第4話

文字数 2,030文字

【4】
 新春、到来。元日は穏やかな朝だった。もう少ししたら行動開始である。朝9時を過ぎた頃に電話しよう。何しろ、半年間待ちに待ったのである。
 9時過ぎ、僕は彼女の実家に電話した。誰か出るだろうか。彼女はいるだろうか。呼び出し音が鳴っている間、手のひらには思わず汗がにじんでいた。そして、何度かの呼び出し音ののち、応答があった。
 電話に出たのは彼女の母だった。僕は丁寧に名前を名乗ったのち、彼女がいるかどうかを尋ねた。すると、「今日の午後か夜に帰ってくる」という返事だった。これは十分想定していたことである。「戻られたら電話して下さい」と伝言して電話を切った。何時頃だったか。はっきりとは覚えていない。ただ、この日は朝から家を一歩も出ていなかった。年賀状の返事を数枚、近くのポストに投函しに出かけたことを除いては、ずっと部屋にいた。してみると、電話したのは午前中だったのではないだろうか。電話を待っていたからこそ、部屋から出なかったのである。
 好都合なことに、この時は彼女に声をかける口実がもう一つできていた。ちょうどこの翌日に、当時の同僚数人で集まる話が持ち上がっていたのである。女性もいた。願ってもないことだった。その意味でもこのタイミングはベストであり、半年間待った甲斐があった。彼女に声をかけることについてはグループには話していなかったが、サプライズ登場で何ら構わない。「どんな関係?」などと聞かれるかもしれないが・・。あとは彼女の帰着を待つばかりである。
 そして、夜。電話があった。20時を少し回った頃だったように思う。当時、ナンバーディスプレイはまだ普及していなかった。僕の家には、それほど頻繁に電話がかかってくることはない。そのため、電話が鳴ると思わず身構えていた。「来た。」にわかに胸の動悸が高まった。
 「もしもし」-それが第一声だった。3年ぶりに声を聞いた。以前のままの声だった。こちらが「久し振り。元気でしたか。」と尋ねると、「はい、すごく元気です。」と返事が返ってきた。確かに元気そうな声だった。今年は向こうで年越しをしたとのことである。仕事ではなく、大晦日のカウントダウンイベントに参加していて、帰省が今日になったと話してくれた。
 そのあと、まずは最重要の要件である。「明日、集まりがあるけど、一緒に来ない?」と誘った。どんな返事が返ってくるだろうか。思わず緊張して答えを待った。すると彼女は「家族と相談してみます」と言って即答を避けた。両親が何か予定しているかもしれないから、とのことだった。言われてみれば、確かにその通りである。
 その後、一緒に来るメンバーのことや、彼ら彼女らの近況、それに付随して一緒に仕事をしていた頃のことなどに話が及んだ。彼女は彼女で、最近の大阪での様子や、社会人一年目だった当時の裏話などを色々と話してくれた。
 ひとしきり話した後、「予定が分かったら、明日電話して。色々ありがとう。じゃ、また明日。」と言って通話を終えた。何分話しただろう。10分だっただろうか。20分だっただろうか。それ以上だっただろうか。よく分からない。時間の観念はなかった。時間の存在を感じなかった。ただ、彼女との会話だけがあった。声だけだったが、感じは昔と全く変わっていなかった。話もテンポよく弾んだ。数年ぶりのはずなのに、ブランクなど全く感じさせない、今でも同じ職場にいるかのような感覚だった。
 元日の一日が終わる。長い一日が終わろうとしている。しかし、今夜は神経が高ぶってなかなか寝付けないかもしれない。まだ電話の余韻が続いていた。そして、明日もう一度、彼女から僕に電話があるのである。
 そして翌日。朝9時を過ぎた頃、彼女から電話があった。肝心の返答だが、残念ながら家族で初詣に出かけることにしていて、今回は参加できないという断りの返事だった。こちらも急に声をかけたのだから、やむを得ないことである。「ごめんなさい」「また誘ってください・・・」そう言って何度も申し訳なさそうに詫びていた。そして、大阪の住所と電話番号を教えてくれた。
 結局、終わってみればこの通りで、彼女と出会う機会はないままであった。元旦と翌日、電話で声を聞いたのが全てだった。今から思えば、それが神様の思いやりだったのだろう。
 半年間待っていた正月。都合が合わず、直接出会えなかったのは残念だった。しかし、これで道がついたのである。今後こちらから連絡しても、更には出向いて行ったとしても、もう唐突感はない。「スタート スタート これから始まる」「新しい日が来た 二人のスタート」-当時はやっていたJun Sky Walkersの「START」という曲を引用して、元旦の日記にそう書いた。全ては今日この日から始まる。そう信じていた。あとは手紙を書くのである。メールやケータイがない以上、連絡するのは電話か手紙しかなかった。僕は手紙のほうが自分に合っていると思った。
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