ただ、泣くことしかできなかった

文字数 6,742文字

 最終演目が終わり地区大会の幕が降りた。オーディションから思い返せば長かったはずなのに、終わってしまえば意外と呆気ない。
 俺たちの上演は今日の朝一からだった。昨日の上演終了後に搬入は済ませているため、もたつくことなく冷静に挑めたと思う。けれど、撤収して学校に大道具を持ち帰り、再び、この坂南文化小劇場まで戻ってくるのは、結構重労働で余韻に浸るどころではなかった。
 中日であれば直帰していいところ、最終日の今日は、上演終了後に、先生や実行委員が選考をする。その間にすべての高校でワークショップやら、レクレーションやらで打ち上げをするのが習わしらしい。こんな大勢で何をするのか楽しみだ。そして、最後に県大会出場校の発表がある。
 サッカーの試合の場合は、終わった後に相手校と打ち上げをして盛り上がるなんてことはまずなかった。しっかりアイシングしたり、ストレッチしたり、その後すぐに自主練に行ったりと次に活かせるようにと、常に気を張っていた気がする。
 サッカーは好きだった。今も好きだ。でも、今のように楽しんでいたのだろうかと考えさせられる。楽しいだけが全てではないけれど、今のように無邪気な笑顔になれる瞬間はあったのだろうか。
 
 ワークショップまであまり時間がなかったため、坂南小劇場までの道のりで歩きながら昼食を済ませた。駅を出てすぐの中路を入ると少し行ったところにスーパーがある。そこでおにぎりやロールサンドなど買った。地元のスーパーってやつで好きな味付けだ。

「わー! 唐揚げ落ちたー」
「ゆきち、何やってんの?」
「だって、腕が限界す」
「なんか俺たちだけごめんね」
「いや、十和くんのせいじゃないから」

 
 十和くんは同じ二年の部員で、今回は舞台監督助手と演出助手、照明をしている。キャストではなく、スタッフを学びたくて演劇部に入ったらしい。俺も最初はそれでいいと思っていたけれど、今は違う。初めて生で舞台を見て、より強く思った。
 キャストになりたい。
 実際にキラキラとした煌めく光が目に映ったわけではないし、オーラが見えたわけでもない。けれど、確かにあった。みんなの周りは輝いていた。練習のときに見せていた表情や、立ち回り、同じはずなのに舞台の上では同じであって同じではなかった。限られた空間にないはずの情景が見えた。
 かっこよかった。
 誇らしかった。
 くそくらい羨ましかった。
 みんなの活躍をリアルタイムで見れて嬉しくて楽しくて、そこに音響として参加していることにめちゃくちゃ興奮した。
 次はこのステージに絶対立ってやると心に決めた。


「でも、僕と三屋本くんだけ助手席に座って……」
「十和先輩、これは公平です。ちゃんとじゃんけんで勝ったんですから」
「俺は楽しかったよ。ゆきちso funny」
「ファニーって、俺の腕はパンパンだよ!」

 帰りのトラックで五人は助手席に座れなかったため、三人は荷台に乗っていった。法律的にはダメなのかもしれないけれど、二人でやるのは無理だし、自分たちも大道具のひとつになったつもりで乗り込んだ。そこまではよかった。けれど、ゆきちの隣に置いてあった開帳場が、少し傾いていたため、バランスを取れずにゆきちのほうに倒れかかってきた。潰されないようにゆきちは学校に着くまで、ずっと開帳場を支えていた。俺は微かに手が届いたので、少しは支えられたけれど、微弱すぎてあまり意味はなかったと思う。

「くるなくるな、ふー。こんどはこっち!」

 架橋はゆきちの真似やってみせた。

「あろんはずっと笑ってただけだろ。あっ!」

 ゆきちはどこかを指差した。それに釣られて全員その方向を見た。

「あんドーナツうめーわ!」

 はっ、と気づいた瞬間、左手にある架橋のあんドーナツを半分ほどかじりつき、勢いよく走りだした。

「ゆきち、逃した魚はでっかいぞ!」

 残ったドーナツを口に頬張り、荒れ狂うように追いかけた。

「あいつらマジで何やってるんすかね?」
「中良きことは良きことかろ」
「笹井くん美しきかなだよ」
「えっ? あー」
「架橋くんも使い方違うしね。日本語って日本人でも難しいね」

 何も言えない……。
 ふたりが走って行ってしまったため、残った三人も小走りで追いかけた。
 今日は比較的空に雲が散らばっているけれど、暑いには変わりない。時より日差しが遮られ照りつける熱さは少ないにしろ、走れば汗だくだ。
 劇場に着く頃にはみんな髪からは汗が滴れ、背中には水溜りのようにくっきりと汗が滲んでいた。
 一階の図書館を抜けてエレベーターで二階の会場まで上がった。エアコンが効いていて汗ばんだ身体を速攻でクールダウンしてくれる。

「ロカ男! こっち」
「絽薫くん」
 
 フロントで昇流と百彩ちゃんが待っていてくれた。

「無事完了です!」

 ゆきちがふたりの前に出てきて敬礼をした。

「ご苦労であった!」

 いつでも準備万端なのか、演劇部だからなのか、相手に合わせてすぐにアドリブでストーリーが展開しそうだ。

「福居先輩、ゆきち、今はエチュードする暇ないですって」
「……あー」

 この一瞬で完全に何かの役になり切っていたようで、ハッと現実に引き戻されたように呟いた。

「絽薫くん、使って」
「うん、ありがと」

 汗だくの俺を見てハンドタオルを貸してくれた。今はいつものルーティンのようで遠慮することなく、貸してもらった。

「福居先輩言っちゃってくださいよ。新婚見せつけるなって」
「中良きことは美しかなだろ!」
「マジっ!」

 会場の中に入ると、学校ごとに集まっていた。隙間なく席が埋まり、こんなに大勢でこの大会をやっていたのかと、驚くほどだ。
 ワークショップは、演劇関係の仕事や劇団をしているOBやOGが講師として基礎をやったり、役者を目指すならどうするかなど、軽めな話から真剣な話まで質問を交えてしてくれた。
 自分はまだどうしたいかわからないけれど、為になる話を聞けたことは、将来を考える上でいい収穫になったと思う。


「それでは、四位から発表していきたいと思います」

 打ち上げが終わり、早速、表彰式となった。

「四位、杉ヶ丘高校、【叫び!】三位、藤宮元島高校、【夏の日の夕暮れ】二位、山吹原高校、【明日の恋】一位、地区大会連覇の堤大山高校【シンプル】、以上四校の代表生徒は舞台までお願いします。表彰式を行います」

 実行委員の生徒が丁寧に読み上げた。それとともに、ライブ会場のような喝采が響いた。
 先輩たちも大いに喜んでいたけれど、大山先輩は、少し悔しそうにも見えた。拳を握り締めて、太ももをトントンと叩いていた。
 
 表彰式も終わり外の駐車場に集まった。この期間は高校演劇のために、他を利用する人たちはほとんどいない。自動車の出入りは少なく、駐車場にいても問題はないはずだ。

「四日間、お疲れ様でした!」
「お疲れ様でした!」
「二位だったかー、一位でいけると思ったんだけどな。まあ、悔やんでも仕方がない。切り替えて次の県大会に向けてやるしかない」
「お疲れ様でした! 県大会が最後じゃないからな。中部大会、最後は全国大会だ。俺たちの目指すところはそこだからな! それぞれ細かいミスがあった。まずそれをしないように、もっと意識を高めていこう! そこを直せば県大会はいける! 中部大会行くぞ!」
「はい!」
「俺もいい?」

 主役の宮市先輩が手を挙げた。

「お疲れ様でした。 今回どの学校もレベルが高かったと思う。ストーリーの構成や、演技もそんな大差なかったんじゃないかな? 一位で抜けた堤大山は今回キャストがほぼ一年だって、さらっと言ってたけど、もし俺たち山吹原だったら、無理だったんじゃないかな? とかそんなこと考えると……悔しいってか、虚しいって思うんだよね? でも、俺はこれからを担う二年一年にはめちゃくちゃ期待してる。こんだけできる先輩たちがいてさ、見れてさ聞けるってそーないよ。俺たちのときなんか、ねえ? まあ、長くなったけどこれからはもっと俺たちに聞いてほしいし、意見をぶつけてほしい。俺たちだけじゃ見えてない部分だってあるだろうし……こんな感じかな? お疲れ様でした!」
「お疲れ様でした!」

 宮市先輩の言う通り、きっと俺たち二年や一年だけなら無理だったと思う。どうやったら堤大山のように、入部して数ヶ月であそこまでの演技力が身につくのか教わりたいくらいだ。

「明日はゆっくり休んでまた明日から頑張ろう!」
「冗談言うなよ、大山。あのな、そーしたいのは山々だけど、一週間後なんだわ、県大会。で、明日は今日の反省点を踏まえて、シーンごとと通しとやっていこうと思ってる」
「んで、明後日からは二泊三日で合宿だ。学校だけど、授業があるわけじゃないから、いつも通り私服でくるように!」
「はい!」
「今日は解散、お疲れ様でした!」

 午後五時過ぎ、帰路についた。先輩たちの挨拶や、みんなの顔を見ていると、地区大会を突破したんだと、ようやく余韻に浸ることができている。

 地下鉄に乗り、乗り換えでみんなと別れて百彩ちゃんとふたりになった。今日は一緒にいる時間があまりなくて、会場に戻りハンドタオルを借りたときくらいしか話していない。
 改まる必要もないのに、なぜだかぎこちなくなってしまう。

「あのさ、ほんと助かったよ、タオル。洗って返すね。うん」
「うん。いつでもいいよ」

 電車内はエアコンが寒いくらい効いていたのに、乗り換えの通路は弱冷房らしい。五分も歩けば汗が滲んでくる。

「……今日はあまり話せなかったね?」
「うん」

 隣を向きながら返事をすると、少しはにかむような横顔が見えた。
 足音とアナウンスの音が、変わり映えのしない狭い通路に響く。
 会場に行くため利用しているけれど、このやたらと長い乗り換えの距離は、どうにかしてほしい。

「一緒にキャストになれたらいいのに……」

 微笑むようにサラッと言われた。

「えっ、なろうよ。来年の大会はもちろん。文化祭と合発も」
「あっ……、そうだね。なれるように頑張ろっ。ねぇ、電車来てるよ。走る?」
「うん」

 百彩ちゃんの目が一瞬泳いでいるように感じた。入部してからすぐに大会で、俺や一年のように基礎練習をあまりやっていないから、不安なんだと思う。けれど、エチュードや、台詞の読み回しを見る限り俺なんかよりも上手いし、心配する必要なんて全然ない。
 電車に乗り込み、端の席に座った。エアコンの風に飛ばされるように、滲んだ汗も乾いていく。

「百彩ちゃん。百彩ちゃんなら、キャストになれると思うよ。俺より台詞言うの上手いしさ」
「えっ、そうかな? わたしは絽薫くんこそなれると思うよ」
「そーかな?」
「そうだよ」

 何気ない言葉だろうけれど、悪い気はしないし、嬉しい。

「一緒になろうよ。恋人役とかさ、そしたらさ……」

 心の声が漏れてしまった。付き合っていないのなら、せめて役柄だけでもと切ない願いだ。バカすぎて下を向いたまま顔を上げられない。

「恋人役なんだ……役」

 視線を感じて、顔を上げながら横を向いた。心臓が跳ね上がるほどの近距離だった、目が合ったのは。時間が止まってしまったかのように、数秒動けなかった。

「あっ」

 ふたりとも照れくさそうに、前を向き直した。
 顔が熱くて、やかんのように音を立てて吹き出しそうだった。わずかに焦る気持ちを抱きつつ、まずは顔面を冷やそうと上を向いた。この席、丁度よく冷房が当たる。ほんのりと漂う花の香りに鼻をくすぐられ、自然と口元が綻ぶと、多少の平然を取り戻せた。

「あのさ、百彩ちゃんっていっつもいい匂いするよね?」
「えっ? そう?」
「うん、女子って感じの匂い」

 さりげなく言ってしまったけれど、俺の言っていることは変態的な雰囲気ない? もしかしたら平然を取り戻せているつもりで、以外と取り戻せてない? やってしまったかもしれない。もしみっちゃんにこんなこと言っていたら、キモイよと吐き捨てられていた気がする。

「ありがとう。そう言ってもらえて嬉しい」
「えっ?」

 考えていた答えと違っていて言葉に詰まった。百彩ちゃんは、んっ? どうしたの? という感じですこちらを向いて首を傾げた。

「あっ、いや、その、ほんとに好きな匂い」
「ありがとう」
「うん」

 地下鉄から上がると、まだ昼間のように日差しが熱かった。借りたハンドタオルで汗を拭き、とぼとぼと自転車を押しながら花陽公園に立ち寄った。いつものベンチに座り、ふーっと軽く息を吐いた。今日もおひさま宿りだ。ますます大きく伸びた枝に葉がびっしりと並び、すっぽりとふたりを覆っている。

「おひさま宿り好きだね?」 
「まあ、そりゃ好きな人とならいつだって……」
「あっ……」

 ふたりとも言葉に詰まってしまった、俺がまた心の声を口にしたから。もっと気の利いたこと言えねーのかよと、自分の頭を叩きたくなる。

「あの……わたしも好きな人とならいつだって……」

 その言葉に目を見開いた。すると、瞬時に百彩ちゃんとのできごとが脳裏を駆け巡った。

「好きだ」

 前を向いたまま、何も考えずに言葉が出ていた。でも、自分が言ってしまったことでスイッチが入った。今だと、今言わなきゃと全身で感じた。
 俺の素直な声に、百彩ちゃんは少し目を丸くしていたけれど、何も言わずにこちらを向いた。
 その視線を感じて隣を向いた。

「俺、初めて見た瞬間から百彩ちゃんのこと好きになってた。俺、怖がりだし、たまにドジしたり、少し頼りないかもしれないけど、百彩ちゃんのことが大好きだ。俺と付き合ってください」

 告白した後、どうしたらいいのか全くわからなくて、目を逸らしていいものなのか、何か言うべきなのか、そんなことさえも考えられなかった。数秒だろうか、数分だろうか、視線を合わせたまま、優しい夜風と、たまに聞こえる蝉の声がふたりの周りを流れていく。

「あの、わたし……わたし……」

 百彩ちゃんの瞳が潤んできたと思うと、目尻からポロポロと涙が溢れた。下を向いて泣いてしまった。

「えっ? あの、俺、ごめん!」

 なぜだかわからないけれど、泣かれたら謝るという流れが自分にはあったようだ。

「もあちゃん?」

 ゆっくりと覗くように顔を見た。

「……あの、違うの」

 違う? 告白が違うということなのかと、不安が心を覆っていく。

「わたしこそごめんね」

 頭にタライが落ちるような衝撃があった。やっぱりそうかと違ったんだと全身の力がぬけていく。たった今この瞬間まで、人生で一番最高の瞬間を迎えるはずだったのに、一瞬にして終わった気がした。

「いや、いいんだよ、もあちゃん。謝らないで。こればっかりは仕方ないしさ……」
「仕方ないよね? わたしも……」

 仕方ない……その一言でガラスのハートというやつが完全に砕けてしまった。何か言おうとしている百彩ちゃんを無視して「ごめん、忘れて」と吐き捨ててその場から逃げ出してしまった。
 遠くの空がオレンジ色に染まっていく。まだまだこれから暑い日が続くのに、日の入りが少し早くなってきた気がする。でも、今はそんな風情を感じている余裕なんてなかった、逸早くここから立ち去りたかったから。
 走りながら紫陽花が横目に映った。白茶けた花が自分の心のようで余計に苦しくなる。
 ずっといい雰囲気だと思っていたのに、目が合ったり、触れたり、チュッて……ほっぺに。可愛い天使だと思っていたけれど、実は小悪魔だったのかもしれない。
 公園を出たときの勢いはいつしかなくなり、幼稚園児たちのお散歩のようにゆっくりと、でも、そんな楽しいものではない。まだ明るいはずなのに、自分の周りだけがもうすっかり夜の闇を纏ってしまったようだった。


 寝る前にスマホのホーム画面を見ると、百彩ちゃんからROWが来ていた。心臓に釘を刺されたような痛む胸を抑え、ベッドに寝転がった。スルーしようと思ったけれど、ちらっと目に入った言葉にダブルパンチを喰らった気分だ。
{自転車……
 俺って本当にドジ野郎。自転車の存在をすっかり忘れていた。ベンチの後ろに停めていたせいで、立ち上がり走り出しても目の前になければ気づけない。
 いつもなら速攻で返事をしていたけれど、今日は数分考えた後、結局スルーした。
 自分はなんてバカなんだと悔しかった。両思いだと思っていた。そういう雰囲気があったと思っていた。でも、実際は違ったんだ。そんなことを考えていると、涙が目尻から枕へと流れていた。
 好きなのに、誰よりも何よりも好きなのに、この気持ちをどうにもできなくて、ただ、泣くことしかできなかった。
 
 月明かりが、カーテンの隙間から優しい眩しさを見せる頃、タオルで覆った枕に横顔をくっつけ、ようやく眠りについた。

 
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