Ripper-3

文字数 2,784文字

 嫌な予感がした。
 つい先程まで男体で、ニールを俯せに組み敷いていたはずなのに、ヘレンが女体を顕現させて興奮気味に吐息するということは、だ。
「……やめろ」
 身体ごと振り向いたニールの制止を、女が嘲笑う。男なら誰もが一度は相手を願うだろうグラマラスな肉体を捨て、貧相な肉付きだが腰の括れから尻にかけて曲線を描く少女の肢体を再現し、ニールが魂ごと取り込んだ哀れな娘の顔で迫ってくる。
「やめろ」
 寝台の上でじりじりと後退るニールを見つめ、娘は不思議そうに小首を傾げ、
「こちらのほうが馴染みがあるかしら」
 母の顔で、母の声で、母の身体で、動けないニールを優しく押し倒す。
「やめろ……!」
 最初の悪女のリリス宜しく、騎乗位で跨る彼女の薄めの叢の向こうには、一人息子を産んだワギナがある。黒ずんだ大陰唇に反して、そこは綺麗に充血した赤色で、蜜を帯びてほんのり濡れ光りながら雄を迎えるためにパックリ開いているのだと、手に取るようにわかる。
 泣きが入って掠れる声に、彼女は満足そうに笑った。産み落とした一人息子と番う背徳に恍惚と目を細め、狂気を孕んで見下ろしてきたあの頃のように。
 ──ははうえ。
 ニールが呆然と呼ぶと。
 ──来て、愛しい子。
 母は躊躇うことなく、幼いニールの芯を包み込むために腰を落とした。
 この化け物は変幻自在だ。ニールが過去に見てきた、出会った、あらゆる人間に化けられる。普段は野性味溢れる美貌だが、彼は幼い子供や醜男(ぶおとこ)になることも厭わない。愛し子と宣うニールを壊すためなら、あらゆる手段を尽くすのだ。
「……すごい……」
 愛液を塗すように何度か粘膜を擦り付け、刺激に反応する楔の真上に座り込んで挿入すると、ニールの見知らぬ女がびくびくと仰け反った。白髪の淫魔に戻ったヘレンはしばし、絶頂を揺蕩うと、上気して蕩けた顔でニールを見下ろす。
「こんなに硬くして──お母さんが好きなのね」
 ヘレンが告げる感想に、絶望と喪失感で声も出なかった。
 忌まわしい、と思う。雄の本能も、刺激に反応してしまう身体も、母性を欲してしまう未熟さも、何もかもが忌まわしくて厭わしい。修復不能なほど四肢を切り裂いてバラバラになりたいのに、死ねない肉体では終わりを迎えることもできない。絶望を超えた絶望だ。
「あぁ、愛しい……」
 茫然と横たわるニールの頭を掻き抱いて、ヘレンが言った。これ以上ないほど満ち足りた声だった。次に身体を起こすと、ヘレンは女性器を持つ男の姿に変わっていて、中性的な美貌に浮かぶ満月色の双眸を意味深に細め、上唇を赤い舌先で舐めた。
「お前の失望は甘いな」
 何度も、何度も、目が覚めなければいいと願った日々は終わっていない。地獄の底で、肉体を引き千切られる心地で生きていた日々は遠くならない。忘れるなと刻みつけるように、ヘレンが克明に思い出させるからだ。
 先生、と家庭教師の面影を呼ぶ。地獄の底から夢幻の世界に誘なってくれた、慈愛に溢れる横顔を思い出す。嘘か実かわからない話の真偽なんてどうでもいい。作り話でも、架空の世界の中ではニールは何処までも自由だった。何処へでも行けて、何時までも飛べた。自分が何者であるかさえ、気にせずにいられたのに。
 あの姿こそが瞞しだったのだ。ヘレンには秩序がない。ヘレンの突飛な行動や言動に振り回されて、尚、春の陽だまりのような日々をなぞりたいだなんて、虫が良すぎる。
 ニールの喉から獣の唸り声が漏れると、楔を扱き立てる膣粘膜の動きが止まった。人ならぬ美貌で、ヘレンがにんまり笑う。
「俺を喰え、化け物、いつまで行儀のいい人間を気取るつもりだ」
 ヘレンが見下ろすニールの双眸も満月色のはずだ。冴え冴えとした光を宿す魔性を顕わにしながらも、ニールは狼の姿を取ろうとせず、低く唸り続けるだけだった。
「私は貴様とは違う」
 犯されながら、決して屈しないと告げる声は力強い。
「貴様のような生粋の化け物にはならない」
 憎悪を孕む声を受け、ヘレンは笑った。一頻り笑うと、獣が獲物を仕留めるが如く、ニールの喉笛に噛み付く。
 ひゅ、と喉が鳴る。ヴァンピールを真似たように、ぢゅるぢゅると音を立てながら血を吸われる。身体の奥から熱が奪われると共に、全身が弛緩し、死に向かう。
 遂に喉を食い破られたとき、出血はほとんどなかった。ここが遺体なき殺人現場と化すことを恐れる思考を読まれたようだった。
 無痛の身体が痙攣する。血を失い、窒息しているのに、意識だけは明瞭なままで残り続ける。いっそ、気を失ってしまえたら良かったのに、死を忘れた肉体は最期を迎えても終わらない。しばらく痙攣したあと、死を迎えた過程を逆再生するかのように蘇る。その瞬間は、悍ましさに鳥肌を立てながら、激痛に息もできない。
 ふふ、と、女の声でヘレンが笑った。彼はまたしても、白髪でグラマラスな淫魔に姿を変え、そっと下腹部──子宮の辺り──を愛しげに撫でた。
「ねぇ、もっと出して」
 あまりの痛みに呻くことも身動ぐこともできないニールの耳元で、ヘレンが妖しく囁く。
「あなたの子どもが欲しいの」
 食い破られた気管が、声帯が、食道が、細胞単位で修復されていく。静脈が繋がり、動脈が繋がり、肉が這って皮膚が覆い、傷痕も残らず再生していく。ニールの呼吸が再開するのを待ち受けていたかのように、ヘレンは大きく腰を引いて、死の予感に最大まで張り詰めた楔を先端ギリギリまで引き抜くと、ポルチオを穿つように一息に根元まで沈める。彼女は声もなく絶頂し、ようやく生に返り咲いたニールもまた、彼女の奥で吐精した。
「あぁ……」
 大きく背を反らしたまま、陶酔しきったヘレンの声は蕩けるように甘い。
「きっとかわいい子が産まれるわ」
 うっとりした口調を遠く聞きながら、ニールは己を強く呪って、目を閉じた。

「あれを喰ったのは俺だ」
 ブリティッシュに留まる最後の夜。味気ないフィッシュアンドチップスを肴にスコッチを舐めながら、白髪を結い上げた紳士が下品な笑みに口角を上げた。
 シガレットの煙が空間を満たす、こぢんまりとして静かな店だった。高さのある丸テーブルを挟んで紳士と相対するニールは、そっと目を伏せる。
 革エプロンも模倣犯も、未だ捕まっていない。
 腸と子宮を奪われた娼婦を喰い殺してしまったのではないかと気が気ではないニールがドーバー海峡を渡ると決めたのは、あの夜から程なくしてだった。幸い、船はすぐにチケットが取れたため、ブリティッシュでの滞在は三ヶ月で終わりを迎える。
 苦悩するニールを嘲笑うかのように、付き従う化け物が最後の夜になって、娼婦殺しが自分の仕業であると告げても、ニールは驚きもしない。
「女の肉はいい」
 言って、白髪の化け物は女受けの良い美貌を恍惚と綻ばせる。店内のウェイトレスの視線が更に二人に釘付けになるのがわかる。
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