第4話 その1

文字数 3,391文字

 トロピカーナ芽蔵真での騒動があった翌日の昼下がり。逸斗は一人、芽蔵真市のとある屋敷をやって来ていた。
 昨夜はほとんど徹夜だったので、仁都は家で寝ているはずだ。
 驚いたことにアクセルキャットも『私もちょっと疲れたニャン。今夜は泊めさせてくださいですニャン』と言って、逸斗の部屋でスリープモードになってしまった。おまけにちゃっかりコンセントを伸ばして充電までしていた。電気代は大丈夫だろうか。
 目が冴えてとても眠れるような気分ではなかった逸斗は、居ても立ってもいられずに行動を開始した。ある番号に電話して、面会の約束を取り付けた逸斗は、三度目にして初めて日中の芽蔵真市に訪れていた。
 通された部屋は応接間、とでも言うのだろうか。絵画や調度品などが飾られた部屋で、逸斗が豪奢なソファーに座り、窓から庭を眺めていると、相手はすぐに現れた。
「お久しぶり、というほどではございませんわね。ごきげんよう、逸斗さん。昨日は急に姿を消してしまったので、どうなさったのかと思いましたわ」
「すいません。急用を思い出しまして、すぐに帰らないといけなくなりまして……失礼しました、瑠那さん」
 逸斗が訪ねたのは、芽蔵真市で知り合った怪盗マニアのお嬢様、二十院瑠那の住む屋敷だった。
 ちなみに彼女のお付きドジッ娘メイド、相沢頼子の姿は見当たらない。電話からインターホン越しでの敷地内の案内まで、全て瑠那本人が逸斗に応対してくれた。
 立派な庭があり、かなりの部屋数がありそうな、広々とした屋敷(逸斗は最初に見たとき自分の市の市立図書館を連想した)なのだが、今日は瑠那一人しかいないのだろうか?
「それならよいのですけれど。もしや何かあったのかと思って、心配していましたのよ。わたくしだけでなく、頼子さんも」
「それは……どうもご心配をおかけしました」
 挨拶を交わしながらも、逸斗は会話に上の空だった。彼の視線はただ一点、瑠那の胸の辺りに注がれていた。
 瑠那の服装は、初めて会った夜に着ていたものによく似た黒いワンピースだ。
 しかし逸斗は別に、あの夜に掴んだ、控え目ながらも柔らかい瑠那の胸の感触を思い出しているわけではない。
 今の彼は、エッチな気分になるどころではない。
 逸斗が見ているのは、瑠那の胸元で揺れている、小さなタマゴ型をした金色のペンダント。
 初めて会った夜にも瑠那がそのペンダントを付けていたことを、逸斗は覚えている。トロピカーナ芽蔵真では水着だったにも関わらず、同じものを首から下げていた。お気に入りなのかもしれない。
 過去に瑠那に会ったときはそんなことを感じただけで、特に気に留めなかったペンダントであるが……今の逸斗にとっては、そのペンダントはとても大きな意味を持っていた。
 金の、タマゴの、ペンダント。
 月の光を封じ込めることが出来るという『アルテミス・エッグ』に瓜二つの金細工だった。
 それだけなら偶然似ているだけだと思うところだったが……
「でも逸斗さん。よくわたくしの住所と電話番号をご存じでしたわね。頼子さんが教えていたんですか?」
「いや、それは、その……」
 本当のことを言えずに、逸斗は言葉を濁した。
 言える訳がない。瑠那の住所と電話番号なら、『軌跡・第99号』の、『アルテミス・エッグ』についての情報が上書きされたページに載っていた、だなんて。
 『軌跡・第99号』……盗んでしまった罪悪感から昨夜まで開いたことはなかったその本は、ただの本ではなかった。
 あの本は、芽蔵真小学校の卒業アルバムだったのだ。
 『フウカW6』のレンズを通したときにだけ光って見えるインクで書き込みがされていたページは……卒業した生徒の住所録だった。
 卒業生である二十院瑠那の住所と電話番号は、そこにハッキリと書かれていたのである。
 これはさすがに偶然とは思えなかった。
 怪盗キングが全てを分かった上で、あの本の、あのページに細工をしたのだとしたら……
 瑠那のペンダントは、『アルテミス・エッグ』によく似た別物などではなく……
「それで逸斗さん。わたくしに折り入って話があるとのことでしたが、どのようなご用件でしょうか?」
「あの、瑠那さんにお尋ねしたいことがありまして……」
「何かしら?」
「……」
 果たしてこれを聞いてしまって本当にいいのか?
 しかし、尻込みしていてもしょうがない。逸斗は思い切って尋ねる。
「そのペンダント、もしかして、『アルテミス・エッグ』というものではありませんか?」
「あら。よく御存じでしたわね」
 あっさりと。
 本当にあっさりと瑠那は首を縦に振った。
「祖先が趣味で集めた芸術品の中にありましたのよ。わたくし、一目で何だか気に入ってしまいまして。最近はこうして身に着けていますの。逸斗さんもこういうものに興味がおあり?」
「興味というか、なんというか、その……瑠那さん!」
 逸斗はやおらソファから立ち上がると、高級そうな絨毯に膝をつき、瑠那に向かって額をこすりつけて懇願を始めた。
 ジャパニーズ土下座である。
「ちょ、ちょっと、逸斗さん?」
「お願いします! 僕にそのペンダントを譲っていただく……いえ、せめてしばらく貸していただく訳にはいかないでしょうか?」
 突然の申し出に、瑠那が怪訝な表情を浮かべる。
「どうして『アルテミス・エッグ』を?」
「詳しい事情は……言えないんです。すみません。でもどうしても『アルテミス・エッグ』が必要なんです!」
 平身低頭のまま、拝むような口調で逸斗は続けた。
「凄く高価な物だということはよく分かっています。お金はちゃんと払います。いや、多分、僕のおこづかいなんかじゃあ全然足りないでしょうけど……アルバイトして稼ぎます! 僕に出来ることがあれば、何でも言ってください!」
 『アルテミス・エッグ』があれば、長年自分を悩ませ続けた変身体質から、解放されるかもしれない。
 それに自分だけでなく……
「僕だけでなく、家族を……妹も助けてあげられるかもしれないんです! アイツは僕と違って、全然危機感がなくって、危なっかしいから、早く何とかしてあげないと……」
 トロピカーナ芽蔵真で人前に変身後の姿で現れた仁都が脳裏に浮かぶ。
 アイツは自分達がどれほど『一般人』から離れた位置にいるのか、分かっていない。いや、分かっているかもしれないが、それを危ないことだとは思っていない。
 もしも世間から迫害されたとき、どうなるかなんてことを、まるで分かっていないのだ。
 だから一刻も早く、兄である逸斗が、この厄介な『体質』を何とかしてあげなくては。
「どうかこの通りです! お願いします!」
 逸斗は恥も外聞もかなぐり捨てて、必死で頼み込んだ。
 ここまで必死になって誰かに何かを頼んだのは、生まれて初めてである。
 果たして、逸斗のそんな熱意が伝わったのか……
「顔を上げてくださいな、逸斗さん」
 言われてゆっくりと、逸斗が土下座から頭を持ち上げると、目の前には後ろ手を組みながら困ったような表情を浮かべる瑠那の姿があった。
「お話は分かりましたわ……何と言えばいいのかしら……はぁ」
 軽いため息の後に、仕方なさそうに微笑んで、瑠那は続ける。

「貴方にはガッカリですわ」

「え……?」
「ここまで準備万端、パーフェクトに用意をしてさしあげたのに、まさかこんな形で予想を裏切ってくるだなんて。まったくもう。わたくし、心底落胆いたしましたわ」
「あの、すみません、瑠那さん。おっしゃってる意味が……」
 さっぱり分からなかった。
 『アルテミス・エッグ』は譲れない、ということなのだろうか? それにしては何だか妙な言い回しだが……
「まだお分かりになりませんの? つまりですね……こういうことだよ!」
 瑠那が背後に隠していた両手をバッと横に広げる。
 彼女は左手に持っていたシルクハットを頭に被り、右手に持っていた金色の仮面を顔に装着すると、声高々に宣言する。

「我が輩は二十院瑠那! またの名をぉぉぉ、怪盗キングぅぅぅ!」

 鈴の鳴るような可愛らしい声のまま、しかし口調だけは逸斗の知る傍若無人な怪盗のもので瑠那は言う。
「改めてお見知りおきを、逸斗君」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み