文字数 14,979文字






 月刊ミルキーウェイの追加原稿を書き上げたところで艦内放送が惑星ヒルメーロへの到着を告げた。停泊日数3日。船はその間にエネルギーや備品の補給を行う。
 惑星ヒルメーロの次にハナツバキが停泊するのが惑星ヒトスキである。2つの星は比較的近くにあり古くからヒトスキで茶葉を作りヒルメーロでブレンドと販売をするという持ちつ持たれつが成立していた。
「あれ?」
 部屋を出ようと廊下にでたとたん真っ青な顔のエリカと遭遇。
「どうしたの」
「ミリガンさんたちが、部屋をでてしまったみたいなんです。私お迎えにあがると言ったんですけど」
 エスコートが仕事でやってきたエリカなのにVIPに先に下船されてはまったくもって意味がないというか、礼儀に反することとも受け取れる。
「落ち着いて。先に出たことはわかっているんでしょ」
「はい、警備員の話ではもう出たと」
「じゃあいいじゃないか。僕らも出よう」
「なにかあったら私…」

「井ノ原先生! エリカさん!」
 ふたりがハナツバキとターミナルを結ぶ動く歩道を抜けたとたん岩山が黒スーツを着ている男ギイルと胸元が目立つスーツの女ミリガンに挟まれたヒトスキ星の白い奇跡カウが地球のアオザイ似にた薄紫色の服に帽子を深めにかぶって元気よく手を振っていた。
「カウ様、こんなところで」
 たかがサラリーマンの自分なんかを立ちんぼで待っていたのですかと思うとエリカは膝から崩れ落ちてしまう。
「大丈夫?」
 井ノ原はエリカの腕をとって立ち上がらせた。エリカのへたる気持ちは充分すぎるほどわかる。が、井ノ原はそれをどういう文章にしたら読者にわかってもらえるのか、未だに思いつかないでいる。
「カウでいいよ」
「いいえ、そういう問題ではありません」
 にこにこのカウにエリカは余計青ざめてしまう。
「ハリヤ氏に招待されたのはこっちだから迎えに行くとか、堅苦しいことはしなくていいって昨日言ったじゃない」
「でも、私も仕事ですので」
「ごめんなさいねエリカさん」
 ミリガンが手を合わせた。
 本当に一つの星を背負った神様のお忍び旅行なのか? という疑問が井ノ原の頭に浮かぶ。あとから下船する人々の注目を思い切り集めているではないか。
 しかも通り過ぎる乗客、船員、警備員、清掃員、誰であろうとどこの星の人間であろうと3秒は足が止まり、魂をお花畑へもっていかれ、ふたたび歩き始めるときには抜け殻になっている。なのに神様本人は周囲がそういうことになっていることに気付いているのかいないのか、ひたすらエリカ相手に少年らしい言葉使いで会話を成り立たせようとしている。
「だから気にしないでよ」
「ですが、マリア・ティールーム社としてもそういう訳にはいかないのです」
 井ノ原はもめているのか漫才をしているのかわからないエリカたちを眺めているうちに、この構図を見るだけで物凄くおもしろい作品が書ける気がしてきた。
(キャラクラー設定はこうだ。すざましい超能力を持つが病弱な美少年。無口で心優しいが怒らすととんでもない事態になる大男。大人の魅力満載セクシー美女はメカを操らせたら宇宙で3本の指に入る。この3人組の行くところ向かうところ敵はない。となると)
「彼らはなにがしたいんだろう」
「え、あのっ、出迎えじゃないかと思うんですけど、本当にすみません、私がすることなのに」
 エリカは3人の前でひたすら頭を下げている。
「謝らないでよこんなことで。公式な旅じゃないんだから」
「カウ様がそういうのですからもう気になさらないで」
「で、でも」
 泣きそうなエリカに井ノ原は心から同情する。

 無事一時下船の出国手続きを済ませた一行。
「みなさん私についてきてください。車を待たせていますから」
 今度こそはときちんと案内するエリカ。
 ヒルメーロ宇宙船ターミナルも地球の晴海同様その土地のイメージを異星の方々にわかてもらおうという努力が見られる。
「いつ来ても紅茶の香りだよね」
 とカウ。
 マリア・ティールームの店舗は喫茶だけでなく紅茶染めの衣類やら化粧品やら健康食品まで並べられており、ライバル会社もキャラクター人形の着ぐるみが呼び込みをしていたり新商品の試食を進めたりで宇宙船ターミナルから仁義なき紅茶戦争が勃発している。
「あ、ロイヤルミルクティーチョコレート 30%オフだって」
 ミルクチョコのなかに濃いめの紅茶ムースを閉じこめたマリア・ティールーム製菓部門ヒット商品だがそのうまさと引き替えに値段はお気軽なものではない。
「カウ様、そういうことはあとでにしてください」
「わかってるよ」
 と唇をとがらせたところで自動ドアの前まで来ていた。ここで身分証明カードを通して異常がなければ久しぶりに外の空気が吸えるのだ。
 首都ヒルメーロ。季節は日本と同じ春で、布団干しにはもってこいの晴天である。
「5番ゲートで社の車が待機しているんですけ…」
 左手方向を眺めるエリカの言葉がブッツリと途切れた。しかも「け」で終わるとは、と井ノ原は思ったがエリカが硬直する目線の先にイカした青年と眉間にしわを寄せるオールバックの男性が並んで立っているのを見て、なにかただならぬ事態になったことを悟った。
「エリカ」
 テニスラケットを渡したら素振りを始めそうなイカした青年が思い詰めた表情でエリカに声をかけた。
「あ、あのっ、私の役目はここまでですから。社に戻らなくてはならないので、ここで失礼します。みなさん、気をつけてよい旅を」
 おおいにうろたえだしたエリカは一礼し、全力疾走であらぬ方向へ駆けだしてしまった。
 ヒールが足に合わないのか何度かコケそうになっている。その後ろ姿を見てイカした青年が追いかけようと踏み出すが、オールバック男性が思いきり肩をわしづかみにしてきた。
「今月いっぱいで退社するいち社員です」
 なんて説明的台詞を怒り感情込めて言うんだろうと井ノ原をはじめとする一同は思った。しかも、イカしたさわやか青年が、客人の前だというのに悲しそうな目で深い溜息なんかをつくから、これはひょっとして、エリカとさわやか君はそういう関係なのか。という疑惑まで生まれてしまう。
「大変失礼いたしました。本来ならあのような社員を迎えになどよこすことはないのですが、緊急事態でしたのでお許しください」
 30代半ばと思われるオールバック男の言葉に「それは言い過ぎだ」と真面目に叱咤する20代半ばであろう青年。
「みなさん遠いところからお越しくださってありがとうございます。マリア・ティールーム専務取締役オスカー・マリアです」
 天の川書房の若社長サニエル・庄野がヨーロッパ貴族なら、イカしたさわやか青年オスカー・マリアはアメリカのエリート実業家といったところか。
「彼は私の第一秘書、ザンニ・サイキ」
 オールバックのザンニ氏は深く頭をさげた。
 ザンニが頭を上げたところでオスカーともども魂が手と手を取り合いまたたく星座の群れへと飛んでいって行ってしまった。
 井ノ原はとっさにカウの発する後光にやられたなと思う。
「どうそお乗りください。ホテルまでお送り致します」
 カウのアメジスト色の瞳にを吸い取られたザンニは赤ら顔で車のドアを開けた。
「その前にハリヤ氏と面会はできないのですか」
 井ノ原が質問するもオスカーはエリカが走り去ったあとに視線を這わせている。
「ぼくもハリヤさんに会いたいんだけど」
 神様の一言はオスカーの意識を星座の群れから仕事へ引き戻した。
「カウ様初めまして」
 ヒトスキ星の神様は「カウでいいよ」と言いオスカーと握手。とたんオスカーの顔にゆるみがでたので井ノ原は(握手で心地よくなるのは自分だけではないようだ)という安心感を覚えた。
「とにかく、お乗りください」
 シートの数は4列で1列目は運転手。2列目にオスカーとザンニ。3列目に井ノ原、カウ、ミリガン。4列目は一人でいっぱいいっぱいのギイルである。マリア・ティールーム社用車は大男も乗れるサイズにつくられている。
 外からは見えない構造になっている車窓には地球の保養地ハワイに似た海岸線が見え、サーフィンボードを抱えた人々が大波に向かって駆けだしている。
「父は意識もはっきりしていますし会話もできます。ただ疲労がたまってのことですから無理はさせられません」
 ハリヤ・マリア社長は社長室で倒れたのだという。体は丈夫と過信していたがいつまでも無理の利く年にはなっていなかったということか。
「少しなら面会も可能と思います。病院へやってくれ」
 雇い主の言われた通りに車を動かすのが運転手の仕事であるがバックミラーでカウの姿をとらえたとたん両腕が硬直してしまい曲がるところをひとつ間違ってしまった。誰も気付かなくてよかったところだ。
「ただ、興奮させるような言葉は慎んでください。恥ずかしい話ですがキルネ行きの件で口論になってしまい、ふたたび発作を起こしそうになって医者にしかられたもので」
 オスカーはさっきから溜息まじりである。しょんぼりというタイトルをつけて額縁の中に入れたい雰囲気で、彼は本当に天才ブレンダーとうたわれている時期社長なのだろうかと首をかしげたくなるほどだ。
 病院までの道のりで井ノ原はどういう経緯でいつこの旅に誘われたのかを質問された。
 ハリヤ氏が自分のフアンであったこと、井ノ原がお茶好きであることから共通の知人を介してとあるパーティで知り合ったこと、交流を深めたこと、誘われたのは3ヶ月前であることなどを語った。
「3ヶ月前。そうか、そうですか」
 また溜息だ。
 とはいえオスカーは父であるハリヤ氏を憎んでいるようには思えない。仲がいいか悪いかは知らないが、キルネ行きに関して言えば親子間の会話の行き違いが原因じゃないのだろうか。
 電話のベル音が響いた。自分の着メロは皆把握しているので持ち主だけが「失礼」と断って電話にでた。
「はい…え、わかりました。私どもが責任を持って連れ戻します」
 今度は電話を切ったザンニが溜息をついた。
「専務、社長が病院を許可なく出て社に向かったそうです」
 それには全員が顔に「それってよくないんじゃないの」と書いた。
「社に戻してくれ」
 オスカーの指示に運転手は短く「はい」と答え次の信号でUターン。今度は確実に運転できた。

「あ~らエリカさんお早いお帰りね」
 マリア・ティールーム本社エントランス。吹き抜けに巨大なお茶の木がデデンと構えているのが売りになっている。ヒトスキ星からの寄贈で友好のシンボルツリーだ。
 駆け込み寺の勢いで入ってきたエリカを待っていたのは秘書課のラスボスと女子社員におそれられているビニー女史と、とりまき美女軍団である。
「ビニーさん。社長のお客様を、迎えにいっていました」
 エレベーターに急ぐ社員や関係者たちがテレビのサスペンス劇場を観るときの目を投げかけている。
「やめてくれないかしら。まるであたくしたちが苛めているみたいじゃないの」
「申し訳ありません」
「それになにを言っているのかサッパリわからないのだけど」
「……」
 今回の仕事は会社の者にも内密にしなくてはならない。ひたすら頭を下げるしかエリカにはできない。
「まったく。マリア・ティールームの7不思議のひとつよね。これで重役秘書のエリカ・シュー」
 言葉の端々に画鋲がまき散らされている。
「おかしいわよねぇ。ブレンダー志望で入社した人がなんで秘書やっているのかしら」
 かごに入れた画鋲を左右前後に撒きながらスキップをする少女のようなノリだ。
「私、失礼します」
 エリカは顔を合わせないままビニー女史のわきをすり抜けた。そのとき。
「社長!」
 ビニー女史の声が裏返った。入院中で絶対安静の人物が堂々と正面玄関から入ってきては社員一同誰でもひれ伏すというものだ。
 紅い髪の中に白髪が目立つようになったハリヤ・マリア氏。入院していたとは思えない体躯は普段ジムで鍛えているおかげか。
「社長お待ちください」
 ハリヤ氏のあとから社長秘書の男性が追いかけてくる。医者の許可がどうとか、構うものかという台詞を投げ合いエレベーターホールに向かってくる。
 背をむけたまま動くことの出来ないエリカが立っているのをハリヤ氏の鋭い眼光は見逃さなかった。
 挨拶も出来ず固まっている重役秘書にハリヤ氏はそれでなくても、ほりの深い顔の眉間のしわをより深くし、エリカの脇を通り過ぎる。その瞬間エリカにしか聞こえない声でなにかをささやいた。
 ハリヤ社長はそのまま秘書と共にエレベーターに乗り込み、エリカはそのまんま立ちん坊。

 その数分後、オスカーを先頭にした一団が同じロビーに登場した。
 たまたまその場に居合わせた社員や関係者はこんなところでヒトスキ星の神様であるカウにでくわすとは当然思っていなかったわけだが、たとえわかっていたとしても口を半開きにしたまま静止画面になるのは必至。音をだしたら繊細な白い体が光と共に消えてしまうんじゃないかという思いから歩くことさえ出来なくなる。
 このまま息を止めていたら全員窒息で倒れる。そんな沈黙を破るのはこのテの人間であろう。
「オスカー様、お帰りなさいませ」
 ヒザに頭がつくほどのお辞儀をするビニー女史。恐ろしく馬鹿丁寧で声のトーンが変わりすぎである。
「ン、マァこれはヒトスキのカウ様。ようこそマリア・ティールームへ。いつみてもお美しい。あまりの神々しさにあたくし倒れそうですわ」
 返答に困るカウに、オスカーが「気にしなくていい」と無視して通り過ぎるのでビニー女史を横目にしつつ通りすぎようとした。
「そうそう。あたくしが今日から第2秘書になりましたのよ」
「なんだって?」
 オスカーが振り向くから客も全員振り返った。
 ビニー女史は地球旅行のラスベガスでルーレット大勝利したとき以来の笑みを浮かべていた。
「エリカさんは退職日を早めましたの。それであたくし…」
 そこまで聞いたオスカーが再び歩き出したので客もあわせてエレベーターホールへ歩き出す。
 井ノ原の黒いトレンチコートの袖をカウが引っぱった。
「お昼の連ドラみたいだよね」
 そういう台詞をニヤニヤしながら言うもんじゃないだろう、と井ノ原は思ったがふいに目に入ったミリガンもこころなしか目が笑っているのでなにも言えなくなった。

「私は社長室へいくからお客様を応接室へご案内して」
 最上階にエレベーターが止まったとたんオスカーはザンニにそう言い残しひとり左方向へ行ってしまった。
 再びコートが引っぱられた。カウの目が「父と子の確執だね。ドラマみたい」ときらめいている。学校があるのにどうして子供たちはお昼のメロドラマをよく知っているのだろう。
 おかげで幻ハンター暁金之助や相棒の銀狼、老人や謎の美女などが頭の外で昼寝をしてしまっている。
(これで父親の決めた政治家の娘が出てきてオスカーの婚約者です。とでも言われたら事態はますます昼メロ化していくのかもしれないな、いやそんなことを考えるのはただ状況をおもしろがっている野次馬じゃないか)
「不謹慎だな」
 不謹慎なことを考えてニヤニヤしていたカウとミリガンは『大作家は冷静だ』と察知し、雑念を追い払った。
 独り言で神様から尊敬のまなざしを送られたとは思ってもいない井ノ原はようやく一人だけ苦虫を噛みつぶしたような表情になっている専務第一秘書ザンニに気づいた。
 オスカーが去っていった方向を細い目からビームを発射させるような視線。みれば白々しいほどに握り拳が震えている。
「ザンニさん」
 どうかしましたかという井ノ原の問いかけにザンニは業務用の顔をむけ、こちらへどうぞ。と言った。

 マリア・ティールーム応接室は高原リゾートであった。
 高い天井には青空が広がり、小鳥のさえずりがアフタヌーンの日差しのなかお客様を歓迎している。適宜な風に揺れる緑。その中央に白く丸いテーブルが置かれており茶菓子が並べられ、ティーセットもサイドテーブルに用意されている。
 本当はここまで広い部屋ではないはずだ。どういう装置を使用しているのかは突き詰めればわかるだろうがリラックスのお茶の席に機械的なことは考えたくはない。
「うわーっ、すごい」
 駆け出すカウの後ろ姿がますます愛犬であるゴールデンレトリーバーのナナに重なってしまう。神様と飼い犬を一緒にするのはどうなのかというところだが、抱きしめたくなるほどかわいいという点が共通しているので誰がなんと言おうとよしとする。
「専務がお戻りになるまでこちらでお待ちください」
 椅子を勧めるザンニはサイドテーブルの脇に立ち、缶の中身を確認するため蓋をあけた。
「この香りはヒトスキ星のシーアスターですね」
 シーアスターは茶葉生産ナンバーワンの惑星ヒトスキの首都シーアでとれるミルクティー用に使われる茶葉である。
 言い当てた井ノ原にザンニははじめて嬉しい表情をみせたが、元が冷めた顔つきであるから初対面の人間には喜びが読めない。
「ここでしかお出ししないお茶になっていますから少し手を加えてあります」
「え、そうなの」
 そう言われて黙っている井ノ原ではない。缶を受け取り香りを確かめ、中の茶葉を確認する。
「なにか入っていますね。なんだろう、果実かな」
 赤い実の破片のようなものが入っている。甘いようでスパイシー。香りからして、地球ではかいだことのないものだ。
「煎れましょう」
 大きな陶器製のボウルにはいった湯にティーポットとカップを入れて温める。沸かしたポットの湯はすべてサイドテーブル横の流しに捨て、新たに蛇口をひねって水を入れ直し火にかける。ティーポットを湯から引き上げ水滴をよく拭いてから人数分の茶葉を遠慮なく入れ、火にかけたポットの口から水蒸気が吹き出すと同時に火を止めティーポットに高い位置から湯を注ぐ。ティーポットの蓋を閉め腕時計の秒針を確認。
 その間カップを湯から出し、丁寧に水滴を拭いてソーサーに乗せる。
「いい香りがするね」
「1杯目はストレートで2杯目はミルクをおすすめします」
「ザンニさん手慣れてるね」
 椅子に座ったカウが身をのりだして言う。
「紅茶に関わる仕事をしている者なら当然ですよ」
 カウに言われると口調に暖かみが加わるザンニだが、この現象はザンニに限ったことではないだろうと井ノ原は確信する。
 それからきっかり5分後に腕時計の秒針を見たザンニ。紅茶大国ヒルメーロ星では茶のむらし時間の計測は腕時計の秒針を頼りにしている。砂時計は使われない。ゆえにこの星では秒針のないデジタル時計は存在しないとまで言われている。
 ティーポットの茶葉が蒸れたらあとはカップに注ぐだけ。濃さが平等になるように半分ずつ入れ、4カップ目にいったら折り返して残りを注ぐ。
「どうぞ」
 テーブルの上に並べられたお茶と菓子。まずは香りとを楽しむ。普通のシーアスターは深紅がかっているがこのお茶は朱色に近い。色だけみるとシーアスターではないようだ。これはブレンドされている赤い実の破片によるものなのか。
 口に含んで井ノ原は目を見張った。
「うわっ、辛いよこのお茶」
 舌を出すのはカウ。辛いといっても唐辛子やコショウのたぐいではない。
「生姜に似ている」
 生姜なら地球でも紅茶に入れることがある。ロイヤルミルクティーに生姜とシナモンを入れると風邪をひいたときは体が温まる良薬になる。
 このひとクセはクセになる風味だ。たしかにミルクを入れても楽しめるだろう。
「何が入っているのかな」
 カウの疑問の隣でお茶をすするミリガンは首をかしげるだけ。護衛のため常にカウの真後ろに立つことになっているギイルはお茶に手を出すこともなく無言でそびえ立っているのだが、そのギイルが珍しく呟いた
「ウー。俺の国の」
 香りでわかるといったところだ。これが生姜だったなら井ノ原が真っ先に発言している。
「そうです。ウーメ星のスパイス、ウーをブレンドしています」
 ザンニはこのお茶の秘密はそれだけではありませんと続けた。
「ほかになにが」
 興味津々な井ノ原にザンニはミルクを入れることを勧める。
「特に辛さを感じられたカウ様には飲みやすくなるかと思います」
「カウでいいよ」
 カウはカップから溢れそうになるくらいミルクを入れた。おかげでカップを持ち上げるのに両手で支えなくてはつらそうだ。
 大丈夫なのか、こぼしてヤケドはしないまでも服に染みのひとつでもついたら一大事だと見守る人々の心拍数は上昇していく。
 なんとか口に運びすすることに成功するカウ。人々に安堵の表情。ひとくち飲んだとたんノドを鳴らすほどの勢いでカップのミルクティーはその分量を減らしていった。
「甘い! なんで?」
 ミルクをたっぷり入れたスパイスティーはミルクの影響で砂糖を入れずとも甘みを発生した。
「まったく風味が変わるのね」
 カウの反応に興味を示したミリガンもとっさにミルクティーをつくりその変化に感心した。
「これはすごい」
 井ノ原も素直な感想を述べた。これはウーだけの作用では起こらないことなのではないか。そのなにかがわからない。
「このお茶は専務がブレンドされたものです。専務が『なにをブレンドしたかわかるか』とお聞きになるのでウーは答えられたのですが、甘くなる秘密がなにかがわからないのです。お茶通という井ノ原先生ならわかるかと思ったのですが」
「お茶好きは認めますが、フレーバーティーの組み合わせは宇宙のすべての果実や草花を掛け合わせることが可能なだけにそこまで詳しくはなれないですね」
 流石は惑星ヒルメーロにおいて天才ブレンダーと誉れ高いオスカー・マリア。これはハイレベルななぞなぞだ。
「紅茶のクッキー美味しい。クリームサンド大好きなんだ」
 カウの興味は茶菓子に移行したようだ。
「あっ」
 それに反応したのはザンニ。
「やられた。そういうことだったのか」
 井ノ原に聞いておきながら自分で謎を解いてしまったようだ。小さな口で上品にクリームサンドを食すカウをながめつつ彼なりに嬉しそうな表情をつくり頷いた。
「なにがわかったのですか」
 聞き捨てならないのは井ノ原である。人にふっておいて自分で理解してしまうとはとんでもない話である。
 そこでノックの音がした。
 最初は小鳥のさえずりで目立たなかったが2度目は強く叩いたようで皆が扉のほうに目をやったほどだ。
 扉はこちらがどうぞと言う前に勝手に開いた。隙間から赤いパンプスが覗く。
「失礼」
 よく通る声。ウエイブがかかったセミロングの髪が少女の面影を残した顔だちによく合っており、赤い小花をあしらったワンピースはさらに女性の華やかさを演出していた。
 お嬢様という単語をしょっての登場だ。この女性がマリア・ティールームの社員とは到底思えない。
「サユリ様」
 ザンニが体の向きを変えようとしてテーブルの脚に思い切りすねをぶつけた。拍子にテーブルの上のお茶が激しく波打ち白いシーツにミルクティーのしみをつくる。
「ザンニさん大丈夫ですか」
 ゆっくりと近づいてくる女性はザンニが赤くなるだけのことはあって可憐な一輪の華といっても誰も否定しない。
「ご、ご心配なく」
「でも痛そうですわ」
「い、いえ、サユリ様に心配していただくほどのものではありませんので」
 といいつつ今度はあとずさりしそこねて脇腹をテーブルの角にぶつけている。
 ザンニという男、いままで沈着冷静優秀な専務秘書を完璧なまでにこなしていたというのに、明らかにキャラクターが変わってしまった。
 このテのタイプが女性に弱い。なにかのとき作品に使える設定だと井ノ原は頭のネタ帳に記録した。
「ザンニさん、この方はどなたですか」
 と質問するカウの目は新たなお昼のメロドラマの登場人物と、その絡まる赤い糸の関係に爛々としている。
「まぁ! ヒトスキ星のカウ様ですね。初めて生で拝見しますわ。ほんとうにお美しいんですのね」
 サユリという女性は両手を胸元に合わせてカウの姿に瞳をうるませている。これまた別世界へ連れて行かれた結果の行為だろう。
「ぼくはただの突然変異だけど」
「カウ様、そんなことを言ってはいけません」
 ミリガンのおしかりに口をとがらせるカウ。しかしサユリの耳にはそんなやりとりは聞こえていない様子。
「神様と茶葉あってのヒトスキ星ですもの。本日こちらにいらしたのはヒルメーロ星との友好のためですの? それともマリア・ティールームコマーシャル独占契約?」
 サユリは心から嬉しそうに独自論を展開させているが、自分の自己紹介も済んでいないことに気づいているのだろうか。
 かわりにザンニが早口で説明する。
「皆さん、あの、こちらのサユリ様は専務の妹君です」
「はじめまして、サユリ・マリアです」
 ザンニに促されてようやく名乗ったサユリであるが、今までの昼メロ展開からいったら彼女は親が決めたオスカーの婚約者であるべきで、ポジションは政治家の娘あたりが妥当で『オスカー様、結婚式の招待客リストができあがりましたの』とか言ったりして気乗りがしないどころか心ここにあらずのオスカーに彼女は『オスカー様、まさかまだあの田舎娘に…』と嫉妬の炎をボウボウに燃やしていただきたいところだったというのに。
「がっかり」
 ミルクティーに視線を落としつつ、つい呟いてしまったのは井ノ原であった。不謹慎という思いは好奇心に敗北したのである。カウとミリガンもそう思っていただけに頷いている。
「ザンニさん。お兄様はどこですか」
 幸いサユリの耳には届かなかったようだ。
「社長室で社長とお話を」
 と言ったところで扉が再び開いた。姿を現したのはタイミングよくオスカーである。
「お兄様」
 しかし妹には目もくれず、いきなり客に頭を下げた。
「申し訳ありませんが私はこれから外出しなくてはならなくなりました。話は夕食をとりながらしましょう。ザンニ、皆さんをホテルに案内してください」
 入ってきたとたん出ようとするオスカー。その腕をサユリがしっかりとつかんだ。
「お兄様、私迎えに来たのよ。今日はハラミさんと招待客の確認をするんでしょ。なのにどこへ行くっていうのよ」
 緑輝き小鳥がさえずる平和な応接室に暗雲がたちこめ、雷の音が遠方から聞こえてきた。
「お前には関係ないことだ」
 この言葉を合図に落雷は始まった。
「関係あるわ。あんな田舎娘のどこがいいっていうの。お兄様らしくないわ」
 これでこそお昼のメロドラマ展開。しぼんだ風船になっていたギャラリーに空気が挿入された。
「お前のいうことはわけがわからないし、ハラミさんと婚約した覚えはない」
 オスカーはサユリの腕を乱暴に振り払った。
「きゃっ」
 後ろに立っていたザンニが素早く受け止める。「大丈夫ですか」と優しい声をかけるもサユリは兄をにらみつけて激しい言葉の矢を飛ばし続ける。
「お兄様はおかしいわ。由緒あるマリア・ティールームの歴史に泥を塗る気なの」
 あまりに妹が興奮するからか、兄はうんざりと顔に書いている。
「お前はふたことめには家柄だな」
 さっさと出て行ってしまった。
「お兄様!」
「サユリ様、お客様の前です」
 ザンニに支えられたまま呼吸を荒げっぱなしのサユリ。
 本来なら大切な客をほっぽりだしてしまうなんて大企業をしょって立つ者として許される行為とは思えない。しかし。
「そんなに好きなんだ」
 感心するのはカウ。軌道修正されたメロドラマとしてお約束の展開におおいに興奮している。
「お兄様…どうして…」
 その一方で泣き崩れるサユリがいる。
「お兄様は、私の自慢の、素敵で完璧なお兄様なのに…なのに…」
「サユリ様がこんなにも一生懸命だというのに、酷い方です」
 ザンニは拳を握りしめる。さきほどエレベーター前でみせた表情と同じだと井ノ原は思った。
「サユリ様を泣かすとは」
 怒り心頭。相手が上司であろうと知ったことではない様子。
 またカウがコートの袖を引っ張った。
「身分ちがいも定番だよね」
 神とあがめられても年、相応の少年である一面もあるのだなと思うものの、自分もマリア・ティールームのお家騒動を心の奥底で楽しんでいる節があるようなのでカウの発言に注意ができない。
「ねぇ、サユリさんはエリカさんのどこが嫌いなの」
 突如、カウがストレートな質問をぶつけた。子供は遠慮がない。ミリガンも叱らない。
 両手で顔を覆っていたサユリはその手を勢いよく引きはがし相手が神様だけに大げさに深呼吸をして上品をつとめて語った。
「それは、エリカさんがマリア・ティールームにふさわしくない人間だからですわ。あのような人がお兄様の隣に立たれては社として迷惑なんです」
 あのような人、に一番力を入れた。炎のかたまりを投げている。
「あのような人って、どのような人?」
 これが普通の子供相手だったらサユリの活火山は溶岩を噴射させていただろう。しかし少年とも少女とも大人とも子供ともとれない微笑を浮かべる純白の神様の前で声を荒げることが出来ない。感情を吸い取られていく。
「そ、それは。いつもおどおどしてハッキリものを言いませんし。仕事のペースも遅くて社のために役に立っているとは到底思えません。そのうえ家柄が」
 そこでサユリは言葉を切った。先ほどオスカーに指摘されたのが引っかかっているのだろう。
「じゃあ、オスカーさんはエリカさんのどこが好きなのかな」
 サユリはそんなことを考えたことがなかったのだろう。だんまりになってしまった。
 また扉が開いた。
「社長」
 とっさに反応したのはザンニである。入ってきたのはまさしくマリア・ティールーム社長ハリヤ・マリア。
「お父様、病院へ戻ってください」
 駆け寄るサユリ。
 杖をつくハリヤ氏であるが病人とは思えないしっかりした足取りで客人の前に歩み出る。客人も思わず席を立った。
「ザンニ君、サユリを連れて外に出てくれないか。私は客人と話がある」
 ザンニは素直に「はい」と頭を下げたがサユリは納得が出来ないようで。
「病院から連絡がありましたのよ。絶対安静なのに」
「彼らは私が呼んだ客人だ。大切な話がある。病院には話が済んだら戻るからそんな顔をするな」
 今にも泣きそうな目になっているサユリに頭を撫でるように声をかけるハリヤ氏は父親の顔になっていた。
「本当に、約束してくださる」
「あぁ。ザンニ君頼んだよ」
「はい。サユリ様こちらへ」
 サユリを促し応接室を出る。扉が閉まる瞬間、サユリがちらっとハリヤ氏を見つめた。
「みなさんお座りください」
 ハリヤ氏はさきほどザンニがいれたティーポットを手に取り蓋をあけて香りを確かめ、ミルクピッチャーを手に取りこれも香りを確認した。
「みなさんこれをお飲みになったようですね」
 天才ブレンダーと称されるオスカー専務が作ったお茶。
「実に簡単なからくりです」
 そういえば甘くなる理由を聞きそびれた。
「簡単なことほど気づきにくい」
 ハリヤ氏は客人の正面の椅子に腰掛け、とたん眉間を指でおさえる。雪崩がおこったように頭部が指の間に落ちてきた感がある。
「大丈夫ですか」
「あぁ、井ノ原君すまなかったね、こんなことになって」
 ゆっくり指を離し、両手をテーブルの上に置いたときには社長の顔に戻っている。紅茶会のボスといわれるだけあって戦国時代の天下人のような迫力がある。
「残念ながら私はキルネに行けなくなってしまった。代わりにオスカーを行かせることにした。よろしく頼む」
「失礼ですがミスター・ハリヤ、なぜ最初からオスカー氏を同行者に決めなかったのですか」
「君の言いたいことはわかる。オスカーは私に怒りをぶつけたよ」
 キルネ行きが決定したとき、本来なら跡継ぎであるオスカーを連れ立っていくのが当然といえるのにハリヤ氏は地球のいち作家を同行者に選んだ。
「まずキルネ側が名のある地球人を連れてきて欲しいと言ってきた」
「キルネ側が」
「それと、カウの同行を許可してきた」
 はじめて知った事実である。カウはその言葉をハリヤ氏から聞けて笑顔がこぼれまくっている。
 ハリヤ氏は、出発直前に発作をおこして病院に運ばれたとき、ようやく息子に幻のお茶といわれるaフラッシュをご馳走になる話をし、自分の代わりにお茶マニアの作家と故郷に帰りたがっている神様を連れていってあげてくれと告げた。
 今になって「連れて行ってあげてくれ」では息子としても専務としても怒るに決まっているだろう。

「本当は最初からオスカーも連れて行くつもりだった。ところが、あいつは話を持ち出す前に一般女子社員と結婚するなどと言い出して、言うことができなくなった。どういう了見だ」

 ハリヤ氏は紅茶のしみが吸い込んだテーブルクロスを見つめてため息をつく。
 客人たちの頭のなかでは『愛憎劇の幕はあがっていたのだ』ということが理解された。
「エリカさんは何の取り柄もない田舎娘。最初はどこがいいのかサッパリわからなかった……。いや、そんなことは関係のないことだ。私の話はキルネ行きのことだ」
 咳払いでエリカを吹き飛ばした感がある。
「カウにもすまないと思っている。私が行ければキルネの長とも話がしやすかっただろう」
「そんなことより早くよくなってください。ぼくは大丈夫です。とにかくキルネまで連れて行ってもらえれば、あとはどうにでもなりますから」
 カウに見つめられ、ハリヤ氏はかすかに微笑んだ。
「カウ様のことはわたくしたちにお任せください」
 ミリガンも助け船を出す。真後ろに立つギイルも無言ではあるが頷いている。
「本当は無理をしてでもキルネに行くべきなのだ。だが私は今死ぬわけにはいかない。社運をかけたプロジェクトが山ほど残っている」
 ふたたび眉間をマッサージ。目もかたく閉じられ、額までおさえている感じがする。
「ハリヤさん」
 そのまま机にうつぶせになりそうな、というところでミリガンが立ち上がった。
「失礼致します」
 ハリヤ氏の横に回りこみ素早く腕をとって脈を測る。
「ミリガンは医師免許もあるから」
 とカウが言うとおり、ミリガンは全宇宙医師免許を持つ。丈夫ではないカウの健康管理はすべてミリガンにゆだねられているといっても過言ではない。
「だいじょうぶだ」
「喋らないでください。ギイル、誰か呼んできて」
 頷いたギイルが扉に向かう。
「井ノ原君、これをキルネの長に渡してくれ」
 胸ポケットからだされたものは白い封筒。
「それがあれば、長も私が行けなくなったことを理解してくれる」
 井ノ原はその封筒を受け取った。ハリヤ氏の額に汗が噴き出している
「お父様!」
 ギイルが扉をあけたとたんサユリが飛び込んできた。扉の前にいたらしい。
「救急車を。大至急」
 ザンニが応接室の壁に掛けてある内線電話をひっつかんで叫んだ。
「さわぐな、平気だ」
 胸を押さえはじめた。脂汗が見える。ちっとも平気ではない。
「横にさせます。手伝って」
 井ノ原とギイルが駆け寄りハリヤ氏を床に横にさせる。
「お父様! お父様!」
「ミリガンに任せて」
 かなり呼吸が荒くなっているハリヤ氏にすがりつこうとするサユリの肩をつかんで引き戻したのは、カウだった。
「大丈夫だから、下がって」
「は、はい……」
 カウの紫色の瞳に見つめられ、サユリはすぐおとなしくなった。彼女は倒れそうになっていたのでザンニが支えに入る。
 ミリガンは異空間仕様になっている内ポケットからアタッシュケースを引き出し鎮静剤を捜す。無駄な動きがない。ギイルがハリヤ氏のスーツの右袖を引っ張り破く間に薬を注射器に入れ「大丈夫、いま呼吸を楽にしますから」と腕に針をいれた。
「ミリガン、大丈夫」
 カウの質問に「応急措置としてはこれが精一杯」と答える。
 しかしハリヤ氏の額の汗は止まらない。苦悶の表情もやわらいだのか持続しているのかわからない。ミリガンの眉間にしわが寄り、周囲の者は言葉が出なくなる。
「井ノ原先生ちょっと」
 ハリヤ氏の左側にいた井ノ原に場所を譲ってほしいとカウが寄ってきた。どういうことかわからないが、井ノ原が素直にそこをどくとすぐさまカウはハリヤ氏の左手をとった。
「カウ様いけません!」
 ミリガンの叫びに一同の肩ががビクッとなったのとハリヤ氏の呼吸がおだやかになったのとカウが気絶したのは同時であった。
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