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 はたして暁金之助は幻の茶を口にすることはできるのか、ストーリーも終盤だ。

 老人が大切な友のために必要だった茶は、老人と病床の友が口にしなくてはならない。
「やっと恩が返せる時が来た」
「おまえは馬鹿だ。あんなことをいつまでも覚えているなんて」
「それは違う。君のおかげでわしは救われたんだ。君がいなかったら今のわしはなかった」
「あんな、ちっぽけなことを」
「君にはちっぽけなことでも、わしには人生に関わることだった」
「おまえはばかだ」
「ありがとう」
 ふたりの老人は涙を落とすのであった。

「ここは泣きどころだ」
 創作ノートも埋まってきた。
「井ノ原先生、そんなに嬉しいですか」
 昨夜から干した茶葉を釜で煎る。その作業を見たいと早起きしてロンに付き合っていたのだった。
「あぁ、そうですね」
 笑顔で返す井ノ原のそばで中華料理よろしく鉄のおたまで軽く炒める作業。
「よし」
 量も少ないこともあってか火を通したのは5秒ほど。おたまで茶葉をすくって木のトレイの上にあけた。
「冷めたら飲めます」
「これだけなのですか」
「はい。小さい新芽なので細かくする必要もありませんし、揉むこともしません」
 幻の茶だからといって手をかけるということはしない。意外性があるようでないところが憎い。
「昨日の登山でお疲れなのにわざわざ早起きしてもらっちゃって」
 全身筋肉痛だが、酒に漬かったわけではないから、これくらい大したことではない。
「いえ、これも取材のうちです。おかげで炒りたてのいい香りも楽しめました」
目覚めたての脳を心地よくくすぐる清涼感のあとにほのかなバラのような甘い香りが漂う。
「キャラ茶について書くならそのすべてを知るべきと言ったのは君だろ」
 もし自分が酒の飲める体質だったら起床することなどできず、このような台詞も言えなかっただろう。
「さすがはプロの作家さんだ」
「ありがとう」
 微笑みの応酬。
「あら、いい香り」
 乾燥室に入ってきたのはネネである。
「おはよう」
「おはようネネさん」
 ロンと井ノ原の微笑攻撃もごく普通に「おはよう」とはね返す。
「ほかの葉は?」
 乾燥棚に並べた緑色の茶葉たちを確認するネネ。
「紅茶にしますか」
「そうね」
 キャラ茶である白い部分以外はすべて紅茶としての工程を踏むらしい。
「手もみするのですか」
 井ノ原は素朴な疑問をなげかけた。みまわしたところ揉捻機が見あたらなかったからだ。
「キルネの茶はすべて手作りですから当然手もみと言いたいのですがミニサイズの製造器があるんです」
 ロンはテーブルの下を指さした。腰をかがめて見ると確かに衣類乾燥機に形状の似た惑星ヒルメーロ製の自動茶葉製造器がある。家庭菜園の茶葉を気軽に飲める状態にするという商品だ。
「これは」
「ハリヤ・マリアからのプレゼントです。孤島といえど電気は通してもらっていますから役だっていますよ」
「だからといって手作りの作業を忘れた訳じゃないわ」
 棚から茶葉を引き出しすネネ。
「キャラ茶は作り方も簡単ですから製造器は不要ですけど一緒に採取した他の茶葉は紅茶として精製しますから是非おみやげに持って帰ってください」
「それは嬉しいな」
 天の川書房のお茶くみロイド一服君の喜ぶ顔が目に浮かぶ。
 自動茶葉製造器は台車の上に乗っており、テーブルの下から引き出し、てっぺんに蒸気を出す煙突を装着し、コインランドリーよろしく丸い扉を開けて茶葉を放り込む。
「お昼にはできあがります」
 と言われてキルネ滞在が今夜までだったことを思う。ヒトスキの港を出たときと同じ時間に出航し、早朝にヒトスキに戻ることになっている。
「1週間はいたかったな」
「1週間宴会ですよ」
 ロンと井ノ原は顔を見合わせて笑い合った。

 井ノ原は茶葉乾燥室を出て広場にでた。早起きの主婦たちがせわしなく行き交いしていたり子供たちがネズミを追いかけ回していたりするなか、木陰のベンチでゲル状になっているミリガンを発見した。
「大丈夫ですか」
「わたくしにはかまわないで…あぁ、井ノ原先生、おはようございます」
 さすがに2連チャンはきつかったらしい。しかも頭痛薬は前日に売り切れている。
 木の下のベンチで風にあたるのが気持ちいいから、ということらしいが、この姿をヒトスキに残った護衛官のシースが見たらなんというだろう。
 見渡すとべつの木陰でもたらふく飲んでしまった護衛官の皆さんがナマコのように横たわっている。
「さすがに飲みすぎちゃいました」
 振り返ると憑依霊を背負った顔色の悪い女性、というかオスカーを背負ったエリカがいた。
「みなさん考えることは同じですね」
 木陰は涼しく、風にあたるというのは酸素吸入の効果が得られるというのが酔ってしまった者の共通意見らしい。
「隣いいですか」
 余力のあるエリカはクタクタのオスカーをミリガンの隣に座らせ、自分は大きくのびをする。
「あ~、いい気持ち」
 キルネの人たちはお酒が強いですね、とエリカはこめかみを押さえるがベンチで軟体動物になっているミリガンとオスカーが「オマエモナ」とばかりに右腕を左右に動かした。
「ははは」
「やだ~」
 思い切って割りたいほどの頭痛に笑い声がかぶさってきた。
 広場に近づいてくるさわやかな朝。
「あ、みなさんおはようございます」
「おはようございます!」
 つばのひろい麦わらのような帽子をかぶり両手に桶を持っているのはカウとミミ、その後にギイルであった。
「最初はどうなることかと思ったが、すっかり仲良しだな」
 若い子の順応性に微笑ましさを覚える井ノ原である。
 朝日を背負っているおかげで後光がさしているように見える。
「やぁ、おはよう」
 軽く右手を挙げて微笑む井ノ原の前で3人は桶を地に降ろした。なかには底の木目の数まで数えられるほどの澄んだ水が入っている。
「ちょっと行ったところにとても綺麗な池があるんだ」
「そこの池の水はね、冷たくておいしいから二日酔いにいいのよ」
 後ろのギイルも頷いた。
「はいはいはい、みなさんおはようございます」
 そこへ三角巾、マスク、エプロン姿のおばさまが二人現れた。
「おかあさん、おばちゃん」
 ミミのいうとおりミミの母親セセとネネの母ムムである。
「ご苦労様」
 というセセの手には木のポットが、ムムは木のお盆にかなりの数のコップを持っていた。
「お茶の木の枝を煮詰めたエキスを池の水で割るのが二日酔いにはいいのよ~」
 見渡す限りの二日酔いがいておばさまたちは嬉しそうに仲良く目を細めた。
「これを飲めば一発でよくなるわよ」
 ポットに入っているエキスを小さじ1杯。ひしゃく1杯の桶の水で割る。
「どうぞ」
 同時に渡されたミリガンとオスカー。味見にと井ノ原とエリカももらってみた。
「一気に飲んでね」
 言われるとおり4人はせ~ので流し込み、瞬時に人様には見せられない顔になった。梅干しになったようにくしゃくしゃだ。
「予想外だっ」
 涙目の井ノ原。薬のようなものだから苦いと思っていたのだ。
「ミリガン、大丈夫?」
 目がバッテンになっている。隣のオスカーの口はタコのようになっており、エリカも「すすすすす」とうわごとのように繰り返した。
「あぁおもしろい」
「だめようムムさんそんなに笑っちゃ」
 というセセも肩まで震えている。
「出だしは上々ね」
「じゃあ、次いきましょ」
「ええ」
 二人は頷き合い、ギイルに桶を持たせて次の犠牲者のもとへ移動していった。
「レモン汁7個分絞り込まれた感じだよ」
 カウは地球産果実のレモンを知っているから「うわっ、ツバがでてきた」と顔をしかめ、ミミは「カゼをひいたときにも飲まされるの。とても酸っぱくてあたしキライ」と付け加えた。
「おかげ様で頭痛が飛んでいったわ」
 うなり声以外の声がでたミリガン。
「目がさめた」
 オスカーも頭の寝癖に気が回るほどになった。
「すごい効き目」
 感心しきりのカウ。
「カウ様に水くみをさせてしまうなんて、なんて申し訳のないことを」
「いいよ。楽しかったから、ね」
「うん」
 美味しい空気と鮮やかな青い空のもと微笑みあうカウとミミ。
 自分がアルコール迷宮に陥っている間にお守りしなくてはならない主は小さな侵略者に持ち逃げ寸前なのかとミリガンはここにきて酒に溺れた我が身を恥じた。
「カウ様、今晩帰ることお忘れなく」
 釘をさしたらカウは露骨に寂しそうな顔になったので、罪なことをしたのか、わたくしは犯罪者なのか? と胸が痛くなる。頭ではそんなわけないとわかっているのに心がうずいてしまう。
「カウ、もう帰っちゃうのね」
「せめて1週間はいたかったな」
 井ノ原は「かわいいなぁ」と小さな恋(?)の感想を述べそうになったが、1週間宴会が続くことを想像してしまいうとここいらで帰るのがいいだろうと思い直した。
 周囲から「すっぱ!」という悲鳴とエプロン二人組の笑いが聞こえてきたとき。
「酔いさましは美味しかったですか」
 ロンがにこやかに現れ、一同ひきつり笑いで返した。
「今日はブランチになりますから食事まで少しお待ち頂きますけど」
 ホテルの支配人のようになっているロン。
「ブランチですか」
「はい、キャラ茶のためのお茶会です」
「まさか、また宴会?」
 酔っぱらいたちが身を寄せ合う。ロンは一笑。
「キルネでは昼間に酒は飲みませんからご心配なく。酒は1日の汚れや疲れを浄化するものなので夜に飲むのがしきたりです」
「ミ、ミミ」
 か細い声がするまで誰もミミの姉のユユがロンにしがみついていることに気付かなかった。
「お姉ちゃん、どうしたの」
「ホイップクリームがうまくいかないの」
 ミミの耳が真横にピンと張った。
「わかった行く。カウまたあとでね」
 大きく手を振り姉の手をひいて走り去っていく。
「ミミはお菓子作りが上手なんですよ」
 ロンが説明する。
「へー」
 と感心するカウにつかさず井ノ原が突っ込んでみる。
「よかったなカウ」
 井ノ原ににっこりされ「なにがですか」と言いかけるカウに。
「女性が料理上手というのは重要なポイントだ」
 微笑みから井ノ原自身の幸せ度が推し量れようというものだが、その陰でエリカが「え、そうなんですか。どうしよう」と口を動かしたのに気付いた者はいなかった。
 井ノ原は好意で言っているのが、硬直してしまうカウである。
「井ノ原先生、なに言っているんですか」
「なにって、女性の話だが?」
 しれっと返す。
「せん、せいは、なにを根拠にそんなことをぼくに言うんですか?」
 井ノ原は吹き出した。
「なにがおかしいんですかっ!」
「なにがって、カウ、君は最初からおかしいってことに気づいてないのかい?」
「最初? いつの最初です?」
 相手の目が泳いでいる。あぁ、このような感情ははじめてなのだなと井ノ原は察するわけだが。そうわかるとさらに突っ込みたくなるのは作家としての性分か、はたまたただの意地悪か。
「握手したときから」
 口にしたとたん真っ赤になったトマトが暴発したように見受けられた。まったくもってかわいすぎる。
 おそらくカウはあのときなにかを予知したにちがいないが、倒れられたらかなわないので、やめておくことにしようと思ったら。
「ネネより手先が器用だしね。いい奥さんになると思うな」
 とロンがさらに突っ込んだことを言ってしまう。
「……カウ、大丈夫かい?」
「……」
 倒れるかと思ったが、逆に固まってしまったようだ。
「誰が不器用ですって」
 さらにいいタイミングで現れるネネである。
「やぁ、ネネ」
 しかし、ニコニコを崩さないロンである。
「カウ、おじいちゃんが来て欲しいって」
 無言で小刻みにうなづくカウ。
 酔いが覚めたミリガンがカウとともにネネについていった。


 お茶会会場は昨夜までにぎにぎしく宴会をやっていた集会場であるが、床にあぐらだった飲み会とは違い円形のテーブルがいくつか用意されていて、パンやサラダやケーキにスコーンまで並べられている。
「お茶会のセッティングを教えてくれたのはハリヤ氏です」
 わかります。とオスカー。
「キャラ茶を煎れるのにちょうどいい大きさのグラスも彼からのプレゼントです」
 そばちょくサイズの耐熱ガラスが6つテーブルの上に並べられている。
 小さい巾着袋から白い茶葉を無造作にグラスにいれるロン。いよいよ幻の茶をいただこうというクライマックスのわりには緊張感がまるでない。
 くみたての池の水のわかしたてをグラスに注ぎ、ふたをする。グラスの3分の1入った茶葉が一斉に立ち上がる。
 真っ白な茶葉が花が開くようにその成分を湯の中に放出させる。
「この砂が落ちたら飲み頃です」
 砂時計は年期が入っているようなのでキルネ製だろう。
「簡単なんですね」
 あまりに手間暇のかからない煎れ方にコメントがむずかしい。
「紅茶のほうが手順がありますよね」
 井ノ原のつぶやきにオスカーも一笑。
「色がでていないように見えますが」
「キャラ茶は無色なんですよ」
 質問にはロンが答える。
 白い茶だからお湯も白くなるのかと思ったが、そうではなかった。
「無色透明とは」
 キャラ茶を口にすることができる客人。井ノ原、カウ、オスカー、エリカ、ミリガン、ギイルは砂が落ちるのを今か今かと待ちかまえる。
「もういいですよ」
 ロンのニコニコが加速しているような。
 砂が落ちたと同時に全員が無色透明のグラスを手に取り蓋をあけた。
『ではいただきます』
 息を飲む客人。それを眺めているおばさまたち。
「飲むわよ」
「飲むわね」
 白エプロンのおばさまたちの囁き。
 さて、メインイベントだ。
 香りは中国の青茶や白茶に似た甘くさわやかな感じだ。香りは、マスカットフレーバーに似ているかもしれないが、それとも違うような。深く考えてしまうと味わえなくなる。考えるのをやめたくなる。
 ミミが両手で口を押さえているので一抹の不安を覚えるカウであるが、ネネが「大丈夫よ」と言うので思い切って飲んでみた。
「甘い…けど」
 色がないとはいえ味は香りの通りさわやかななかにも甘さが感じられた。が、そのあと違う味覚が各自を襲う。
「すっぱい」
「苦い」
「辛い」
「甘いんですね」
「綿菓子のようですわね」
「……」
『え?』
 なんで? とそれぞれ顔を見合わせる。
 その様を見ていたキルネの皆さんは大変満足気になっていた。
「そのときの体調が味覚にでるのよ」
「神の茶と呼ばれる理由のひとつです」
 ニヤッとするネネとロン。
「甘いままなら異常なし」
 手放しで喜ぶ女性陣。
「カウ、疲れてるでしょ」
「疲れているとすっぱいの?」
 頷くミミ。ネネが貧血があるとすっぱくなると付け加え、それには本人どころかミリガンもおおいに頷いた。
「苦いのは胃が弱っているからです」
 この短期間でキリキリすることが多すぎたので否定できないオスカー。ギイルも胸をさすった。
「で、辛いのは心臓というか血の道ね」
「え?」
 まったく身に覚えがない症状である。スポーツは人並みにたしなんでいるが急に胸を押さえて「ハァハァ」などといったことはない。
「井ノ原先生、血圧は」
 ドクターミリガンの問診に、そういえば最近高めだということを思い出した。天の川書房の健康診断で塩分を控えるようにと言われたような。
「医者にかかることをお勧めしますわ」
 こんなことがわかるお茶だったとは。
「ハリヤ氏も辛いと言ってました」
「地球に帰ったらすぐ医者にかかります」
 苦笑いである。
 人生これからなのに、3大成人病の仲間入りは非常によろしくない。独り身ならまだしも自分には家族がいるのだ。
「味が変わるのは最初の一口だけで舌がなれます。あとはほどよい甘さと爽快さが味わえますから安心して飲んでください」
 その通りで2口めからは優しいお茶の風味がひろがる。
「どうぞ召し上がって」
 おばさまたちに勧められて、悪いところがどこもないとわかった女性たちははりきってパンや菓子に手をつけはじめた。
 カウの皿の上にはミミが自作の菓子を山盛りにしている。
「おいしいわ」
「これもミミちゃんが焼いたの?」
 カウが感想を述べる前に甘いものにも目のない女性たちが瞳を輝かせた。
「外はパリッでなかしっとり。ホイップクリームもマリアホテルに負けてないわ」
「薄焼きクッキーもいい色ね」
 お客様の賛辞に「いや~ねぇ、おだてないでよ」と喜んだのは娘の料理の腕を自慢したい母親のセセだった。
「うん美味しいよ」
「ほんとに」
「ほんとうに」
 カウに頷かれて耳まで赤くなるミミ。かわいいなぁと井ノ原は心底思うが、口の中にスコーンが入っているので口には出せないわけだが、井ノ原ごとき第三者が言わずともカウが心からうれしそうな顔をしているので充分伝わっているだろう。
「帰りたくないな」
「いけません」
 ミリガンの即答はキルネの方々からの寂しげな視線を集める結果となる。
「カウも私たちと同じように産まれれば苦労しなくて済んだのにね」
 叔母のムムがエプロンの裾で涙を拭き、同調したセセが「元はといえば母親がヒトスキ人に拉致されたようなものだしねぇ」と手厳しい言葉。
「このまま返さないというわけにはいかないのかしら」
 ネネまで物騒なことを言う。
「それはできないよ」
 しかし、あっさりカウ本人が拒否した。
「神様が産まれるからキルネは滅ぼされずに済んだんじゃないか。それに」
 笑いが消えた茶会の席。カウは一同をゆっくり見つめた。各自の瞳にカウの姿が映るたび、凝り固まったたましいがほぐされる。まるで風呂上がりのマッサージ椅子効果。
 皆の心を無意識にほぐしたカウは息を飲んではっきり言った。

「実は、今度の試験で赤点とったら進級が危ないんだ」

 何故滞在が2泊3日なのか。その理由がいまさら明らかとなった。つまりカウは全宇宙の天才もしくはVIPが通う人工惑星スクウォーの全宇宙学園で勉学に励んでいるわけだが、このたびの旅行は学校を休んでの強行なので試験のはじまる3日後までには帰らねばならないのだ。
「学校だけはちゃんと行きたいし」
 カウはいたって真剣である。
「ちょっとカウ、あなた勉強できるんじゃないの?」
 ムムの目に涙は消えている。
「カウのお母さんって天才だったんでしょ」
 ミミにまで突っ込まれ、カウは小声だがたしかに「やばい」と言って視線をそらした。
「カウ心配することはないさ。私は小学、中学、高校、大学と全宇宙学園を受験したがことごとく落ちた。それでも名の通った作家になれたんだ」
 微笑みながら言うことなのか? とその場にいた皆の思いは一致したが、井ノ原としては自分をおとしめてまでの決死の告白だ。無駄にすることは出来ない。
 しょぼんとするカウに。エリカが続く。
「お母さんが全宇宙学園を主席で卒業したからって、プレッシャーを感じることなんかないわカウはカウなんだから、ねぇオスカー」
 突然ふられてなにをいえばいいのかわからなくなるオスカー。
「そうそう。テストなんて先生の好きそうな問題を予想すればいいんだ。自慢じゃないけど僕はヤマカンで乗り切ったよ」
「そうか、カンか!」
 パァッと明るくなる。
「カウ様、勉学に能力を駆使するのはおやめください」
 すぐさまミリガンに怒られる。
「知識が人生で損をもたらすことはないからな」
 井ノ原の言葉に皆うなずいた。
「みんなありがとう。ぼく学校は好きだから大学までちゃんと出たいんだ」
 立派ねぇと身を寄せ合うおばさまたち。
「だからもっといたかったけど帰らなきゃ」
 それは仕方ないわよとおばさまたち。
「キルネのことは忘れない。来れてよかった」
 ここにきてカウは自然に涙があふれるのを感じた。水風船に針が刺さってそこから水が少しずつ流れ出るような。
「カウ」
「わたしたちも会えて嬉しかった」
「また会えるよね」
「キルネは永遠よ」
 キルネの女性たちがまとめてカウにしがみついて大泣きした。女性たちの迫力にカウの姿が見えないくらいの号泣団子。
 男一人参加しそこねたロンは無意識に井ノ原のキャラ茶に手をのばしてしまい「苦い」と呟いた。




「カウまた会おうね」
「会えて嬉しかったよ」
「キルネは不滅よ」
 最後の最後までキルネの人々もカウも名残惜しいのは当たり前のこと。深夜だというのに島民のほとんどが見送りに来ていて海岸は昼間のような明るさだ。
「ネネ、おじいちゃんを大切にしてあげてね」
「当たり前じゃない」
「元気でね」
「おばさんも」
 カウが親族と盛り上がっている間に酒盛りですっかり仲良くなってしまった人々も抱き合いながら再会を誓っている。
 護衛官が団結してキルネ人との友好を叫ぶことになるのは明白で、ヒトスキ政府のお偉方は揃って腰を抜かすことだろう。
「また乗せてください。向こうで移住の話し合いがあるので」
 ミリガンは快く承諾し、ロンはお先にと船に乗る為のボートに乗り込んだ。
「カウ、あたし絶対行くからね」
「待ってるよ」
 さわやか交際の行く末を気にしつつ、井ノ原もロンの後を追ってボートに向かった。
「どうでしたかキルネは」
「いいところだったよ。沈んでしまうのが勿体ない」
 島の頂点から白い煙が立ち上り星空に吸い込まれていく。
「いい作品は書けそうですか」
「おかげさまで4作はいけそうです」
「凄いな、2泊3日でたいした出来事もなかったのに」
「そんなことはないです。旅はいつでも想像力をかきたててくれる。それに人との出会いこそが大切な創作材料です」
 ロンはへぇと関心した。
「移住が済んで落ち着いたら先生の作品を読んでみます」
「ありがとう」
 ロンと井ノ原が船に乗り込んでから10分後に全員が船に戻ってきた。

 船が出て2分もたっていないのに島の輪郭がつかめなくなっている。
 もう甲板にいる理由もなく、オスカーとエリカは船内に入り、続いてロンもやることがあるからと入っていった。
「カウ様、お休みになってください」
 旅行は終了した。護衛官という責任を認識するミリガンにカウは「ちょっと待って」と言う。夜風に流される髪が光の束に見えた。
「井ノ原先生と話したいんだ」
 驚いたのは井ノ原のほうだったが、ミリガンはすんなりと距離を置いてくれた。
 井ノ原のコートの裾を引っ張ってカウは見えなくなったキルネのほうをみつめた。横から見るとまつげが長いことを認識してしまい心拍数が早まってしまう。
「おじいちゃんに会ったとき。泣いて謝られたんだ」
「長に会ったとき?」
 そのとき、カウは涙して部屋にこもってしまった。なにを話したのかは気にはなっていたが。
「母さんをヒトスキ政府に売ったのは自分だって。島は食料不足や医療品不足とか、このままでは島民みんなの命が危うくて50年ぶりに産まれた神様をヒトスキ政府に渡すしか術がなかったんだって。仕方ないことぐらいぼくにもわかるよ。島の人たちを守るためだって。なのにおじいちゃんには酷いことをしたという負い目があって、しかもキルネ島どころかヒトスキ星から逃げ出した島の者が禁忌やぶって母さん妊娠させてぼくが生まれたとか。それで、申し訳なくてぼくに会うことができなかったんだって」
 井ノ原たちの山登り前夜。カウは余命幾ばくもない長からそんなことを聞かされた。
 船が作り出す泡はすぐ波にのまれ消えてしまう。
 夜の海は静かだ。
「父さんが生きているんだって」
「え、そうなの」
 不意打ちに井ノ原は間抜けな声を出してしまうがカウは気にもせず。
「それが、ハリヤさんの手紙に書いてあったんです」
「ハリヤ氏の」
「ハリヤ氏が調査したのか、たまたま知ったのかはわからないんですけど。長からぼくに伝えて欲しいって」
「ハリヤ氏の手紙を読んだのかい」
 カウは頷いて。
「ぼくは父さんに会いたい」
「そうか、でどこにいるのかな」
 ヒトスキ星は空気も澄んでいて。星々が美しい。
 この星のどこかに、いちばん会いたい人がいる。
「それが……地球らしいんです」
「まじでか?」
 壺が頭にすっぽりはまった。そんな感じになってしまった井ノ原である。
「力になってほしいんです。地球には行ったことがないし、秘密を守ってくれるような知り合いがいないから」
 飼われるのを待つ子犬の目で見られて断れるわけがないではないか。
「もちろん、そういうことなら」
「ありがとうございます」
「その前に試験頑張れよ」
 カウの笑顔は瞬時に苦いものにチェンジした。
「ですね」
 しばらく無言ののち。
「それじゃ、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
 カウが船内に行ってしまうと甲板は急に暗くなった。不安と寂しさが襲いかかる。
「寝るか」


 ひと眠りすると朝はすぐ目の前で、ヒトスキの港が肉眼で見える距離になっていた。
「僕らは朝いちの便でヒルメーロに帰ります」
 船をおりたらすぐ宇宙船ターミナルに向かうとオスカーとエリカ。入院中のハリヤ氏のこともあるし、経営者に休む暇はない。
「みなさん本当にお世話になりました。私たちもキルネの移住は全面的にバックアップさせていただきます」
「また会いましょうね」
 スーツ姿のふたりは船をおりたとたん迎えの車に乗り行ってしまった。
「あ!」
 車が行ってしまってからマリア・ティールームで飲んだミルクを入れると味が変わるお茶の秘密を聞きそびれたことに驚愕したが、結婚式には呼んでくれると言っていたからそのとき聞こうと思う。
「井ノ原先生はいつ帰るの」
「午後の便で。カウも戻るんだろ」
「会見を開きますから夜の便で」
「会見?」
 驚いたのは出迎えに来た護衛官シースとヒトスキ政府関係者である。
 シースの頭に生えた無数のクエスチョンマークは船を降りたミリガンをはじめとする同僚が妙にさわやかな笑顔だったところからはじまっていたが。
「それは、キルネ人移住のことですか」
「いけませんか」
 とすごんだのはミリガンで、その背後でほかのメンバーまでもがヒトスキ政府へのガン飛ばしに花をそえている。
「皆で話し合って決めました。カウ様が言うことを拒否するヒトスキ政府ではありませんよね」
 ミリガンの凄みのうしろでギイルをはじめとする同行護衛官たちが頷いている。
「いけないとは、言ってませんが」
 しどろもどろのヒトスキ政府陣。
「それではよろしいですわね。カウ様が開くと言っているのですから」
 十数人の護衛官が一斉ににっこりする。
「シース、進行よろしく頼んだよ」
 カウにとどめをさされ頷くしかなくなるシース。
「みんなキルネ人になにをされたんだ」
「ただ仲良しになっただけですよ」
 第三者の井ノ原が補足説明。
「いいところでした。島も人も。地球に帰ったら旅行記を書こうと思います」
 全宇宙的作家先生もキルネの味方になって惜しげもない微笑みをシースの頭上にかぶせた。
「みなさん、時間がないので僕はこれで失礼します」
 頭を下げるのはロン。
「ありがとうございました。またお会いします」
「お礼を言うのはこっちのほうだよ。ほんとうにありがとう」
 カウとロンのかたい握手にキルネに行った面々はハンカチを噛んで瞳をうるませる勢いだ。
 手を離したロンはカウに「君といる間、僕はヒトスキ政府に対する怒りという感情を忘れていた」といつもと変わらぬ笑顔で言った。
「ネネさんと幸せになる未来が見えたよ」
 ニタッとするカウは、ロンに「生意気だな〜」と笑われた。
「ええっと、井ノ原先生もお元気で」
「あぁ、ロンもな。また会いましょう」
「ええ、また!」
 ロンは駆け足で港を離れていった。
「カウ様、首相たちがお待ちかねです」
 ロンの後ろ姿をいつまでも見送るから、シースは早く迎車に乗ってくださいといわんばかりになった。
「井ノ原先生を空港まで送ってあげてよ」
「バスに乗るから大丈夫」
 でも、というカウに「そんな時間はないんだろ」と言ってあたりをみまわす。背を向けていた方向にバス停らしきものを発見。
「3番と5番のバスがステーションに行きます」
 親切なシースに。
「その前にヒトススキノーに寄りたいんだが」
 ヒトスキで一番の繁華街兼オフィス街である。
「おみやげですか」
「いえ、タタミ出版の編集部に挨拶します」
「4番に乗ってヒトススキノー停の次が免税店前ですからタタミ出版も近いです。ここから10分くらいですね」
「ありがとうシースさん。じゃあ皆さんお元気で。またお会いしましょう」
 軽く手を挙げ夜明けのヨットハーバーよろしく微笑む井ノ原にカウをはじめとする一同も手を振って見送った。
「さあカウ様早く乗ってください」
 井ノ原がバス停にたどり着く前にカウたちが乗った車は港を離れて行った。

 タタミ出版で大歓迎を受け、キャラ茶にまつわるキルネ紀行の話をしたら予想以上にウケが良かった。
 ヒトスキ政府がキルネ人にいい顔をしないのは事実だが、未知の人種であるキルネ人が島を離れてこちらにやってくるということに興味のあるヒトスキ人もかなりいることがわかった。
「キルネはブームになりつつあるんです。なにしろ神を生み出す種族ですからね」
 と言ったヒトスキ人編集者の、スクープを手にしたような表情は忘れられない。
 ビジネスがいい運びになればそれでいい。

 今回の取材旅行は大変実りのあるものだった。 
 空港に着いた井ノ原は気持ちのいい疲労感に酔うことができた。
「よかったな〜」
「こちらでよろしいんですね」
 紅茶酒を両手に持った販売員のおばちゃんがじっと見ている。
 宇宙船ターミナルの免税店でおみやげを購入しているのだった。
「ええ」
 これはサニーに渡すとしよう。キルネ紀行をヒトスキ星の出版社で出すお詫びだ。そのかわりといってはなんだが幻ハンターシリーズは本編と番外編2作同時発売も夢ではない。
「いい旅だった」
「あらっ、カウ様よ!」
「ホント、緊急会見ですって」
「いや~ん」
 ターミナルにテレビはあちこちにあるわけだが、従業員が店を空けていいのだろうか。
「会計を」
 カウが映ったとたん女性従業員の99%がよその星の人々を押しのけてテレビの前に陣取ってしまった。
「すみません、お会計ですね」
 こういうことには慣れているのか、男性従業員がフル稼働。
「すごい人気ですね」
「あぁ、カウ様ね。神様から産まれた神様というのがいままでなかったし、彼の母親が男たちのアイドルだったもんだから女たちの嫉妬の反動っていうのかねぇ」
「なるほど」
 そばでみたほうがさらに美しい神様が、真剣なまなざしでキルネ島の危機とヒトスキ人へむけてキルネ人移住の協力を要請をしている。その情熱を持って学校の試験にも挑んで欲しいところだ。
「そうだ。紅茶シャンプーとコンディショナーはどこですか」
「あそこの棚にあるよ」
 男性店員は日本の魚屋さんの威勢で棚を指さす。その方へ行ってみると黄色い牛乳パックに入ったものやペットボトルに入った、ヒトスキ人女性が微笑んでいるラベルのついたものポンプ式のものや高級そうな金のボトル入りまである。
「ずいぶんたくさんあるな」
 しばらくそれらを見つめてはいたが、井ノ原はいったん店の外へでた。テレビに映る神様に見とれている群衆に背を向け携帯電話をコートの内ポケットから取り出し短縮ダイヤル。
『ヒトスキ人もキルネ人も同じこの星の住人だから』
 テレビからのカウの声に女性たちの溜息が煙のように充満していく。
 ヒトスキ人だけでなく異星の旅行客も画面に映るカウの姿に手を止め足を止めその言葉を受け取っている。

 呼び出し音3回。携帯を握りしめる井ノ原に照れ笑いが浮かんだ。
「僕だ。あぁ、ヒトスキターミナルだ……そう終わった……いいところだったよ……2日後かな……わかった連絡する。…うん、うん……わかった。ところでシャンプーだけどどこのメーカーがいいんだっけ?」

END
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