に任せるとか。成田(なりた)くんとか桜(さくら)さんとか」
「いや、担当エリアが違うし。それに二人を働かせて俺だけ遊ぶ訳にもいかないでしょ」
「えー、なら私はどうしたらいいんですか」
「どうしたら……って、それ俺に聞くの?」

 村田が頭をかいた。

「一人で休めばいいんじゃない?」
「……」

 ひ、酷い。

 こんなに可愛い私にどうしてそんなセリフ吐けるの?

 ピコリンと電子音がし、村田のノートパソコンのモニターにアニメの女性キャラクター(魔女っ娘)が現れてメールの着信を知らせた。村田が慣れた動作でメールを読み始める。

 どうやらアニメ愛好家仲間からのお誘いメールだったようだ。日付がクリスマスと無関係なので恋歌は少しだけほっとした。

 しかし、そこでふと思いつき質問してみる。

「もしアニメのイベントに参加できたら仕事します?」
「そのときは休むよ」
「……」

 あ、私ってアニメキャラ以下なんだ。

 *

 以前、先輩のひとみと村田がアニメおたくかどうかの議論をしたことがある。

 ひとみはおたくではないかと言ったが恋歌は認めなかった。恋歌の中では村田はおたくではなくマニアである。

 おたくとマニアの違いを明確に述べろと問われたら説明に困るがとにかく村田はマニアなのだ。

 恋歌はおたくが嫌いだった。

 なので村田おたく論は絶対に受け容れられなかった。

 たとえメール通知のアプリにアニメキャラが用いられようと、休日にアニメショップ巡りをしようと、自室に大量のアニメDVDがあろうと村田はマニアであっておたくではないのだ。

 うん。

 恋歌は頭を振ってショックから立ち直る。

 マニアなんだからこの反応は仕方ない。

 あとは自分の根気の問題だ。

 がんばれ私。

 恋歌はまたコホンとし、甘えた声で村田にすり寄る。

「休めないならせめて仕事帰りにどこか行きませんか」
「いや、俺に付き合っていたら何時になるかわからないよ」

 それはむしろ望むところ。

 夜のお付き合いになったら絶対に逃さないんだから。

「私、何時まででも待てますよ」
「いや、待たなくていいから」
「……」

 ちくり。

 この人は微塵も私のこと興味ないのかな。

 そんな思いが頭をよぎり、恋歌は胸に小さな痛みを感じる。

 ああ、もう何なのこの感覚は……。

 恋歌は自分の中で起きている変化に苛ついた。それが何なのか理解しようとしている別な自分を全力で阻む。それを知ってしまってはいけないと本能的にわかっていた。

 だから、恋歌は何回も自分に言い聞かせる。

 これは戦い。

 これは戦い。

 これは戦い。

 これは……。
 
 
 
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