第1話 女の子に手を出すな

文字数 5,172文字


 僕の名前は勇気。
 ママが強い男の子になれますようにって、つけてくれたんだ。
 だから、僕はいつか絶対強くなりたい。
 大好きなママを守れるぐらいの男の子に。


 僕には年の離れたおにぃがいる。
 7歳上のお兄ちゃん。すごく身体が大きくて、頭もいい。
 県内でもトップクラスの高校に入れたんだ。
 柔道をやっていて、全国大会でも優勝するほど強い。
 おにぃは僕にとって、憧れの人かな。


 ある日、おにぃに聞いたんだ。
「ねぇ、どうやったらそんなに強くなれるの?」
「おにぃだって、別にそこまですごくないよ。この家で一番強いのはパパだよ」
 僕はビックリした。
 パパは確かに大人だけど、身体の大きさじゃ、おにぃの方が大きいもん。
 おにぃは柔道だってやってるし……二人が戦ったらきっとパパが負けそう。
「どうして?」
「あのな、パパはおにぃよりも頭が良いし、昔は不良も倒したことあるんだぞ」
 そう言うおにぃの目はキラキラと輝いていた。
 パパの話をするおにぃは嬉しそう。


 でも、僕はあまりパパが好きじゃない。
 夜遅くまで帰ってこないし、早くに帰って来ても酔っぱらってる。
 日曜日も家にいるけど、ずっと怒った顔して怖い。
 僕の大好きなママと話すとき、必ず「おい」とか「おまえ」としか呼んでくれない。
 休みの日は、いつもパパがママに命令して、お弁当を作らせる。
 パパは遊園地とか、公園とか、海に連れて行ってくれるけど、ママが準備していると怒り出す。
「おまえはついてくるな!」
 僕はいつもそれを見ていて悲しかった。
 みんなで仲良く遊びに行けたらいいのに……。
 なんでそんないじわるするんだろう。


 小学校で仲が良くなったひろみちゃんが、家に遊びにきたときだった。
 ひろみちゃんとゲームをして、盛り上がった。
 遊んでいる最中、ひろみちゃんが僕の番なのに……。
「勇気くん、ちょっと貸してよ!」
「なんで? いま僕の番だよ!」
 少しケンカっぽくなっちゃった。
 コントローラーを取り合っている時、僕のひじがひろみちゃんの頬にぶつかった。
「うわぁん!」
 泣き出したひろみちゃんを見て、僕は困った。
「ごめん、ひろみちゃん……」
「ひどぉい!」


 泣き声を聞いたおにぃが、僕の部屋に入ってきた。
 顔を真っ赤にして怒っている。
「勇気! お前、女の子に手を出したのか!」
 鬼のような怖い顔で怒鳴ってきた。
「ち、ちがうよ……これはちがくて…」
「女に手を出す男は最低だって、いつも言っているだろ!」
 僕が言い訳する間も与えてくれず、おにぃに右足を蹴られた。
 何回も何回も……強い力で。
「うわぁん! ごめんなさぁい!」
「いいか、女に手を出すなよ!」
 ひろみちゃんもおにぃの姿に、ビックリしていた。


 そんなことがあって、僕は毎日おにぃに説教された。
「事故だとしても、女の子には絶対に手を出すなよ!」
「わかった。約束する……けど、なんでダメなの?」
 僕がそう聞くと、おにぃは顔を真っ赤にして怒る。
「ダメなもんはダメなんだよ! 勇気は強い男になりたいんだろ? 女の子を守れるような男にならないと……」
 そうか、女の子に手を出すってことは、弱い男がすることなんだ。
「わかった! 絶対に守るよ!」


 ある夜、僕はおしっこをしたくて、自分の部屋からトイレのある廊下に向かった。
 おしっこをしている最中に、なにかが割れる音が聞こえてきた。
 僕はその音の方に、こっそり近づく。
 リビングから怒鳴り声が聞こえてきた。
「なんだこれは!」
 パパの声だった。
 ドアの隙間から明かりが漏れている。
 覗くと、床に割れた白いお皿の破片があった。
 それをママが困った顔で拾っている。


 僕はドキドキしながら、その光景をじっと見つめていた。
「腐っているんじゃないのか、このメシは!」
「今日作ったばかりです……」
 ママは怒られて泣きそうな顔をしていた。
「さっさと捨ててこい!」
「はい……」
 酷いや、僕も夕方にあの料理を食べたけど、腐ってなんかない。
 ムカついたから、パパに一言文句を言ってやろうと、ドアノブに手を回した瞬間。
 おにぃがそれを止めた。
「勇気……ダメだ。部屋に戻れ」

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 それからも、パパはママに酷いことばかり言っていた。
 決まって酔っぱらっているときなんだけど……。
 怒ってこう言うんだ。
「恩にきせやがって!」
 僕は、一体なんのことだろうって、不思議に思った。
 頭の良いおにぃなら、知っているかもしれない。

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「ねぇ、おにぃ。『おんにきせる』ってどういう意味?」
 勉強していたおにぃはそれを聞いて、すごく驚いていた。
 鉛筆をポロッと落としちゃうぐらい。
「勇気、それ、どこで覚えたんだ?」
「え? なんかパパが酔っぱらうと毎回言うから……」
 おにぃは深く息を吐くと、真面目な顔でこう言った。
「この話はパパに絶対内緒だぞ?」
「うん」

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 おにぃが教えてくれた。
 パパとママが結婚した時、今とは違って、ママが働いていて、パパが大学生だったらしい。
 先に仕事をしていたママがパパを『やしなっていた』んだって。
 だから、パパはそれを気にしているらしい。
 おにぃは付け加えるように、こういった。
「でもママよりパパの方がすごいんだぞ! パパは頭が良いから出世してえらい人なんだ」
「そっか……」

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 おにぃの言った通り、パパはすごかった。
 今年も会社で一番成績が良かったらしく、またえらい人になった。
 そのご褒美として、なんとハワイ旅行をプレゼントされたんだ。
 僕はすごく興奮した。
 でも、いざハワイに行く準備をママがしていると、パパは怒ってこう言った。
「おまえは来るな! おまえが来たらなにも楽しくない!」
「はい……」
 ママだって毎日、家族のために料理や洗濯、いろいろ頑張っているからご褒美をもらってもいいはずなのに。酷いや。

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 いつも家にいるはずのママが、急にいなくなった。
 僕は心配で近くの駅まで探しにいった。
 すると、改札口からスーツを着たかっこいいママが出てきた。
「あら、勇気どうしたの?」
 ママはキョトンとしていた。
「心配したよ、ママ……どこにいってたの?」
「ママね、ちょっとお仕事はじめたの」
「ええ、ママが?」
 僕はすごく驚いた。

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 ママが言うには、保険のセールスをしているらしい。
 ただ「パパには内緒ね」と釘をさされた。
 僕はママと指切りげんまんした。
 でも、パパが働いていて、お金もたくさんお家に入るのに、なんでママが働く必要があるんだろう?
 産まれてからずっと、ママはお家のお仕事をしているイメージが強いから、なんだか不思議だなぁ。

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 ママが外でお仕事を頑張っているし、僕も学校でなにかをがんばろうと思った。
 最近、成績が良くないから、算数の勉強に力を入れよう。
 ママが夕方まで帰ってこないけど、一人でも勉強できるぞ。
 毎日、がんばった。
 けどテストの時期になって、結果は悪いまま。
「僕はダメだなぁ……」
 おにぃと違って、頭が良くないんだ。

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 だから、おにぃに質問した。
「ねぇ、おにぃはどうやって、そんなに頭がよくなったの?」
「おにぃだって、最初は成績悪かったぞ」
「そうなの?」
「うん、頭のいいパパに教えてもらったから、ここまで成績があがったんだ」
「へぇ」
 知らなかった。僕はそれを聞いて思った。
 じゃあ僕もパパに教えてもらおうっと。

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 冬休みに入る前に、僕はパパに言った。
「ねぇパパ、お勉強教えて」
「ああ、任せておけ」
 パパは自信たっぷりに答えた。
 これで、僕もおにぃみたいになれるぞ!
 嬉しくてたまらなかった。

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 それから毎日、パパがつきっきりで勉強を教えてくれた。
 ただ、パパの教え方はとても厳しかった。
 少しでもわからない問題があると、すぐに怒る。
「バカ! なんでこんなこともわからないんだ!」
「ごめんなさい」
「勇気、おまえはバカなんだから、暗算するな!」
「はい……」
 毎日、夜遅くまで怒られた。
 お仕事が休みに入ったパパは、朝からお酒を飲んでいた。
 だから、自然と怒り方が怖くなっていく。
 酷い時は、夜中までご飯を食べさせてもらえず、頭がぐちゃぐちゃになるまで勉強をさせられた。

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 そして、年が明けて、お正月を迎えた。
 けど、僕はお年玉ももらえず、遊びにいくことも許されず、教科書とにらめっこ。
 トイレ以外は部屋から出してもらえなかった。
 勉強をしているというより、パパに怒られないように少しでも問題を間違いたくなかった。
 必死になればなるほど、空回りして頭に入らない。
 時折、おにぃが部屋に入って「なんでこんな問題もわからないんだ!?」と文句を言ってくる。
 だって、わからないものはわからないよ。

21
 そんな楽しくない悲しい毎日が続いて、僕は心も身体もボロボロになっていった。
 パパは日に日にお酒を飲む量が、増えていく。
 僕が間違えると、お説教に力が入って、たまに頭を強く叩かれた。
 その回数が少しずつ増えていく。
 パパの怒鳴り声と、振り上げる手が怖くて怖くて仕方なかった。

22
 もう僕は限界だった。
 頭を強く叩かれて「うわぁん!」と泣き出しちゃった。
 パパは泣く僕を見て、さらに怒りだす。
「これぐらいで泣くな! やかましい!」
 キッチンでお酒のおつまみを作っていたママが、ボソッと呟いた。
「そんな教え方だからダメなのよ……」
 パパはその言葉を聞き逃さなかった。
「なんだと!」
 顔を真っ赤にして、ママのところへずかずかと突っ込んでいく。

23
「おまえは黙っとけ! 俺のやり方に口を出すな!」
 キッチンでスープを作っていたママの右足を思いきり蹴った。
「いたい!」
 ママは痛みのせいか、目をつぶって床に倒れる。
 そんな姿を見ても、パパは気にせず、ママを蹴り続けた。
「この、この……おまえはいつも俺に恩をきせやがって!」
「やめて、痛い!」
 酷いや。女の子のママに、男の子のパパがあんな風に蹴るなんて……。
 許せない!

24
 怖いのと、辛いのと、悔しいのと、いろんな気持ちが頭の中を駆け巡った。
 その時、騒ぎに気がついたおにぃが、リビングにやってくる。
「おい、勇気! おまえがちゃんと問題を解かないから、パパとママがあんな風になっちゃんだろ! おまえが悪い!」
 僕はそれを聞いて、腹が立った。
「おにぃのウソつき!」
「え?」
「女に手を出す男は最低だって、言ったくせに! パパは悪い! おにぃは強いんだから倒してよ!」
 僕が泣きながら叫ぶと、おにぃは黙ってうつむいてしまった。
「無理だよ……パパは強いから」
「もういい!」

25
 僕は近くにあった鉛筆を手にすると、ママを蹴り続けるパパにこう叫んだ。
「ママをいじめるな!」
「なんだと!? パパが悪いのか!?」
「悪いよ!」
 尖った鉛筆をパパに向ける。
「勇気! なんだその顔は!? 勉強を教えてやったのに!」
「おまえなんか、強くない! 女の子を守れない弱い男だ!」
「なんだ、その言い方は!?」
 持っていた鉛筆を手で叩き落とされる。
 そのあと、僕はパパにお腹を思いきり蹴られた。
 子供の僕は、軽々と宙に飛び上がり、キッチンの棚に頭をぶつけた。

26
 気がつくと、僕は暗闇の中にいた。
 なんか頭がガンガンする。
 声が聞こえてきた。
「ママが我慢してれば、パパも警察に連れていかれなかったのに!」
「だって、勇気があんなことになってるのに、黙ってられないでしょ?」
「とにかく僕は反対だ! 僕はパパと残るからね!」
「待ちなさい! あなたも勇気と一緒に……」
 どうやら、ママとおにぃが言い争っているみたい。
 僕はベッドの上で寝ていた。
 壁一面、真っ白な所。きっと病院だ。

27
 ゆっくりと、起き上がろうとする。
 それに気がついたママが、僕を抱きしめる。
「ごめんね、勇気……ママのせいで、ケガさせちゃって」
 ママは涙をポロポロと流していた。
 それを後ろで見ていたおにぃが、僕に言った。
「おまえが悪い……。おまえがパパにあんなことを言わなかったら、今まで通り暮らせたんだ…」
 おにぃは悔しそうな顔をして、病室から出ていった。
「ママ、僕はなにか悪いことをしたの?」
「ううん、あなたはママを守ってくれたいい子よ」

28
 幸い、僕の頭のケガは大したことなかった。
 少しの間、意識がなくなっていたみたい。
 次の日、ママが小さなカバンを一つ持って病院に訪れた。
 そして僕にこう言った。
「勇気、ママと一緒についてきてくれる?」
「いいよ」
「すごく遠いところよ?」
「ママと一緒ならいいよ」

29
 その晩に、僕とママは夜行バスに乗った。
 ママが育った遠いところに行くんだって。
 おにぃはついてこなかった。
 家族がバラバラになってしまったけど、僕は間違ったことをしてないと思う。
 だって、僕は強い男になりたいから……。
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