第1話 エーゼルランド島の怪物①

文字数 4,294文字

 大西洋の南、四方を激しい荒波に囲まれた海域。
 そこにエーゼルランド島はあった。

 エーゼルランド島は現在のヨーロッパ圏に属する島国のひとつで、その激しい荒波のせいでほぼ断絶された国である。中世の趣を多大に残した特異な文化体系を持ち、複数の流入者によってもたらされたと思われる伝承や伝説が残されていた。おそらくは数百年前から難破船や遭難、あるいは島流しにあった人々によって形作られたものだと思われた。それを裏付けるように、人種的には白人が主体であるものの、言語的には独自の言語体系が存在した。おそらくは正当な原住民の言語に加えて、イギリス英語やフランス語など複数の言語を基にしたものだ。
 その奇妙な成り立ちにより、当時のヨーロッパの人々も――自分たちが世界の中心であると疑わなかった時代から――たびたび「再発見」を繰り返した。そして幸運にもたどり着くことができたとしても、今度は帰還することができず、次第に国に取り込まれた。そのおかげで当時のヨーロッパによる奴隷化をまぬがれ、特異な文化も残ったのである。
 その最たるものが、キリスト教の影響を受けていないことだった。受けていないというと語弊が残るが、少なくともヨーロッパやアメリカの文化の根底にあるはずのものが、そこには無かった。ユダヤ、イスラムといったものも存在しない。近代になるとその珍しい状況から研究者が様々な仮説を立てたが、おおむね地元の伝承に吸収されて廃れていったのだという結論に達していた。とはいえアーサー王伝説や妖精伝説など、どこかしらで聞いたような伝承が残るなか、なぜ三大宗教の一つたるキリスト教は廃れたのかという疑問が残る。そのため、多くの研究者や、布教活動に熱心な若い宣教師がエーゼルランドに行こうとした。

 ブランチャード・ユタンも、そんな牧師の一人だった。
 船の上で一晩中続いた激しい揺れは、ブランチャードの心を折りかけた。前回までは、激しい海流に阻まれて上陸どころか海域に入る事すら叶わなかった。しかし三度目の正直とはよくいったもの。今度こそようやくこの海域に飛び込む事ができたものの、激しい揺れは船が壊れるのでは無いかと思うほどだった。
 翌朝になってようやく海域を抜けたが、ブランチャードは辟易していた。甲板で外の風を受けながらぐったりとため息をついていると、同じ船に乗った若い男が話しかけてきた。
「気分はいかがですか、ブランチャード先生」
「……悪くはないが、良くもないね。サリム君」
「僕もです。まさかあんなに揺れるとは。しかし、神に感謝せねばなりませんね」
 サリム・ルコントという名の彼は、布教に来た自称宣教師だった。自称と敢えてつけたのは、彼自身はまだ宣教師とも牧師とも認められていないからだ。それでも五度目の挑戦を経てここにいるのだという。その無鉄砲さはともかく、行動力には感服するしかない。
「そうだな。これも神のお導きだ」
 ブランチャードは少し苦笑しながら頷いた。
「これも、エーゼルランドを正せという神のお考えなのかもしれないな」
 そう言うと、サリムはぱっと顔を明るくさせた。
「先生もそう思われますよね。ですから、何度もお願いしたように、先生にも協力してもらいたいのですが……」
「残念だけど、きみはまだ宣教師とも認められてないだろう?」
 その一点においてでも、ブランチャードは若き自称宣教師を諫めるのに充分だと思っていた。
「でも、きみの道を邪魔するようなことはしないさ。きみの目的はエーゼルランドの信仰を正しくすることだろう」
 そう付け加えると、サリムは頷いた。
「先生は、どうしてエーゼルランドがこうなってしまったのか、どのようにお考えですか?」
「そうだな……、中世であれば、当時の伝道師達は単純に殺されてしまったというのが一番だろう。だが現在においては、実際に戻ってきた牧師もいる。彼らが言うには、歓待を受けた後は特にこれといった迫害めいた事もなかったそうだ。ただ、エーゼルランドには神聖とされる山があるらしく、まだ整備されていない山に入って遭難してしまった者もいるらしいな」
「ううん……、その人が嘘をついている可能性もありますけど……」
 ブランチャードは牧師として以上に、純粋にエーゼルランドに興味があった。キリスト教が広く伝搬した中世の色合いを濃く残しながら、他の神を信仰する土地。何度も発見され、布教も起きたはずの地。正しく伝導されたはずの地。プロテスタントだけでなく、カトリックや他の宗派も向かったはずだろう。なのに、どのようにしてこの地が成り立ったのか、そして現在まで続いているのか興味があった。
「あとは……考えたくないが……」
「……改宗ですか」
「……ああ」
 ミイラ取りがミイラになるなどと巫山戯た言い方はしたくなかった。
 だが、実際に改宗し、エーゼルランドに住むことを選んだ人間もいるのだという。意味がわからなかった。どうして間違った方向へと向かってしまうのか。エーゼルランドにはそれほどのものがあるのか。
 サリムも渋い顔をしていた。
「港が見えたぞお! エーゼルランドだ!」
 不意に聞こえてきた声に、ブランチャードは顔をあげた。
 二人で顔を見合わせると、頷いて見晴らしの良い方へと歩いた。
 船員たちまでもが出てきて、わあわあと何か言っている。遠くに、映画の中でしか見たことのないような波止場が見えてきた。キャラック船に似た船が並ぶ波止場が見えてきた。そのうちの一つが次第に近づいてきて、船に泊まるように言いつけた。乗っている人間は、まさに映画から飛び出てきたような衣服に身を包んでいた。
 船長が先にカヌーで交渉に向かうことになり、固唾を呑んで見守った。無いとは思うが、これで歓迎されなければまたとない機会を逃すことになる。しばらくして戻ってきた船長は、再び船を動かした。その行き先は港へ向かっていて、船の中からは乗客からの拍手と歓声があがった。
 ブランチャードもすぐさま部屋にとってかえし、荷物をまとめて下船の準備をした。いよいよエーゼルランドに上陸できる。

 携帯電話はいつの間にか使えなくなっていた。ここは空路を使ってもなかなか入れないガラパゴスだ。裸の原住民がいるわけでもないのに、空港どころかインターネットや電話回線すら存在しない。ここでは携帯電話は無用の長物だった。まさに中世に迷い込んでしまったような錯覚に陥る。
 結局、海路でしか入れないうえ、入れたとしても今度はなかなか出ることができず、しばらくは定住するつもりで挑まなくてはならない。人によってはこの島を疑存島や幽霊島扱いするジョークもある。だがこの島は確かに存在している。
 その証拠に――ブランチャードはついにエーゼルランドに降り立った。
 エメラルドグリーンの海の向こう。石造りの港から、桟橋が幾つも伸びている。中には木製のものもあり、そちら側は水夫たちが小さな船で今日の収穫を降ろしているところだった。みなシンプルなシャツに、ゆったりとした長ズボンを履いている。中にはチュニックを着込み、腰のあたりに布のようなものを巻き付けてベルトの代わりにしている者もいた。汗と汚れにまみれた人々のほとんどが、海賊映画の中から飛び出してきたかのようだ。今回の船でやってきた一団を、物珍しげに眺めたあとに仕事に戻っていった。彼らが行く先には、レンガ色の建物が並んでいる。大きなアーチの入り口がある建物もあり、おそらくは倉庫になっているのだろう。中には左右に三角錐を載せた塔のある石造りの白い建物もあった。どれほど古い港でも、これほどのものは無いだろう。石畳の道はずいぶんと古くから存在したように錯覚してしまう。右手側には城の城壁のような石造りの建物があり、鋸壁まで作られている。その隙間から、赤いコートを着た人物が小型望遠鏡で海を覗いていた。一瞬、テーマパークにでもやってきたかのような気分になった。

 古くさえ見える石畳を進み、一旦、ブランチャードたちは簡易の入国審査所に案内された。
 受けるのは全身のチェックだ。ここは国際的にも保護された土地だ。変な病原菌や虫、はたまた小さな種ひとつ持ち込んではならない。それは嗜好品も同じだった。煙草一本でさえ没収される。とはいえ完全な新島よりは規制は緩く、出発前にも散々、体に付着したものを洗い流す作業があったが、そのときよりはまだマシな気がした。
 そうして全員が広間に集められると、椅子に座るように促された。待っていると、やがて前方の扉から赤毛の男が歩いてきた。貴族のような装いの男だった。
「皆様。ようこそ、エーゼルランドへ」
 聞こえたのは、ややつたないが完璧な英語だった。
「私はネハクトル・コニックと申します。皆様の案内役を務めさせていただきます」
 拍手があがる。
 ブランチャードもそれに倣った。
「ありがとうございます。長旅でお疲れになったでしょうし、簡潔にいきましょう。まずは皆様、これから今後の滞在用の宿をご用意させていただきます。滞在中はその宿をご利用ください。また、今夜は歓迎会を開かせていただきますので、ゆっくりお休みください」
 ずいぶんと太っ腹だと思ったが、これもまた国を守るためのものなのだろう。いまは表向き、奴隷制度は否定されている。対等な一つの国という事になっている。それでもこの国では警戒は怠らない。ブランチャードはちらりとサリムの方を見た。サリムは颯爽と手をあげた。
「そこの方。どうぞ」
「外へ出てはいけないということですか?」
 憮然とした表情のサリム。
「そんなことはありません。しかし、この国の特異な状況をご存じでしょう。我々としましても、まずは皆様方が信用のおける方々かどうかを見極め、同時に皆様方の身の安全も保証したいのです」
 サリムはまだ不満そうだったが、すごすごと手を戻した。
「他に質問のある方は」
 何人かがそれに続いていくつか質問をしていたが、これといった収穫はなかった。

 その後、ネハクトルの案内で、割り当てられた宿に通された。宿は白い壁に茶色い組木がされた雰囲気のある宿で、窓辺には植物が植えられている。赤い花が咲いているのが見えた。どうやらこのあたりの一角は、外国人専用の滞在地になっているらしい。小さな広場を中心にし、同じような建物がぐるりと円形に建てられている。そのうちの二つほどはまだ使用されているらしい。この島からなかなか出られない人々がいるようだ。入ってすぐのカウンターで談話室や食事などの注意点を受けたのち、鍵を受け取るとようやく部屋に通された。
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