「STYLE HB」編集作業とアフレコ

文字数 3,203文字

白金台という土地の外れに建つビルの一室に、「喜馬総合商事株式会社 東京支社」と書かれた

白いプレートの貼り付いているドアがある。


大地の住処だ。 

ビル自体はずいぶんと古いものらしく、パッと見は実質剛健な構えを見せている。 


そのビルのコンクリートがむき出しの廊下を、空が陽気に歩いていた。


手にはケーキ屋の袋をぶら下げている。 

when the night♪ has come♪ and the land is dark♪

所かまわず歌う空の歌声が、少し音程を外しながらテンポ良く廊下に響いてゆく。

……どうやらこの男、近所迷惑という言葉を知らずに生きているようだ。

やがて先ほどのプレートが貼ってあるドアの前についたとき、歌もサビの部分を向かえていった。

So darling, darling♪ Stand by me, Oh, stand by me Oh, sta・・・

うるせえ!!!!
突然にドアが勢い良く開き、大地が顔を出しながら怒鳴る。

てめえはいい加減、そのどこでも歌う癖をやめにしろってんだろ!


部屋ん中まで音程外れが響いてきて作業になんねえ!

・・・なんだよ。俺が音痴だっていうのか?!

そうだ!っつかそっちじゃねえ!

・・・ったく、とりあえず中入れ。

いくら他の部屋が空き室多いっていったって普通廊下で歌うか?!

ま、とりあえず続きは中でな。


海はもうきてんの?

空が部屋の中へ入ると、大地が入り口のドアを閉めながら質問に答えた。
少し遅れるって電話があった。またバイト先でなんかあったらしい。
空がリビングまで入ると、編集機材が所狭しと並んでいる。


ソファーの上にはオープンリールのテープ装置があり、広めのデスクには大きなモニターと、他に空には良くわからない装置が部屋中に散乱していた。

バイト先でなんかっていったら、またあれ?
それっぽいな。そんなこと言ってた。

大地は気分を切り替え、デスクの前に座って映像を早送りしたり巻き戻したりと、装置をいじりだしている。

海ちゃんもまあ、悩みの多い人だねぇ・・・。

既に作業に集中している大地は返事もせず、今度はヘッドフォンを耳にあてて映像を繰り返し見つめている。


空はその様子を眺めながら、今度は口ずさむように先ほどの曲を歌いだし、ソファーから夕暮れの窓の外へと目を向けた。 

If the sky♪ that we look upon♪ Should tumble and fall・・・

カチャカチャと、大地の操作する装置の音が室内に響く中、そのリズムに合わせるように、空の歌声が静かに響く。

そのリズムが時折演歌調になるのは、大地の耳にも空の歌が聞こえているからだろうか?
二人のリズムを合わせているかのように、作業の音と歌とが重なってゆく。 

多くは演歌調で、時にPOPに、あるいはJAZZへと・・・。

するとそこへ、ピンポーンっとドアホンの音がした。
大地は何も言わず左手をドアの方へと指差す。

それを受けて空は歌いながらドアへと向かい、待ち人の来訪をこころよく受け入れた。

鍵をあけドアを開くと、海が飲み物の入ったビニール袋を持って立っていた。
よう。
・・・よう。
心なしか不機嫌そうに、海はそう答えた。
ま、入りな。大地も待ってるしよ。

海が入るのを見届けて、空はドアの鍵を閉め、怒りの発散が透けて見える海の後姿を見ながら頭を掻いた。

三人がリビングに揃うと、大地が作業を止めて二人に振りかえった。

しかめっ面した顔を上げ、堂々と、しかし唐突に言った。 

アフレコだ。
はぁ!?
えー!?
すまん。最初の方で撮った映像に音が入ってねえ。


……そこだけ音入れしてくれ。

珍しくすまんと言う大地に、海は目を真ん丸くして驚いた顔をする。
大地・・・なんか悪いものでも当たった?
なんでだよ?
あんたが謝るところなんて、私はじめて見た。
あー、そういや俺も二回目くらいかな?

・・・自分のミスで音が取れてなかったんだから、謝るのは当たり前だろう。

聞いたことがないのはこれまでミスが無かったからだ。

堂々と言い放つ大地。

海は空に困ったように視線を送る。

空もまた海を見て、頭を掻きながらこういう奴なんだとでもいいたげに笑った。

なんだよ!俺が謝るのがそんなに変か?!
いえいえ。大地監督のおっしゃるとおりでございます。
空がふざけて答えると、海がどうしようもなく笑い出した。
大地ったら、むくれてるしぃ~。


あはは、可笑しい。可愛いったらない。

空と海が笑っている間、大地は何事も無かったかのようにソファーの上を片付けはじめる。

後ろ側を人が座れるようにし、テーブルを持ってきてその上にマイクをセットしていく。

テーブルの下に、ソファーに乗っていたオープンリールのレコーダーが置かれる。


大地はそこまで用意しおえると、相変らず笑いつづけている二人に言った。 

空、海。そこ座る。
はいはい、という素振りで二人はソファーに並んで座ると、目の前のマイクを見つめた。
ねえ、アフレコってどうやるの?

そっからデスクのモニターが見えるだろう。

そこにこないだの海岸で撮ったシーンを流すから、それに合わせて台詞を言えばいい。

台本は?
見ながらでいいけど、棒読みとかになったらリテイクだからな。

それだけ?

そんだけがけっこう難しいんだよなぁ。苦手だ、俺は・・・。

お前は阿呆だからな。

テイク20ぐらいまでは勘弁してやるよ。

・・・20ですむかなぁ。

空は前にやったことがあるの?アフレコ

何年か前にな。

この阿呆、たった一言なのに全然自分の口と合わなくて。


まあ、ある意味ではそれも才能だと思うぞ、空。

・・・そんなの才能いらねえよぉ。
空もこんなしおらしいとこあるんだ。今日はなんか珍しい日だね。
こいつトラウマになってんだよ、前のが。
あはははは!
わはははは!
えへへへへ!
お前が笑うな!!!
んとに、もう……
ほら、またぁ。頭掻かないの!爪たてて搔いたら頭皮ボロボロになるよ!
やれやれ、だな。
じゃ、はじめるぞ。空、今日一発で決めたら前回はふざけてたってことでぶん殴るからな。

安心していいよ。ありえねえから、それ。

阿呆……

そうしてアフレコの作業がはじまった。



ヘッドフォンで二人の声を聞きながら大地は自分の夢にこの二人が必要なんだと再確認していた。

(撮りてえ!

俺が見る世の中を!)

(これから変化してく世の中に、俺の目で見た画を見せたい! )
(おぞましいもんも、素晴らしいものも、全部をだ!)
(使えるのか使えねえのか掴みどころはねえが、妙に空気を和らげる空と、負けん気と本気の演技が信頼できる海。三人から始めて、でかく描いてやる!!)

映像と台詞のズレを逐一注意しながら、大地の心には大きな夢が描かれていた。 

カット!


お前全然合ってねえじゃねえか!口の動きと台詞!

ごめん……眼鏡忘れちゃってさぁ、全然見えねえんだなこれが……。
……今言う?それ……
気合い入れて目を見開け!そうでなきゃ心の目で見ろ!



今日はできるまで帰さんからな、覚悟しとけよ、空!

ちょっと待て!海はどうすんだよ!



こいつこれでも一応、女だぞ?

一応、じゃなくて……。



っていうか、今日中に仕上がらなきゃなんだから仕方ないでしょう!

だそうだ。……海の心は決まってるみたいだ。
残るはお前の覚悟次第だ!空!



しっかりと責任取って、海を電車があるうちに家に帰してやれ!

……そしたら、面倒だけど眼鏡取りに一旦家に帰るよ。
それはならん!
というか、むしろ無用だ。
どうして?眼鏡あった方が、画面の口元だって見えるし、作業早く終わるでしょ?
そうだそうだ!
残念だが、海、こいつにその気遣いは無用だ。
どうして?だって、見えなきゃ台詞、合うわけないじゃん?
そうだ、そうだ!
うっせえ!空!お前、前のときより今日の方が台詞も自然だし、口の動きにも合ってるじゃねえか!



なんで眼鏡ある時より上手になるんだよ!

……そゆことね……
キリっ!
だったら、問題ないわね!さっさとやっつけちゃいましょう!
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登場人物紹介

草薙 海

19歳


女優志望の女

コールセンターでスーパーバイザーをして生活費を稼いでいる。

負けず嫌いで気が強い。博多出身

三船 空

21歳

シナリオライター志望の男


フリーターと言っているが、いつどこで働いているのかは誰も知らない。

日和見なところが多く、大雑把。関東出身。

喜馬 大地

21歳

映画監督志望の男


生活費はどうしているのか謎多き男。

性格は頑固。関西出身。

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