4節:夜の市Ⅰ

文字数 3,536文字

 浮いているのか、

 沈んでいるのか、

 徒に揺蕩う意識を束ねもせず、

 たそがれの響きに身を委ね、

 ヒメタルモノを待ちわびて、

 私は、

 穏やかに微睡み続けていました。



 瞼を透かす明るさに意識が戻る。
 「寝ちゃったのか。」
 毛布を跳ねのけながら身を起こし、思考を整える。
 「またこの夢か。」
 なんとなく、目を開ける前から予感はあった。
 どこか古びていながら、温かい木製の部屋。
 いつか見た夢と違うのは、テーブルに猫の少女が居ないところだ。
 「チヒロさん。だっけ。」
 口の中で反芻しながら、立ち上がる。
 テーブルの上のランタンが、部屋全体を温かいオレンジ色に照らしていた。
 「う・・・ん。」
 大きく伸びをして深呼吸。不思議と恐れや不安は感じなかった。
 「部屋の外に出ても良いんだろうか・・・。」
 枕元に置かれた、重厚な本を抱えて、そう悩む。勝手に出歩いても大丈夫だろうか。ちょうどそのタイミングで、部屋の扉が軽くノックされた。
 「あ、はーい。」
 チヒロさんだろうと思い、ドアに手を伸ばすも、私が開くより早く外側に開かれた。
 「あら、こんにちわ。」
 予想に反して、そこに立っていたのは、知らない女性だった。
 「あ、どうも。こんにちわ。」
 一歩引いて部屋に招き入れる。
 「そろそろいらっしゃる頃じゃないかと思っていましたの。」
 ふふふ。と上品に笑い、手に持っていたティーセットを机の上に広げた。
 女性が椅子に座る動作に合わせて、彼女の豪奢なゴシックドレスがふわりと広がる。緩やかなウェーブのかかった黒髪が、上品なドレスによく映えていた。
 「私はリガーレと申します。よろしくお願いしますね。」
 穏やかな笑顔を崩さない彼女はそう名乗った。
 「あ、ありがとうございます。私は、えーっと。」
 自己紹介しようとして、そこで詰まってしまう。そういえば、本名を教えてはいけないと言われていたのに、名前を考えるのをすっかり忘れていた。
 「まだよろしいですよ、まれびと様。ゆっくりお名前をお考えになって。」
 ジャスミンの香りが部屋いっぱいに広がった。
 「いい香り。」
 ゆっくりと深呼吸していると、どこかで鈴の音が鳴った。
 「あら、チヒロさんがいらしたみたい。」
 三つ目のティーカップに琥珀色の液体を注ぎながら、リガーレさんが廊下のほうに目を向ける。
 「あ、そうなんですか?」
 そう言い終わらないうちに、軽やかな足音がトトトと響く。
 「やぁやぁ、もうナナちゃんも来てたのね。」
 扉をぱっと開けて、腰に手を当てたチヒロさんが部屋を見渡す。
 「え・・・と。」
 ナナちゃんというのは私の事だろうか。
 「あ、ナナちゃんっていうのは、君が自分の名前を決めるまでの便宜的なものだから、気にしないでね。」
 「は、はぁ。」
 曖昧な返事を返しながら、なぜ「ナナちゃん」なのだろうと考える。そんな訝しげな表情に気付いたチヒロさんが、続けて教えてくれた。
 「このクランの七人目のメンバー候補だから、ナナちゃん(仮)。」
 わざわざカッコカリのところまで発音して説明してくれる。
 そして、軽やかな足取りで椅子に座る。二本のしっぽが、紅茶の湯煙のようにゆらゆら揺れている。
 「はぁ、美味し。」
 ほほに手を当ててうっとり。
 「まだこちらでは分からないことだらけでしょう?」
 チヒロさんに紅茶のお代わりを注ぎながら、リガーレさんが気遣うように声をかけてくれる。
 「うーん。そうですね。何がわからないか、わからない。というか。」
 私も紅茶のお代わりを頂きながら、考えを纏めようとする。
 「というか、これ、夢・・・なんですよね?」
 念を押すように二人に聞くと、二人とも少し唸ってから、チヒロさんが答えてくれた。
 「そうよ。でも、うーん。詳しく説明しようとすると長くなるし、それでなくても説明しなきゃいけないことが多すぎるのよね・・・。」
 「エリヤさんが来られてから、外に出られてはいかがですか?やはり実際に見ていただくのが一番かと思いますわ。」
 リガーレさんも、言葉だけではうまく説明できないみたいだった。
 「そうね、一気に全部説明しても追いつかないだろうし。」
 そう言って窓の外を見るチヒロさん。
 夜の木々がざわめく中、どこかでオオカミの遠吠えが聞こえる。
 「そろそろエリヤも来るだろうし、外を見ながら説明しましょうか。」
 飲み終えたカップをソーサラーに置いて、チヒロさんが立ち上がる。
 「はい、行ってらっしゃい。」
 ティーセットを片付けながら、リガーレさんがにこやかに手を振る。
 「あれ、リガーレさんは一緒じゃないんですか?」
 「私は戦闘が苦手ですので、足手まといになってしまいますから。」
 笑顔を崩さず、衝撃発言が飛び出す。
 「え、戦闘?戦うんですか?外ってそんな危ないところなんですか?」
 冗談じゃないけど、私は本より重いものは持てない。武道の経験なんてないし。
 「ま、そのへんも含めて、ね。ナナちゃんが戦えるならそれに越したことは・・・そんなにビビらなくても大丈夫よ。」
 私が壁際まで後退り、全力で首と手を振って拒否しているのを見て、チヒロさんは苦笑いを浮かべた。
 「チヒロさんもエリヤさんも、とても強い方ですから、心配しなくても大丈夫だと思いますよ。」
 リガーレさんが安心させるように笑う。
 「いえいえ、だって私、剣とか銃とか使ったことないですし!」
 喧嘩だってしたことないですし。
 「物は試しよ、試し。意外な才能に目覚めるかもしれないでしょ?」
 人差し指をピッと立て、胸を張るチヒロさん。その自信はどこから来るのか。
 ちょうどその時、部屋の扉がゆっくりと開いた。
 「おう、ここに居たか。」
 のっそりと部屋に入ってきたのはエリヤさんだ。
 「エリヤさん?女の子の部屋に入るのですから、ノックぐらいなさって?」
 リガーレさんが唇をとがらせてたしなめる。
 「おおう、すまんかったな。やり直すわ。」
 毛むくじゃらの手で、顎の当たりをポリポリと掻きながら、エリヤさんが出ていこうとする。
 「いや、大丈夫ですよ!エリヤさん!」
 慌てて私が引き止めると、廊下に出ていたエリヤさんが、そっとドアの隙間から顔を覗かせた。
 「・・・まぁ、ナナちゃんがそう言ってるんだから、今回は良いんじゃない?」
 肩をすくめるチヒロさんに、ホッとため息を着くエリヤさん。
 「あ、でもこいつに何かされそうになったら、すぐ呼びなさい?懲らしめてやるから。」
 フンスと鼻息荒く指さすチヒロさんに、エリヤさんが慌てる。
 「いや待て、変な脅しをかけるんじゃねぇ。俺はいたって紳士だぞ!」
 「まぁいいわ?そろそろナナちゃん連れて市場に行こうと思ってたのよ。」
 部屋に入ったエリヤさんが、頷いた。
 「ん、そうだな、早いとこ慣れた方がいいだろう。」
 「あ、もう片付けてしまいましたわ?エリヤさんも飲まれますか?」
 リガーレさんがテーブルの上にもう一度ティーセットを広げようとするのを、エリヤさんが止めた。
 「あぁ、いや、ありがとう。大丈夫だぞ。帰ってきてから飲ませてくれ。そろそろホゥの旦那も来るだろうしな。」
 頬に手を当て、そうですか?と念を押すリガーレさんをやんわりと説得し、私は初めて部屋から外に出る。
 「じゃあ、ホゥと留守番よろしくねー。」
 チヒロさんがリガーレさんに手を振って別れてから、廊下を先導してくれる。どうやらこの屋敷は二階建てのようで、壁に等間隔に置かれたロウソクの灯りを頼りに、一階へ降りていく。3人で交互に軋ませる木製の階段のリズムが、妙に私の心をワクワクさせた。
 「へぇー、広ーい。」
 階段を降りた先の光景に、思わず口から感嘆の言葉が出た。
 広い一室、大きな円卓を囲むように、いくつもの椅子が置かれていた。
 「ここに来れば誰かしら居ると思うわ。私も滅多に自室に篭もることは無いし。」
 「へぇー。」とちひろさんの言葉を聞きながら、周りを見渡す。壁のデザインや椅子のデザインなど、色々なものが品良く調和していて、高級レストランやホテルのような雰囲気だ。
 「気に入って貰えるなら嬉しいわ。」
 にっこり笑ったチヒロさんが、両扉の前で私を手招きする。
 「さ、行きましょう?説明しないといけないことが沢山あるから。」
 「はい!よろしくお願いします!」
 いつか感じていた、夢のような不安や戸惑いは、どこかに消えていた。
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登場人物紹介

田辺美乃/タナベミノ/高校一年生/図書委員/黒髪長髪/貧乳/ブックワームだけど根暗ではない



茂木真琴/モギマコト/高校一年生/帰宅部/茶髪ボブ/スパッツ/元気印/ムードメーカー


西淀莉麻/ニシヨドリマ/高校一年生/帰宅部/茶髪ボブ/おしゃれ/ファッションに詳しい/親友の真琴の抑え役


飯沢雪姫/イイサワユキ/高校二年生/図書委員/黒髪長髪/ゆるふわ癒し系/面倒見がいい


海野月/ウミノユエ/高校一年生/軽音部/黒髪ショート/図書館にはバンドスコアを借りに来ている

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