喫茶店での作法

文字数 1,461文字

 純喫茶でランチや軽食を頼む時、先輩から教わった作法がある。
 まず店内に入って客が少ないときは、壁際の席に座る。カウンター席の場合は端から一人分空いた席に座り、そのあと店内を見回す。明るいインテリアなら昭和のロマンが漂い、黒を基調とした店内なら落ち着が漂う。しかし大切なのは細かいサービスの質室やインテリアを調べるのではなく、自分と言う人間がこの店にいて、〝自分の時間〟を適度に過ごすのに相応しい人間か、自分と店の関係が〝他とは違う何か〟を醸し出すかに相応しいかを確認するための行為だと教わった。
 給仕がお水とおしぼりを出してくれたなら、頼みたいメニューを注文する。この時、変に甘い物や焼き菓子などを頼んではいけない。ナポリタン等のパスタ類も悪くは無いが、絵になるのはサンドイッチだ。世の中には色々なサンドイッチがあるが、四種類くらいのサンドイッチに固ゆで卵がついているのがあればそれを頼むべきだ。数種類のサンドイッチの柔らかさと、固ゆで卵の無骨さのコントラストが、味よりも重要なのだ。
 一緒に頼むコーヒーは基本的にホットコーヒーでなければならない。ブレンドやアメリカン等、色々な名前があるそこは重視しなくていい、同様にミルクと砂糖の有無も関係ない、大切なのか温かいコーヒーがコーヒーカップとソーサーで出てくるという事だ。もしコーヒーだけを飲むなら、ホットコーヒーを極力選ばないといけないという事も先輩から教わった。
 軽食やコーヒーが提供されるまで、少しの時間があるが、この時に目を通すのは文庫本にしろと言われた。スマートフォンは勿論、スポーツ新聞や写真週刊誌など下世話な内容を扱う類の媒体は絶対にダメだ。特にスポーツ新聞などは「射幸心と他人の不幸の味に毒され、牙を抜かれた男の読むもの」だから絶対に読むなと先輩に言われた。今の時代ならかなりのジェンダーバイアスがかなりかかった発言内容だったが、実際に広告や内容に目を通せば先輩の意見も納得だった。
 待ち時間で読む文庫本は、小説が一番だと言われた。その小説も日本や海外の有名な文学者が執筆したものが良いと言われた。アニメの原作になっているような小説は、内容が子どもっぽいからお勧めしないとの事らしい。完璧なのは海外の文学作品、ヘミングウェイなどのアメリカ文学が良いらしい。たとえ文学作品であっても、繊細さよりも無骨さやタフさが漂う物を選べと言われた。
 料理とコーヒーが出されたら、慌てて食べてはいけない。商業主義に凝り固まった安いファミリーレストランではないから、ゆっくりと一つ一つ、コーヒーと食事を口に運ぶ。小説や短歌の段落や文節の様に、呼吸するようにして、一連の動作を続ける。食べ終えて店を立ち去るときは「お会計を」という言葉をさりげなく言うのだ。

 その妙に堅苦しい作法を何故守るのかと、僕はコーヒーを飲みながら先輩に質問した。
「何故って、カッコいいし様になる。‶あの人なんか違うな〟って思われたいだろ」
 先輩の言葉を聞いて僕はなるほどと感心した。何気ない場面でも自分を特別な存在に見せたいのだ。もし女の子の店員が居たら、そう言う人間に特別感や魅力を感じる場合があるかも知れない。
 先輩と会わなくなってもうすぐ二年になる。一人でコーヒーを飲む時や喫茶店で軽食を食べる時に先輩の作法を守って実践してみるのだが、異性の店員は勿論、同性の店員から特別な眼差しを向けられた事はない。だが一人で過ごしている時を特別な時間だと感じたい時には、先輩の作法は非常に役立っている。

(了)
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み