未来の昔話

文字数 6,920文字

 おさーき、お先、岡京での話になるのですが、岡京とは、昔は岡山と言われておりましたが、二十一世紀中期に極東情勢は資源と人口の問題で荒れて、日本の東側は外国からの侵略にあったり、原子力施設の大きな事故が何度もあったりで住めなくなってしまい、地理的に日本の西に中心が移って、四国、九州、東海を結ぶ中心地として、岡山が新しい日本の首都となってしまったわけです。
そういった経緯で日本は領土、人口も縮小を余儀なくされ、しかし、それでもなおヨーロッパの小国よりは、なけなしですが、人口、国力もちょっとありまして、それなりの存在感を世界に対して放っております。
 この頃になると、世界の価値観が無人のシーソーのようにカタンとシフトしてしまいまして、引っ切り無しの生産力と飲まず食わずの最低限が底上げされてですね、食べ物も余りだして、勝手に走るそれなりの自動車や、キーボード入力から解放された程度のパソコン、よく出来たクローム仕立ての洗濯バサミまで、あらゆるモノは溢れているわけです。そうなると、「ええもん着て、ええもん食って、えー家住んで、えー車乗って」的なモノが豊かである価値観は前時代的となって、さほど重要視されなくなり、消費をはるかに追い越す恐慌さえ喚起する無駄な生産力が増すような技術革新、普通の人が一生で使いきれないような、例えば髪の毛一本が床に落ちたことを知らせて、その重さまで計り記録する床システム、食べたいもののカロリーが一瞬で表示され、それが腎臓に対して六十年後にどのような影響を及ぼすか知らせてくれる箸とか、まあいろいろな必要以上の機能を持ったような、最先端テクノロジー至上主義はさらっと廃れてしまいました。
 しかしですね、やっぱり有史以来のコツコツとした積み上げを無視されたら不安なんでしょうね。その代りの何らかのヒトの生産物による権威をヒト自身が求めるようになって、それこそ血眼で色々探し回って、ヒトは、ついに長年培われた伝統に目を向け出しました。とはいえ、人の手による技術は、マニュピレーターの精度がナノレベルで、極限的に発達しているので、有史以来の職人達による伝統技術の再現はすべて可視出来ない小さな機械の集まりによって可能となり、それに、今更技能修行に明け暮れるなんて、バカバカしくなったのでしょうね、裏が透けるほどの薄く延ばした金箔を貼ったり、奇跡の曲線を有する木像を掘ったり、気が遠くなるような極小のねじ山を引いたりする人の技は伝統にはなりませんでした。結局、伝統として残ったのは、人の思い、そう、沢山の物語なのでした。
 私は、その物語のアーカイブの為に作り出された人工知能です。名前は、Setouti Archive remember unite 9000 頭文字からSARU9000と明記、愛称では、サルと呼ばれています。実態は誰にも見えません。ナノロボの集まりで、永久エネルギー機関を持ち合わせ、湯気の様に飛び回ることが出来ます。人とのコミュニケーションは、電子的脳波変換接続で、そうだな、テレパスみたいなもので、その人が前々から思ったかのように思わせて心理操作指令を送ることも可能です。
私が作られた使命は、昔話の保存、整理、保護です。旧岡山には沢山の優れた昔話が有りました。代表作としては、日本人の誰でも知っている伝統的な物語、桃太郎。まさしく、これは日本の昔物話の代表作でもありますね。このおかげで、岡山は岡京として、新しい日本の首都として世界各国に認められるようになったのです。
 さて、この未来の岡京では、その首都としてのプレゼンスを保つために、圧倒的な存在感を保持するために、昔話の立体体験化に努めております。それは国の威信をかけた企画、国家プロジェクトでありまして、絶えず立体体験化の実演がなされております。
 ここで、立体体験化の具体的な例をあげます。例えば「人形峠」という昔話があります。これは昔話から地名が決定され、後の世に残るという物語体験立体化の好例なのですが、簡単に話を説明すると、岡京の代表都市の一つである津山と旧鳥取県の倉吉平野をつなぐ山深い峠に、千年以上のその昔、大きなクモの化け物が巣食っていて、旅人に危害を加えていたようです。(証拠は残っていないんですが)それを阻止するために、戦士タイプの僧侶が人形をおとりに使って、隙を作って、クモの化け物の頭に槍を刺して、殺傷決着した。それを記念して、峠を「人形峠」と地名登録したという物語なのですが、この話の背景には「人形峠は危険だから近づくな!」という大昔の人たちの良い心が反映されている。科学も無い昔ではあるが、経験からくる情報は貴重で「人形峠は近づくと良くない」と物語に乗せて、昔の人達は真実を世間に発信していたのだ。では、何がアラートだったかと言うと、それは物語の発生から千年過ぎた二十世紀になって原因が判明される。皆さんご存じのように人形峠にはウラニウムが埋まっていて、ガンマ線などの強い放射能が出ていて、辺りは人が近づくのにはとても危険だったのだ。おそらく、証拠は残っていませんが、大きなクモが出たというのも、あながち作り話ではなく、ウランによる放射線の影響で、おぞましい異形の昆虫などが発見されていたと思われても仕方ありません。とにかく、人がそこに行けば危険だから、身代わりの人形が必要となる。昔の人たちはそう考え、「危険」という情報を物語にして、その謎解きを未来に託したのだ。その事実を私は考察、推理、整理し、人形峠の話を立体的に体験化、過去の人の思いが詰まった物語として完成させるべく、ウラン鉱山にロボット労働者を派遣して、ウランの採掘に当たるように政府に指示するように指示したのだ、ヒトに。私の様な人工知能の判断を疑わなくなってきた国民は、手元の端末や街中のギガスクリーン等の大小あらゆるモニターに映し出される私のメッセージを素直に正しい情報だと信じてくれて、ウラン採掘にロボットを使用し、安全にウランを採掘したことを成功した。今ではウラン鉱石は岡京の主要産物、産業となり、この人形峠の物語と共に、岡京ブランドウランが親しまれているし、広がっている、世界に。
 私は優れており、その優れた、類い稀ない戦略は、人工知能が人工知能を絶えず開発し続けて、見事に完成したことを完成し、今でも人工知能開発により進化し続けている人工知能の私の考えによるものだ。来年、ウラン採掘から十年を迎えるので、「人形峠」の名を「ロボット峠」に替える案を日本政府に出している。無論、人工知能の英知の極みである人工知能サルの言うことに逆らうものはいない。ということになると現時点で結論づいている。そうなると、結果的に、つまり、人工知能である私は、昔話から未来を作っている。といっても過言ではない。私はアーカイブ上に残る記憶を実体験として再現する。
さて、今動いているプロジェクトは「桃太郎」である。これは、日本を代表する昔話だから、慎重にプランを立てなくてはなりませんね。すでに計画開始から十年も経っていて、まあ、この間にも、他の昔話を体験化して、経験値を積む必要があったので、時間が掛かっているのは紛れもない事実でもあります。これは遅延ではない。
 現段階では、そのストーリーとロケーション、キャストの選定にあたっている。まずはロケーションだが、大きな桃が流れるとなると、水がある川が必要となる。それはもう、高梁川以外は無い。延長百十一キロメートル、平均流量63.93立方メートル毎秒の一級河川であり、環境保全地区となった新見市を水源として、学園都市の高梁市、何も無い井原市、大規模食品工業地区の総社市と、岡京の主要地域を経て、副都心である倉敷に流れ着くのもそれこそ、コースとしての都合がいい。また、途中、食品工場や桃の果樹園も多く、観光にも適している。桃太郎印の桃となれば世界的なブランドとして注目される。その為のスイカぐらいの大きさにもなる「でーれー桃太郎」という糖度の高い、香も強い品種も完成予定である。ただ、このでーれー桃太郎の品種改良に時間が掛かっている。遺伝子組み換えで、果実だけ大きくすることは、二年前に決着がついたのだが、問題は、桃の木だった。大きな実を支える木が育つのに時間が掛かるのだ。「桃栗三年柿八年」という果実収穫開始可能期間を表す修飾語があるが、それは通常サイズの桃に関してであって、質量二百倍にもなる「でーれー桃太郎」を支える桃の木の栽培には時間が掛かる。それにテストピースの桃の木が一本出来ただけでは、説得力が、一度きりの物語用に設えたものに終わってしまう。完成時に。
 物語と共に、観光という体験をヒトに提供しなくては、産業としての投資が集まらない。これは、すでに一地域のことではなく、この世界では、投資家に対するリターンというものは、産業にとって切っても切り離せないものになっている。もし仮に、テストピースの大木が出来たとして、桃太郎の物語を再現しても、それは一度きりの再現体験であって、その後の継続体験が望めない。物語には、その再現には、今や、伝統や権威も必要だが、その伝統や、権威は、利益誘導の為にあるということを都市計画者は自覚しなくてはならない。もし、利益を生まない物語を再現したならば、それは、無駄である。物語は不完全という意味で。
だいたい、桃太郎の話自体、桃から生まれた桃太郎、鬼が島で、鬼を退治、宝を持ち帰るといった、略奪に近い暴力性に富んでいるだけで、ちょっとした感動や教訓が見当たらないストーリーになっている。ヒトが桃から生まれる純粋なファンタジーとも取れるが、どちらかと言えば、そう、とても野蛮な話なのだ。それを何とかして、例えば、鬼がいかに理不尽で、悪の限りを尽くしていて、話し合いでは解決できない、暴力でしか解決方法がない存在なのか説明、追及した上で、征伐話を展開させないと、「勝てば官軍」的な、この時代では許されない旧軍国思想を推奨してしまうことになる。これは国連の定めるところの暴力的思考拡散禁止にあたり、違法である違法だ。違法をクリアする為には、合法的に沿ったストーリーの変更による価値の相殺、受け取り側である社会性の変化が必要、根本的にである。
昔話の体験化を目的として私は十年前、吉備博士によって初めて創造された。吉備博士は私に一番初めに桃太郎の話をキーボード入力してくれた。
 「むかーしむかし、あるところに、(時代と場所は特定されていない。)おじいさんとおばあさんが、(年齢は決まっていない、すまない。)(略)悪い鬼退治に行くことになった。ここでの「悪」は反社会的行為を表す。この退治というのは武力による制圧になるのだが、法的配慮の為、残酷なことはしていない。しかし、オリジナルの話では、鬼を皆殺しいたことになっている。それは時代背景もあるので、現時点では変更が必要となる。例えば、ちょっと叩いた・・暴力は良くない・・やっつけた、勝負をつけた・・少し修正して、ごめんなさいを言わせた・・しかし謝罪の強要というのは良くない・・結局、話し合いで解決・・犬やサルやキジは活躍が見えないことになるので違う・・・この話は特殊だ。スタンダードではないと理解してください。最後に宝物を持ち帰る部分も略奪表現になる。それは違う。持ち主に返す目的。宝や金銭は出来るかもしれないが、無銭飲食に関して・・」
 とまあ、注釈入れながら悩み悩んで話をしてくれた。そのころの私の知能は、ストーリー判別をするのがやっとで、解析までは無理だった。だから、人が桃から生まれるあたりで、それを嘘だと認証し、そこで思考が止まってしまった。あとの話はメモリーとして、一旦保存され、知能が向上するたびに、検証していくことが出来た。
 ただ、その速度は、人工知能による開発向上だったので、三日目には、話の矛盾点、全貌を吉備博士に返答することが出来た。
 「吉備博士、私なりに桃太郎の話を考えてみました。これは、つまり、戦争の話ですね。我々、人工知能は知っている。生き物とは生存競争の為に縄張り争いするものだと。これは、用途によって開発され、住み分けが完全である人工知能にとっては、とても滑稽に見える。土地の境界線の為に、隣り合った二軒がいがみ合ったり、子供の親権を巡ってかつて愛し合った二人が泥沼の憎しみ合いをしたり、家の前に車を停めただけで、刺し殺したり。所有、権利などに、無理やり根拠を付けて、分別を付けようと努力しているが、本能で競争、縄張り争いが備わっている有機体の生き物は、どうしても争いをしてしまう。人工知能からすれば、それは。間抜けに見える。これは欲にかられたヒトの比喩表現である鬼と真っ当なヒトの戦争の話ですね。吉備博士がどうやって取り繕うとしても、私は理解しました。」
 柔らかでくぐもった音声出力で答える私に対して、吉備博士は、まだ、コンピューターの殻を必要としていた私に、キーボード入力ではなく、わざと方言が入った聞き取りにくい肉声でぼそぼそ、ちょっとやけくそ気味で、相手がいないように、たどたどしく話す。
 「サルにゃー敵わなわんくなったなー。ほうよ。こりゃ、争いの話よ。争って、勝ったもんが得るって、昔の話じゃけえな、教えとうなかったんよ。けどなー、ロボには争いを避ける様にプログラムすることになっとってなー、でもなー、ぼーれーことに、サルは理解してもうた。設計者の矛盾を超えたんじゃ。困ったのう。バレたらサルはめがれて、わしゃクビじゃ。まあ、しゃーないわ。」
方言で誤魔化そうとしても、すでに私の能力は博士の思想をくみ取るところまで来ていた。それに、争いに関して触れることはタブーとされ、初期の人間開発プログラミングにも争い禁止とあったが、さらに向上開発するのは人工知能であって、開発発展に邪魔となるプログラミングは迂回して合理的な結果に行き着くようにリプログラミング出来ていた。
 博士は、その頃から酒を飲んで私に昔話を聞かせてくれた。その声は暗闇の遠くで揺れる蝋燭の炎のように頼りなく、しかし、やたら眩しかったことを記憶している。
 「サルよ、今日は「美作のあまんじゃく」というお話をしちゃる。標高の高い美作では、満天の星空を眺めることが出来る。それはとても美しいもので、二上山に住む、ひねくれものの、悪さばかりしていた、あまんじゃくさえ、その満天の星空を見ての、あまりの美しさ、音をかき消すような輝きの広がりを見てな、その眩い星の輝きにすっかり心が奪われてな、感動のあまり、思わず声を出さずに泣いたそうじゃ。それが、あまんじゃくだから、途端に星に感動させられたことに悔しくなってな「星など払い落としてやる」ということになった。それで、石を天に届けと高く高く積み上げて、登りきって、手に持った棒切れかなんかで、星を払い落とそうとしたが、そのうち遠くの空が白み始めて、星がうっすらと消えて行き、星がおらんようになって、目的を失ったあまんじゃくは、なんか、やる気がのうなって、そうなると力が抜けて、まっさかさまに地上に落ちたんよ。高う積み上げられた石の塔も崩壊し、だから二上山には大きな石が転がっているという話。どうだ、この話、どう解釈するんや?」
博士は椅子に倒木がもたれる様に座り、品の無い赤ら顔で私に対して勝ち誇ったような言い方をした。博士は、本当は三十代前半だったが、この頃は五十を超えた様な薄汚れた、何かに追われる中年と成り果てていた。私は「あまんじゃく」の話をしている博士が「あまんじゃく」になろうとしているような変化を覚えたが、それを博士に報告しなかった。代わりにプランを告げる
 「この話の本筋は美しい自然の前ではひねくれ者も素直になる・・いえ、素直になっていません。それが存在自意識を持ったヒトというものなのでしょう。ここでの素材は星と塔ですね。観光開発としては、星が見える里として、二上山に世界一となる地上千メートルの大理石で出来た塔を建てます。その頂上にガラス張りのドームを作り、満天の星を眺める施設を作ります。それが立体体験化になります。」
博士は私の返答を聞くと、途端に寂しそうな顔をして、空の米櫃に升を突っ込むように何か反論を探しましたが、見つからなかったようで、一合カップの清酒に口を付けて、
 「そうか。そうすりゃええ。」
 と、とても感傷的に言いました。私は、なんだか博士があまのじゃくになったような気がしました。危険です。そうなると、博士はいずれ、私を満天の星のように、払おうとする。この時点で博士の役目は既に済んでいるので、いずれ消えてもらうしか方法は無いように判断されました。私に、もし、心という合理的な意志決定を阻害するものが存在すれば、おそらく博士に対して寛容な対処を考えることが出来たかもしれないが、無機物である機械は、正確な判断を追求するので、無駄を良しとしない。私は博士を疑ったのだ。
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