第1話

文字数 1,659文字

 内閣府の推計によれば、「2025年には 65歳以上の高齢者の約5人に1人が認知症になる」と予想されている。1年後のことだ。

 3月のある日、仕事関係で知り合った全くの異業種の青年と呑みに行った。彼は私より約 40歳若いが、古き良き昭和の生き方をしていた。(彼のことは後程、改めて述べる。)
 「せっかく呑むなら朝から呑もう。」
とのことで、店は私が 34~35年前から行きつけだった上野アメ横のガード下のもつ焼き屋に決まった。
 朝10時の開店とともに、店内のコの字型のカウンター、道端(みちばた)の2卓のテーブル席は5分で満席になった。カウンター席は丸椅子が 17~18席でぎゅうぎゅう詰めだった。
 カウンターの中の調理場を取り仕切るスタッフは3名、外回りが1名で、リーダーは気風(きっぷ)のいい下町のお(ねえ)だった。
 皆、席に着いた。そして訪れる静寂…。(よしっ! 呑むぞ!!)気合十分だった。
 リーダーのお姉は皆を見回した。
 「はいっ! まず最初にお飲み物から注文聞くよ。はい、端から順に。」
 「瓶ビール1本、グラス2つ。」
 「はいよっ! 端奥(はしおく)*さん、瓶ビ1本、グラ2丁~~っ!」 (*カウンター席には席の呼び方が決まっている。端奥(はしおく)はカウンターの奥の端の席の意味。)
 テンポが速い。いざ自分の番になってもたもたしていると、
 「はい、一回飛ばすねっ!?」
となる。
 かくして今度は焼き物の注文だ。
 「はい、角前(かどまえ)さん**、てっぽう、しろ、軟骨、ハツ2本通しタレで。」(**カウンターの(かど)の前側の席)
 もつ焼きの炭火焼き台からはもうもうと煙が上がり、
 「はい、中追(なかつ)い***1丁~っ」(***ホッピー、レモンハイなどを割る甲類焼酎のお替りのこと)
 10分も経たないうちに店は盛り上がってきた。

 「はい、てっぽう、しろ、軟骨、ハツ、タレで(焼き)上がったよ~?」
 ………。誰も反応しなかった。
 「あれっ!? 誰ですかぁ~?」
 ………。皆、顔を見合わせているが、誰も名乗り出ない。
 「確か、そちらの(ほう)からだったけど。」
 「お客さん、あんたじゃないの?」
 角前(かどまえ)に座ったお(じい)さんの隣の兄さんが尋ねた。
 「えっ………? あっ?! 俺か??」
 「注文したこと忘れちゃった?」
 「あっ、そうそう、俺だった。ハハハ。」
 角前(かどまえ)のお爺さんは照れ臭そうに皿を受け取った。
 「俺、80だよ。」
 「お爺さん、若いじゃん。」
と皆で励ます。
 お(じい)は、そこからがいけなかった。
 「これは一体何だ?」
 「それは、てっぽうとハツです。」
 「俺、これは頼んでいないぞ。」
 照れ隠しからなのか、注文した焼き物の種類に因縁をつけ始めた。
 (小さな声で)「ちっ、頼んでたじゃねぇかよ。」
 その光景を見ていた2つ離れた席の若い客が、聞こえよがしに舌打ちをして言った。

 角前(かどまえ)に座っていた80歳のお爺さんは、おそらく初期の認知症だった。短期記銘(きめい)障害(直近の出来事が、その部分だけ記憶から脱落するもの忘れ。)があり、先ほど注文したことを忘れていた。そして、高いプライドがさらに対人関係を悪くしている。体裁(ていさい)を取り繕うために「実はちゃんと覚えていたんだ」ということを示そうとするのだ。
 注文したことを忘れていた人が、注文の内容を細かく覚えているのは可笑(おか)しな話だ。
 これからそんな高齢者が増えるのだ。
 店の雰囲気は 30数年前と比べ、(なめ)らかで心地よい緊張感がなくなり、ぎくしゃくとしていた。

 んだの~。

 さて写真は、先日、靴の踵外(かかとはず)れをご縁に知った酒田にある居酒屋の焼き鳥である。

 手前から鶏肉、せせり、ハツ、皮で、味付けはタレである。タレは女将(おかみ)が継ぎ足し継ぎ足し使っている自家製である。美味しい。
 その店の客は常連が多い。常連客同士は顔を知らなくても皆、女将を介して通じている。
 一方、都会の居酒屋は、全く見ず知らずの人たちが絶妙な距離感を保ちつつ、そこの空間と時間を共有して楽しむ。
 これから増加する認知症の高齢者は、顔見知りが集まる地域の居酒屋で暖かく見守るのがいいと思った。
(2024年3月)
 
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