第12話

文字数 2,063文字

初めて足を踏み入れた、彼の実家。
"昔ながらの日本家屋"という言葉がぴったりのその家は、どちらかといえば洋風の造りをしている私の実家とは雰囲気も違ったし、なによりずっと広かった。
客間と思われる広い和室に通された私は、部屋の真ん中にドンと置かれた長テーブルの真ん中に、促されるままに腰をおろした。
不覚にも、初対面の人達の前でオロオロと泣いてしまった。そのせいで鼻の奥が少し痺れていた。玄関に置いてきた泥だらけの靴やコートと違って、恥ずかしい過去はそう簡単には私から離れてはくれなかった。
「落ち着いたかい?」
襖を開けて入ってきた彼のおばあさん
が私に言った。
「…あ、はい。さっきはすみませんでした」
私が頭を下げると、おばあさんは「いいんだよ」と、元々細い目を更に細めた。
「あの様子だと、ミツルが随分迷惑かけてきたみたいだね」
「いえ、そんなことは…」
「本当にいいのかい?」
「え?」
おばあさんは、玄関の時と同じように低い声で私にそう言った。
「ミツルと結婚したら、ウサギ男の厄介事とも付き合っていかなきゃならないんだよ」
おばあさんにそう言われて、これまでの満月の出来事が思い出された。
楽しい思い出もあったけれど、大変だった思い出の方が、ずっとはっきり覚えていた。
「……」
「お義母さん!まだそんな話は早いですから!」
どう返せばいいのかわからず、黙ってしまった私の戸惑いを察したようなタイミングで、彼のお母さんが部屋に入ってきた。
お母さんはお盆に乗せていたお茶を私の前に置くと、「気にしないで下さいね」と笑みを浮かべた。
「早いことがあるもんか。わたしが若い頃はねぇーー」
「ねぇ、お母さん。お父さん達も連れてくる?」
おばあさんの昔話を遮るように、ケージを抱えた妹さんが部屋に入ってきた。よく見ると、ケージに黒いウサギが入っていた。
「そうねお願い。カンナさんにもちゃんと紹介しなきゃね」
「りょーかい」
妹さんはケージをお母さんの横に奥と、部屋から出ていった。
「…あの、いいんですか?こんな時間に」
時計の針はもう、午前1時を指そうとしていた。明日が休日とはいえ、こんな時間に家にあげてもらうことにも抵抗はあった。
「いいんですよ。満月の晩の我が家は夜が長いんです」
そう言って、お母さんはニコッと笑った。なんとなく、その意味はわかるような気がした。
「お待たせしました」
そう言いながら再び部屋に戻ってきた妹さんの両手には、それぞれケージがぶら下げられていた。
「こちらが父でーー」
お母さんの隣に置かれたケージには、全身灰色のウサギが。
「こちらが祖父です」
おばあさんの隣に置かれたケージには、全身真っ白のウサギが入っていた。
2つのケージを置くと、妹さんもテーブルの反対側、その端っこに座った。私の向かい側に、ウサギと人間が交互になるように稲葉家が勢揃いした。
「カンナさんは、ミツルからウチの事情は聞いているかしら?」
「…はい。おおむね」
彼と彼のお父さんとおじいさんだけがウサギに変身するウサギ男体質で、お母さんとおばあさんと妹さんは普通の人間。私が知っていたのはその程度だったけれど。
「カンナさんのことは、私たちもミツルからなんとなく聞いているのだけれど、カンナさんも"秘密"のことは守ってくれてると思っていいのね?」
"秘密"それはつまり、彼がウサギ男だということ。
「はい。秘密は守っています」
「そう。ありがとうね」
お母さんは安心した様子で言った。
「今日は、ウチのお義父さんの怪我を心配して来てくれたの?」
言われて、私はハッとした。そうだった。そもそも私がここまで来ようと決心したのは、彼のおじいさんが野犬に噛まれたというメールを見たからだった。
「そうです。おじいさんは大丈夫なんでしょうか?」
私は改めて白いウサギが入ったケージを見た。最初は気づかなかったかれど、真っ白なウサギの、真っ白な前足に、白い包帯が巻いてあった。
「お陰様で、片腕を少し痛めただけで済んだけど、大変だったのよねぇ?」
「そうそう。おじいちゃんたらケージを噛みきって逃げ出してね」
お母さんと妹さんはうんうんと頷き合っていた。
彼のおじいさんは無事だった。怪我はしたけれど、命に別状がなかった。それがわかった瞬間、私はようやく、心から安心することができた。
「でもさ、お母さんがお兄ちゃんにメールしたのって、もうお兄ちゃん達がウサギになった後だよね?カンナさんはどうしておじいちゃんが噛まれたこと知ってるんですか?」
それは当然の質問だった。私は、私と彼の間で決めていたウサギ時間のルール(スマホを見てもいいこととか)を話し、私がこの事件を知った理由を伝えた。
ついでに、どうやってここまでたどり着いたのかも簡単に説明した。そして、山中で彼の身に起きた赤い眼の異変も。
「…やっぱり」
私が話し終わると、お母さんが呟くように言った。
「ミツルも、"赤眼(アカメ)"になるようになったのね」
"赤眼"とは、彼からも聞いたことのないことだった。私は、まだ知らない彼の秘密があることをことの時知ったのだった。


つづく…
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