第4話 神の右手
文字数 2,299文字
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内田刑事が病院の受付で事情を話すと、一行は心臓外科長室という部屋に通されることになった。上原隆之は心臓外科のトップを任されており、専用の個室もあるという。
父と歳の離れた兄弟である叔父はまだ齢30にもなっていないはずだが、そんな偉い立ち位置にいるだなんて、ひょっとして叔父はすごい人物なのだろうか、と由佳は考えていた。
「なんで由佳ちゃんが刑事さんと一緒にいるんだい」
一行の面々を見て隆之は不思議そうに言った。
「お父さんの事件を調査してほしくて、この花御堂さんという探偵さんに依頼したんです。そしたらなりゆきでこういうことに」
「へえ」と隆之は興味深そうに言った。隆之はつい先刻まで手術を執刀していたらしく、白衣ではなくスクラブを着ていた。
「あの花御堂グループのご子息が探偵をやっている、それもたいそうな名探偵という話は聞いたことがありましたが、あなたがそうなんですね。お目にかかれて光栄です」
「こちらこそ神の右手と誉れ高い上原隆之氏にお会いできて光栄です」
――神の右手?
由佳は内心で首を傾げた。
「ありがとうございます。それで刑事さん、僕に聞きたいことというのは?」
「今回の事件の被害者、正木羽菜さんという方がこちらの病院で働いていたのをご存知でしたか」
隆之はそれを聞いて目を丸くする。
「あの事件の被害者は正木君だったんですか。正木君がこの病院で働いていたのはもちろん知っています。幾度かほかの人も交えてですが、食事に行くことがありました」
「晴彦さんは正木さんとは不倫関係にあったと言っているんですが、どこで2人が知り合ったとか、何か検討は付きますかね」
「うーん、残念ながら全く思い当たりませんね。正木君が今どこで働いているのかはわかりませんが、そちらでの付き合いとかなのかなあ」
「失礼ですが、22日の夜から23日の昼にかけてどちらで何をされていましたか」
「アリバイ調べというやつですか? 疑われてるんですね、僕。兄は自供したと聞きましたけど」
「お気を悪くさせたのなら申し訳ございません。ですが、皆さんにお聞きしていることですから」
「構いませんよ」
そう言いながら隆之は分厚い手帳を開いて、記憶を探るように目を細める。
「その日は病院を18時に出ました。自宅に着いたのは19時を回っていました。そのあとは夕食を作ったり、食べたりしながら、地上波でやっていたスパイダーマンを見てました。そのあとは普通に就寝しています。
男の一人暮らしですから証明してくれるような人は誰もいません。映画の内容についてなら話せないことはないですが」
「残念ながらそれでは……」
「でしょうねえ」
「ああ、朝から昼にかけてはアリバイありますよ。朝8時から12時ぐらいまではなじみの喫茶店で朝食を取っています。マスターとは結構言葉を交わしてるから覚えてるでしょう。シムノンという店です」
「ありがとうございます」
内田刑事が素早くペンを動かして手帳に記入する。
「花御堂さんからは何か聞きたいことありますか」
「――身長何センチありますか?」
「――174cmですよ。それがどうかしましたか」
「いえ晴彦氏とどれぐらい体格が違うのかなと思っただけですよ」
隆之はそれがどうした、という風にその場できょとんとしている。
そんなときこんこん、と誰かが扉をノックする音が響いた。
「隆之さん、三角です」
「すいません。今立て込んでいて、少々後にしてもらってもよろしいですか」
と隆之は扉の向こうの人物に呼び掛ける。
「構いませんよ」と花御堂。
「え?」
「入っていただいて構わないと言っているんです。問題ありませんよね、内田刑事」
「え、ええ」
「綾子さん、入っても問題ないそうです」
そんな隆之の声とともに、育ちのよさそうな楚々とした美人が室内に入ってきた。彼女は花御堂一行を見て少し怪訝そうに眉を顰める。
「彼女は三角綾子。婚約者です。――こちらは刑事の内田さん、探偵の花御堂さん、そして俺の兄貴の娘の由佳ちゃん、花御堂さんの執事の菊岡さん。兄貴の事件の件で訪れたらしい」
「そうなんですか。私も晴彦さんには一度お会いしたことがあるんですが、あんなお優しそうな人が人殺しだなんて今でも信じられません」
それは心からの言葉のようで由佳は将来親族になるかもしれない目の前の女性に少しだけ好感を覚えるのであった。
7
心臓外科長室をあとにした由佳たちは再び車内へと戻ってきた。
「さっきの三角さんというかた、おそらく来津中央病院の経営者である三角一族のご令嬢ですな」と菊岡。
「じゃあ叔父さんは跡取り婿ってこと?」
「そうかもしれませんな」
「花御堂さん、次はどこに行かれるんですか」と内田刑事。
「事件の現場。チャンドラーホテルに向かいましょう。少し気になることがあります」
「そういえば」と由佳。「花御堂さん、さっきの神の右手って何のことですか」
「隆之氏が時折そう称されているんだよ。国内有数の手術の腕前を持つ彼の腕前を称えたものだ。この来津中央病院には彼に執刀を依頼したくて多くの患者が訪れるらしい。
メディアでもたまに取り上げられているし、彼はちょっとした有名人だ。そんなメディアのなかのうちの1つが彼に神の右手というキャッチフレーズを付けた。
あの年齢で科長を任されているのも経営者一族の令嬢と交際している、というだけの理由ではないだろうね」
内田刑事が病院の受付で事情を話すと、一行は心臓外科長室という部屋に通されることになった。上原隆之は心臓外科のトップを任されており、専用の個室もあるという。
父と歳の離れた兄弟である叔父はまだ齢30にもなっていないはずだが、そんな偉い立ち位置にいるだなんて、ひょっとして叔父はすごい人物なのだろうか、と由佳は考えていた。
「なんで由佳ちゃんが刑事さんと一緒にいるんだい」
一行の面々を見て隆之は不思議そうに言った。
「お父さんの事件を調査してほしくて、この花御堂さんという探偵さんに依頼したんです。そしたらなりゆきでこういうことに」
「へえ」と隆之は興味深そうに言った。隆之はつい先刻まで手術を執刀していたらしく、白衣ではなくスクラブを着ていた。
「あの花御堂グループのご子息が探偵をやっている、それもたいそうな名探偵という話は聞いたことがありましたが、あなたがそうなんですね。お目にかかれて光栄です」
「こちらこそ神の右手と誉れ高い上原隆之氏にお会いできて光栄です」
――神の右手?
由佳は内心で首を傾げた。
「ありがとうございます。それで刑事さん、僕に聞きたいことというのは?」
「今回の事件の被害者、正木羽菜さんという方がこちらの病院で働いていたのをご存知でしたか」
隆之はそれを聞いて目を丸くする。
「あの事件の被害者は正木君だったんですか。正木君がこの病院で働いていたのはもちろん知っています。幾度かほかの人も交えてですが、食事に行くことがありました」
「晴彦さんは正木さんとは不倫関係にあったと言っているんですが、どこで2人が知り合ったとか、何か検討は付きますかね」
「うーん、残念ながら全く思い当たりませんね。正木君が今どこで働いているのかはわかりませんが、そちらでの付き合いとかなのかなあ」
「失礼ですが、22日の夜から23日の昼にかけてどちらで何をされていましたか」
「アリバイ調べというやつですか? 疑われてるんですね、僕。兄は自供したと聞きましたけど」
「お気を悪くさせたのなら申し訳ございません。ですが、皆さんにお聞きしていることですから」
「構いませんよ」
そう言いながら隆之は分厚い手帳を開いて、記憶を探るように目を細める。
「その日は病院を18時に出ました。自宅に着いたのは19時を回っていました。そのあとは夕食を作ったり、食べたりしながら、地上波でやっていたスパイダーマンを見てました。そのあとは普通に就寝しています。
男の一人暮らしですから証明してくれるような人は誰もいません。映画の内容についてなら話せないことはないですが」
「残念ながらそれでは……」
「でしょうねえ」
「ああ、朝から昼にかけてはアリバイありますよ。朝8時から12時ぐらいまではなじみの喫茶店で朝食を取っています。マスターとは結構言葉を交わしてるから覚えてるでしょう。シムノンという店です」
「ありがとうございます」
内田刑事が素早くペンを動かして手帳に記入する。
「花御堂さんからは何か聞きたいことありますか」
「――身長何センチありますか?」
「――174cmですよ。それがどうかしましたか」
「いえ晴彦氏とどれぐらい体格が違うのかなと思っただけですよ」
隆之はそれがどうした、という風にその場できょとんとしている。
そんなときこんこん、と誰かが扉をノックする音が響いた。
「隆之さん、三角です」
「すいません。今立て込んでいて、少々後にしてもらってもよろしいですか」
と隆之は扉の向こうの人物に呼び掛ける。
「構いませんよ」と花御堂。
「え?」
「入っていただいて構わないと言っているんです。問題ありませんよね、内田刑事」
「え、ええ」
「綾子さん、入っても問題ないそうです」
そんな隆之の声とともに、育ちのよさそうな楚々とした美人が室内に入ってきた。彼女は花御堂一行を見て少し怪訝そうに眉を顰める。
「彼女は三角綾子。婚約者です。――こちらは刑事の内田さん、探偵の花御堂さん、そして俺の兄貴の娘の由佳ちゃん、花御堂さんの執事の菊岡さん。兄貴の事件の件で訪れたらしい」
「そうなんですか。私も晴彦さんには一度お会いしたことがあるんですが、あんなお優しそうな人が人殺しだなんて今でも信じられません」
それは心からの言葉のようで由佳は将来親族になるかもしれない目の前の女性に少しだけ好感を覚えるのであった。
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心臓外科長室をあとにした由佳たちは再び車内へと戻ってきた。
「さっきの三角さんというかた、おそらく来津中央病院の経営者である三角一族のご令嬢ですな」と菊岡。
「じゃあ叔父さんは跡取り婿ってこと?」
「そうかもしれませんな」
「花御堂さん、次はどこに行かれるんですか」と内田刑事。
「事件の現場。チャンドラーホテルに向かいましょう。少し気になることがあります」
「そういえば」と由佳。「花御堂さん、さっきの神の右手って何のことですか」
「隆之氏が時折そう称されているんだよ。国内有数の手術の腕前を持つ彼の腕前を称えたものだ。この来津中央病院には彼に執刀を依頼したくて多くの患者が訪れるらしい。
メディアでもたまに取り上げられているし、彼はちょっとした有名人だ。そんなメディアのなかのうちの1つが彼に神の右手というキャッチフレーズを付けた。
あの年齢で科長を任されているのも経営者一族の令嬢と交際している、というだけの理由ではないだろうね」