第3話〈親切な誘い〉

文字数 4,279文字

(一)
日向有美が医療専門学校時代の友人に会ったのは、残暑も終わりに近く、朝夕過ごしやすくなった頃だった。
近藤倫子は有美と同い年で、専門学校でも同じ柔道整復師のコースで学び、村岡夕里は四歳年上で、専門学校では鍼灸師コースで学んだ。
三人が通っていた専門学校は大阪にあり、三人は京都から通った。
有美と倫子は同じ女子高で同じクラスだった。
有美が夕里と知り合ったのは、倫子の中学の先輩であり、女子高の先輩でもあったからだ。
夕里は高校を出て短大に進学したが、在学中に将来を考えて方向転換をした。
友里が鍼灸師を目指して専門学校に入学した年が、有美達と同じ入学年度だった。
専門学校の鍼灸師学科を卒業して資格を取った夕里は、山科区内の病院で働いている。
倫子は整復師として、卒業した女子高校と同系列の女子大運動部指定医院で働いている。
有美は三人の中でいちばん背が高く、バランスのいい体形をしていた。痩せ過ぎでも肥満でもなく、力のない老人や普通の体形の男性なら、リハビリの補助でも楽に抱え上げて対処できた。
勤めていた整体医院を辞めるきっかけになったのは、心無い老婦人患者からの、院長への苦言だった。
その老婦人は院長と縁続きの間柄で、よく院長宅にも上り込んで話すことが多かった。
先輩の男性整復師から有美が聞かされたのは、その老婦人患者が、治療に来るひと達は誰も口には出さないが、有美の笑い顔が気持悪いと陰で言っている、と院長に話したというものだった。
先輩は気にしないでいいと言ってくれたが、ひと月後に有美は整体医院を辞めた。
院長は有美の辞表を見ても、慰留することは無かった。
当時、辞めることになった詳しい理由を、有美は家族や友人の倫子や夕里にも話していなかった。
(二)
有美、倫子、夕里の三人は、錦小路通の百貨店出入り口近くのレストランで夕食を共にしていた。
年長の夕里が言った。
「ねぇ有美さん、自分の家で両親と一緒に働くの、辛くないの?」
倫子も心配顔で言った。
「折角の資格も活かせないし、勿体無いわよ。私なんかよりずっと有美さんは優秀なのに、お店の掃除で毎日を過ごしているなんて考えられない……」
「気持は楽なのよ、わたしは、知らないひとが多い場所では働けないのよ……」
「どうしてよ?。わたし達の仕事はブティックや百貨店の販売員とは違うのよ。辛い思いをして困っているひと達の役に立つことじゃない……。有美さんは整復師学科でも優秀だったのよ。自信を持って、もう一度やりなさいよ?」
夕里が言った。
「ねぇ、もしかして、辞めたのは笑顔のことなの?」
「はい、まあ……」
倫子が言った。
「そうなの……、整体医院を辞めたのは、誰かに何か言われたのね?」
「仕方がないのよ、わたしがどうにか出来ることじゃないもの……」
夕里が言った。
「何かあったのね?。どうして直ぐに相談してくれなかったの?」
「誰にも話していないんです、父にも母にも……」
「そんなの……、これからどうするのよ?」
「どうもしません、姉が結婚して家に戻って来て、理美容院としてやっていくことになったら、お家を出て行きます。何処か田舎の方にでも行って、整体医院の無い処で、お年寄りのひと達のお役に立てればと思っているんです……」
倫子が言った。
「何を馬鹿なこと言っているのよ、有美さんは綺麗だし優しいし、きっと好い人が現れて結婚できるから、悲しいことを言わないでよ……。わたしまで寂しくなっちゃうじゃない……」
「ごめんね、心配させて……」
夕里は、あまり寂しそうではない有美の表情を捉えた。
「有美さん、もしかして……、好きな人がいるんじゃないの?」
倫子が驚いたように言った。
「夕里先輩、どうしてそんなことを言うんですか。有美さんは悲しい話しをしているんですよ?」
「ねぇ、有美さん、どうなの?」
夕里に問い質されて、有美は躊躇せず話す。
「うちのサロンに見えるお客さんです。でも、まだ何もありません。わたしの片想いですから……」
倫子が急くように言った。
「どんなひとなの?、何処に勤めているひと?、何処に住んでいるひと?」
夕里が嗜めた。
「倫子さん、そんなに立て続けじゃ答えられないわよ。子供の頃から、せっかちなんだから。貴女、学生患者にとんでもない処置をしたりしていないでしょうね?。心配だわ……」
「でも、さっきまで寂しい話しだったのに……。今度はわたしが寂しくなりそうな話しなんだもの……」
「あら、倫子さんには、彼はいないの?」
「いませんよ、お仕事に必死なんですから。今の職場には先輩がいないんですよ、私が初代のトレーナーなんです。
学生の、色んな相談にも乗ってあげてるし、整復師の仕事だけじゃないんですから……」
「あらそうなの。ごめん、頑張っているのね。それで、有美さんはどうするの?」
「どうもしません、自信がないわ……」
倫子が言った。
「何を言っているのよ、有美さんがそんなことを言っていたら、どうも出来ないひとは沢山いるわ、大丈夫よ。ねぇ、お客さんということは時々お店に見える訳だから、定期的に会えるってことでしょ、少しずつ意思表示をしてみれば?」
夕里が言った。
「それで、何処のひとなの?、どんなひと?」
倫子が言った。
「夕里先輩、やっぱり気になるでしょ?」
有美が言った。
「ご近所の会社のひとだと思います。唐木恭一さんと言うひと……。背が高いんですよ、お店に入るときに頭を少し下げないと当たるんです。屈むのは癖みたい……」
「そう、何処のひとなの?、京都のひと?」
「今出川駅から歩いて家に帰るって、父と話しているのを聞いたけど……」
倫子が言った。
「背が高いってどのくらい、有美さんも背が高いけど?」
「一メートル九十センチ以上はあるわ、わたしが肩くらいしかないの……」
夕里が言った。
「倫子さん、心配いらないわ。有美さん、楽しそうに話しているんだもの……。ねぇ、ほんとに、まだ何も話していないの?」
「はい、お店の利用カードを渡したときに、少し話したけど、あとは挨拶だけ……」
倫子が言った。
「じれったいわね。でも、整体医院を辞めて正解だったと言えるようになればいいわね?」
「分かりません。父や母は姉のことは気にしているけど、わたしはどうするのか静観しているみたい……」
夕里が言った。
「それじゃぁ、余計にその唐木さんにアプローチすべきよ?」
「いいんです。まだ若いし、なるようになればと思っているから……」
「ほんとに?、いい性格なのにね、そのひとに幸せにして貰えるように祈っていて上げる。そうだわ、地主神社に願を掛けに行ったら?」
「そんな……、いいですよ。そのひとは髪が硬くて三週間くらいでカットに見えるから、今はそれでいいの……」
倫子が言った。
「もう!、欲が無いんだから……」
その後、三人は、恋愛や結婚のことを話して時を過ごした後、レストランを出て、三条通のカラオケ店に行くことにした。
カラオケ店の待合席には、同年齢の七人の男女グループの先客が居た。
三人が、待つかどうか迷っているときだった。
前に座って待っていた、サラリーマン風の男性ふたりと女性ひとりのグループの男性ひとりが立ち上がり、夕里に話しかけて来た。
「あと十分待ちくらいですけど、一緒にどうですか、席数にゆとりはありますから……?。失礼、僕たちアップスポーツ商事の社員なんです。僕は近藤といいます、どうですか?」
夕里は咄嗟に青年の風体を観察する。
「ありがとう。ちょっと待って下さいね……」
有美と倫子の方を見て小声で言った。
「どう、真面目そうなひと達よ。嘘じゃなかったら、きちっとした会社だわ、女ののひとも一緒だし、どう?」
倫子が直ぐに言った。
「夕里先輩が、そう思われるのならお受けしましょうよ……」
「有美さんもいい?」
「ええ、いいですよ」
夕里は青年に近づいて言った。
「それじゃぁ、ご一緒させて下さい」
近藤が言った。
「そうですか。じゃぁ掛けて待ちましょう」
そう言って振り返ると、もうひとりの男性に何やら話しかけた。
聞いた男性は立ち上がると、店のカウンターに行って人数の変更を申し入れる。
近藤の処に戻ってくると、今の予約ルームで十名の利用は問題ないし、もう四、五分で空くと思うと、みんなに伝えた。
近藤が夕里の顔を見たので、夕里が言った。
「狭くはなりませんか?……」
近藤はオーケーの合図を指で丸く作って応える。
「大丈夫ですよ、ひとクラス上のルームだと空席が多くて勿体ないと、店員さんも言ってくれていましたから……」
座って待っている女性が、近藤の肩越しに夕里達を見て軽く会釈をした。
気付いた夕里と倫子も、浅く頷いて返す。

カラオケルームに入り、お互いに自己紹介をした。
「アップスポーツ商事、営業一課の近藤郁夫です。二十四歳、ここに居るのは全員同期なんです」
「市場開発課の林原真一です。宜しく」
「総務課の吉本瑠美子です。宜しくお願いします」
夕里が最初に言った。
「わたしは、山科の大山鍼灸院で鍼灸師をしています。村岡夕里です、宜しくお願いします」
「わたしは、洛北整形病院で、洛北女子大の学生会の運動部の担当をしています、柔道整復師の近藤倫子です、宜しくお願いします」
「日向有美です。わたしも倫子さんと同じ整復師ですけど、今は整体医院を辞めて家のヘアサロンを手伝っています。宜しくお願いします」
有美は、強張った僅かな笑みを浮かべて話した。
アップスポーツの社員は、特に有美の表情に興味は示さなかった。その反応を見ていた夕里が、安堵して有美を見ると、有美は普段と変わりなかった。
曲を入れるより先に、話しが弾んだ。
林原が柔道整復師の仕事に興味を持ったので、倫子が精一杯応えている。
夕里がアップスポーツのことや、三人みんなが京都のひとかと訊くと、近藤が、同期は四人いて、一年間の研修を終えて四月に京都支店に配属されて来たと答えた。
此処に来ていない一人だけが京都出身で、近藤は兵庫県の尼ケ崎市、林原は滋賀県の草津市、吉本は大阪府の高槻市だと云う。
夕里は話していて、三人とも真面目で明るい性格だと理解した。
林原は、何事にも熱心に応えようとする倫子に興味を持ったようだった。
誰もアルコール飲料を頼まず、コーラやジンジャエールや、ジュースを飲みながら歌った。
ルーム内はエアコンが効いて暖かく、最後に全員がアイスコーヒーを頼んだ。
林原が代表して、自分の名刺を夕里たち三人に渡して言う。
「また機会があれば、ご一緒して下さい?」
カラオケ店を出ると、「楽しかったね」と言い合いながら、グループはあっさりと別れを告げて、三条通を東西に別れて行った。
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