文字数 2,363文字

 以降智也とは音信不通になり、僕は高校を出て東京にある大学に進学する事になった。進学に伴い僕は東京都北区の西ヶ原にアパートを借りて、一人暮らしを始めた。自分一人での生活は、最初の内は心細くホームシックに苛まれる事もあったが、大学や東京にやって来た友人達などを招き入れるようになると、次第に心細さも和らいで行った。オスのライオンは自分を育ててくれた群れを離れ、自分の群れを持つようになって一人前になるというが、僕も形は違ってもそのように変化しているのだろうと思った。
 一人暮らしにも慣れた時期、僕は同じ高校から大学に進学した友人の柴田と川崎の二人をアパートに招いた。自分が借りている部屋に友人を招き入れると、自分が弱い子どもから、大人と呼ばれる地位と責任を負ったような気持ちにさせた。
 僕達三人はコンビニで買ってきた酒とつまみを口にしながら、東京での暮らしや大学での日々、アルバイト先で起きた事をネタに会話を楽しんだ。だが酒とつまみと共に会話のネタが少なくなってくると、川崎は持ってきたタブレットを開いてエロ動画の鑑賞会を始めようと言い出した。僕は正直他人からわいせつな物を自分の部屋に持ち込まれるのに抵抗感があったが、酒の席で興が冷めるような事はしたくなかったので黙認した。
 川崎はタブレットの中にある、ダウンロード購入した動画をあさったが、見飽きたのか再生しようとはせず、購入サイトを開いて、新しく購入する作品の意見を僕と柴田に求めて来た。僕は柴田と共に酒臭い息を吐きながら、赤くなった顔をタブレットの画面に近づけ、スクロールされる、商品となった女たちを目で見送った。だがその中の、いかにも低予算で作られたチープな作品のジャケットに見覚えのある顔を見つけた。
 絵里奈だった。
 僕は川崎が画面をスクロールさせる動きをとめたのを見て、絵里奈の女優名と顔を覚えた。整形したのだろうか、絵里奈の目元は不自然な笑顔を湛えて、泣く事も本心からも許されない環境に居る事を、僕に教えているような気がした。
 その後僕達は関係ない別の人間が出ている動画を観たが、絵里奈の事に意識が持って行かれた僕は酔いが醒めてしまい、楽しむ事が出来なかった。宴が終って柴田と川崎を送り出した後、僕はスマートフォンを使って先程のサイトを見て、絵里奈の出演作を調べた。出演しているのは低予算の作品が四本。そのうちの一本は大宮の現役風俗嬢のデビュー作と銘打たれている。どれも自分の本音を言えぬ表情に作り変えられ、何の変哲もない肉体を商品にされているその姿は余りにも痛々しかった。
 僕はスマートフォンの画面を閉じ、開けられたチューハイとビールの缶を眺めながら泣き出したい気持ちになった。自分の知っていた智也も絵里奈ももういない。そしてその場に居たはずの僕も、三人で一緒に居た自分ではないのだ。その非情な事実が僕の心をめちゃくちゃにして、過去の思い出の何もかもを侵食して台無しになって行くのが分かった。

 その日以降、僕は自分の淡い過去の記憶を意識しなくなった。子どもだった頃に執着するのは自分の成長を自分で阻害しているような気がしたし、悲劇に見舞われた人間を意識してばかりいたら自分まで悲劇的な運命を迎えそうな気がしたからだ。大人になる事が川の流れであるのなら、その流れは枝分かれして大きくなり、やがてゴミを浮かばせて濁って行く。そして美しく清らかな水と川は日常の生活に溶け込み、特別なものではなくなるのだ。僕はその事実を改めて噛み締めた。

 大学も三年になると、僕は大学を卒業したら東京で就職して、栃木県出身の東京都民になる事を決めた。東京の方が田舎生まれの僕にとっては新たな発見と刺激に溢れていたし、地元に戻っても親しかった友人は散り散りだし、年老いて行く両親と共に一緒に過ごすメリットも感じなかった。客観的視点から見れば地方を見限って東京に居つく非情な若者。と形容される人間なのだろうが、当事者の僕から見ればその方が自分を飛躍させる気がしたし、川を出て大海の一部になった方が気楽だった。
 僕は大学を出た後、東京の板橋区にある建築関連の企業に就職した。僕の通っていた高校大学のランクからすれば、正直な話二ランクくらい落ちる会社であったが、下手に大手を狙って面接に何度も落ちるよりも、脆弱な生活環境を安定させるためには確実に就職が決まる方が僕には都合が良かった。少人数の企業故に事務以外にもする事が多々あったが、勤めている人達全員の顔を覚えられる安心感があった。給料は家族的雰囲気がある中小企業としては十分な水準で、金額よりも自分が安らかな気持ちで働ける事が嬉しかった。生活が安定してくると、精神的な余裕が生まれてインスタグラムなどのSNSにも手を出すようになった。連絡先や住所などの個人情報を同期させると、自分と繋がりの人達の現状が一覧表の様に表示されて、僕にちょっとした驚きを与えた。その表示された人達の中に、智也と絵里奈を探してみたが、見つけられなかった。僕は安堵にも似た感情を抱いて、自分のインスタグラムのページを作った。自分のページがあれば、智也と絵里奈が落ち着きを取り戻した時に、僕を見つけてくれるかもしれないという淡い期待を持ちながら。

 そうして僕は平穏な日々を過ごした。お金を貯金して中古だが自動車を買い、帰省や一人旅の足にする事も覚えた。自分で車を運転して、行く先々の風景や食べ物、宿の様子などをSNSやブログに載せて発信すると、ある程度の反応を貰うようになった。生きがい。という事が出来るほどのものではなかったが、中小企業の一社員のである僕に、何らかの付加価値を与えてくれているようで嬉しかったし、過去を捨て自分が前に向いて生きているような気がした。
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