第2話 マッドサイエンティスト②

文字数 4,668文字

「ネズミの背中に人の耳を生やした映像を見た事ないのかい? あれと一緒だよ。ま、やり方は僕の独自のやり方にしてあるけどね」
 落ち着かなく上を見上げる人面ネズミは、明らかにフレッドを見て怯えていた。
「それに、ちゃんとこの人にも報酬を支払ったよ。ホームレスだったけれど、契約書も交わした。死ぬまで衣食住の面倒はちゃんと見るってね。とはいえ残念なことに、こい人は手持ち無沙汰に適当に突っ込んでみたからレシピが残っていなくてねえ……」
「……夢に見そうだ」
「脳の一部も組み替えたけど、しゃべれないとなると記憶が残っているかどうかわからないのが難点だった」
 フレッドはまだ私に対して理解できない説明をしていたが、ほとんど右から左へと流れてしまった。とんでもないものを見せられてしまった。
 あの奇声が耳に残らないうちに早く忘れてしまいたい。
「でもテヅルモヅルより反応が良くて良かったよ」
「それを悪趣味だって言ってるんだよ!」
 叫ぶ私を見て、フレッドはますます笑った。
 天はフレッドに二つも三つも与え、そして脚を差し引いたが、その代わりにとんでもない性質を残してしまった。いや、脚と一緒に間違えて持っていってしまったというべきか。自分の研究のためならあっさりと倫理観から逸脱し、時に常軌を逸した実験を行える特異な感性――。フレッドにとってはそもそも、自分の脚を生やすという目的さえもただの通過点に過ぎない。生命をもてあそび、悪意すら持たぬまま、神をも恐れぬ所業を繰り返す――フレッドの笑顔の下に隠れた本性は悍ましい怪物なのだ。
「それで……これは、どうするんだ」
「ああ。死ぬまでは世話をしようと思っているよ」
「そう……か」
 私はそれしか言えなかった。この男は、こういう男なのだ。
 すっかり滅入った私を見て、フレッドは満足したようだった。だがじろりと下から睨むように見てやると、少しだけ苦笑した。
「いや、悪かったよ。僕の趣味に付き合わせたのはね」
「そうかよ」
「でもちゃんとキミの趣味にも付き合うから、安心してくれ」
 ちらりと研究室の中を見ると、また見覚えのない不気味なホルマリン漬けが増えていた。
 ――間違い探しか何かか、この部屋は?
 何度ここに来てもそんなようなことがあるから、すっかり増えることには慣れてしまっていた。

 私はぐったりとしたまま帰宅した。
 フレッドは基本的に人当たりはよく、例え嫌いな相手でも目の前で罵倒したりはしない。私に対してからかうことはあっても、友好的で、人好きのする笑顔は他人を魅了し、数多くの趣味を持っている。だが同時に危険でもある。その性質は私が思っている以上だ。だがこの性質がいずれ何か恐ろしいことになるのではないか。そんな懸念もあったが、フレッドは尻尾を出さないのだ。自分の性質に対しても徹底した管理下においている。
 あの悪夢から出てきたようなネズミも、いずれ死ぬのだろう。契約通りに生きるだけ生かされて死ぬのかもしれない。そうしてきっとあのテヅルモヅルも何らかの実験に使用されるんだろう。私はその日、老人の顔をしたネズミにかじられる夢を見た。
 翌日からも、フレッドは普段通りだった。
 大学の研究室へと赴いたときに、何気なく尋ねた。
「……ネズミはどうなった?」
「残念ながら死んでしまったよ」
 フレッドは肩を竦めた。
「まあ、あれは」
 フレッドはといえば、自分の研究に没頭しきっていた。教授がやってきて何やら談義をしていて、やがて教授が敵わなさそうに苦笑して額に手を当てたのを見た。しばらくは表の研究に集中するなら余計な心配はしなくていいだろうと思った。
 映画かドラマでも見て、あの悪夢を頭の中から追い出した方がいいと思った。サブスクで限定のドラマが公開されたのを知っていたから、しばらくはそっちを楽しむことにした。

 それから二週間が経った。
 私は少しずつドラマを楽しみ、シーズン2の終わりを楽しんでいた頃だった。主人公がいよいよ大きな事件の真相に迫り、背景にいた黒幕に迫ろうとしたちょうどそのとき、携帯電話が無粋に鳴った。無視したかったが、画面に表示されたのはフレッドの名前だった。
 ハンズフリーにして通話ボタンを押す。
「フレッド? どうし……」
『頼む、いまからすぐに来てくれ!』
 懇願するようなフレッドの叫び声が聞こえてきた。私はこれまでの気分が吹っ飛び、背筋を伸ばした。
「どうしたっ、何があった!?」
 電話の向こうからはガンガンと何かを叩くような音がしている。
『とにかくいますぐに来てくれ、脚をやられた!』
「なんだって?」
 フレッドのいう脚は車椅子のことだ。ということは、完全にあいつは丸腰で、車椅子から離れてしまったってことだ。
「とにかく逃げるか隠れるかするんだっ。……そうだ警察は!?」
『ダメだ! まだこいつは見せられたもんじゃないんでね!』
「なに? ……とにかく待ってろ!」
 私は携帯電話を繋ぎっぱなしにしたまま、棚の中から護身用の小型銃を手にしてベルトにねじ込んだ。ジャケットも着ないまま外へ飛び出し、車に飛び乗った。行き先は秘密のラボだ。スピードをあげて一気に道を走る間も、携帯電話からは奇妙な物音が聞こえていた。とにかくフレッドには無事でいてほしかった。
 ラボに向かう道中、事故らなかったことだけは幸運だった。赤信号を無視したのははじめてだった。ラボに着くと、センサーが反応する僅かな時間も惜しかった。私はグローブボックスから懐中電灯を取り出すと、車から出て走り出した。噴水の横を通り過ぎ、階段を一段跳びであがるとドアにしがみついた。センサーはすぐに反応したが、鍵が開く音がするまでが妙に長く感じた。音がした瞬間に銃を構えて中に飛び込む。
「フレッド! どこだ!」
 屋敷は真っ暗だった。だが、どこからともなく妙なうなり声とガンガンいう音がしている。懐中電灯を取り出し、あたりを照らす。二階に続く階段の下に、車椅子がひっくり返って虚しく転がっていた。どうやらこのあたりでスッ転んだらしい。いったい何をやっているんだ。早足で歩き、音が鳴っている方へと耳を澄ませた。二階からだった。一気に階段を駆け上り、ガァンと鳴る廊下へ脚を向けながら懐中電灯で照らした。
 最初に見えたのは、肌の色だった。多くの人々が絡み合った腕のようなものが一瞬見えた。だが違う。一気に中心に懐中電灯を向けると、まずがくんとうなだれた女の顔が見えた。
「うっ……!?」
 顔はほとんど赤く染まっていた。フレッドが引き裂いたのか、それとも元からそうだったのか、鼻まで裂けた口からは赤い液体がぽたぽたと垂れている。だが肝心なのはそこではない。本来は頭の後ろ側にあるはずの皮は五つの方向に引き延ばされていて、その先から直接太い四肢が伸びていた。それが四肢だと思ったのは、確かに腕ではあったからだ。どれほど長く、骨も無いように歪曲して、ぐにゃぐにゃと蠢いていたとしても。そしてその四肢の先からは更に小さな四肢が咲いたように伸びて、その小さな四肢からは更に……と小さな指がいくつも生えていたとしても。まるで人間でテヅルモヅルを再現したような出来の化け物がそこにいた。
「あああ、う、あう」
 口からは言葉になっていない声が漏れ聞こえている。
 何かを伝えようとしているようでもあり、ただ呻いているだけにも聞こえる。化け物は必死になって蠢く四肢の群れで扉を壊そうとしていた。うまく歩けはしないようだが、その触手の群れごとこっちに移動してくる。
「く、来るな!」
 銃を構え、もぞもぞと動いて近づいてくるそいつに一発撃ち込んだ。怪物の脚のひとつに当たる。
「きょおおあわ」
 明確な言葉にはなっていないが、痛みは感じているようだ。私は下がりながらもう一発撃った。照準が安定せず、また脚に当たる。当たっては少しだけのけぞるようにしたが、またこっちへと歩いてくる。私は背後をちらちらと確認した。この屋敷にはもう来慣れているから、どこに何があるかくらいはわかる。確か怪物に向かって挑発するように手招きをした。
「おおおお」
 背中を向けて階段の下へと来ると、予想通り怪物は追ってきた。私は素早く一階の壁を確認する。そこにはガラスで覆われた消化斧があった。勢いよく銃底でガラスをたたき割ると、中の消化斧を取り出した。振り返ると、怪物がちょうど一階に下りてくるところだった。斧を構える。そしていまにも私を取り込まんとする顔に勢いよく消化斧を叩きつけた。
 絶叫が響き渡った。血が飛び散り、服にかかる。こんな奴の血を飲んだらどうなるかわからないから、口はしっかり閉じておいた。斧をもう一度頭から引き抜くと、今度は伸びた四肢の一つへとたたき込んだ。耳を引き裂くような絶叫。ぐいぐいと力を入れると、四肢の一つが千切れて地面に落ちた。他の腕と絡み合ったそれのせいで、怪物は動きが鈍くなったようだ。間髪入れずに、他の四肢へと斧を突き立てる。
「ぐっ……」
 だが今度はなかなか千切れなかった。触手が再生しはじめているのだ。
 ――再生だと? ふざけんな!
 ギシギシと怒りに任せるように四肢の一つを切断しようとする。いよいよ触手が私の周囲を取り囲もうとしたそのときだった。
「キミ!」
 フレッドの声がした。私は咄嗟に斧を離して、後ろに跳んだ。
 途端に怪物の背中から煙があがった。怪物の悲鳴が玄関ホールに響き渡る。背中部分から必死に逃れようと、声をあげながら
 その背中が――いや触手が、みるみるうちに火傷でもしたようになっていく。私は銃を構え、一気に怪物の脳天めがけて何度も引き金を引いた。それが最期になった。
 怪物が倒れたあと、私はその場に膝をついた。見ると、瓶が転がっていた。中身はおそらく酸の類だろう。ゆっくりと顔をあげると、階段の中段あたりに座り込んだフレッドがいた。
「フレッド!」
「すまない、遅れた」
 どうやらフレッドが怪物めがけて酸を投げたらしい。
 私はようやく立ち上がり、ふらふらと彼の方へと歩いた。
「いや、本当にすまなかったね。手を煩わせてしまった……。でも僕が呼んだらすぐに来てくれたことには感謝するよ。さすが僕の親友だ!」
「……大丈夫か、手を貸そうか? 脚は無理だが」
「ああ、ますますいいね! すばらしいジョークだ。やっぱり君は僕の親友だ!」
 私は笑いを返す余裕もなく、ひとまずフレッドの車椅子を持ってきて点検することにした。
 多少がたついていたものの、大きく損傷してはいなかった。これなら、たまたま引っかかってしまって壊れたという言い訳もつくだろう。担いでフレッドのところに戻ると、フレッドはちょうど一階に下りてきたところだった。
「いやはや、それにしてもうまくいかないものだね」
 彼は首を振っていた。
 目の前に車椅子を置いてやると、腕を使って器用にその上に乗り込んだ。
「あれはお前の趣味か……?」
「知的好奇心と言ってくれないかな」
 私は階段に座り込んだ。あたりにはタンパク質が焼けた臭いが漂っている。窓を開けたかった。
「いずれ心臓か脳を撃ち抜いても再生できる生物を作り出したいんだがね」
「せめて弱点くらいは作っておいてくれ……こういうときのために」
 私がため息をつきながら言うと、彼は一瞬ぽかんとした顔をして、それから嬉しそうに破顔した。
「ああ! だからキミのことは好ましいんだよ、親友!」
 やはり彼に気に入られたのが、私の人生を狂わせたのだ。
 人好きのする笑顔を見ていると、余計にそう思った。
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