第3話

文字数 1,260文字

 それからどれだけそうしていただろう。ふと、シアータは握りしめた土笛の吹き口から、こよりのような白い何かがはみ出していることに気がついた。
 シアータは不思議に思って、身体をゆっくりと起こし、それを土笛の中から引っ張り出した。
中からは白い紙に巻かれた小指の先程の何かが出てきた。シアータは両端の捻られたところを震える手で解いて、丁寧に包み紙を開いた。
 それは砂糖菓子であった。雪の上に落としてしまえば、どこかにやってしまいそうなほど混じり気のない白をしていた。
 息子がシアータのために土笛に仕込んだに違いない。
 どれだけ苦労して手に入れたのだろうか。砂糖菓子はただの村人が、気安く買えるものではない。確かに作物の値が恐ろしく跳ね上がっているために、家には使うあてのない銭がいくらかはあった。しかし、死にゆく老いぼれに、砂糖菓子を贈るのほどの価値があるとは思えなかった。
 シアータの長い人生の中でも、砂糖菓子を食べた記憶は二度しかない。一度目は、姉が神の許に向かう前夜、二度目は、三月かけて都に税を運んだ夫が土産として買ってきてくれた時だ。
土笛を振ると、同じものがあと二つ、中から出てきた。
―三つも!―
 シアータは菓子を一つずつ口の中に入れていった。菓子は口に入れると瞬く間にほろほろ崩れていった。しかし、その優しい甘さは長く口の中に残った。
 菓子を一つ口に入れる度に、シアータは人生のたくさんのことを思い出した。
 そうして、シアータは次第に強くなっていった。シアータは指先がさっきよりずっと温かいことに既に気がついていた。
 シアータは立ち上がって土笛を構えた。そして、息を吹き込む。
 ふおおんという土笛独特のくぐもった、しかし遠くへ響く優しい音が鳴り響いた。
―音が出る!―
 シアータは嬉しくなって、もっと沢山の息を吹き込んだ。土笛はそれに素直に応じた。
 シアータは足を踏み出し、小さく身体を揺すった。よろけそうになっても踏ん張った。曲がりなりにも、それは確かに笛舞であった。
―音よ。山を越えてゆけ―
 老婆の祈りの通りに、辺りの山々に笛の音が響いた。
 ふとシアータは、人生の喜びとは砂糖菓子のようなものだと思った。この世は辛いことばかりだ。しかし、甘い幸せが、小さく儚くとも、所々に散りばめられている。だから、こうして、生きていける。夫と出会った時、子が生まれた時、息子が母のために砂糖菓子を買ってくれたと知った時。己の人生はささやかながら大きな幸せに支えられている。
―見よ、山神よ。生き抜いた私は美しい。ああ、それでも神は姉を選ぶというのか。しかし、そんなことは知らない。全てを味わい尽くした己を見よ。己の音を聴け―
 老婆はありったけの力で土笛を吹き鳴らし、笛舞を舞った。丁度その時、雲が切れ、日が差し込み、広場は白銀の舞台となった。
 気がつけば、シアータの心はずっと若返っていた。もし、天空からその舞台を眺める大鷲などがいれば、大鷲は雪の中をただひたすらに舞う乙女の姿を見ただろう。
 乙女はその命の限り永遠に奏で続けた。
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